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white_robe_love_syndrome:scr00802

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[001]【さゆり】

[002]「……はぁ。

[003] すみません、ちゃんとした看護師さん、

[004] 呼んできてくださいます?」

[005]ううっ、人の顔を見るなり、この態度!!

[006]【かおり】

[007]「だから、

[008] 担当の山之内さんは他の仕事で手が離せなくて、

[009] 点滴の交換くらいならわたしにも、と……」

[010]【さゆり】

[011]「あー、はいはい。

[012] この病院は人手が足りてないんですものねー」

[013]【さゆり】

[014]「いちいち言い訳を聞くのも疲れるので、

[015] 交換するならさっさと交換して

[016] 出て行ってくださいますか」

[017]うううう……。

[018]だったら言い訳させるようなこと、

[019]言わなきゃいいのに。

[020]手早く点滴のボトルを交換して、

[021]ぺこりと頭を下げた。

[022]【かおり】

[023]「お騒がせしました。

[024] 失礼します……」

[025]【さゆり】

[026]「……ああ、次に入院する時は、

[027] 看護師のレベルをチェックしてからにしないと

[028] 本当にストレスが溜まるわ……」

[029]ドアが閉まる前に放たれた、

[030]堺さんの言葉が胸に突き刺さる。

[031]【かおり】

[032]「…………」

[033]もう、わたし、満身創痍なんですけど。

[034]ううう……、

[035]へこんでる場合じゃない。

[036]山之内さん、今日も仕事を抱えて大変そうだったし、

[037]わたしが少しでも頑張らないと!

[038]なぎさ先輩と一緒に働けるその日に向かって!!

[039]【はつみ】

[040]「あ、沢井さん。

[041] 堺さんの状態はどう?」

[042]【かおり】

[043]「あー、いつもの通りです」

[044]【はつみ】

[045]「ああ、そう……」

[046]う、主任さんが微妙な顔してる。

[047]嫌味をたっぷり言われたことは伝わった……んだよね?

[048]【かおり】

[049]「ひょはっ!?」

[050]主任さんがデスクの上のアラームを

[051]ものすごい勢いで止めた。

[052]【かおり】

[053]「しゅ、主任さん……、

[054] そのアラームは、一体?」

[055]【はつみ】

[056]「303号室の加藤さんのターゲスよ。

[057] 山之内さんは手が離せないから、お願いしてもいい?

[058] 2mlでいいのだけれど……」

[059]【かおり】

[060]「ターゲス?」

[061]首をかしげて問いかけると、

[062]主任さんは不快そうに眉を寄せた。

[063]やばい、怒らせちゃった!?

[064]【はつみ】

[065]「……ターゲス、一日血糖測定のことでしょ。

[066] 朝昼晩の食前食後と眠前、

[067] 合計七回採血して血糖を測定すること」

[068]【はつみ】

[069]「糖尿病の診断基準にもなるし、

[070] これで治療の効果のほどを見るの。

[071] わかったら行きなさい」

[072]【かおり】

[073]「は、はいっ!

[074] 行ってきます!」

[075]先に山之内さんが用意してくれてた

[076]必要物品の揃えられたトレイを持って、

[077]わたしは慌てて詰所から出て行った。

[078]血糖測定、ってことは、

[079]加藤さんは糖尿病の患者さん、なんだよね。

[080]後でカルテ、チェックしておこうっと。

[081]【かおり】

[082]「失礼します。

[083] 加藤さん、ちょっと採血いいですか?」

[084]【加藤】

[085]「おう、昼食後二時間のやつだね。

[086] いいよー」

[087]【かおり】

[088]「えと、じゃあ、腕を出してくださいますか?」

[089]【加藤】

[090]「さっきは右で刺したから、

[091] 今度は左だねー」

[092]【かおり】

[093]「はーい」

[094]左側に回って、

[095]加藤さんの左上腕に駆血帯(くけつたい)を巻いた。

[096]うん、ちゃんと血管が出てる。

[097]今朝、採血されたっぽいバンソコウも剥がして、

[098]針を用意する。

[099]本当は採血って得意じゃないけど、

[100]そんなこと、顔に出しちゃ、

[101]患者さんを不安にさせちゃうから、

[102]にっこり笑って……。

[103]【かおり】

[104]「えと、じゃあ、よろしくおねがいしますね」

[105]【加藤】

[106]「こ、こちらこそ……お願いします……」

[107]加藤さんが顔を背けて、

[108]プルプル震えてる。

[109]大きな男の人なのに、採血が怖いのかな。

[110]採血量なんて、ほんの2mlなのに。

[111]えっと、採血に一番適しているのは、

[112]肘関節の内側の正中静脈だよね……。

[113]ここを、アルコール綿で消毒して……。

[114]ドキドキ、ドキドキ。

[115]針を、刺す。

[116]【かおり】

[117]「えいっ!」

[118]【加藤】

[119]「うおっ!」

[120]あ、あれ?

[121]血が……こない?

[122]血管、外しちゃったのかなぁ……?

[123]少し、ほんの少しだけ……針先を動かして……。

[124]【加藤】

[125]「いたっ!」

[126]ビクッと加藤さんが飛び上がった。

[127]【かおり】

[128]「ひっ、ごめんなさいっ!」

[129]慌てて針を抜き去る。

[130]その途端!

[131]ぶわーっと血が溢れてきた。

[132]【加藤】

[133]「うわわわっ!?

[134] 血がっ……、血が……っ!!」

[135]【かおり】

[136]「きょあああっ!?

[137] 血が! 血がぁああ!」

[138]加藤さんの腕から血がダラダラ垂れて、

[139]針を刺した場所の周辺が青黒く腫れてきた。

[140]【加藤】

[141]「血が、じゃねぇだろ!

[142] オマエ、看護婦だろうがよ!!」

[143]【かおり】

[144]「そそそそんなこと言ったってぇ!!」

[145]【???】

[146]「落ち着きなさい!

[147] あなたがうろたえてどうするの!」

[148]叱られて、ハッと我に返る。

[149]横から手が伸びてきて、

[150]加藤さんの上腕をしばってた駆血帯を取り去った。

[151]顔を上げると、

[152]主任さんが暴れようとする加藤さんの腕を

[153]押さえ込んでる。

[154]【はつみ】

[155]「沢井さん、圧迫止血!」

[156]【かおり】

[157]「は、はいっ!」

[158]血まみれになった加藤さんの針を刺した場所に、

[159]厚めに取ったアルコール綿を押し当てる。

[160]その上からテープを巻きつけた主任さんは

[161]残ったアルコール綿で

[162]手早く血液を拭き取っている。

[163]【はつみ】

[164]「加藤さん、申し訳ありません。

[165] 少し腫れてしまったので跡が残ると思いますが、

[166] 一週間ほどで吸収されるので、ご安心ください」

[167]【はつみ】

[168]「沢井さん、

[169] あなたも謝って……」

[170]【かおり】

[171]「す、すみませんでした!」

[172]泣きそうな顔で加藤さんを見る。

[173]加藤さんは、ちょっと気まずそうな顔をして、

[174]ふいっと顔を背ける。

[175]【加藤】

[176]「……いや、跡くらい、

[177] 治るんだったら別にいいけどよー……」

[178]【はつみ】

[179]「もし痛みが長引くようなら

[180] 遠慮なくおっしゃってください。

[181] 沢井さん、アル綿、持ってきて」

[182]【かおり】

[183]「はい?」

[184]【はつみ】

[185]「アルコール綿!

[186] 急いで!」

[187]【かおり】

[188]「はい!!」

[189]主任さんに言われた通り、

[190]慌てて詰所に戻って、

[191]アルコール綿を取ってきて、また病室に戻る。

[192]【かおり】

[193]「持ってきました!!」

[194]【はつみ】

[195]「見ていなさい、沢井さん。

[196] 採血はこうするのよ」

[197]肘関節の内側をテープ巻きした、その下、

[198]前腕上部に駆血帯を巻いて。

[199]プクッと膨れた血管に、

[200]プスッと針を刺して、

[201]駆血帯を外して、

[202]針を抜きながらアルコール綿で押さえて……。

[203]って、もう終わったの!?

[204]あまりの早業に、開いた口が塞がらない。

[205]【加藤】

[206]「さっすが主任さんだねぇ。

[207] 新人さんも、頑張って

[208] 採血上手になるんだよ?」

[209]加藤さんが気を遣って言ってくれる。

[210]でも……。

[211]【かおり】

[212]「はい、頑張ります……」

[213]その気遣いが、逆に胸に痛い。

[214]いっそののしってもらえたら……って

[215]そう思っちゃうくらいに。

[216]【やすこ】

[217]「おかえり〜。

[218] どうやった、採血は?」

[219]【かおり】

[220]「う……、あの、失敗、しました」

[221]【やすこ】

[222]「はぁ?

[223] たった2mlで?」

[224]【かおり】

[225]「はい……」

[226]【やすこ】

[227]「……あー……」

[228]【かおり】

[229]「…………」

[230]山之内さんも呆れてる。

[231]そうだよね、

[232]あんな少量の採血、

[233]成功させて当然だもんね。

[234]【やすこ】

[235]「ま、ガンバレ。練習とイメトレやれ。

[236] うちにはそれしか言えん」

[237]【かおり】

[238]「はい……」

[239]……へこむ。

[240]わたしがデキないのが悪いんだけど、

[241]できない自分を受け入れるのって難しい……。

[242]一歩一歩、成長していくしかないってわかってるけど、

[243]でも、へこむなぁ……。

[244]……部屋に帰ってきたものの……。

[245]まだまだ夕方。

[246]さっきなぎさ先輩にメールしてみたけど、

[247]返事はまだ来ない。

[248]たぶん、勤務中なんだろうなー。

[249]外科は手術が入ると、

[250]手術中心に病棟が回るって言ってたし、

[251]今日はお昼から大きな手術があるらしいって

[252]外来の人が言ってたのを小耳に挟んだし。

[253]だから、今日は遅いのかも……。

[254]【かおり】

[255]「…………」

[256]ぼんやりと、窓の外を見る。

[257]まだ外は明るい。

[258]【かおり】

[259]「お出かけ……してみようかな……」

[260]【かおり】

[261]「い、いっぱい買っちゃった……」

[262]ふらふらと駅前に来たので、

[263]そのまま、切符を買って工ノ電に乗ったわたしは

[264]人の流れに身を任せて、神庫駅に来ていたの。

[265]そのまま、フラフラ歩いていると、

[266]気がついたら大きな本屋さん!

[267]これって、

[268]神様が勉強しろって言ってるのかも!?

[269]……神様がいるのかどうかわかんないけど、

[270]でも、勉強するなら、今だよね!

[271]採血に失敗したのに、怒らずにいてくれた

[272]加藤さんの苦笑した顔が

[273]まぶたに浮かぶ。

[274]そうよね、

[275]今日の採血だって、一発で成功していれば

[276]加藤さんはニコニコしたままだったんだよね。

[277]山之内さんだって、

[278]呆れはしたけど、叱らずに頑張れって言ってくれた。

[279]きっと、わたしが成長するのを

[280]見守ってくれてるんのよね。

[281]……うう、勉強しなきゃ!

[282]――そう思って、

[283]医療書の棚を物色して、気づいたら……。

[284]【かおり】

[285]「うーん、

[286] どうやって持って帰ろう?」

[287]本屋さんから神庫駅まで運んだだけで

[288]手のひらが真っ赤になっちゃった……。

[289]うう、本屋さんの宅配サービス、

[290]利用したら良かったのに、わたしのおバカさん……。

[291]でもでもっ、いいんだもん!

[292]こうして持って帰ったら、

[293]お部屋に戻ってすぐに読めるんだもん!

[294]勉強しなきゃね、わたし。

[295]いつまでも主任さんや山之内さんに

[296]頼ってらんないしね!

[297]なぎさ先輩も外科で頑張ってるんだから、

[298]わたしももっともっと頑張って、

[299]早く追いつかないと!

[300]百合ヶ浜の駅を出て、

[301]ヨロヨロと寮に向かう。

[302]うう、

[303]腕がちぎれそう〜〜!

[304]ふと、コンビニの明かりが見えて……。

[305]【かおり】

[306]「…………」

[307]荷物を見て、コンビニを見る。

[308]ああ、わたしは本当におバカです、

[309]なぎさ先輩……。

[310]わたしは、両手に超重い荷物を持っているのに、

[311]途中のコンビニで寄り道をして、

[312]なぎさ先輩の好きなビールを買いました。

[313]ああ、自分のバカ……じゃなくて、

[314]健気さ加減に、涙が出そうです。

[315]なんだかわたし、本当に新婚さんみたいかも〜。

[316]あなたの好きなビール、冷えてますよ。

[317]なんちゃってーーー!!

[318]でも、さすがにおつまみは無理でした……。

[319]【かおり】

[320]「…………」

[321]そして、ふと思ったんだけど。

[322]この大量の本の荷物を一旦、部屋に置いて、

[323]もう一度、コンビニに買い物に出かけたら

[324]良かったんじゃないのかな。

[325]…………。

[326]うん、いいの。

[327]大量の本と、なぎさ先輩のお酒。

[328]ものすごい重さで

[329]腕が千切れそうなほどだけど。

[330]でもいいの、

[331]心はすっごく軽いから!

[332]ヨロヨロとした足取りで

[333]寮に帰還!

[334]あと、ちょっと……、

[335]もうちょっとでエレベーター……!!

[336]【???】

[337]「どうしたの、沢井、

[338] すごい荷物じゃない?」

[339]【かおり】

[340]「えっ……?

[341] あ、なぎさ先輩っ!?」

[342]顔を上げると、

[343]目の前には、なぎさ先輩。

[344]【かおり】

[345]「あれ?

[346] なぎさ先輩、もしかして

[347] 今、帰りなんですか?」

[348]なぎさ先輩は疲れているのか、

[349]いつもの笑顔が見られない。

[350]【なぎさ】

[351]「そりゃあね、あたし、外科では新人だもん。

[352] 残業してもわからないことばっかりよ」

[353]そっか。

[354]なぎさ先輩でも

[355]やっぱり異動したら新人さんなんだ。

[356]なぎさ先輩もわたしみたいなのかな。

[357]【かおり】

[358]「そうなんですか……。

[359] やっぱり異動って大変なんですね」

[360]【なぎさ】

[361]「まぁね……。

[362] そっちはどうなの?」

[363]【かおり】

[364]「あ、こっちは大丈夫です。

[365] 山之内さんが親切に教えてくれてるし……。

[366] それより、わたしはなぎさ先輩が心配です」

[367]【なぎさ】

[368]「……新人の沢井に心配されてもね……」

[369]う。

[370]それはそうだけど……。

[371]でも、気配りの虫のなぎさ先輩が

[372]こんな痛いこと言うくらいなんだもん、

[373]外科の仕事って大変なんだろうな……。

[374]【かおり】

[375]「…………」

[376]【なぎさ】

[377]「…………」

[378]うーん、言葉が続かない。

[379]なぎさ先輩、本気で疲れてるみたい。

[380]ホントなら、お部屋に来ませんかって誘いたいけど、

[381]なぎさ先輩のためには我慢して、

[382]今日はゆっくりと休んでもらうべきだよね。

[383]【なぎさ】

[384]「じゃあ、またね」

[385]【かおり】

[386]「あ、はい。お疲れ様でした!」

[387]でも、実際にそう言われて

[388]背中を向けられると、ちょっとさみしい……。

[389]無言で乗り込んだエレベーター、

[390]なぎさ先輩は無言で降りた。

[391]四階について、わたしもエレベーターを降りる。

[392]【かおり】

[393]「あ……」

[394]ふと自分の手元をみてがっかりした。

[395]せっかく買ったなぎさ先輩のためのお酒、

[396]さっき渡せばよかったな……。

[397]【かおり】

[398]「ん?」

[399]ベッドに置いたケータイを手に取る。

[400]【かおり】

[401]「なぎさ先輩かなぁ?」

[402]けれど、表示されているのは

[403]知らないアドレス。

[404]宣伝メールとかかな?

[405]それにしてはタイトルが表示されてないし……。

[406]怪訝に思ってメールを見た。

[407]      『おまえをいつもみている』

[408]【かおり】

[409]「なに、これ……」

[410]メール本文に、たったこれだけ。

[411]無機質な文字が、余計に気持ち悪い。

[412]【かおり】

[413]「ひゃっ!?」

[414]持っていたケータイが突然鳴った。

[415]メール着信。

[416]アドレスは今のメールと同じ。

[417]全く思い当たらないアドレスだった。

[418]タイトルも無題のまま。

[419]これは、開けてはいけない。

[420]見ない方がいい。

[421]心のどこかがそう警告しているけれど、

[422]それでもわたしは開いてしまった。

[423]見知らぬアドレス。

[424]タイトルは無い。

[425]そして本文……。

[426]           『酒乱』

[427]【かおり】

[428]「えっ?」

[429]         『逃がさない』

[430]        『ずっとみている』

[431]次々に送られてくるメール。

[432]いずれも同じアドレスからだった。

[433]【かおり】

[434]「…………っ!!」

[435]夢中でリダイヤルボタンを押す。

[436]少しの呼び出し音の後、

[437]柔らかい声がわたしを包みこんでくれた。

[438]【なぎさ】

[439]「沢井?

[440] どうしたの、こんな遅くに……」

[441]柔らかな声にホッとして、

[442]ぶわっと涙が溢れた。

[443]【かおり】

[444]「な、なぎさ先輩っ!

[445] なぎさ先輩、助けてっ!!」

[446]【なぎさ】

[447]「ど、どうしたの!?」

[448]慌ててドアを開ける。

[449]【なぎさ】

[450]「沢井?

[451] 大丈夫!?」

[452]駆けつけてきてくれたなぎさ先輩に、

[453]わたしはがばっと抱きついた。

[454]【かおり】

[455]「ごめんなさい、なぎさ先輩!

[456] 疲れてるのわかってるのに、わたし、

[457] なぎさ先輩しか頼れないっ!」

[458]【なぎさ】

[459]「バカね、そんなことはいいの。

[460] 一体何があったの?」

[461]涙でぐちゃぐちゃになったわたしの頬を

[462]なぎさ先輩の指がそっとぬぐってくれる。

[463]【かおり】

[464]「ケータイに、気持ち悪いメールがきて。

[465] わたしのこと……」

[466]優しい指に、

[467]心の底から安心する……。

[468]【かおり】

[469]「わ、わたしのことっ、見てるって。

[470] 逃げられないって……。

[471] うぇぇぇん!」

[472]【なぎさ】

[473]「大丈夫。大丈夫だからね。

[474] あたしがついてるから、大丈夫だよ」

[475]呪文のように

[476]優しく繰り返される、なぎさ先輩の言葉。

[477]ポンポンと赤ちゃんをあやすように、

[478]わたしの背中を軽く叩いて、なだめてくれる。

[479]【なぎさ】

[480]「大丈夫、

[481] あたしが沢井を守ってあげるから!

[482] だからそんなに泣かないで、ね?」

[483]【かおり】

[484]「なぎさ先輩……」

[485]【なぎさ】

[486]「……少し落ち着いた?」

[487]優しい微笑みがわたしに向けられる。

[488]途端にわたしは恥ずかしくなってしまった。

[489]【かおり】

[490]「わたし……恥ずかしい……。

[491] こんなに取り乱すなんて……」

[492]なぎさ先輩の服、

[493]肩の部分に、わたしの涙のシミが……!

[494]慌てて、自分のパジャマで拭いても、

[495]ちっとも取れそうにない。

[496]【かおり】

[497]「本当にごめんなさい、

[498] 服まで汚してしまって……!」

[499]【なぎさ】

[500]「そんなの気にしないで?

[501] どうせ乾くし、こんなの平気」

[502]なぎさ先輩の笑顔にようやく力が抜けた。

[503]【なぎさ】

[504]「良かった。

[505] 沢井が笑顔になってくれて」

[506]【かおり】

[507]「……ごめんなさい。

[508] なぎさ先輩、疲れてるのに」

[509]【なぎさ】

[510]「……謝ってばっかりね。

[511] あたしは沢井が頼ってくれて

[512] 嬉しかったけどね」

[513]【かおり】

[514]「でも、なぎさ先輩、

[515] 帰ってきたばかりだし、疲れてるはずなのに、

[516] わたし、こんなに甘えて……」

[517]ゆっくりと首を振ってくれる、なぎさ先輩。

[518]【なぎさ】

[519]「沢井だからいいの。

[520] 沢井だから、いつでも、いくらでも

[521] 甘えてくれていいのよ?」

[522]穏やかな言葉と優しい微笑みに、

[523]怯えてささくれ立った心が、スゥッと楽になってゆく。

[524]【かおり】

[525]「本当に……?」

[526]【なぎさ】

[527]「モチロン!」

[528]【かおり】

[529]「じゃあ、なぎさ先輩……」

[530]【なぎさ】

[531]「ん?」

[532]なぎさ先輩が慣れない職場で

[533]疲れてるのはわかってる。

[534]でも……。

[535]【かおり】

[536]「あの……

[537] じゃあ、朝まで一緒にいてくれますか?」

[538]わたし、ワガママだ……。

[539]でも、なぎさ先輩が受け入れてくれるなら。

[540]ううん、もし少しでも

[541]迷惑そうな顔をされちゃったら、

[542]すぐに引っ込めるつもりだった。

[543]けれど。

[544]なぎさ先輩は、ふわりと笑って……。

[545]【なぎさ】

[546]「しょーがないなぁ。

[547] シングルベッドは狭いけど、一緒に寝てあげる」

[548]【かおり】

[549]「えっ!?」

[550]【なぎさ】

[551]「何よぅ、その顔は?

[552] 自分で言い出しておいて、

[553] やっぱりいいですとか言わないわよね?」

[554]【かおり】

[555]「で、でも……、

[556] 迷惑じゃないんですか……?」

[557]【なぎさ】

[558]「迷惑だったら、最初からそう言うわよ。

[559] あたしの性格、知ってるでしょう?」

[560]わたしを甘やかす、優しい微笑み。

[561]高校の頃からずっと変わってない、

[562]見慣れた笑顔。

[563]【かおり】

[564]「なぎさ先輩……っ!!」

[565]感極まって、思わず抱きついた。

[566]勢いがつきすぎたらしく、

[567]なぎさ先輩がちょっとよろける。

[568]【なぎさ】

[569]「んもー、沢井ったら」

[570]なぎさ先輩が悪戯っぽい笑みを浮かべて

[571]クスクスと笑った。

[572]【なぎさ】

[573]「押し倒すのはベッドで、ね」

[574]わたしもつられて、クスッと笑う。

[575]【なぎさ】

[576]「うん、やっぱ沢井は笑顔が一番よ」

[577]にっこりと微笑んでくれるなぎさ先輩。

[578]やっぱりわたし、

[579]なぎさ先輩が大好き!

[580]なぎさ先輩にパジャマ代わりのTシャツを貸して、

[581]ふたりでベッドに入る。

[582]狭いベッド。

[583]なぎさ先輩の体温がすぐ近くにある。

[584]手を伸ばせば、

[585]ううん、手を伸ばさなくても触れ合える位置に、

[586]すぐ近くになぎさ先輩がいる。

[587]息がかかる距離で、

[588]素足と素足が触れ合う距離で、

[589]なぎさ先輩が微笑んでくれてるの。

[590]【かおり】

[591]「……あのね、なぎさ先輩……

[592] わたし、なんだか怖いんです……」

[593]モゾモゾと

[594]なぎさ先輩に身体をすり寄せた。

[595]【かおり】

[596]「……わたし、なんだか不安で。

[597] 誰かに恨まれるようなことでも

[598] しちゃったのかな、って」

[599]【なぎさ】

[600]「気にすることはないわよ?

[601] 沢井は人に恨まれるような子じゃない。

[602] それはあたしが保証してあげる」

[603]【かおり】

[604]「でも……」

[605]【なぎさ】

[606]「ほら、もう気にしないの。

[607] あたしがそばにいてあげるから。

[608] これからもずっと守ってあげるから……ね?」

[609]【かおり】

[610]「なぎさ先輩……」

[611]【なぎさ】

[612]「…………」

[613]【かおり】

[614]「え……?」

[615]おでこに優しい感覚。

[616]これって……もしかして……?

[617]【なぎさ】

[618]「うふっ、よく効くおまじない、よ」

[619]【かおり】

[620]「え?」

[621]おまじないって……?

[622]【なぎさ】

[623]「沢井が何も怖がらずに、よく眠れますように」

[624]悪戯っぽく微笑むなぎさ先輩。

[625]【かおり】

[626]「な、なぎさ先輩……」

[627]か、顔が熱い……。

[628]鏡をみなくてもわかるよ、

[629]わたしの顔、真っ赤になってると思う……。

[630]頬が熱くて、心臓がドキドキする。

[631]なぎさ先輩に聞こえてしまいそうな

[632]すごく強い音で。

[633]【なぎさ】

[634]「ふふ、よけい眠れなくなっちゃった?」

[635]笑うなぎさ先輩に

[636]わたしはぎゅっと抱きついた。

[637]【かおり】

[638]「最強の、おまじないです」

[639]【なぎさ】

[640]「よかった。

[641] ずっとそばにいるから安心して眠っていいのよ。

[642] 沢井は、あたしが絶対守るから」

[643]なぎさ先輩の心強い言葉と、

[644]優しい腕に抱かれながら、

[645]わたしはいつしか暖かいまどろみの中へ

[646]落ちていった……。

[647]          ……まただ。

[648]         また、あの夢の中。

[649]あの女の子が目の前に立っている。

[650]無表情な瞳が、わたしをじっと見つめていて……。

[651]【???】

[652]「どうしてまた逃げるの?」

[653]【かおり】

[654]「え……?」

[655]逃げる……?

[656]……わたしが?

[657]【???】

[658]「逃げてはだめ。

[659] 逃げることでは何も解決しないわ」

[660]【かおり】

[661]「…………」

[662]考える。

[663]でも、考えても、

[664]女の子の言葉の意味がわからない。

[665]【かおり】

[666]「どうしてそんなことを言うの?」

[667]【???】

[668]「逃げていてはいけないわ。

[669] 目に見えるものだけが真実ではないの」

[670]女の子はわたしの問いかけを無視して、

[671]また同じような言葉をつぶやいた。

[672]【???】

[673]「逃げていてはだめ。

[674] 目に見えるものだけが信じられるものではないの。

[675] 真実は、目に見えないものもあるの」

[676]……どういう意味?

[677]【かおり】

[678]「わたしは自分が見たものしか信じない!」

[679]【???】

[680]「目に見えるものもあれば、

[681] 目に見えない真実もある……。

[682] 早くそれに気づいて」

[683]さみしそうに女の子が笑った。

[684]上から目線のその言葉が、その表情が、

[685]ひどく気に障る……!

[686]【かおり】

[687]「わけがわからないわ!」

[688]思わず声を荒げた。

[689]【かおり】

[690]「わたしは、目に見えるものしか信じない!

[691] 今までもそうだったし、

[692] これからもそうするつもりよ!」

[693]女の子は、わたしをじっと見ている。

[694]哀れむような眼差し。

[695]【???】

[696]「逃げていては何も解決しないの。

[697] 壁は乗り越えるためにあるものだから」

[698]女の子の言葉の意味がわからない。

[699]どう言えば、わたしの言葉が通じるの?

[700]わたしは逃げてなんかいない

[701]わたしには壁なんてない!

[702]【かおり】

[703]「わたしは逃げてなんかいない!」

[704]思わず怒鳴る。

[705]女の子は静かな目でわたしを見ているだけで。

[706]わたしはもう一度、言った。

[707]【かおり】

[708]「わたしは、逃げてなんかいない!

[709] 逃げるつもりも全くない!」

[710]女の子はかなしそうにフッと笑った。

[711]【???】

[712]「……わからないの?」

[713]【かおり】

[714]「……な、何が……?」

[715]【???】

[716]「……そうやってあなたが逃げることが

[717] あの子を追い詰めることになるのに」

[718]【かおり】

[719]「わたしには壁なんてない!」

[720]思わず怒鳴る。

[721]女の子は哀れむ目でわたしを見ているだけで。

[722]わたしはもう一度、言った。

[723]【かおり】

[724]「今の状況が壁だというのなら、

[725] わたしは乗り越えてみせるだけ!

[726] わたしは今までそうやってきたわ!」

[727]女の子はクスッと笑った。

[728]【???】

[729]「……あなたがそう思うならそれでいいわ」

[730]意味深な言葉を残して、

[731]女の子はフッと消えてしまった。

[732]わたしに何も言わせないまま、

[733]お互い、何の理解のないまま。

[734]【なぎさ】

[735]「ふふふっ。

[736] 可愛い寝顔……」

white_robe_love_syndrome/scr00802.txt · Last modified: 2018/05/22 17:15 (external edit)