- External links
Full text: 108 lines Place translations on the >s
[001]できたオムレットを可愛い紙袋に入れて
[002]今日はいつもより一時間半も早く出勤!
[003]朝食後で少しざわめいている病棟。
[004]日勤なのにこんな時間に病棟にいるなんて
[005]何だか不思議な感じ……。
[006]【かおり】
[007]「おはようございま、ぽぎゃ!?」
[008]【はつみ】
[009]「……おはようございます、沢井さん」
[010]ぬっと現れた主任さんに
[011]思わず飛びのいてしまった。
[012]【かおり】
[013]「す、すみません!
[014] 主任さんに会うとは思わなくて!」
[015]【はつみ】
[016]「わたしはいつも
[017] これくらいの時間には出勤しているわ」
[018]【かおり】
[019]「あ、そうなんですか、
[020] 朝が早いんですね、主任さん」
[021]何か言いたげな主任さんの目が、
[022]ふとわたしの提げた紙袋で止まった。
[023]【はつみ】
[024]「……それは?」
[025]【かおり】
[026]「昨日、言ってたオムレットです!
[027] 堺さんに食べてもらおうと思って!」
[028]主任さんは顔を曇らせて、
[029]はっきりと言った。
[030]【はつみ】
[031]「堺さんは……転院したわ」
[032]【かおり】
[033]「え……?」
[034]今の、聞き間違いよね?
[035]それとも……何かの間違いよね?
[036]【はつみ】
[037]「昨夜、急変して、
[038] ここでは対応できないからと、
[039] 他の病院へ救急搬送したの」
[040]【かおり】
[041]「そ、そんな……!!
[042] ウソですよね!?」
[043]【はつみ】
[044]「救急病院での処置が良くて、
[045] 今は容態は落ち着いたらしいわ」
[046]【かおり】
[047]「…………」
[048]ウソじゃないんだ……、
[049]本当に堺さんは、もうこの病院にいないんだ……。
[050]【はつみ】
[051]「今日のお昼頃、
[052] その救急病院の提携している大学病院へ搬送予定よ」
[053]【はつみ】
[054]「搬送先が帝大付属じゃなくなって、
[055] いろいろと予定は変わってしまうわね。
[056] ドクターによって治療方針も違うし」
[057]【はつみ】
[058]「……でも」
[059]【はつみ】
[060]「……もしかしたら堺さんにとっては
[061] これが一番良かったのかもしれないわね」
[062]苦しそうな主任さんの声。
[063]きっとわたしの思いは
[064]堺さんだけでなく、
[065]主任さんをも悩ませていたのだろう。
[066]堺さんは難病患者さんで療養の身。
[067]わかっていたけれど、恋愛なんかに
[068]うつつを抜かしている場合じゃなかったんだ……。
[069]【かおり】
[070]「……そう、ですか……」
[071]そうですね、なんて
[072]とてもじゃないけど言えない……!
[073]涙が頬を伝う。
[074]【はつみ】
[075]「堺さんから伝言よ、
[076] 『わたしのことは忘れてください』ですって」
[077]【かおり】
[078]「!!」
[079]【はつみ】
[080]「搬送先の病院に関しても口止めされたわ。
[081] 苦しい呼吸の下、くれぐれも知らせないで、と、
[082] 何度も念を押されたの」
[083]それはつまり、
[084]『だから、あなたには転院先は教えられない』と
[085]言われてるってことで……。
[086]【かおり】
[087]「…………」
[088]全身から力が抜ける。
[089]紙袋の中のオムレットが
[090]床に散らばった。
[091]わたしが何も知らずに
[092]なぎさ先輩と楽しい時間を過ごしていた間に、
[093]堺さんは苦しい思いをしてた……。
[094]苦しいのに、わたしのことを考えてくれて、
[095]それなのにわたしは……!
[096]【かおり】
[097]「…………」
[098]やりきれない自責の念が胸に満ちてゆく。
[099]主任さんがかがみこんで、
[100]オムレットをひとつひとつ
[101]拾い集めてくれた。
[102]【かおり】
[103]「…………」
[104]――この気持ちを抱きながら、
[105]わたしは看護師を続けていくしかない。
[106]裏切った形になってしまった
[107]あのさみしい人が戻ってくるかもしれない日を
[108]この病棟で待ちながら――。