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white_robe_love_syndrome:scr00952

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[001]【はつみ】

[002]「おはようございます。

[003] 4月1日、朝の申し送りを始めます」

[004]【はつみ】

[005]「……その前に、

[006] みなさんに新しい仲間を紹介したく思います」

[007]【はつみ】

[008]「以前からのスタッフは顔見知りですが、

[009] 知らないスタッフもいるので、

[010] 堺さん、自己紹介をお願いします」

[011]【さゆり】

[012]「……堺さゆりです。

[013] 以前、この病院で治療していただき、

[014] やっと恩返しできることになりました」

[015]【さゆり】

[016]「経験不足ゆえに、

[017] ご迷惑をかけてしまうと思いますが、

[018] どうかご指導ご鞭撻をお願いいたします」

[019]さすがわたしのさゆりちゃん、

[020]自己紹介も花マルだね!

[021]先輩として、恋人として、

[022]すっごく鼻が高いよ!!

[023]【やすこ】

[024]「ほほー。

[025] 恩返し、なぁ……」

[026]【なぎさ】

[027]「……ってゆーか、

[028] ホントに来たんだ……」

[029]何やらニヤニヤしてる山之内さんと、

[030]驚きを隠せない様子のなぎさ先輩。

[031]入院してた堺さんを知ってるバイトさんや派遣さんは

[032]こうして一緒に働けることになってニコニコしてるし、

[033]新しいスタッフのみなさんも、

[034]新人が入ってくるってことでニコニコしてる。

[035]みんなが笑顔なのは、

[036]見てるだけで幸せな気分になるよね!

[037]【はつみ】

[038]「堺さんは小児科希望って言っていたわね。

[039] 沢井さんと一緒に、306号室をお願いします。

[040] 病棟内のことは……覚えているわね?」

[041]【さゆり】

[042]「はい!

[043] 職員のみなさんが知らないことも

[044] もしかしたら、知っているかもしれませんよ?」

[045]【はつみ】

[046]「……それは助かるわ。

[047] じゃあ、沢井さん、あなたがプリセプターよ。

[048] 一緒に成長してくださいね」

[049]【かおり】

[050]「はい!

[051] 一緒に頑張ります!!」

[052]三年目で、初のプリセプター。

[053]さゆりちゃんの教育担当者って考えると

[054]責任重大で緊張するけど、

[055]わたしには信頼できる先輩たちがいるから大丈夫!

[056]【はつみ】

[057]「では、夜勤さん、

[058] よろしくお願いします」

[059]夜勤さんの申し送りが始まった。

[060]【かおり】

[061]「お疲れさま」

[062]さすがに疲れた表情のさゆりちゃんに、

[063]疲労回復のハニーソイミルクを出してみる。

[064]以前、主任さんに作ってもらったハニーミルクは、

[065]牛乳が苦手なさゆりちゃんのために、

[066]なぎさ先輩の手で豆乳を使ったレシピへと変化を遂げて、

[067]今や、さゆりちゃんのお気に入りになっている。

[068]【さゆり】

[069]「……はい、さすがに」

[070]以前のさゆりちゃんなら虚勢を張るところなのに、

[071]最近は素直に疲れた、と言ってくれるのが嬉しい。

[072]【かおり】

[073]「子供は病気でも元気だもんね。

[074] 山之内さんにしか心を開かなかったクラリスちゃんが

[075] さゆりちゃんに懐いたのは驚きだったけど」

[076]バセドウ病で入院中のクラリスちゃんは

[077]ハーフで金髪の女の子。

[078]日本語は問題なく話せるのに、

[079]曖昧を美徳とする日本人社会に馴染めないらしく、

[080]既に306の患児からも浮いた存在になっていた。

[081]【さゆり】

[082]「……わたしも……

[083] あんな風に懐かれるなんて驚きました。

[084] 何がきっかけになるか、わからないものですね」

[085]ほぅ、と息をついて、

[086]さゆりちゃんが微笑む。

[087]初日、一緒に306に挨拶に行ったさゆりちゃんは

[088]問題のクラリスちゃんにも挨拶をした。

[089]【さゆり】

[090]「初めまして、

[091] 今日から担当になった堺さゆりです。

[092] よろしくね」

[093]後頭部で纏めた黒髪が、

[094]さらりと肩から流れる。

[095]その一房を、

[096]クラリスちゃんはまるで蝶でも捕まえるように

[097]しっかと握った。

[098]【クラリス】

[099]「Lady Black、

[100] もう一度、名前を教えて?」

[101]【さゆり】

[102]「堺さゆり、さかい・さゆり、よ」

[103]【かおり】

[104]「堺さんのことは『さゆりん』って呼んであげてね」

[105]ジロッとさゆりちゃんが睨んできた。

[106]――『さゆりん』というあだ名は

[107]今でも不本意らしい。

[108]【クラリス】

[109]「No!

[110] あなたに質問はしていないわっ!」

[111]【かおり】

[112]「……あらら……」

[113]……ま、さゆりちゃんが

[114]306号室の患者さんに受け入れられたっぽいのは

[115]プリセプとしても喜ばしい限り……かな。

[116]【かおり】

[117]「じゃ、

[118] クラリスちゃんの点滴チェックをしようね!」

[119]【さゆり】

[120]「はい、沢井さん!!」

[121]素直な返事と笑顔に、クラッとする。

[122]ううっ、

[123]さゆりちゃんが入院中に、こんな風だったら、

[124]わたし……ちょっとヤバかったかも。

[125]【かおり】

[126]「えっと、バセドウ病は甲状腺機能が亢進するから

[127] 不足しちゃうカリウムを補わなくちゃいけないの。

[128] えっと……それから……」

[129]【さゆり】

[130]「低カリウム血症の緩和のために、

[131] 点滴にカリウム製剤が使われるんですよね」

[132]【さゆり】

[133]「でも、カリウムは一気に大量投与すると、

[134] 心室細動から心停止に至るため、急速滴下はNG。

[135] 滴下管理が必要」

[136]【さゆり】

[137]「クラリスちゃんは自宅管理でやっていたけれど、

[138] 彼女の花粉症悪化で、

[139] 一時的に病棟管理になったんですよね!」

[140]【かおり】

[141]「う……、

[142] そ、その通り」

[143]ううう、わたしの出る幕、なかったよぅ!

[144]さすがさゆりちゃん、って言いたいところだけど、

[145]ちょっとは先輩らしいところも見せたいよ……。

[146]……なんてのは、ゼータクかなぁ。

[147]【さゆり】

[148]「あ、あの……、

[149] 何かいけなかった……ですか?」

[150]【かおり】

[151]「ひょ?

[152] いけなかった、って……何が?」

[153]【さゆり】

[154]「頑張ったらかおりさんが褒めてくれるって

[155] そう思ったのに……」

[156]ああ、もう……っ!!

[157]ぎゅっとさゆりちゃんを抱き締める。

[158]【さゆり】

[159]「きゃうっ!?」

[160]【かおり】

[161]「ああんもう、

[162] さゆりちゃんったら、可愛いッ!!」

[163]【やすこ】

[164]「おおーい、そこのバカップルー!

[165] 神聖な職場でイチャイチャすんなー」

[166]クラリスちゃんの点滴はちょっと難しい。

[167]血管が細い、というのもあるけど、

[168]さゆりちゃんがいないと、

[169]絶対に腕を出してくれない。

[170]しかも、病気だから仕方がないけど、

[171]じっとしていられない『多動』の症状があるから、

[172]安全性を考慮して、普通の針じゃなくて、

[173]腕を動かしても大丈夫な留置針での点滴になる。

[174]【かおり】

[175]「はい、終了!

[176] 点滴が終わったら、

[177] このナースコールで教えてね?」

[178]【クラリス】

[179]「…………」

[180]クラリスちゃんは

[181]さゆりちゃんか山之内さん以外の人とは

[182]殆ど口を利かない。

[183]話しかけても、聞こえないくらいの小さな声で

[184]何かブツブツ返事のような言葉を返すだけ。

[185]【さゆり】

[186]「教えてくれたら、わたしが来るから……ね?」

[187]【クラリス】

[188]「……Yes。

[189] Promise……約束、してくれる?」

[190]【さゆり】

[191]「ええ、いいわよ。

[192] 指きり……する?」

[193]【クラリス】

[194]「……OH、ハラキリ!」

[195]【さゆり】

[196]「え……さすがに、そこまで

[197] 根性入れた約束じゃないから」

[198]【かおり】

[199]「……ホント、さゆりちゃん、

[200] クラリスちゃんに懐かれちゃったねー」

[201]【さゆり】

[202]「あら、沢井さん、嫉妬ですか?」

[203]【かおり】

[204]「そういうんじゃないけどー」

[205]【さゆり】

[206]「……わたしとクラリスちゃんは

[207] 似たもの同士……なのかもしれません。

[208] あの子を見てると昔のわたしを思い出します……」

[209]昔の、さゆりちゃん……か。

[210]【さゆり】

[211]「自分の不幸に浸って、

[212] わたしがこうなったのは

[213] 周囲が悪いからだって責任転嫁して……」

[214]【さゆり】

[215]「ただただ、甘えてたんです……。

[216] わたし、本当に恥ずかしい子供でした」

[217]【かおり】

[218]「だって、実際大変だったんでしょう?

[219] 責任転嫁でもしないと、

[220] さゆりちゃんが壊れちゃいそうなほど……」

[221]【さゆり】

[222]「だからって、

[223] 他人を傷つけていいってわけじゃありません」

[224]【さゆり】

[225]「他人に向けた刃は、

[226] 必ず自分に返ってくる……。

[227] 昔のわたしは、それを知らずに甘えて拗ねて……」

[228]【さゆり】

[229]「……わたしにはかおりさんがいたけど、

[230] あの子には誰もいないんですね……。

[231] それが気がかりなんです……」

[232]【かおり】

[233]「さゆりちゃん……」

[234]泣きそうな顔をしているさゆりちゃんの肩を

[235]そっと抱き締める。

[236]【かおり】

[237]「きっと大丈夫。

[238] さゆりちゃんの気持ちは、

[239] 絶対に伝わるよ」

[240]【さゆり】

[241]「……かおりさん……」

[242]【なぎさ】

[243]「まぁーた人前でイチャイチャしてる!

[244] 主任さんに言いつけちゃうぞー!」

[245]すれ違い様になぎさ先輩にからかわれて、

[246]さゆりちゃんは真っ赤になって

[247]そそくさと詰所に入ってしまった。

[248]……あーあ。

[249]【はつみ】

[250]「ああ、堺さん、検査室から連絡があったの。

[251] 悪いけど、ひとりで外来に行ってくれるかしら?」

[252]【かおり】

[253]「え、ひとりで……?」

[254]【さゆり】

[255]「大丈夫です、沢井さん。

[256] 検査室の技師さんに挨拶がてら、

[257] ちょっと行ってきます」

[258]さゆりちゃんの姿が消えたのを見届けるように、

[259]主任さんが小さく溜め息をついた。

[260]【なぎさ】

[261]「戻りまし……って、どうかしたんですか?」

[262]詰所内の空気の重さに、

[263]戻ってきたなぎさ先輩が足を止める。

[264]【はつみ】

[265]「ちょうど良かったわ、藤沢さん。

[266] 沢井さんと一緒に来てちょうだい」

[267]【はつみ】

[268]「……堺さんのことだけれど、

[269] 患者さんへの入れ込みようが

[270] 度を過ぎているように感じられるわ」

[271]【はつみ】

[272]「たしかにクラリスさんは難しい患者さんよ。

[273] けれど、306号室には他にも患者さんがいるの。

[274] 贔屓だと思われるような態度はいただけないわ」

[275]【かおり】

[276]「……たしかに、クラリスちゃんばかりで、

[277] 他の子からすれば、贔屓してるように

[278] 見えるかもしれませんね……」

[279]【はつみ】

[280]「そんな顔をしないで。

[281] 他の子や親御さんから、

[282] クレームが来たわけじゃないの」

[283]【はつみ】

[284]「ただ、こういうことはクレームが来てからでは遅いの。

[285] 難しいとはわかっているけれど、プリセプターとして、

[286] 沢井さんは堺さんを導いてあげてください」

[287]【かおり】

[288]「……はい」

[289]【はつみ】

[290]「藤沢さんは、沢井さんの元・プリセプターとして

[291] ふたりをフォローしてあげてください」

[292]【なぎさ】

[293]「ふふっ、

[294] 後輩の不始末は先輩の不始末、ですもんね。

[295] はい、わかりました!」

[296]【はつみ】

[297]「話は以上よ。

[298] ふたりとも、仕事に戻ってください」

[299]【なぎさ】

[300]「はい!

[301] ほら、沢井、行くわよ!」

[302]なぎさ先輩に腕を取られて、

[303]詰所に戻る。

[304]【かおり】

[305]「…………」

[306]【かおり】

[307]「ばひょっ!?」

[308]溜め息をついた矢先に、

[309]思いっきり背中を叩かれた。

[310]【なぎさ】

[311]「ほら!

[312] 辛気臭い顔しないの!!」

[313]【かおり】

[314]「……ゲホッ、

[315] な、なぎさ先輩……?」

[316]【なぎさ】

[317]「あんたはワガママお嬢のプリセプでしょ!

[318] あんたが落ち込んでたら、彼女が迷うでしょ!

[319] しっかりしなさい!!」

[320]【かおり】

[321]「そんなこと言ったって……」

[322]【なぎさ】

[323]「沢井のことだから、どうやって傷つけずに

[324] 彼女に伝えようかって悩んでるんでしょ。

[325] そんな気遣い、無用だから!!」

[326]【かおり】

[327]「え、でも、それじゃ……!」

[328]【なぎさ】

[329]「ダメなものはダメなの!

[330] あんたの変な優しさで、今、傷つかなかったとしても、

[331] いずれまた同じような問題は起こるの」

[332]【なぎさ】

[333]「傷つくべき時に、ちゃんと傷つかせて、

[334] 泣かせるのも、先輩の役目。

[335] そういうチャンスを奪っちゃダメなの」

[336]【かおり】

[337]「……なぎさ先輩も……そうだったんですか?」

[338]わたしが新人の頃、

[339]職場でたくさん傷ついて、何度も泣いた。

[340]なぎさ先輩も一緒に泣いてたけど、

[341]そんな深いことを考えてたのかな……?

[342]【なぎさ】

[343]「……あたしは……あたしには、そんなこと

[344] 考える余裕なんてなかったかな。

[345] 自分の成長で手一杯で……さ」

[346]【なぎさ】

[347]「今でも時々、悔しくなるよ。

[348] 沢井のプリセプやってた時の自分があまりに未熟で、

[349] あたし、沢井に何も教えてあげられなかったから」

[350]ポン、と肩を叩いて、

[351]わたしの傍から立ち去ったなぎさ先輩が

[352]キャビネットから記録用紙を取り出した。

[353]この話題はもうおしまい、と言われているようで、

[354]それ以上は何も言えない……。

[355]あの頃……わたしは新人で

[356]自分のことで手一杯だったけど、

[357]なぎさ先輩もなぎさ先輩なりに必死だったんだなぁ……。

[358]わたしも、頑張らないと……!!

[359]【かおり】

[360]「…………」

[361]【さゆり】

[362]「…………」

[363]なるべく冷静に言ってみたけど、

[364]やっぱりさゆりちゃんは同様を隠せないみたい。

[365]【さゆり】

[366]「しゅ……主任さんの指摘も当然だと思います。

[367] 言われて初めて気がつくなんて、

[368] わたし……未熟ですね」

[369]【かおり】

[370]「ううん……、わたしの方こそ。

[371] ごめんね、未熟なプリセプターで……」

[372]【さゆり】

[373]「えっ!?

[374] そういう意味で言ったわけじゃないです!!」

[375]【さゆり】

[376]「わたし……ちょっと思い上がってたのかもしれません。

[377] 勉強も実習も好成績で、現場に入っても

[378] 即戦力として動けるって思ってました」

[379]【さゆり】

[380]「でも……現場って、そう簡単じゃないんですね。

[381] わたしは新人で……圧倒的に経験が足りなくて……。

[382] ……もどかしいです……」

[383]そっとさゆりちゃんを抱き寄せる。

[384]【かおり】

[385]「そんなに急がなくてもいいよ。

[386] さゆりちゃんは今でも十分、即戦力だから、

[387] 無理に急いで成長しなくてもいいんだよ」

[388]【さゆり】

[389]「……かおりさん……」

[390]【クラリス】

[391]「さゆり、こっち来て。

[392] Come Here!」

[393]【さゆり】

[394]「うん、ちょっと待ってね。

[395] 順番ね、順番」

[396]【クラリス】

[397]「…………」

[398]クラリスちゃんが

[399]だんだんイライラしてくるのがわかる。

[400]さゆりちゃんが、なるべく公平にと考えて、

[401]306の患児たちに順番に声をかけて、

[402]薬を配ってゆく。

[403]ふと昔を思い出した。

[404]さゆりちゃんがまだ入院患者だった頃、

[405]わたしの担当は彼女だけだった。

[406]だから、今のさゆりちゃんのように

[407]『なるべく公平に』っていう悩みはなかった。

[408]……看護って難しいなぁって

[409]つくづく思う。

[410]【かおり】

[411]「クラリスちゃん、

[412] 堺さんが来るまで、わたしとお話しする?」

[413]【クラリス】

[414]「…………」

[415]ううっ、

[416]サクッと無視された。

[417]クラリスちゃんとの付き合いも難しいなぁ……。

[418]【はつみ】

[419]「……困ったわねぇ」

[420]クラリスちゃんのことで考えあぐねて、

[421]主任さんに相談したところ、

[422]手の空いている日勤ナースを呼んで

[423]カンファレンスを開いてくれた。

[424]【やすこ】

[425]「一番ええんは、同年代の他の子と仲良くなって、

[426] ちょっとずつ社会性を身につけてくことなんやけど、

[427] ……子供は大人以上に敏感やからなぁ」

[428]【さゆり】

[429]「クラリスちゃんの場合、外見もありますが、

[430] 気を許した相手以外は自分の世界に入れない、という

[431] 頑なな面がありますし……」

[432]【かおり】

[433]「他の子たちも、クラリスちゃんの醸し出している

[434] あのギスギスした雰囲気に

[435] どう接したらいいのか、わからないみたいです」

[436]【看護師A】

[437]「そうよねぇ……、勇気を出して話しかけても、

[438] ブツブツ何言ってんのかわかんない小声か、

[439] ヒステリックな怒鳴り声しか返ってこないもんね」

[440]【看護師B】

[441]「他の患児もクラリスちゃんに

[442] 興味を持っている様子はあるけど……

[443] クラリスちゃんの態度が態度だもの、怖いわよね」

[444]その場にいる一同が溜め息をつく。

[445]【なぎさ】

[446]「……結局、

[447] なるようにしかならないんじゃないですか?

[448] 本人次第って言うか」

[449]【やすこ】

[450]「おやおや、藤沢さん、

[451] 他人事みたいにおっしゃいますねぇ」

[452]【なぎさ】

[453]「だって!

[454] 本人が友達なんていらないって思ってるなら、

[455] あたしたちの思いは余計なお世話っていうか……」

[456]【介護士】

[457]「看護師さん、ちょっと来てぇ!!」

[458]廊下の方から、

[459]ものすごい物音と、介護士さんの叫び声が聞こえてきて、

[460]わたしたちは慌てて廊下へ出た。

[461]【はつみ】

[462]「どうしたんですか!?」

[463]【介護士】

[464]「あっ、主任さん!!

[465] 306のクラリスちゃんが……!!」

[466]それだけ聞いた主任さんが、

[467]ものすごい速さで306へと駆け込んでゆく。

[468]わたしもさゆりちゃんも、

[469]慌てて主任さんの後を追った。

[470]306の一番奥のベッドの上、

[471]クラリスちゃんがうずくまっている。

[472]嘔吐がないのを確認しながら、

[473]震える肩を抱いて、そっと抱き起こす。

[474]【やすこ】

[475]「主任!!

[476] 救急カート、持ってきたで!」

[477]【はつみ】

[478]「ありがとう!

[479] あなたは、わたしの代わりに

[480] 他のナースたちに指示をお願い」

[481]【やすこ】

[482]「了解!

[483] 何かあったらコールしてください」

[484]堺さんは血圧計を取り出して、

[485]既にクラリスちゃんの血圧を測定している。

[486]【さゆり】

[487]「……ひどい不整脈で、

[488] 血圧がはかりにくい……」

[489]反対の手首で脈をはかる。

[490]【かおり】

[491]「……う、微弱な脈と結滞が多くて、

[492] どれを脈拍として数えたらいいのか

[493] わかりません」

[494]【はつみ】

[495]「結滞……?」

[496]主任さんが点滴ボトルを見上げた。

[497]【はつみ】

[498]「ボトルが空になってるわ……!!」

[499]主任さんの言葉にハッとして、

[500]さゆりちゃんとふたり、ボトルを見上げた。

[501]本当なら、まだ半分は残っていなければならないのに、

[502]ボトルの中身は空になっている。

[503]【さゆり】

[504]「そ、そんな……!!

[505] わたし、ちゃんと滴下調整しました……!」

[506]【はつみ】

[507]「今はそんなこと言ってる場合じゃないでしょう!」

[508]主任さんがナースコールを押す。

[509]【やすこ】

[510]「はい、詰所。

[511] ドクターコールですか」

[512]【はつみ】

[513]「ボトルが落ち切っているの。

[514] あと、ECG……12誘導、持ってきて!」

[515]さゆりちゃんは青くなって、ただ震えている。

[516]少し落ち着いたらしいクラリスちゃんを

[517]そっと寝かせて、震えるさゆりちゃんの手を握った。

[518]【かおり】

[519]「大丈夫……。

[520] さゆりちゃんがちゃんと滴下調整してたの、

[521] わたし見てたから……ね?」

[522]青い顔で、さゆりちゃんは

[523]小さく頷いてくれた。

[524]発見が早かったからか、

[525]ドクターの処置で、クラリスちゃんの不整脈は

[526]比較的すぐに回復した。

[527]彼女自身に

[528]不整脈発作に耐えるだけの体力があった、と

[529]いうのもあるかもしれない。

[530]【はつみ】

[531]「困ったわね……」

[532]主任さんは、

[533]眉間を指で押さえながら、

[534]重々しい声で言った。

[535]つまり、今回の件は

[536]カリウム製剤の急速投与によって、

[537]クラリスちゃんに不整脈が発生した、ということ。

[538]【さゆり】

[539]「血中カリウム上昇で、不整脈が発生することは

[540] わかっています。だから、わたし、

[541] かなり気をつけて滴下調整していました」

[542]【かおり】

[543]「それはわたしもちゃんと見ていました。

[544] 堺さんのせいじゃありません」

[545]さゆりちゃんの無罪を証明したくて、

[546]必死でわたしもフォローする。

[547]【はつみ】

[548]「……あなたたちはそう言うけれど、

[549] 現実にボトルの中身は空になってしまっているの。

[550] 事実は事実よ……」

[551]【やすこ】

[552]「ま、一年目やしなぁ」

[553]のんびりした響きさえも感じる山之内さんの声に、

[554]神経を逆撫でされる。

[555]【かおり】

[556]「堺さんのせいじゃありません!!」

[557]ドガッと山之内さんが椅子を蹴った。

[558]【やすこ】

[559]「アホが!

[560] 頭冷やせ、沢井。

[561] お嬢が犯人やなんて、誰も言うとらんやろ!」

[562]【やすこ】

[563]「お嬢がどんな優秀な新人でも、

[564] 世間様は『新人やからミスをしても当然』って思う、

[565] ただそれだけのことや」

[566]【なぎさ】

[567]「堺さんがどんなに有能でも、新人であることは事実。

[568] ミスをした証拠もなければ、

[569] ミスをしてない証拠もないわ」

[570]……なぎさ先輩、ひどい……!!

[571]【さゆり】

[572]「…………」

[573]さゆりちゃんが悔しそうに

[574]涙をこぼしている。

[575]わたしも……わたしだって、

[576]すごく悔しい……泣きたいくらいに!

[577]【はつみ】

[578]「わたしは堺さんがミスをしたとは思っていないわ。

[579] でもね、病院や、親御さんのために、

[580] 形式だけでもこういうものが必要なの」

[581]主任さんが一枚の紙を取り出した。

[582]インシデントレポート。

[583]悔しい……悔しい……!

[584]ミスなんてしてないのに、

[585]どうして悪者にされちゃうの!?

[586]休憩室に篭って、

[587]レポートを書くさゆりちゃんを指導する。

[588]悔し涙を流しているさゆりちゃんに、

[589]何て言葉をかけたらいいのかわからない。

[590]今、主任さんは

[591]慌てて駆けつけたクラリスちゃんの親御さんに

[592]ドクターを交えての説明をしているはず。

[593]わたしたちのフォローをしろと

[594]山之内さんにでも言われたのか、

[595]なぎさ先輩が休憩室に入ってきた。

[596]【かおり】

[597]「……なぎさ先輩、

[598] 何かご用ですか?」

[599]【なぎさ】

[600]「親御さんからのクレームは、

[601] 全部、主任が引き受けてくれるわ。

[602] 堺さんの名前は、親御さんには出ないはずよ」

[603]【さゆり】

[604]「……でも、わたしが滴下調整した点滴が

[605] 目を離していた隙に

[606] 落ち切っていたのは事実です」

[607]【なぎさ】

[608]「そこよ、腑に落ちないのは。

[609] あんたはむかつく子だけど、

[610] 知識に関しては沢井よりも上でしょ」

[611]う……、

[612]恥ずかしいけど、その通りだから

[613]何も言えない……。

[614]【なぎさ】

[615]「危険だとわかってるカリウム入りの点滴よ。

[616] その滴下ミスをあんたがするなんて、

[617] どうしても考えられないの」

[618]さすがなぎさ先輩、ちゃんとわかってる!

[619]【なぎさ】

[620]「いい? 病院だってひとつの組織よ。

[621] 汚い大人の世界なの。

[622] こんなことで泣いてちゃダメ!」

[623]【なぎさ】

[624]「インシデントレポートのひとつで

[625] お咎めナシになるんだから、

[626] 根性据えて、居座り続けなさいよ?」

[627]なぎさ先輩は、なぎさ先輩なりの言い方で

[628]『辞めるな』ってさゆりちゃんに言っている。

[629]何かご用ですか、なんて言って

[630]悪いこと言っちゃったな……。

[631]【さゆり】

[632]「……はい、

[633] ありがとうございます」

[634]なぎさ先輩の気持ちが伝わったのだろう、

[635]さゆりちゃんが涙を残したままふわりと微笑んで、

[636]ぺこりと頭を下げた。

[637]その様子に、一瞬、

[638]なぎさ先輩も絶句したらしい。

[639]【なぎさ】

[640]「……あんたも

[641] そんな風に素直に謝ることができるのねー」

[642]【さゆり】

[643]「…………」

[644]【なぎさ】

[645]「ウソうそ、冗談!

[646] 今、堺さんに辞められちゃうと、

[647] 人員の補充が大変だもん、主任に睨まれちゃうー」

[648]笑いながら、

[649]なぎさ先輩が休憩室を出て行った。

[650]【さゆり】

[651]「……あの人、よくわかりません」

[652]【かおり】

[653]「そう?

[654] 今の言葉、すごくなぎさ先輩らしい言葉だったよ?」

[655]顔を見合わせて、クスクスと笑い合った。

[656]【かおり】

[657]「どうしてこんなことが起こったのかは謎だけど、

[658] 主任さんもなぎさ先輩も、ちゃんと見てくれてるよ。

[659] 安心して働いていこう?」

[660]【さゆり】

[661]「はい。

[662] ……一番大きな安心は、かおり……先輩が

[663] 見てくれてることですけど」

[664]【かおり】

[665]「…………」

[666]い、今、さゆりちゃん、

[667]『かおり先輩』って呼んだ!?

[668]【かおり】

[669]「〜〜〜〜っ!!」

[670]うわー、うわー、

[671]不謹慎だけど、これが『萌え』ってやつなのかな!?

[672]どうしよう、顔が……熱いッ!!

[673]【さゆり】

[674]「あの……どうかしました?」

[675]【かおり】

[676]「ううん、何でもない、何でもないよー?

[677] さ、早くインシデント・レポート、

[678] 片付けちゃおうねー!」

white_robe_love_syndrome/scr00952.txt · Last modified: 2013/06/01 22:49 (external edit)