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white_robe_love_syndrome:scr00806

Full text: 1079 lines Place translations on the >s

[001]なぎさ先輩を傷つけるつもりなんて

[002]全くなかった。

[003]傷つけているなんて、思いもしなかった。

[004]癒しの手を見せ付けたつもりもないし

[005]自慢していたつもりもない。

[006]あんなに嫌われていた、なんて……。

[007]そんなこと、全然気がつかなかった。

[008]【さゆり】

[009]「…………」

[010]……気づきもしなかったし、

[011]気づこうともしなかった……。

[012]【さゆり】

[013]「……何をボケッとしているんですか……」

[014]【かおり】

[015]「!」

[016]ハッと我に返った。

[017]わたしは堺さんの点滴ボトルを交換して、

[018]クレンメを弄りながら、

[019]またなぎさ先輩のことを考えていたらしい。

[020]【さゆり】

[021]「人の話、聞いていましたか?

[022] わたし、さっきから何度も

[023] あなたに話をしていたんですが」

[024]【かおり】

[025]「あ……、うん、ごめん……」

[026]【さゆり】

[027]「ごめんで済んだら警察はいらないんです。

[028] それに勤務中にボーッとするなんて、

[029] 医療ミスでも起こしたらどうするんですか」

[030]【かおり】

[031]「あ……うん、そうだね」

[032]【さゆり】

[033]「下手したら免許剥奪ですよ!?

[034] あなた、看護師になりたくてなったんでしょう?

[035] 免許がなくなったら、働けなくなるんですよ?」

[036]【かおり】

[037]「うん……、ごめんね……」

[038]【さゆり】

[039]「…………」

[040]堺さんは心底呆れたような顔で、

[041]わたしを見た。

[042]【さゆり】

[043]「ばかばかしい」

[044]【かおり】

[045]「…………」

[046]ごめんなさい、と謝ろうとして、

[047]謝るのをやめた。

[048]謝るくらいなら、最初からやるなって

[049]言われそうだったし、

[050]謝ったところで、堺さんの機嫌が良くなるわけでもない。

[051]【さゆり】

[052]「あなたが腑抜けているの、

[053] またあの外科に行った人絡みでしょう?」

[054]【かおり】

[055]「え……、と……」

[056]その言葉には、

[057]うなずくことも否定することもできない。

[058]否定するのはウソになる、

[059]かといって、気持ちの上で肯定したくない。

[060]【さゆり】

[061]「だからわたし、あの人が嫌いなのよ。

[062] あなたをへこませていいのは、

[063] 担当患者であるわたしの特権なのに!」

[064]【かおり】

[065]「……は?」

[066]予想外の言葉。

[067]わたしは唖然として堺さんを見た。

[068]【かおり】

[069]「……な、にそれ」

[070]堺さんは生真面目な表情で、

[071]けれど、ちょっと冗談混じりに唇を尖らせている。

[072]【さゆり】

[073]「あなたは看護学校の先輩だけど、

[074] 全然ダメな看護師で、だからわたしが

[075] 鍛えてあげようって思ったの、それだけ!」

[076]【かおり】

[077]「…………」

[078]堺さんの言葉に何も言えない。

[079]鍛えてあげようって思ったって……堺さんが?

[080]【さゆり】

[081]「…………」

[082]見ている内に、堺さんの頬がほんのりと染まって、

[083]まるでそれを見られたくないかのように

[084]堺さんはプイッとそっぽを向いた。

[085]【かおり】

[086]「そっか……、ごめん」

[087]……不器用な、堺さん。

[088]この性格で、きっと今まで

[089]とてもいっぱい損をしてきたはず。

[090]なのに、辛いことも苦しいことも顔に出さずに、

[091]胸を張って、真っ向から向き直ってる堺さん。

[092]……強いなぁ。

[093]わたしも、堺さんのように強かったら、

[094]あんな風になぎさ先輩を傷つけずに済んだのかも。

[095]……ううん、

[096]今からでも遅くないよね。

[097]わたし、本当の意味で

[098]なぎさ先輩から卒業しないと……!

[099]【かおり】

[100]「ありがとう、堺さん」

[101]【さゆり】

[102]「…………」

[103]堺さんは顔を背けたまま、何も言わない。

[104]それが、堺さんの返事。

[105]わたしは堺さんに頭を下げて、

[106]病室を後にすることにした。

[107]【かおり】

[108]「ただいまぁ〜、っと」

[109]ふぅ〜、今日も何とか終了。

[110]かばんからケータイを取り出す。

[111]あーあ、

[112]今日も見事に山ほど来てるなぁ。

[113]最近、部屋に戻って一番最初にすることが、

[114]イタズラメールを削除することになった。

[115]一斉に削除したいけど、

[116]友達からのメールも入ってるし、

[117]パッと見じゃわからない。

[118]だから、

[119]ため息をつきながら一件一件チェックして、

[120]不要なものを片っ端から削除していく。

[121]着信拒否の設定をしてから

[122]非通知電話は気にならなくなったものの、

[123]相変わらずメールの方はガンガン送られてくる。

[124]アドレスを登録して受信拒否にしても、

[125]アドレスを変えて、また新しく来る。

[126]イタズラメールがケータイからのメールだから、

[127]ドメインごと拒否しちゃうと、

[128]友達からのメールも受信できなくなっちゃうもんね。

[129]だから、こうして毎日、一件ずつ手作業で削除。

[130]もう、慣れちゃったけどね。

[131]それでも、呪いの言葉が綴られた

[132]悪意の塊のメールを見るとため息が出る。

[133]【かおり】

[134]「ぴょっ!

[135] は、はい?」

[136]いきなりの音にびっくりして手が止まる。

[137]【はつみ】

[138]「大塚です」

[139]【かおり】

[140]「主任、さんっ!?」

[141]慌ててケータイを置いて、ドアに向かった。

[142]【はつみ】

[143]「急にごめんなさいね」

[144]【かおり】

[145]「い、いえ、別に。

[146] どうしたんですか?」

[147]主任さんは少しだけ黙って、

[148]わたしを見つめていた。

[149]【かおり】

[150]「??」

[151]不思議そうに首をかしげるわたしに、

[152]主任さんはようやく口を開いたのだけれど……。

[153]【はつみ】

[154]「……元気?」

[155]【かおり】

[156]「えっ?

[157] あ、はい。まぁ……」

[158]【はつみ】

[159]「そう、ならいいの」

[160]【かおり】

[161]「へっ?」

[162]わけがわからなくて慌てるわたしの前で

[163]主任さんはかまわずスッと身を引いた。

[164]【はつみ】

[165]「お邪魔したわね。ごめんなさい」

[166]【かおり】

[167]「えぇっ?」

[168]あっけにとられているうちに、

[169]主任さんは背を向けて行ってしまった。

[170]えーっと……?

[171]今の、一体、なんだったの??

[172]        また、あの夢の中。

[173]   目の前に、いつもの女の子が立っている。

[174]  女の子は、わたしをまっすぐに見つめていた。

[175]【???】

[176]「あなたは何をしているの?」

[177]【かおり】

[178]「え?」

[179]女の子の言葉の意味がわからない。

[180]大人びた、女の子の瞳。

[181]いろんな経験をして、

[182]辛いことを乗り越えてきた、大人のような瞳。

[183]【???】

[184]「こんなところで何をしているの?

[185] あなたには、やるべきことがあるはずよ」

[186]女の子の瞳が、わたしを急かす。

[187]心の奥が、ざわざわと落ち着かなくなる。

[188]やるべきことがあるのなら教えて

[189]あなたに言われたくない

[190]【かおり】

[191]「……やるべきことがあるなら、教えてほしい」

[192]今のわたしにはわからない。

[193]なら、わかっている人に教えを請うしかない。

[194]わたしは深く頭を下げた。

[195]【かおり】

[196]「お願い、わたし、わからないの。

[197] わたしがやるべきことは何なのか、

[198] わかっているなら教えてください!」

[199]女の子は、少し迷ったような表情をしている。

[200]【???】

[201]「あの子を、止めてあげて……」

[202]【かおり】

[203]「え……?」

[204]顔を上げた瞬間、女の子はフッと消えてしまった。

[205]【かおり】

[206]「そんなこと、あなたに言われたくない」

[207]いつもいつも、謎かけのような

[208]わけのわからない言葉でわたしを混乱させて、

[209]導いてくれるわけでもない。

[210]もう、うんざりだわ。

[211]教えるなら、ちゃんと教えてくれればいいのに。

[212]【???】

[213]「……そう」

[214]女の子はかなしそうな顔をして、

[215]次の瞬間、フッと消えてしまった。

[216]出勤すると違和感を覚えた。

[217]病院全体が、何だか騒がしい感じ。

[218]【かおり】

[219]「おはようございます」

[220]【やすこ】

[221]「あ、おはよーさん」

[222]【かおり】

[223]「あの、何かあったんですか?

[224] 何だかどこもザワザワしてますよね」

[225]【やすこ】

[226]「ん〜、うちも詳しくは知らんけど、

[227] 二階で暴力事件が起こったらしいで?」

[228]【かおり】

[229]「ぼ、暴力事件!?

[230] しかも、二階って外科病棟じゃないですか……!!」

[231]なぎさ先輩のいる外科病棟。

[232]なぎさ先輩が異動になった時、

[233]同じ病院だから平気だって思ったけど、

[234]階が違うだけで、まったく交流がないものなのね。

[235]たった一階、

[236]ワンフロア違うだけなのに、

[237]……外科って遠い。

[238]あれから、なぎさ先輩とは

[239]顔を合わせることもなかった。

[240]院内でも、寮内でも。

[241]そのなぎさ先輩のいる外科病棟で

[242]暴力事件だなんて……。

[243]何があったんだろう?

[244]なぎさ先輩は、大丈夫だったのかな?

[245]【かおり】

[246]「あの、他には……?」

[247]【やすこ】

[248]「さぁな。

[249] 内科病棟には関係ないことやし、

[250] うちは知らん」

[251]【かおり】

[252]「そうですか……、

[253] ありがとうございます」

[254]どうしよう。

[255]なぎさ先輩が、心配でたまらない。

[256]でも……。

[257]もう顔も見たくないと言われちゃったわたしが

[258]何かできるわけがない。

[259]ダメモトで、夜勤看護師さんに訊いてみたけど、

[260]夜勤さん、知ってるっぽいのに、

[261]わたしが新人だからか、何も教えてくれない。

[262]もしかしたら、

[263]何も言うなって言い含められてるのかも

[264]しれないけど。

[265]【常盤師長】

[266]「さぁ、みなさん、集まっていますね?

[267] 申し送りを始めますよ」

[268]珍しく申し送りの音頭をとったのは師長さん。

[269]主任さんは出勤しているとのことだけど、

[270]詰所には姿がない。

[271]なんだか、嫌な予感がする。

[272]外科で起こった暴力事件に、

[273]主任さんの不在。

[274]たったそれだけの事実だけれど、

[275]妙な胸騒ぎがした。

[276]でも……。

[277]  「最悪よ!

[278]   あんたの顔なんて、もう見たくもないわ!!」

[279]なぎさ先輩の言葉が、頭をリピートする。

[280]会いたい。

[281]でも、会えない。

[282]会ったら、またわたしは

[283]なぎさ先輩を傷つけてしまう。

[284]でも……!

[285]【やすこ】

[286]「……沢井、申し送り始まるで!

[287] 聞いてんのんか?」

[288]ハッとして顔を上げる。

[289]……やっぱり会えない

[290]それでも……会いたい!

[291]……やっぱり、会えない。

[292]今、なぎさ先輩に会ったって、

[293]わたしには何もできそうにないもの。

[294]なぎさ先輩……ごめんなさい。

[295]……結局、なんだか今日は気もそぞろで

[296]仕事が手に付かなかった。

[297]それは他の同僚も同じようで、

[298]みんな外科での事件が気になってたみたい。

[299]病院から緘口令(かんこうれい)が敷かれてて、

[300]誰も何も口にしない。

[301]外来周りで会った、無関係の技師さんたちも

[302]やっぱり何も教えてくれなかった。

[303]患者さんの中には、

[304]何があったのか薄々気づいている人もいるようで

[305]病院全体が、なんだかそわそわと落ち着かなかった。

[306]それに、主任さん……。

[307]結局今日は一日、病棟に戻ってこなかったし。

[308]しかも、不思議なことに、

[309]いつものメールが来ていない。

[310]それだけなのに、ホッとした。

[311]ほんの少し心が軽くなって、大きく伸びをする。

[312]そして、ふと思いついた。

[313]そうだ、コンビニに買い物行こう!

[314]外科で大変なことが起こったんなら、

[315]きっとなぎさ先輩も大変な思いをしてるはず!

[316]顔も見たくない、とは言われたけど、

[317]心配するな、とは言われてないもんね!

[318]なぎさ先輩の好きなお酒と、

[319]思い出のお菓子を買って、

[320]なぎさ先輩の部屋のドアにかけておこう!

[321]うん、そうしよう!

[322]わたしはお財布と鍵だけを持って、

[323]コンビニへ向かった。

[324]         また、夢の中。

[325]    真っ暗な、何も聞こえない、夢の中。

[326]       いつもの女の子はいない。

[327]     遠くにぼんやりと人影が浮かんだ。

[328]    ゆっくりと、その人影が近づいてくる。

[329]【かおり】

[330]「……な、なぎさ先輩っ!?」

[331]思わず声が出た。

[332]なぎさ先輩は無言でわたしを見つめている。

[333]ぽろりと、なぎさ先輩の頬を涙が伝い落ちた。

[334]【かおり】

[335]「なぎさ先輩!」

[336]駆け寄ろうとしたけれど、

[337]また見えない壁に阻まれて近づけない!

[338]【かおり】

[339]「なぎさ先輩……、なぎさ先輩っ!」

[340]わたしの声、伝わっていますか!?

[341]なぎさ先輩の口が、かすかに動いた。

[342]        『ご・め・ん・ね』

[343]……なぎさ先輩?

[344]唇がつむぎだした声は、わたしの元へは届かない!

[345]なぎさ先輩がわたしの方へと手を伸ばす。

[346]わたしも慌てて自分の手を伸ばす。

[347]見えない壁越しに、

[348]手と手が重なった瞬間……。

[349]【かおり】

[350]「なぎさ先輩!」

[351]フッと、なぎさ先輩は、

[352]煙のように消えてしまった。

[353]それでも……会いたい!

[354]【やすこ】

[355]「沢井!

[356] 今更、行ったところでどうなるねん!」

[357]そんなこと、わかってる!

[358]今更、わたしが外科に行ったところで、

[359]どうにもならない、って。

[360]でも……!

[361]……でも、もしかしたら

[362]なぎさ先輩、大変な思いをしてるかも

[363]しれないじゃないですか!

[364]もしかしたら、何かしてあげられることが

[365]あるかもしれないじゃないですか!!

[366]ううん、何もできなくてもいい!

[367]ただ、なぎさ先輩が無事で、

[368]いつも通りに仕事をしてるってことがわかれば

[369]それだけでいいの!!

[370]二階……

[371]ここがなぎさ先輩のいる外科病棟。

[372]ワンフロア違うだけで、

[373]ずいぶんと雰囲気が違うのね……。

[374]それに、全体的にざわざわしてる。

[375]暴力事件の関係かな?

[376]詰所前に患者さんたちが集まっている。

[377]邪魔をしないようにと少し離れて見ていると、

[378]どうやら患者さんのご家族らしく、

[379]何やらスタッフにクレームをつけているようだった。

[380]ご家族の方は言いたいだけ言うと満足したのか、

[381]さっさと立ち去ってしまい、

[382]後には疲れた顔の看護師さんがひとり残されていた。

[383]【かおり】

[384]「あ、あの〜……」

[385]【外科病棟看護師】

[386]「あなた、誰?

[387] 何か用?」

[388]とげとげしい口調でジロリと睨まれる。

[389]ううっ、怖い……。

[390]でも、ビビってる場合じゃない……!

[391]【かおり】

[392]「す、すみません、

[393] わたし、内科病棟の沢井です。

[394] あの、なぎさせんぱ……いえ、藤沢さんは?」

[395]【外科病棟看護師】

[396]「はぁ!?

[397] あんな足手まとい、知らないわ」

[398]【かおり】

[399]「足手……まとい……?」

[400]【外科病棟看護師】

[401]「申し送りの時間になっても戻ってこないなんて、

[402] 看護師としての職業意識がないのかしらね!

[403] あんな子、いなくなってせいせいするわ!」

[404]外科の看護師さんの言葉に

[405]頭が真っ白になる。

[406]いなくなってせいせいする……?

[407]そんな……っ!!

[408]なぎさ先輩は、そんな人じゃないっ!!

[409]【かおり】

[410]「なぎさ先輩はそんな人じゃありません!

[411] 慣れない外科で、何とか追いつこうと

[412] 必死になって勉強してました!」

[413]【かおり】

[414]「それに、いなくなった、って

[415] どういう意味ですか!?

[416] なぎさ先輩はここにいないってことですか!?」

[417]【外科病棟看護師】

[418]「そんな人じゃないって言ったって、事実は事実よ。

[419] 藤沢さんは勝手にいなくなったんだから。

[420] 事実を言って何が悪いの」

[421]事実……なのかな。

[422]でも、あの責任感の強いなぎさ先輩が

[423]病棟からいなくなるなんて……、

[424]仕事放棄なんかするわけがない!

[425]きっと、何か理由があったんだ!!

[426]【かおり】

[427]「いなくなったのには、

[428] 何か理由があるはずです!

[429] 暴力事件の関係、とか!!」

[430]【外科病棟看護師】

[431]「……あなた、何も知らないのね。

[432] 暴力事件を起こしたのは、その藤沢さんよ」

[433]【かおり】

[434]「!!」

[435]【外科病棟看護師】

[436]「何も知らないようだから教えてあげる。

[437] 藤沢さんはね、夜勤中、患者とトラブル起こして、

[438] 患者殴って逃げたのよ!」

[439]か、患者さんを殴って……?

[440]なぎさ先輩が?

[441]【外科病棟看護師】

[442]「あんな役立たず、いない方がマシよ。

[443] ただでさえ夜勤は人手が少ないってのに、

[444] 病棟経験者と思って歓迎してみればこのザマよ」

[445]【外科病棟看護師】

[446]「挙句の果てに、人の足を引っ張っただけでなく、

[447] 邪魔するなら帰れと言ったら本当に帰っちゃうなんて!

[448] ありえないわよ、ホント!!」

[449]【かおり】

[450]「…………」

[451]【外科病棟看護師】

[452]「あの子、内科でもあんな感じだったの!?

[453] 指示されなきゃ何もしない、考えて行動できない、

[454] 注意したら不貞腐れて、返事もしない!」

[455]【外科病棟看護師】

[456]「内科ではちゃんと新人教育できてるの!?

[457] 外科は内科の尻拭いをするところじゃないの、

[458] 不良債権を押し付けられても困るわ!」

[459]不良債権だなんて……酷い言葉。

[460]指示されなきゃ何もしない、

[461]考えて行動できない、

[462]注意したら不貞腐れて返事もしない。

[463]……わたし自身、心当たりがある。

[464]自分がどうすればいいのかわからなくて、

[465]つい誰かに頼ってしまって、

[466]不貞腐れたつもりはなくても、

[467]表情が硬くなることなんて珍しくもない……。

[468]外科の看護師さんが、大きなため息をついた。

[469]【外科病棟看護師】

[470]「……そういうわけだから。

[471] あの子が抜けたせいで、残業しなきゃいけないの。

[472] もういいかしら?」

[473]【かおり】

[474]「はい……。

[475] あ、なぎさ先輩の居場所は……」

[476]【外科病棟看護師】

[477]「わたしが知ってるわけないでしょ」

[478]走ってくる足音に振り向く。

[479]内科病棟から、

[480]あみちゃんが階段を駆け下りてきた。

[481]【あみ】

[482]「か、かおりんさんっ!」

[483]【かおり】

[484]「あみちゃん!?

[485] 走っちゃダメでしょ!!」

[486]あみちゃんは、わたしの言葉に構わず、

[487]わたしの腕を取って、ぐいぐい引っ張った。

[488]【あみ】

[489]「かおりんさん!

[490] 止めて……なぎさんを止めてください!」

[491]【かおり】

[492]「え、なぎさ先輩!?」

[493]はぁはぁと荒い息をつきながら

[494]あみちゃんがわたしを見る。

[495]【かおり】

[496]「なぎさ先輩、どこにいるの!?」

[497]嫌な予感がする。

[498]あみちゃんが、口をぱくぱくさせて

[499]なぎさ先輩のいるらしい場所を教えてくれた。

[500]【かおり】

[501]「わかった!

[502] あみちゃんはお部屋に戻って!

[503] なぎさ先輩は必ずわたしが連れ戻すから!!」

[504]屋上へと続くドアの前に、

[505]堅い表情の堺さんが立っていた。

[506]【さゆり】

[507]「…………」

[508]そして、くいっと顎で上を指し示す。

[509]【かおり】

[510]「な、なぎさ先輩っ!?」

[511]その柵の向こうに、なぎさ先輩が立っていた。

[512]【なぎさ】

[513]「…………」

[514]思いつめた表情のなぎさ先輩。

[515]強い風が吹く。

[516]なぎさ先輩の髪が舞い上がり、

[517]白衣の裾がはためいている。

[518]【かおり】

[519]「な、なぎさ先輩……!

[520] 危ないですから、こっちへ来てください……!」

[521]けれども、なぎさ先輩には、

[522]わたしの言葉は届かないみたい。

[523]なぎさ先輩は柵の向こうから動こうともせず、

[524]わたしをじっと見ている。

[525]……まるであの夢の中のよう。

[526]わたしたちの間には

[527]見えない壁が立ちふさがってるような……。

[528]ただ違うのは、

[529]そのなぎさ先輩がフッと笑ったことだった。

[530]【なぎさ】

[531]「……あんたに意地悪をしたバチが当たったのね」

[532]風に乗って、

[533]なぎさ先輩の声が届く。

[534]【かおり】

[535]「バチ、って、何ですか!?」

[536]【なぎさ】

[537]「安心してよ、沢井。

[538] あたしが死んだら、もうあんな

[539] 電話もメールも来ないから」

[540]あんな電話……、メール……?

[541]もしかして、あれは、

[542]あの迷惑電話にイタズラメールは、なぎさ先輩が……?

[543]【なぎさ】

[544]「あんた、本当に何も気づかないんだもん、

[545] 呆れるわ」

[546]【なぎさ】

[547]「なんにも知らずに、

[548] なぎさ先輩、なぎさ先輩って……」

[549]【かおり】

[550]「…………」

[551]なぎさ先輩は傷ついている。

[552]あんな電話やメールは自分の仕業だったなんて、

[553]ホントは言いたくなんかなかったはず。

[554]それなのに、ここで告白したということは……。

[555]【なぎさ】

[556]「さて、嫌われ者はそろそろ消えるわ。

[557] あたしがいるだけで

[558] また誰かに迷惑かけちゃうから」

[559]また、強い風が吹く。

[560]ひどい胸騒ぎがする。

[561]わたしは思わず叫んでいた。

[562]【かおり】

[563]「なぎさ先輩は嫌われ者じゃありません!

[564] 迷惑だなんて、そんなこと言わないでください!」

[565]手の届かない場所へ行ってしまわないように、

[566]なぎさ先輩をしっかりと見据えて、

[567]一歩、また一歩、なぎさ先輩に近づいてゆく。

[568]【かおり】

[569]「わたしにとって、なぎさ先輩は憧れでした!

[570] 高校の頃も、そして、看護師になった今も、

[571] なぎさ先輩が憧れということは変わりありません」

[572]【かおり】

[573]「わたしにとって、

[574] なぎさ先輩がいなくなることの方が迷惑です!」

[575]なぎさ先輩は

[576]泣き出しそうな顔で首を振る。

[577]【なぎさ】

[578]「でも、外科の人たちにとっては……」

[579]【かおり】

[580]「山之内さんから、看護師のイジメの話は聞きました!

[581] 新人は標的にされやすいとも言ってました!

[582] 大奥みたいなものだとも言ってました!」

[583]柵を掴んでいるなぎさ先輩の指が

[584]ビクッと動いた。

[585]【かおり】

[586]「自慢にならないけど、わたし、仕事、できてません!

[587] でも、教えられながら、叱られながら、

[588] 成長していこうって思ってます!」

[589]【かおり】

[590]「大体、仕事についていけないのは

[591] なぎさ先輩のせいじゃないです!

[592] 頑張ってたの、わたし、見てました!」

[593]思いの丈を、言葉に乗せる。

[594]【かおり】

[595]「っていうか、新人が仕事できないのなんて、

[596] 慣れてないんだから、当たり前ですよね!

[597] スーパーウーマンじゃないんだから!」

[598]わたしの気持ち、なぎさ先輩に届いて……!!

[599]【かおり】

[600]「仕事をちゃんと教えずに、仕事ができないのを

[601] 新人のせいにして……外科の人たちの方が

[602] よっぽど仕事ができてないと思います!!」

[603]【なぎさ】

[604]「沢井……」

[605]【かおり】

[606]「だって、そうじゃないですか! わたしと同期で

[607] 外科に入った人、もう辞めちゃったって聞きました!

[608] なぎさ先輩の同期の人も辞めちゃったんですよね」

[609]【かおり】

[610]「だから、今の外科は人材が足りなくなって、内科から

[611] なぎさ先輩を引き抜いていったんですよね!」

[612]屋上の外を向いていたなぎさ先輩の身体が

[613]わずかに、わたしの方を向く。

[614]【かおり】

[615]「後輩を育てられないのは忙しいからかもだけど、

[616] 新人や後輩が居つかない職場の雰囲気を作ってる

[617] 外科の人たちにこそ問題があると思うんです!!」

[618]【なぎさ】

[619]「…………」

[620]なぎさ先輩が

[621]ホッとしたような顔をする。

[622]そんな中、誰かがわたしたちの会話に割り込んできた。

[623]【???】

[624]「……っていうか、死にたいんなら、

[625] さっさと死ねばいいのに」

[626]【???】

[627]「ちょ……、さゆりん!!」

[628]ギョッとして振り向くと、

[629]苛立ちを抑えた顔で堺さんが立っていた。

[630]その隣で、目を丸くしたあみちゃんが

[631]おろおろしてる。

[632]【あみ】

[633]「あ、えっと……!

[634] なぎさん、さゆりんは、ほら、

[635] こういう人だから……!」

[636]【さゆり】

[637]「わたし、あなたのそういうところ、大嫌い。

[638] この世に絶望したから自殺しようとしてるんでしょ。

[639] だったら、さっさと飛べばいいのに」

[640]【さゆり】

[641]「それなのに未練たっぷりで、そんなところで足踏み。

[642] どうせ沢井さんが来るまで待っていたんでしょう?」

[643]【かおり】

[644]「ちょ……、堺さん!」

[645]言いすぎだよ、って止めようとした。

[646]けれど……。

[647]【さゆり】

[648]「死にたいんでしょう?

[649] 見ていてあげるから、早くそこから飛びなさいよ、

[650] 浅田さんの優しさを無視したくせに」

[651]【あみ】

[652]「さゆりん!!」

[653]【さゆり】

[654]「死ぬかもしれない恐怖に怯えてるわたしの目の前で、

[655] さっさと死ねばいい!

[656] ほら、早く死になさいよ!!」

[657]堺さんの言葉に、

[658]柵の向こうのなぎさ先輩がビクッと肩を揺らした。

[659]……そうだよね……、

[660]死ぬかもしれない病気を抱えた患者さんにとっては、

[661]なぎさ先輩は甘えてるように見えるはず……。

[662]【なぎさ】

[663]「……っ……!」

[664]柵を掴んだまま、

[665]なぎさ先輩が泣き始めた。

[666]【???】

[667]「でも、あなたが死んだら、

[668] ここにいる全ての人が泣くわよ?

[669] あなた、それでもいいの?」

[670]優しくて、けれども、毅然とした声が響く。

[671]【なぎさ】

[672]「主任、さん……っ」

[673]【はつみ】

[674]「浅田さんも堺さんも、

[675] 病棟でわたしの代わりをしている山之内さんも、

[676] 常盤師長も、そしてわたしも、全員が泣くわ」

[677]【はつみ】

[678]「沢井さんなんて、泣きすぎて、

[679] ショックで後を追ってしまうかもしれない。

[680] あなた、それでもいいの?」

[681]濡れたなぎさ先輩の視線が

[682]わたしの視線と絡み合う。

[683]【なぎさ】

[684]「あたし……っ」

[685]【はつみ】

[686]「あなたのせいで、

[687] 沢井さんが自殺するかもしれないのよ?

[688] それでも、いいの?」

[689]【なぎさ】

[690]「ごめんなさい、ごめんなさい!

[691] あたし……ごめんなさい!!」

[692]なぎさ先輩が、わっと泣き出した。

[693]わたしたちの間にある柵が邪魔で、

[694]わたしは柵を乗り越える。

[695]しっかりと、なぎさ先輩の身体を抱きしめた。

[696]【かおり】

[697]「なぎさ先輩……ここは高くて、怖いです。

[698] 一緒に柵の向こうへ戻りましょう?」

[699]【なぎさ】

[700]「……うん、うん……。

[701] ごめんね……、ホントにごめんね……」

[702]頷いたなぎさ先輩の手をそっと握って

[703]みんなの待つ柵の向こうへと導く。

[704]白く細い指先は、氷のように冷たかった。

[705]わたしたちが柵を越えて戻るのを、

[706]あみちゃんと堺さん、そして主任さんが手伝ってくれる。

[707]安全な場所に移動して、

[708]なぎさ先輩は糸が切れたマリオネットみたいに

[709]その場に崩れ落ちた。

[710]【なぎさ】

[711]「ごめん、ごめんね!

[712] あたしのせいで、あんたまで危険に!!

[713] ホントにごめんね!!」

[714]【なぎさ】

[715]「あんたの目の前で死んで、

[716] あんたの心を傷つけてやりたくて、

[717] 管理室から鍵まで盗み出して……バカだよね!」

[718]【なぎさ】

[719]「こんなバカな先輩で、

[720] 本当にごめん……ごめんね……!!」

[721]【かおり】

[722]「いいんです……。

[723] ……なぎさ先輩が無事で、よかった」

[724]泣きじゃくるなぎさ先輩の身体を

[725]もう一度、ぎゅっと抱きしめる。

[726]【かおり】

[727]「なぎさ先輩の身体、すごく冷たい……」

[728]【なぎさ】

[729]「……あんたは、あたたかいわ」

[730]【かおり】

[731]「だって、生きてますから!

[732] なぎさ先輩の身体だって、

[733] あたためるとぬくもりが戻ってきますよ!」

[734]【なぎさ】

[735]「……そうね……」

[736]ふたりで泣きながら、笑い合う。

[737]ホッとして、嬉しくて、

[738]それなのに、泣けて泣けて仕方がないの。

[739]【なぎさ】

[740]「……あたしをあたためることができるのは

[741] 沢井だけよ?」

[742]【かおり】

[743]「はい、昔からそうですよね!

[744] なぎさ先輩に何かしてあげるのは

[745] わたしの役目、わたしの特権ですから!」

[746]【なぎさ】

[747]「……本当に、そう思ってくれる?」

[748]【かおり】

[749]「はい!

[750] わたしにはなぎさ先輩だけ、

[751] なぎさ先輩にはわたしだけ、ですよね!」

[752]【なぎさ】

[753]「……そうね……そうよね……」

[754]そんな時、パンパンと手を叩く音がした。

[755]【はつみ】

[756]「そろそろ、いいかしら?

[757] 今日は風が少し強いわ、

[758] 患者さんが風邪でも引いたらどうするの」

[759]【はつみ】

[760]「藤沢さんはこのまま帰りなさい。

[761] 夜勤明けなんでしょう?

[762] 堺さんも浅田さんも病室に戻って」

[763]【はつみ】

[764]「沢井さんは藤沢さんを寮に送った後、

[765] また病棟へ戻ってきなさい。

[766] あなたは今日は日勤なのだから、仕事をしなさい」

[767]いつも通りの主任さん。

[768]クールなんだか、熱いんだかわかんない。

[769]でも、クールな仮面の下に、

[770]部下を思う優しい気持ちが隠れてる。

[771]【あみ】

[772]「なぎさん……、良かった……。

[773] かおりんさんも、良かった……」

[774]【さゆり】

[775]「……何よ、結局、元の鞘、ってこと?

[776] せっかく見物に来たのに、バカバカしいっ」

[777]【あみ】

[778]「……さゆりん。

[779] 嬉しかったら嬉しいって言わなきゃ、

[780] きっとあの人たちには伝わらないよ?」

[781]【さゆり】

[782]「いいのよ、

[783] 別に伝えたいなんて思ってないわ」

[784]あみちゃんも、堺さんもいつも通り。

[785]【かおり】

[786]「ふふ……」

[787]【なぎさ】

[788]「ふふっ」

[789]わたしたちは顔を見合わせて、クスクスと笑い合った。

[790]【かおり】

[791]「なぎさ先輩のパジャマ、持って来ましたよ!

[792] これでいいんですよね?」

[793]なぎさ先輩の部屋から

[794]なぎさ先輩のパジャマを持ってきて手渡した。

[795]【なぎさ】

[796]「……ごめん」

[797]しょんぼりとしているなぎさ先輩。

[798]【かおり】

[799]「謝らないでください。

[800] わたしがやりたくて

[801] 勝手にやってることなんですから」

[802]わたしのベッドに座らせて、にこっと笑うと、

[803]なぎさ先輩も、力なく微笑み返してくれた。

[804]【かおり】

[805]「ホントはわたしのパジャマを

[806] 貸してあげたいところだったんですが……

[807] 全部、洗濯カゴの中なんですよね……残念!」

[808]なぜ、わたしの部屋にいるのかというと、

[809]なぎさ先輩がひとりの部屋に

[810]帰りたくなさそうだったから。

[811]……ううん、違うの。

[812]わたしがなぎさ先輩を、

[813]なぎさ先輩の部屋にひとりで返したくなかったから。

[814]わたしの部屋に連れてくることで、

[815]心も身体も疲れ切ったなぎさ先輩が

[816]くつろげるかというと疑問はあるけど。

[817]それでも、少なくとも、

[818]わたしの部屋にいてもらえると、

[819]わたしの仕事が終われば、一番に会えるから!

[820]【なぎさ】

[821]「……じゃあ、お言葉に甘える……ね?」

[822]疲れた顔のなぎさ先輩。

[823]ここにひとりで残して出て行くのは、

[824]やっぱり気が引けるなぁ……。

[825]詰所に電話して、

[826]主任さんにお願いしたら、

[827]今日、お休みもらえるかなぁ……。

[828]【なぎさ】

[829]「あたしはもう大丈夫だから。

[830] だから、沢井は病棟に戻りなよ……」

[831]【かおり】

[832]「でも……」

[833]なぎさ先輩が

[834]わたしの白衣の裾をきゅっと握る。

[835]【なぎさ】

[836]「いいの。

[837] 沢井は病棟に戻って?

[838] あたしはここで待ってるから」

[839]残っていてと言わんばかりの顔をしてるのに、

[840]言葉がわたしを突き放してる。

[841]【かおり】

[842]「なぎさ先輩……」

[843]【なぎさ】

[844]「沢井のベッドに入って……

[845] 沢井の部屋で待ってるから。ね?」

[846]なぎさ先輩がニコッと笑った。

[847]【なぎさ】

[848]「もうすっごく疲れた勤務だったから、

[849] 沢井が帰ってきても、爆睡してて気づかないかも。

[850] そしたら、沢井が起こしてね?」

[851]【かおり】

[852]「……キスで起こしても、いいですか?」

[853]【なぎさ】

[854]「……それ、いいね。

[855] すごくいい目覚めになりそう……」

[856]なぎさ先輩から目が離せない。

[857]なぎさ先輩も、わたしから目を逸らさない。

[858]わたしの白衣の裾を握った方と反対の

[859]なぎさ先輩の手が、

[860]わたしの白衣の袖口を握った。

[861]……なぎさ先輩に、引き寄せられる。

[862]一瞬のためらいの後……。

[863]【かおり】

[864]「…………」

[865]そっと唇に触れてみた。

[866]【なぎさ】

[867]「……この間は、叩いたりしてごめんね」

[868]【かおり】

[869]「今日は、もう叩かれないんですよね?」

[870]【なぎさ】

[871]「……うん……。

[872] たぶん、もう叩かない……きっと」

[873]【かおり】

[874]「じゃあ、もう一回……」

[875]【なぎさ】

[876]「……本当は、あたしが寝付くまで

[877] 何度もキスして……って言いたいところだけど」

[878]肩を押すように、軽く叩かれた。

[879]【なぎさ】

[880]「ほら、そろそろ病棟に戻らないと!

[881] 大塚主任、怒ると怖いよ?」

[882]わたしを安心させるように、

[883]なぎさ先輩がにっこりと笑った。

[884]……見慣れた、なぎさ先輩の、いつもの笑顔。

[885]【かおり】

[886]「……じゃあ、続きは帰ってから……」

[887]【なぎさ】

[888]「沢井のキスで起こしてね?」

[889]【かおり】

[890]「はいっ!」

[891]【なぎさ】

[892]「沢井が帰る頃には

[893] あたし、復活できてるように頑張るね」

[894]【かおり】

[895]「もー、無理しちゃダメですよ、なぎさ先輩」

[896]【なぎさ】

[897]「沢井をあたしだけのものにできるって思ったら

[898] もう、無理でも何でもしちゃう!」

[899]【かおり】

[900]「ダーメ!

[901] 今はゆっくりしてください、疲れてるんですから。

[902] 帰ってきたら、思う存分……ね?」

[903]【なぎさ】

[904]「そうね……。

[905] あたしと沢井、ふたりだけで、

[906] ずっとずっと、思う存分……ね」

[907]そんなわけで、

[908]なぎさ先輩を部屋に残して出勤したのだけれど……。

[909]病棟では、主任さんの代わりに

[910]山之内さんが病棟を回してたの。

[911]その山之内さんに「今日は、あんたフリー業務な!」と

[912]指示をされて、ずっと雑用をしてたんだけど。

[913]……主任さん、

[914]病棟に戻ってこないんですけど……。

[915]何だかすごく気になる……。

[916]結局、主任さんは病棟に戻ってこなかった。

[917]山之内さんが代理で

[918]主任さんの代わりに病棟を回してたから

[919]別に平気なんだけど……。

[920]ちょっと気になる。

[921]もしかしたら

[922]主任さんが戻ってこなかったのは

[923]なぎさ先輩絡みのことかなってチラッと考えた。

[924]でも、主任さんのことだもん、

[925]きっと大丈夫だよね!

[926]主任さんの代理っぽい仕事をしてた山之内さんは

[927]いつもの通り、終業時間が来ると、

[928]さっさと申し送りを済ませて、

[929]風のような勢いで帰っていったっけ……。

[930]また原稿が忙しいのかな。

[931]山之内さんを見習って、

[932]わたしも早く帰らなくちゃ!

[933]あ、そうそう。

[934]帰る前に、なぎさ先輩にも、一応、

[935]メールしておこうっと。

[936]もし爆睡してたらキスで起こすって言ったけど、

[937]寝起き見られるの、恥かしいかもしれないしね。

[938]ってことで、送信!

[939]【かおり】

[940]「ほひゃああ!?」

[941]手のひらの中のケータイが

[942]メール着信を告げた。

[943]慌ててケータイを見る。

[944]     『今、神庫にいるから、来て。

[945]      いつもの改札で待ってるから』

[946]やっぱり、なぎさ先輩からの返信はない。

[947]【かおり】

[948]「……うーん、寝てるのかなぁ?」

[949]【かおり】

[950]「ひょぁっ!?」

[951]いきなり、手の中のケータイが鳴った。

[952]同時に、わたしの心臓もドキーンと鳴った。

[953]表示窓には、山之内さんの名前……。

[954]……う、嫌な予感……。

[955]【かおり】

[956]「は、はい……?」

[957]【やすこ】

[958]「あ、沢井?

[959] 悪いけど、今すぐ手伝いに来て〜?」

[960]【かおり】

[961]「……わたし、帰って

[962] なぎさ先輩の様子を見なきゃなんですけど」

[963]【やすこ】

[964]「藤沢なら、あんたの部屋で爆睡や。

[965] 夜勤で寝てへん上に、朝のあの騒ぎやろ、

[966] もうちっと寝かしといたり」

[967]【かおり】

[968]「え……、でも……」

[969]【やすこ】

[970]「あんたやったら、好きな人が部屋にいるのに、

[971] 『疲れたからもうちょっと寝てたい』言えるか?

[972] 藤沢がそんなん言えるような性格やと思うか?」

[973]【かおり】

[974]「う……っ」

[975]言われてみれば……。

[976]たしかに、

[977]外科の夜勤はすごく忙しそうなイメージあるし、

[978]朝は朝で、患者さんとトラブった後に

[979]屋上であの騒ぎだったし。

[980]なぎさ先輩には休養が大事なのはわかるけど……。

[981]【やすこ】

[982]「ちゅーことで、待っとるから!」

[983]【かおり】

[984]「ちょっ!?

[985] 山之内さんっ!」

[986]既に電話は切れてるし……!

[987]【かおり】

[988]「……これ、無視したら

[989] 後が大変なことになりそうだよね……」

[990]なぎさ先輩のことは気になるから、

[991]少し部屋を覗くだけにして、

[992]なぎさ先輩が寝てたら、山之内さんの部屋に行こう。

[993]うん、そうしよう!

[994]山之内さんの言葉通り、

[995]なぎさ先輩はぐっすりと眠り込んでたの。

[996]わたしが帰ってきたことに気づかないほどの

[997]見事な爆睡っぷり。

[998]ちょん、と、ほっぺにキスしてみたけれど、

[999]やっぱり目を覚まさなくて、

[1000]このまま起こしちゃうのが可哀想になっちゃった。

[1001]なので、なぎさ先輩はもう少し寝かしておいて、

[1002]ちょっと山之内さんのお手伝いをしてから、

[1003]また部屋に戻ろうと思ったんだけど……。

[1004]【やすこ】

[1005]「ちゅーことで、青鉛筆で番号書いてあるから

[1006] その通りのトーンを貼ってって?

[1007] わからんかったら訊いて」

[1008]【かおり】

[1009]「あ、はい……」

[1010]……この原稿用紙の量……。

[1011]山之内さん、なぎさ先輩のこと、

[1012]心配じゃないのかな……。

[1013]ま、今日に限っては、

[1014]なぎさ先輩が心配だから、

[1015]一時間ほど作業したら帰らせてもらうけど。

[1016]【やすこ】

[1017]「……藤沢は寝てたんやろ」

[1018]【かおり】

[1019]「あ、はい」

[1020]なぎさ先輩の名前が出て、

[1021]わたしは、はっとした。

[1022]細かい作業中だったから、

[1023]顔をあげて山之内さんの顔を見ることは

[1024]できなかったけれど。

[1025]【やすこ】

[1026]「後のことは、あの主任が良いようにやってくれる。

[1027] あんたらは何も心配せんでもええ」

[1028]【かおり】

[1029]「……主任さんが……?」

[1030]主任さんも、そして、山之内さんも

[1031]なぎさ先輩のことを気にかけてくれてる……。

[1032]ああ、いい人たちのいる病棟で働けて、

[1033]わたしは幸せなんだな……。

[1034]【やすこ】

[1035]「あんたも疲れたやろ。

[1036] 今日は適当に切り上げてもええよ?」

[1037]【かおり】

[1038]「本当ですか!?」

[1039]嬉しくて思わず顔をあげると、

[1040]山之内さんはニヤリと笑いながら言った。

[1041]【やすこ】

[1042]「次の作業で、藤沢も引っ張ってくること。

[1043] これが条件な!」

[1044]          あれ……。

[1045]     ここは……またあの夢の中……。

[1046]    いつもの女の子が、目の前に立って

[1047]    わたしを見上げてる。

[1048]        さみしそうな表情。

[1049]    顔を見ただけで、

[1050]    胸がぎゅっとなってしまうような……。

[1051]【かおり】

[1052]「……どうしたの?」

[1053]どうしたの、そんな泣きそうな顔をして。

[1054]そう訊きたかったけど、

[1055]胸が詰まって何も言えない。

[1056]つつーっ、と

[1057]女の子の頬を涙が伝った。

[1058]【???】

[1059]「役に立てなくて、ごめんね……」

[1060]……えっ?

[1061]次の瞬間、

[1062]女の子の姿はいなくなってしまっていた。

[1063]【かおり】

[1064]「…………」

[1065]何故か、わたしはその時、

[1066]あの女の子が消えてしまったと感じたの。

[1067]……もう、二度と会えない、って。

[1068]どうして、そんなことを感じたんだろう?

[1069]そして、あの子は誰だったんだろう?

[1070]ふと、自分の手を見た。

[1071]わたしの、手……。

[1072]でも、何かが違う気がする。

[1073]何か……、

[1074]言葉にできない何かが、わたしの中から

[1075]消えてしまったような感じがする。

[1076]そう、あの子と一緒に。

[1077]【かおり】

[1078]「…………」

[1079]本当に、あの子は誰だったの……?

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