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white_robe_love_syndrome:scr00904

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[001]いよいよ堺さんの転院日。

[002]病院ロビーでタクシーを待つ、わたしたち。

[003]交わす言葉はほとんどないけど、

[004]居心地の悪さはあまり感じないの。

[005]そういえば

[006]堺さんと初めて会ったのも

[007]外来に続くこの待ち合いだったっけ。

[008]【さゆり】

[009]「……また、この病院に帰って来られるのかな」

[010]堺さんが不安を口にする。

[011]堺さんの弱音、それは、本音。

[012]そう、移植にはリスクが伴う。

[013]移植の前の処置では、

[014]だめになった骨髄を叩くために、

[015]致死量の抗がん剤を投与され、放射線も照射される。

[016]骨髄を叩く……

[017]つまり、ちゃんとした細胞を作れない骨髄を

[018]一度、殺すようなものなのよね。

[019]そのために、致死量の抗がん剤を投与して、

[020]骨髄は殺しながら、

[021]患者さんは死なないように管理する。

[022]考えてみれば、ものすごく怖い『治療』。

[023]抗がん剤による合併症も怖いけど、

[024]移植が終わっても、気は抜けない。

[025]新しい骨髄が生着(せいちゃく)しなければ

[026]移植は失敗。

[027]生着しても安心はできなくて、

[028]新しい骨髄から生まれた白血球が

[029]堺さん自身の細胞を異物だと認識して攻撃する

[030]GVHD(移植片対宿主病)を発症することもある。

[031]骨髄が生着して、

[032]GVHD(移植片対宿主病)を無事クリアしても、

[033]また再生不良性貧血が再発しないとは限らない。

[034]治療過程には不安要素が多くて、

[035]文字通り、治療自体も命をかけた治療なの。

[036]ベンチに置かれた堺さんの手をそっと握る。

[037]【かおり】

[038]「……頑張ろう?」

[039]堺さんと目が合った。

[040]ふいっと目をそらされる。

[041]【かおり】

[042]「わたし、お見舞いに行くよ。

[043] ここから先は、わたしにできることはないかもだけど、

[044] ……わたし、ここで、この病院で待ってる」

[045]【さゆり】

[046]「……いいわよ。別に。

[047] 見舞いなんか」

[048]【かおり】

[049]「え?」

[050]【さゆり】

[051]「見舞いになんて来なくてもいいって言ってるの。

[052] あなたにだって仕事があるでしょ」

[053]わたしを気遣ってくれているのか、

[054]強がっているのかわからない、堺さんの言葉。

[055]けれど。

[056]【さゆり】

[057]「それに、副作用で、髪が抜けたり、

[058] お肌だってガサガサになったりするし……。

[059] ……そんな姿、見られたくない」

[060]一時的とはいえ、

[061]変わってしまった姿を見られたくないっていう

[062]堺さんのその言葉にうそ偽りはないだろう。

[063]そして、わたしのうそ偽りのない気持ちは……。

[064]でも、行く

[065]堺さんの気持ち、わかるよ

[066]わたしはクスッと笑ってみた。

[067]【かおり】

[068]「わたしが行きたいだけだから。

[069] 堺さんは気にしないで?」

[070]【かおり】

[071]「会いたくない時は、

[072] 面会を拒否してくれていいから。ね?」

[073]【かおり】

[074]「ボディイメージがあるもんね、

[075] 見た目が変わっちゃった自分を

[076] 見られたくない気持ち、わかるかも」

[077]【かおり】

[078]「でも、近くに行ったら

[079] お見舞いに寄るね」

[080]【さゆり】

[081]「…………」

[082]【さゆり】

[083]「……タクシーが来たようです」

[084]堺さんがゆっくりと立ち上がった。

[085]【かおり】

[086]「あ、うん……」

[087]【さゆり】

[088]「お見送りはここまでで、

[089] わざわざ外に出なくてもいいです。

[090] あなたは仕事に戻ってください」

[091]素っ気なく言って、

[092]堺さんは荷物を持って、わたしに背を向けた。

[093]ああ、

[094]堺さんが行ってしまう……。

[095]わたしが堺さんにできることは……。

[096]……祈ろう。

[097]わたしにできることは祈ることだけだから。

[098]どうか、堺さんの治療が上手くいきますように……。

[099]何だか病棟がさみしいような気がする。

[100]堺さんがいないからかな。

[101]患者さんのところへ行っても上の空で、

[102]さっき主任さんに叱られちゃったの。

[103]  「いい加減にしなさい!

[104]   患者さんは堺さんだけじゃないのよ!

[105]   仕事をするつもりがないなら帰りなさい!」

[106]主任さんに叱られたのは久しぶりで、

[107]わたしはとても反省した。

[108]堺さんを心配するのと、

[109]上の空になるのとは違うよね。

[110]しっかりしなきゃ、わたし!!

[111]屋上に行くと、あみちゃんが佇んでた。

[112]やっぱり、ここにいたのね。

[113]【かおり】

[114]「あみちゃん、

[115] 明日の検査のことだけど……」

[116]【あみ】

[117]「……また、ひとりになっちゃった」

[118]ぽつりとあみちゃんが言った。

[119]顔を見ると、

[120]泣き笑いの表情をしてる。

[121]あみちゃんも堺さんがいなくて

[122]さみしいのかも。

[123]【あみ】

[124]「さゆりんとなら

[125] 仲良くなれそうだったのに……」

[126]時期的なものかもしれないけど、

[127]こはくちゃんもひろくんもショウちゃんも退院して、

[128]今は306号室にはあみちゃんと

[129]つくしちゃんのふたりだけ。

[130]ひとり、季節外れの風邪をこじらせて

[131]入院してきた子がいたけれど

[132]その子も一週間で退院しちゃったんだよね。

[133]【かおり】

[134]「つくしちゃんがいるじゃない」

[135]【あみ】

[136]「……そうなんだけど……」

[137]あみちゃんが言葉を濁した。

[138]物事をはっきり言うタイプのつくしちゃんとは

[139]あまり気が合わないのかもしれない。

[140]【あみ】

[141]「……さゆりんは、わたしに

[142] 積極的に話しかけてくれることはなかったけど」

[143]【あみ】

[144]「でも、良いことも悪いことも

[145] 全部受け止めてくれそうな懐の深さを感じられて

[146] 一緒にいて心地よかったのに……」

[147]へぇ……。

[148]あみちゃんには

[149]堺さんがそう映っていたのね。

[150]【あみ】

[151]「さゆりん、

[152] 早く帰ってくればいいなあ」

[153]涙を堪えて、

[154]あみちゃんがぽつりと言う。

[155]【かおり】

[156]「そうね……、

[157] 一緒に移植の成功を祈ろう?」

[158]あみちゃんは

[159]潤んだ目で、こくりとうなずいた。

[160]           夢の中。

[161]    いつもの女の子がしくしく泣いていた。

[162]【かおり】

[163]「どうしたの?

[164] 何か悲しいことがあったの?」

[165]涙で濡れた顔を上げて、

[166]女の子がしゃくりあげる。

[167]【???】

[168]「また……ひとりぼっちになっちゃった」

[169]【かおり】

[170]「え?」

[171]しくしく泣いている女の子。

[172]お友達とケンカでもしたのかな。

[173]あんまり泣くから可哀想になって、

[174]わたしは女の子をそっと抱きしめる。

[175]ひんやりした、不吉な身体。

[176]びくっとして手を引こうとした途端、

[177]逆にぎゅっと抱きつかれる。

[178]【???】

[179]「あなたは?

[180] あなたは、わたしを見捨てないよね?」

[181]【かおり】

[182]「…………」

[183]思わず、声が詰まってしまった。

[184]【???】

[185]「もう、ひとりは嫌なの……。

[186] お願い、わたしを見捨てないで……」

[187]耳に残る嗚咽。

[188]女の子の冷たい身体から、冷気が染み込んでくる。

[189]……これは、死のイメージ?

[190]遠くから救急車の音が聞こえてくる。

[191]ふっと目の前が暗くなった。

[192]【かおり】

[193]「!!」

[194]ひんやりとした死のイメージが

[195]わたしの身体に巻きついてくる。

[196]【かおり】

[197]「やめて!

[198] やめて、離して!!」

[199]全身を包む冷たさの中、

[200]絡みつく死のイメージから、

[201]何とかして逃れようともがく。

[202]【かおり】

[203]「!!」

[204]ハッと目が覚める。

[205]【かおり】

[206]「……ゆ、夢……?」

[207]【かおり】

[208]「…………」

[209]ため息をついて、大きく深呼吸をする。

[210]ふと、疑問に思った。

[211]夢の中のあの子は誰なんだろう?

[212]   「また……ひとりぼっちになっちゃった」

[213]    「……また、ひとりになっちゃった」

[214]【かおり】

[215]「……もしかして……?」

[216]あの子の言葉が

[217]あみちゃんの言葉と重なった。

[218]もし、あの女の子があみちゃんなんだとしたら、

[219]どうして、わたしの夢の中に現れるの?

[220]そして

[221]死に取り付かれたような冷たい、

[222]ひんやりとしたあの体温は、一体……?

[223]【かおり】

[224]「つ……、疲れた……」

[225]やっと303号室から出て、

[226]廊下の壁にもたれて深呼吸。

[227]ナースコールがあったから

[228]山之内さんの代わりに303へ来たけれど。

[229]都知さんの認知症、ひどくなってない!?

[230]話はまるで通じなくて、

[231]途中から漫才みたいになっちゃうし。

[232]狭心症の戸井さんは安静中だっていうのに

[233]おなか抱えて笑い出すしで、もう大変だったわ。

[234]【かおり】

[235]「さ、戻って

[236] 山之内さんに報告しないと」

[237]うーん、と背伸びして

[238]詰所に向かって歩き出す。

[239]【あみ】

[240]「…………」

[241]ん?

[242]今、すれ違ったの、あみちゃん?

[243]何だか、いつもと様子が違う気がする。

[244]…………。

[245]声をかけようかちょっと迷ったけど、

[246]無視するのも変だよね。

[247]よし、声をかけてみよう!

[248]【かおり】

[249]「あみちゃん!

[250] 暗い顔して、どうしたの?」

[251]【あみ】

[252]「ひっ!?」

[253]あみちゃんは

[254]文字通り、飛び上がって驚いた。

[255]そんなに驚かなくてもいいのに。

[256]【あみ】

[257]「な、何でもないです!

[258] ちょっとボーッとしてて驚いちゃっただけで……!

[259] じゃあ、失礼しますっ!」

[260]【かおり】

[261]「あみちゃん?」

[262]そそくさと部屋に帰った後ろ姿を見送る。

[263]やっぱり何か様子が変だよね?

[264]詰所に戻ろうと思った時、

[265]ふと、あみちゃんがいた場所に

[266]何かが落ちてることに気がついた。

[267]【かおり】

[268]「……何だろう?」

[269]拾い上げると、丸められたラップのようなもの。

[270]【かおり】

[271]「…………」

[272]クリームがついたそれは、

[273]わたしが堺さんにあげた

[274]オムレットを包んでたラップ……だよね?

[275]何故ここに?

[276]…………。

[277]わたしは、行き先を

[278]詰所から311号室に変更してみる。

[279]ドアノブに手をかけて……。

[280]……あれ、

[281]ドアが、開く!?

[282]おかしいな……。

[283]堺さんが戻ってくるまで

[284]この部屋は施錠されてるはずなのに。

[285]念のため、冷凍庫を開けてみた。

[286]冷凍庫の中には、

[287]凍ったオムレットが二つ残ってる。

[288]背後のドアが開いて、

[289]泣きそうな顔のあみちゃんが入ってきた。

[290]【あみ】

[291]「……ごめんなさい」

[292]【かおり】

[293]「あみちゃん……?」

[294]【あみ】

[295]「主任さんがドアの鍵を締め忘れてたみたいだったから、

[296] こっそり忍び込んで、さゆりんがもらった

[297] かおりんさんのお菓子、食べました……」

[298]【かおり】

[299]「…………」

[300]【あみ】

[301]「かおりんさんのお菓子、

[302] どうしても食べてみたかったんです……」

[303]そんなこと、

[304]言ってくれれば良かったのに……。

[305]そう思ったけれど、

[306]わたしは黙ってあみちゃんを見上げていた。

[307]【あみ】

[308]「でも、食べてみてわかりました」

[309]【あみ】

[310]「あのお菓子にはかおりんさんの

[311] さゆりんに対する気持ちがこもってて、

[312] わたしなんかが食べちゃダメなんだって……」

[313]あみちゃんが泣き出した。

[314]【あみ】

[315]「わたし、さゆりんが

[316] お菓子を冷凍させてる意味を知ってるのに、

[317] ……わたし、裏切り者なの!」

[318]冷凍させる意味?

[319]たしか、堺さんは

[320]『こうしておけば保存も利く』って言ってたけど

[321]それ以外に意味があるの?

[322]【かおり】

[323]「あみちゃん?

[324] 意味って……何?」

[325]【あみ】

[326]「かおりんさんのお菓子をもらうようになって、

[327] さゆりん、口では迷惑がってたけど、

[328] ホントはすごく喜んでたんです!」

[329]【あみ】

[330]「だから、移植が上手くいって、

[331] この病院に戻ってきたら、一番最初に

[332] あのお菓子を食べるんだって言ってました」

[333]【あみ】

[334]「なのに、さゆりんが帰ってこなければ、

[335] わたしがあのお菓子を食べられる、って。

[336] ……そんなこと……わたし、最低です!!」

[337]あみちゃんは泣きじゃくっている。

[338]でも……、

[339]可哀想なんだけど、

[340]心のどこかで同情できないわたしがいるの。

[341]【あみ】

[342]「わたし、いけない子です……!

[343] かおりんさん、わたしを叱ってください!!」

[344]【かおり】

[345]「…………」

[346]どうしよう。

[347]わたしがあみちゃんを叱るのは

[348]ちょっと違うような気がする。

[349]だから……。

[350]【あみ】

[351]「っ!?」

[352]デコピンで済ませることにした。

[353]【あみ】

[354]「……か、かおりん、さん?」

[355]【かおり】

[356]「わたしがあみちゃんを叱るなんて、

[357] そんなのできないよ」

[358]あみちゃんに背中を向けて、

[359]冷凍庫から残りのオムレットを取り出す。

[360]【あみ】

[361]「かおりんさん、それ……」

[362]【かおり】

[363]「無人の病室の冷凍庫に置きっぱなしに

[364] するわけにはいかないでしょ」

[365]【かおり】

[366]「これは処分しなくちゃね」

[367]【あみ】

[368]「え……処分、するんですか?」

[369]戸惑ったあみちゃんの声。

[370]【かおり】

[371]「堺さんには、この病院に戻ってくる日に、

[372] 新しく作ったものを渡すから、これは処分」

[373]【あみ】

[374]「それ、捨てるんですか?」

[375]【かおり】

[376]「…………」

[377]捨てるつもりはない。

[378]堺さんが冷凍してたものだもの、

[379]持って帰って、自分で食べるつもりだった。

[380]【あみ】

[381]「……じゃ、じゃあ、それ、わたしにください!

[382] いいでしょう?

[383] どうせ処分するんだったら……!」

[384]いきなりのあみちゃんの申し出。

[385]一瞬、言葉に詰まってから、

[386]わたしはニコッと笑ってみせた。

[387]お腹を壊すかもしれないよ?

[388]これはわたしが食べるの

[389]【かおり】

[390]「お腹、壊すかもしれないよ?」

[391]【あみ】

[392]「壊さないように、少しずつ食べます。

[393] だから、大丈夫!」

[394]【かおり】

[395]「でも、安全上、患者さんにはあげられないよ。

[396] それに、ドクターの許可ももらってないしね」

[397]やんわりと断る。

[398]【かおり】

[399]「ダメ。

[400] これはわたしが食べるの。

[401] 誰にもあげない、あげられないの」

[402]きっぱりと断る。

[403]【あみ】

[404]「そう……ですか……」

[405]わたしの言葉に、

[406]あみちゃんは泣きながら微笑んだ。

[407]【あみ】

[408]「あーあ、

[409] かおりんさんにフラレちゃったなー」

[410]【あみ】

[411]「でも……いっか。

[412] そんなかおりんさんだから、わたしは……」

[413]わたしをじっと見て、

[414]あみちゃんはフッと視線を逸らした。

[415]そしてそのまま、最後まで言わずに、

[416]あみちゃんは部屋を出て行った。

[417]あみちゃんのいなくなった、

[418]堺さんの部屋。

[419]【かおり】

[420]「……ごめんね」

[421]誰にともなく、

[422]わたしはぼそりと呟いてみた。

[423]【さゆり】

[424]「……なに

[425] キョロキョロしているんですか」

[426]お休みの日、

[427]わたしは堺さんの入院している

[428]帝都大学医学部付属病院にお見舞いに来た。

[429]大学病院なだけあって、

[430]エントランスが大きくて広くて

[431]ちょっと迷子になっちゃったけど。

[432]でも、堺さんの入院してる病棟は

[433]本院より少し古い別棟だった。

[434]古いせいか、廊下も部屋も

[435]わたしの勤務する百合ヶ浜総合病院に似てる気がする。

[436]堺さんの入院している個室も

[437]やっぱりどこか見覚えのあるような気がして……。

[438]【かおり】

[439]「してないよ、

[440] キョロキョロだなんて」

[441]【さゆり】

[442]「自覚、ないんですか」

[443]うう、堺さんが呆れてる。

[444]だって気になるんだもん、

[445]どこの病院も、こういう雰囲気って

[446]似ちゃうものなのかなって。

[447]それとも、建てられた時期が同じだったとか?

[448]…………。

[449]ま、いいや。

[450]【かおり】

[451]「そんなことより、

[452] はい、これ、お見舞い!」

[453]思考を無理やり切り替えて、

[454]途中の神庫で買ってきた洋菓子を堺さんに渡してみた。

[455]【さゆり】

[456]「……何ですか、これ?」

[457]【かおり】

[458]「きっと、わたしが作ったものより、

[459] こっちの方が口に合うよ」

[460]ぱかっと箱を開けて、中を覗き込んでいる。

[461]気のせいかな、

[462]堺さんはちょっと不満そうな顔をしている。

[463]【さゆり】

[464]「……こんなに見た目が綺麗だと、

[465] 食べるのがもったいなくて

[466] 食べる気になりませんね」

[467]【かおり】

[468]「えー。

[469] でも、わたしが作ったお菓子より

[470] 絶対、こっちの方が美味しいよ」

[471]【さゆり】

[472]「そんなことはわかっています。

[473] そもそも、プロのパティシエが作ったものと

[474] 素人が作ったものを比べることが大間違いです」

[475]う……。

[476]【さゆり】

[477]「……でも、やっぱり、

[478] 形がいびつなお菓子の方が、

[479] 気兼ねなく食べることができていい……」

[480]あ、そういう意味ね。

[481]味が不満なんじゃなくて、

[482]わたしの手作りを持ってこなかったことが

[483]不満だったのね。

[484]相変わらず素直じゃないんだから。

[485]ま、そういうところも

[486]可愛いんだけど。

[487]太陽が少し傾いてきた。

[488]わたしは意外と長居してたみたい。

[489]【かおり】

[490]「じゃあ、わたし、そろそろ帰るね」

[491]椅子から腰を浮かせた時、手を掴まれた。

[492]【かおり】

[493]「なに……どうかしたの?」

[494]慌てたように

[495]わたしの手を離す堺さん。

[496]【さゆり】

[497]「……な、何でも、ありません……」

[498]堺さんが視線を逸らす。

[499]何か言いたげな様子だけど、

[500]でも、堺さんは何も言わない。

[501]【かおり】

[502]「じゃあ……、

[503] わたし、帰るね?」

[504]【さゆり】

[505]「…………」

[506]【かおり】

[507]「また来るから。ね?」

[508]【さゆり】

[509]「…………」

[510]堺さんのあの行動は「帰らないでほしい」という

[511]感情の表れなんだと思うの。

[512]でも、ここは堺さんの入院先だもん、

[513]帰らないわけにはいかないよね。

[514]最後に、きゅっと堺さんの細い手を握ってから、

[515]わたしは堺さんの部屋を後にした。

[516]          泣いている。

[517]    夢の中、あの女の子が大泣きしている。

[518]【???】

[519]「わたし、

[520] とうとう見捨てられちゃった!!」

[521]【かおり】

[522]「…………」

[523]見捨てられた……?

[524]それが本当だとしたら、

[525]どう声をかけたらいいんだろう?

[526]それ以前に、

[527]この女の子は誰に見捨てられたんだろう?

[528]そもそも、

[529]どうしてわたしの夢の中に出てくるの?

[530]女の子が泣いていることより、

[531]泣きじゃくるこの子に対して不安が募る。

[532]【かおり】

[533]「……ねぇ、あなたは誰なの?

[534] どうしてわたしの夢の中にいるの?」

[535]聞こえなかったのか、

[536]女の子はいやいやをするように首を振っている。

[537]【かおり】

[538]「お願い、教えて?

[539] もしかしたら、わたしがあなたを

[540] 助けてあげられるかもしれないよ?」

[541]泣きながら女の子が顔を上げた。

[542]【???】

[543]「わたしが誰かわかったら、

[544] きっとあなたはわたしから離れていく……」

[545]【かおり】

[546]「え?」

[547]また泣き出す女の子。

[548]今ならわかる。

[549]この女の子は、あみちゃんじゃない。

[550]あみちゃん以外の誰か……。

[551]【???】

[552]「わたしなんか誰にも愛されない……。

[553] わたしがここにいるのに、誰も気づかない」

[554]【???】

[555]「好きな人に気づいてもらえない、

[556] さみしい、さみしい……」

[557]【かおり】

[558]「わたしはここにいて、

[559] あなたの存在に気づいてるよ?

[560] それじゃダメなの?」

[561]女の子の肩にそっと触れてみた。

[562]やっぱり冷たい。

[563]生きているとは思えない体温。

[564]女の子の冷たい手が

[565]ひたりとわたしの手を掴む。

[566]ゾクリ。

[567]背筋を恐怖が這い登り、

[568]全身の毛穴という毛穴が一気に逆立つ感覚。

[569]怖い……こわい――!

[570]突き放す

[571]我慢する

[572]【???】

[573]「…………っ!」

[574]思わず突き放してしまった。

[575]目の前から、ふっと女の子が消える。

[576]消える間際、

[577]わたしを見た女の子の目が

[578]氷のように冷たかった。

[579]ダメ、

[580]この子はこんなに傷ついてるんだから!

[581]わたしが優しくしてあげなくちゃ!

[582]【???】

[583]「…………」

[584]女の子は顔を上げて、わたしを見た。

[585]わたしを見た女の子の目は

[586]氷のように冷たい。

[587]【???】

[588]「偽善者」

[589]目の前から、ふっと女の子が消えた。

white_robe_love_syndrome/scr00904.txt · Last modified: 2013/06/01 22:49 (external edit)