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white_robe_love_syndrome:scr00931

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[001]【かおり】

[002]「……今日も会えなかった……」

[003]帝大病院に行ったのは

[004]今日で何回目だろう?

[005]お休みの日に、帝大病院にお見舞いに行く度に、

[006]病棟の看護師さんに申し訳なさそうな顔で

[007]堺さんからの面会拒否を告げられるのも

[008]一体、何回目になるんだろう?

[009]七月頃に主任さんから

[010]堺さんは急性期を抜けたって聞いたけど、

[011]やっぱり移植って難しいのね。

[012]具合がなかなか良くならないらしいの。

[013]時々、電話がかかってきて、

[014]その時、少しお話をするんだけど……。

[015]微熱が続いてて、時々、熱が高くなるみたいで、

[016]堺さんの体力がすごく心配になる。

[017]だから、わたしからの電話は控えてるんだけど、

[018]堺さんにとっては、それが不満みたいなの。

[019]看護師さんから許可もらったから

[020]もっと気軽にかけてきて、って言われても……。

[021]堺さんは病気のことも、素直な気持ちも、

[022]本当は辛いことも、

[023]ちっともわたしに言ってくれないけど、

[024]病棟の看護師さんからいろいろ話は聞いてるよ。

[025]堺さんが何も言ってくれないのは、

[026]わたしが頼りないから?

[027]だったら、わたし、

[028]もっとしっかりしないとね!

[029]ん?

[030]電話だ……。

[031]かけてきたのは……病棟!?

[032]何かあったのかな。

[033]【かおり】

[034]「はい、沢井です」

[035]【はつみ】

[036]「お休み中、ごめんなさいね、大塚です。

[037] 今、沢井さん、どこにいるの?」

[038]【かおり】

[039]「どこって……。

[040] 寮の自分の部屋ですけど……?」

[041]【はつみ】

[042]「今日、帝大付属に行った?」

[043]【かおり】

[044]「はい、堺さんに会いに……。

[045] 堺さん本人に面会は拒否されましたけど、

[046] 帝大病院には行きましたよ?」

[047]電話の向こうで

[048]主任さんが大きくため息をついている。

[049]何だろう……胸騒ぎがする……。

[050]【はつみ】

[051]「落ち着いて聞いてね。

[052] ……堺さん、

[053] 病室からいなくなったんですって」

[054]【かおり】

[055]「ええっ!?」

[056]堺さんがいなくなった……?

[057]【はつみ】

[058]「わたしたちもその連絡を聞いて、

[059] うちの病院を隅々まで探してみたけれど、

[060] 取り敢えず、こっちにはまだ来ていないみたい」

[061]堺さんが……。

[062]【はつみ】

[063]「沢井さん!?

[064] ちょっと、沢井さん、聞いているの!?」

[065]【かおり】

[066]「わ、わたし、

[067] 心当たりを探してみます!!」

[068]【はつみ】

[069]「沢井さん!

[070] ちょっと待ち……!」

[071]電話を切って、

[072]わたしは部屋を飛び出した。

[073]部屋を飛び出したはいいけれど、

[074]心当たりなんか、ない。

[075]どうしよう……。

[076]途方に暮れる気分って

[077]こんな気分なのかな……。

[078]!!

[079]あの時、堺さん、何て言ってた!?

[080]もしかしたら、

[081]堺さんはあそこにいるかもしれない……!!

[082]夏休みも終わってしまった、

[083]季節外れの夕方の海岸。

[084]誰か、いる。

[085]……女性で、背が高くて、

[086]そして、傍に車椅子があって……。

[087]【かおり】

[088]「さ、堺さん!!」

[089]堺さんであってほしい、

[090]けれど、人違いであってほしい。

[091]相反する願いを込めて、

[092]叫ぶように名前を呼んで、走る。

[093]その人物がゆっくりと振り向いた。

[094]そして、にこっと笑いかけてくれる。

[095]ずっとわたしが見たかった優しい笑顔。

[096]ずるいよ、こんな時に

[097]そんな笑顔を見せてくれるなんて。

[098]そんな顔されちゃ、

[099]わたし、怒れないじゃない……。

[100]【さゆり】

[101]「ここで待っていたら

[102] 来てくれるんじゃないかって思ってました。

[103] ホントに来てくれるなんて……嬉しい……」

[104]【かおり】

[105]「さ、堺、さん……っ、

[106] 病院、は……どうしたの……っ」

[107]息が切れて、上手くしゃべれない。

[108]【さゆり】

[109]「わたし、ずっと海に来たかったんです」

[110]ゆらりと立ち上がった堺さんが、

[111]波打ちぎわへとゆっくりと歩き出した。

[112]靴を脱ぎ捨てた素足を、

[113]海水が濡らしてゆく。

[114]【さゆり】

[115]「つめたーい!

[116] 気持ちいい〜!」

[117]初めて聞く、堺さんのはしゃいだ声。

[118]【かおり】

[119]「ねぇ、大学病院の人たち、心配してるよ?

[120] うちの病院の人たちも……

[121] もちろん、わたしも」

[122]【さゆり】

[123]「…………」

[124]足を止めて、

[125]堺さんが振り返った。

[126]寂しそうな笑顔。

[127]【さゆり】

[128]「……わたし、もうダメなんですって。

[129] せっかく移植してもらった骨髄が、

[130] わたしの細胞を攻撃し始めたんですって」

[131]わたしはハッとした。

[132]GVHD――移植片対宿主病。

[133]一番恐れていたことが起こってしまった……。

[134]堺さんの体内に入った骨髄が、

[135]堺さんの細胞を異物と判断して

[136]アレルギー反応を起こしてしまった……。

[137]【さゆり】

[138]「だから……来ちゃった。

[139] あなたに慰めてほしくて。

[140] 慰めて、くれますよね」

[141]有無を言わさない、堺さんの言葉。

[142]黙って堺さんを見ていると、

[143]恥ずかしそうに堺さんは俯いた。

[144]細い、白い首筋。

[145]襟元に、点状出血の跡が見える。

[146]【さゆり】

[147]「……せめて

[148] 最期の思い出を作りたくて」

[149]だから協力してください、と

[150]ささやき声が続いたような気がした。

[151]――『最期』。

[152]堺さんは何かを感じ取っている。

[153]わたしができることは、

[154]堺さんにしてあげられることは、何だろう?

[155]わたしは

[156]堺さんに何をしてあげたいんだろう?

[157]【さゆり】

[158]「ごめんなさい。

[159] せっかく、沢井さんから骨髄もらったのに、

[160] ダメになっちゃって」

[161]堺さんの言葉に

[162]わたしは驚いてしまった。

[163]【かおり】

[164]「……堺さんのドナー、

[165] やっぱりわたしだったのね……」

[166]【さゆり】

[167]「うん、わたしの血が教えてくれた。

[168] わたしの中の、沢井さんの血が……」

[169]堺さんの言葉に、

[170]いつぞやの病棟での一幕を思い出す。

[171]   あの時に、堺さんの中に、わたしの……?

[172]【さゆり】

[173]「というか、沢井さん、

[174] 本人なのに、知らなかったんですか?」

[175]【かおり】

[176]「だって……教えてもらえなかったんだもの……。

[177] 同じ大学病院だし、もしかしたら堺さんかもーって

[178] 思ってはいたんだけど……ね」

[179]堺さんの細い肩を抱いて、

[180]寄り添うように、その隣に立った。

[181]砂浜の濡れていないところまで戻って、

[182]ふたりでそっと腰掛ける。

[183]夕焼け空は、もう夜の星空になっていた。

[184]ふと、詰所に連絡しなきゃって思ったけど、

[185]ケータイを忘れてきたことを思い出す。

[186]もう、いいよね……。

[187]病院に戻ったところで、堺さんはもう……。

[188]…………。

[189]足元をひやりと波が洗ってゆく。

[190]少しずつ潮が満ちてきたみたい。

[191]【かおり】

[192]「水、冷たくない?」

[193]【さゆり】

[194]「ううん、冷たくて気持ちいい。

[195] ここなら星にも手が届きそう」

[196]堺さんが空に手を伸ばした。

[197]【さゆり】

[198]「……すごくいい気分」

[199]ふらふらしていた肩を支えたくて、

[200]そっと抱いてみた。

[201]手のひらに感じる熱さは、発熱してるからなのね。

[202]【さゆり】

[203]「あのね、わたし本当は今、走りだしたいくらい、

[204] テンションが上がってるの。

[205] 身体が動くなら、きっと海にダイブするわ」

[206]クスクス笑っている堺さん。

[207]堺さんは話し始める。

[208]今、どれくらい気分がいいか。

[209]退屈な人生だったけど、

[210]数カ月の入院生活は悪くなかった、って。

[211]【さゆり】

[212]「だって、わたし、

[213] わたしには無縁だと諦めていた

[214] 『恋』をしてるんだもの」

[215]【かおり】

[216]「……!!」

[217]【さゆり】

[218]「かおりさん、って

[219] 呼んでもいいわよね?」

[220]返事を期待しない傲慢さも、

[221]自分の思うように話を進めようとする不遜さも、

[222]以前のままで、何も変わっていないのに。

[223]【さゆり】

[224]「もちろん、ダメって言われても呼んじゃう。

[225] だって、わたしの役目は、

[226] かおりさんにワガママ言うことだもん」

[227]でも、もうじきこの子は

[228]わたしの目の前から消えてしまう……。

[229]【かおり】

[230]「……うん、いいよ」

[231]【さゆり】

[232]「本当に!?

[233] 後でダメって言うのはナシだからね?」

[234]堺さんは嬉しそうに笑ってくれた。

[235]この笑顔も、もうすぐ……。

[236]【さゆり】

[237]「かおりさんは、わたしのこと、何て呼びます?

[238] あ、変なあだ名と、

[239] 他人行儀な呼び方は不可だから!」

[240]滅多に見られない、堺さんの無邪気な笑み。

[241]……もっと見ていたいのに!!

[242]【かおり】

[243]「そうね……。

[244] さゆりちゃん、でどう?」

[245]【さゆり】

[246]「…………」

[247]さゆりちゃんは

[248]不服そうな顔をした。

[249]……うん、

[250]何となく伝わってくるよ。

[251]本当は呼び捨てが良かったんだよね。

[252]さゆり、って

[253]呼び捨てにしてほしかったんだよね。

[254]でも、その願いはきいてあげない。

[255]わたしを残して消えてしまう冷たいあなたの

[256]この世の未練を全部消してあげるようなこと、

[257]絶対にしてあげないんだから。

[258]【さゆり】

[259]「かおりさん」

[260]【かおり】

[261]「なあに、さゆりちゃん」

[262]呼びかけると

[263]甘酸っぱい思いで、胸がいっぱいになる。

[264]きっと、さゆりちゃんも

[265]わたしと同じ思いを抱いているはず。

[266]【さゆり】

[267]「あ、あの……

[268] 笑わないで聞いてほしいんだけど、

[269] わたし、ファーストキスもまだなの」

[270]ふと見ると、

[271]さゆりちゃんは真っ赤な顔をしている。

[272]【さゆり】

[273]「だから、わたし、

[274] かおりさんとキスしてみたい。

[275] ダメ……かしら?」

[276]【かおり】

[277]「……さゆりちゃんのファーストキスなのに

[278] 相手がわたしでいいの?」

[279]青白い頬にかかっている長い髪を

[280]切りそろえた前髪ごと

[281]そっと指先で掬い上げて訊いてみる。

[282]【さゆり】

[283]「かおりさんは……かおりさんだけは、

[284] 最後まで、わたしを見捨てないでいてくれたから」

[285]少しずつ満ちてきた波が

[286]わたしたちの太ももを満たしてゆく。

[287]そっと頬を包むと

[288]さゆりちゃんが目を閉じた。

[289]柔らかで、熱い、触れるだけの……。

[290]ぽつりぽつりと会話をする。

[291]さゆりちゃんの言葉は

[292]段々と途切れがちになってくる。

[293]【さゆり】

[294]「……あれ……、

[295] わたし、疲れちゃったのかな……。

[296] 少し寝る……朝が来たら起こして」

[297]半身を海に浸かりながら

[298]さゆりちゃんがわたしにもたれかかってきた。

[299]いつもより熱い体温も、

[300]触れている場所に感じる体重も、

[301]何もかもが愛しい。

[302]【かおり】

[303]「うん、わかった。

[304] 起こしてあげるから、ゆっくり寝てていいよ」

[305]目を閉じたまま、にこっと微笑む額に

[306]そっと唇を落とす。

[307]東の空が明るくなってくる。

[308]暗い藍色から淡いブルーへ、

[309]そして、透明に近い黄色からオレンジへ。

[310]水平線から

[311]ゆっくりと太陽が姿をあらわす。

[312]【かおり】

[313]「見て、さゆりちゃん。

[314] 日の出だよ」

[315]さゆりちゃんは相変わらず目を閉じている。

[316]【かおり】

[317]「また、新しい日が始まるよ」

[318]目を閉じたままだけど、

[319]うっすらと、さゆりちゃんが微笑みを浮かべた。

[320]【さゆり】

[321]「…………」

[322]声はなかった。

[323]ただ、唇が、キスして、と動いただけ。

[324]【かおり】

[325]「…………」

[326]思いを込めて、キスをする。

[327]何度めかのキスの後、

[328]さゆりちゃんの身体を抱いたまま、

[329]わたしは水平線へと歩いてゆく。

[330]【かおり】

[331]「もう、誰も

[332] さゆりちゃんを苦しめたりしないから」

[333]そう、痛い治療ももう終わり。

[334]ひとりぼっちでいるのも、

[335]さみしいって感じるのも、もう終わり。

[336]これからは

[337]わたしがずっと側にいてあげる。

[338]【かおり】

[339]「……だから、

[340] 安心して眠っていていいんだよ……」

[341]ざぶざぶと、

[342]太陽に向かってまだ冷たい海の中を歩き進む。

[343]   「わたしも、すぐ側にいくから。ね?」

white_robe_love_syndrome/scr00931.txt · Last modified: 2013/06/01 22:49 (external edit)