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white_robe_love_syndrome:scr00752

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[001]いつもと同じ、朝の風景。

[002]夜勤さんは申し送りのセッティングを終了し、

[003]わたしたち日勤帯の看護師は

[004]申し送りが始まるのを

[005]メモを手にして待っている。

[006]いつもと同じようで、

[007]いつもと全く違うその理由は、

[008]今日が4月1日だから。

[009]なぎさ先輩のいない、そんな朝の風景は、

[010]何だか少し心細い気がする。

[011]もうなぎさ先輩と一緒に

[012]申し送りを聞くこともなくなるんだな……。

[013]いつしかわたしの中で大きくなってたはつみさんも、

[014]今日から入ってくるという新人を

[015]事務長室に迎えに行ってて、いないし……。

[016]【???】

[017]「おはようございます、

[018] みなさん、揃っていますね?」

[019]背の高い白衣姿の女の子を従えて、

[020]はつみさんが詰所に入ってきた。

[021]【はつみ】

[022]「では、4月1日、

[023] 朝の申し送りを始めます」

[024]【はつみ】

[025]「……その前に、

[026] みなさんに新しい仲間を紹介したく思います」

[027]【かおり】

[028]「!!」

[029]はつみさんの背後から

[030]一歩、踏み出したその人は――!!

[031]【はつみ】

[032]「以前からのスタッフは顔見知りですが、

[033] 知らないスタッフもいるので、

[034] 堺さん、自己紹介をお願いします」

[035]【さゆり】

[036]「はい。堺さゆりです。

[037] 以前、この病院で治療していただき、

[038] やっと恩返しできることになりました」

[039]【さゆり】

[040]「経験不足ゆえに、

[041] ご迷惑をかけてしまうと思いますが、

[042] どうかご指導ご鞭撻をお願いいたします」

[043]【かおり】

[044]「……さかいさん……」

[045]深々と頭を下げる懐かしい姿に、

[046]涙がこみ上げそうになる。

[047]……本当に看護師になって、

[048]戻ってきたんだ……。

[049]初めての受け持ち患者さんが

[050]こうして元気な姿を見せてくれることが

[051]こんなに幸せな気分になるなんて……!!

[052]【やすこ】

[053]「おー、さっすが優等生!

[054] よくできた自己紹介にハナマルあげよなー」

[055]【さゆり】

[056]「……山之内さんは相変わらずのようですね。

[057] ところで、藤沢さんの姿が見当たりませんが……」

[058]【はつみ】

[059]「藤沢さんは今日付けで外科に異動になったの。

[060] 一緒に仕事できなくて残念ね」

[061]【さゆり】

[062]「……いえ、

[063] 別に残念とは思っていません」

[064]【やすこ】

[065]「うちはもー残念やわぁ、

[066] 優等生新人ナースがあかんたれ先輩ナース二人を

[067] アレホレサッサと手篭めにすんのを期待したのに」

[068]【はつみ】

[069]「ちょっと、山之内さん。

[070] もうちょっと言葉を選んで!」

[071]【やすこ】

[072]「ま、あかんたれなナースはまだひとり

[073] ここに残っとるから、

[074] ガンガンいじめたって!」

[075]【かおり】

[076]「あうう……」

[077]あかんたれなナースって

[078]わたしのことですか?

[079]周囲のバイトさんや夜勤さんが

[080]わたしを見てクスクス笑ってる……ってことは

[081]そういうことなんだよね。

[082]ちらりと堺さんがわたしを見た。

[083]【さゆり】

[084]「ああ、沢井さんは残ってらしたんですね。

[085] クビになっていなくて良かったです」

[086]く、クビ……!?

[087]【はつみ】

[088]「堺さんもその辺でやめてあげて。

[089] うちは、あまり人手が足りていないのだし、

[090] チームワークで病棟を回さなければいけないの」

[091]はつみさんが苦笑いしながら、

[092]やんわりと堺さんの毒舌をたしなめてくれている。

[093]そうだよ!

[094]内科病棟は、みんな仲がいいのが基本なんだから!!

[095]【さゆり】

[096]「えっ!? あ、そういう意味ではなくて、

[097] 知ってる人が残ってくれていて、

[098] 嬉しいなぁって……そういう意味で……」

[099]あれ?

[100]堺さんが困った顔でモジモジしてる。

[101]こんな表情もするのね……意外。

[102]【はつみ】

[103]「だったら、ちゃんとそう言わないと。

[104] 言葉はただの道具なの、

[105] 使い方を間違うと、誤解されてしまうわよ?」

[106]【さゆり】

[107]「はい……、わたしは言葉の選択が絶望的に下手なので、

[108] 過不足なく自分の思いを伝えるのが

[109] 今後の課題だと思っています」

[110]あれれ?

[111]何だか、ちょっと会わない間に

[112]雰囲気が変わってない……?

[113]どこがどうって上手く言えないけど、

[114]さっきの、クビになってなくて良かったっていうのも、

[115]わたしへの当てこすりじゃなくて

[116]単に、まだ勤務してて良かったって意味みたいだし。

[117]そう思うと、ホッとして、

[118]じわじわと笑いがこみ上げてくる。

[119]わたしが『あかんたれ』なのは

[120]相変わらずかもしれないけど、

[121]堺さんも不器用なのは

[122]相変わらずなのかもしれないな。

[123]【さゆり】

[124]「……沢井さん、

[125] 何を笑ってらっしゃるんですか」

[126]【かおり】

[127]「ううん、何でもないよー」

[128]【はつみ】

[129]「オホン。会話を楽しんでいるところを、ごめんなさい。

[130] 申し送りを再開したいのだけれど、

[131] そろそろいいかしら?」

[132]【かおり】

[133]「は、はいっ!

[134] すみません!!」

[135]慌てて謝るわたしを見て、

[136]はつみさんは肩を竦めると、

[137]担当の夜勤さんへと目配せをした。

[138]【夜勤看護師A】

[139]「というわけで、ニューフェイスを歓迎しつつ、

[140] 元気に申し送り行きましょー!

[141] まずは301号室、都知さん」

[142]【さゆり】

[143]「都知さん……?」

[144]【夜勤看護師A】

[145]「いつもの『ワシは大日本帝国陸軍!』は通算六回。

[146] どうやら疼痛発作が引き金になっているようです」

[147]【夜勤看護師A】

[148]「もう少し強いオピオイドの検討が必要だと思います。

[149] ほとんど寝てないっぽいし、食事量も少ないときては、

[150] 体力の回復が見込めません」

[151]【はつみ】

[152]「……そうね、

[153] では、この後、小野医師に上申しておきます」

[154]【夜勤看護師A】

[155]「よろしくお願いします。

[156] つづいて、加藤さんですが、奥様がいらして、

[157] シャント手術に関する承諾書をもらっています」

[158]【夜勤看護師A】

[159]「心筋梗塞の戸井さん、夜勤帯でもモニター上で

[160] 不整脈は見られましたが、胸痛の訴えなしです。

[161] 一応、心電図は記録に貼ってあります」

[162]【さゆり】

[163]「…………」

[164]淡々と、申し送りが続く中、

[165]主任さんの隣に立ったままの堺さんの顔色が

[166]どんどん悪くなっていっているのに気付いた。

[167]【夜勤看護師A】

[168]「……夜間せん妄も見られていたので、

[169] この件も、ドクター上申お願いします。

[170] で、302は特にお変わりありませ……」

[171]【かおり】

[172]「あ、あの……」

[173]夜勤さんの申し送りを中断したくはなかったけど、

[174]あまりに堺さんの顔色が悪いので、

[175]思わず声を上げてしまった。

[176]【はつみ】

[177]「沢井さん、申し送り中ですよ」

[178]【かおり】

[179]「すみません。

[180] 堺さん……、

[181] 大丈夫、ですか……?」

[182]一斉に、詰所の中の人たちが堺さんを見る。

[183]堺さんは、キッと睨むように

[184]わたしを見た。

[185]【さゆり】

[186]「大丈夫も何も、

[187] わたしの健康状態には問題はありませんっ」

[188]【かおり】

[189]「でも、顔色が……」

[190]【やすこ】

[191]「はいはい、そこまでなー。

[192] 堺さんも子供ちゃうねんから、アカンかったら

[193] 自分で言うやろーっちゅうことで続きよろしゅう」

[194]【夜勤看護師A】

[195]「はーい、続けます。

[196] 302はお変わりなし。

[197] 303も、みんなよく寝てました!」

[198]夜勤さんは顔色を変えることなく、

[199]中断される前と同じテンションで

[200]申し送りを続けてゆく。

[201]一度だけ堺さんがわたしを見たけど、

[202]目が合った途端、ぷいっとそっぽを向かれてしまった。

[203]……ああ、

[204]わたし、余計なことしちゃったのかも。

[205]また嫌われちゃったかなぁ……。

[206]あれから無事に申し送りが終わって、

[207]夜勤さんたちは笑顔で帰っていった。

[208]――そしてわたしは、他の日勤さんと一緒に

[209]おむつ交換に回ろうとしたところを、

[210]はつみさんに呼ばれて、

[211]堺さんと並んで詰所に残っている。

[212]【かおり】

[213]「あ、あの……さっきは

[214] 申し送りを中断して……」

[215]【はつみ】

[216]「沢井さんも三年目なのね」

[217]【かおり】

[218]「ふひ?」

[219]てっきり、申し送りを中断したことを

[220]叱られると思ったのに、

[221]はつみさんは穏やかな顔でわたしに訊いてきた。

[222]【はつみ】

[223]「新人の頃のような視野の狭さもなくなって、

[224] ちゃんと後輩に気配りできるような看護師に

[225] 成長してくれたこと、嬉しく思います」

[226]【かおり】

[227]「……はぁ」

[228]これって、褒められてる……んだよね。

[229]白衣を着てる時に

[230]こうして褒められるのに慣れてないからか

[231]居心地が悪くて、つい視線がさまよってしまう。

[232]【さゆり】

[233]「…………」

[234]また堺さんと目が合ったが、

[235]やっぱり視線を逸らされた。

[236]【はつみ】

[237]「どうかしら、沢井さん。

[238] 堺さんのプリセプターを引き受けてみない?」

[239]【かおり】

[240]「……ぷぃ……?」

[241]つい、隣に立つ堺さんを見る。

[242]【さゆり】

[243]「…………」

[244]堺さんはわたしを見て、

[245]特に表情を変えることのないまま、はつみさんを見た。

[246]【かおり】

[247]「……ほえ?」

[248]くすっと、はつみさんが笑う。

[249]【はつみ】

[250]「ほえ、じゃなくて。

[251] そこは、元気良く『はい』って

[252] 言って欲しいものだわ」

[253]【かおり】

[254]「はえぇ……?」

[255]【はつみ】

[256]「というわけで、

[257] 堺さん、沢井さんがあなたのプリセプターよ。

[258] 異論はないかしら?」

[259]【さゆり】

[260]「相変わらず反応が遅いのが気になりますが、

[261] 主任さんが認めて指名なさった看護師なのですから、

[262] わたしに異存はありません」

[263]わたしがプリセプター?

[264]誰の?

[265]……堺さんの?

[266]わたしが堺さんの指導をする……ってこと!?

[267]このわたしがっ!?

[268]【かおり】

[269]「む、無理ですよっ!

[270] わたわたわたしっ、まだまだだしっ、勉強不足だしっ、

[271] さささ堺さんのプリセプターだなんて!!」

[272]パニックを起こしそうになったわたしの手を

[273]はつみさんがそっと握ってくれた。

[274]【はつみ】

[275]「いいえ、わたしはあなたにやって欲しいのよ。

[276] ……それに、今のあなたなら大丈夫。

[277] 絶対に、できるわ」

[278]【かおり】

[279]「え……」

[280]ぎゅっと握ってくれた指先から

[281]はつみさんの手の温もりが伝わってくる。

[282]【はつみ】

[283]「わたしはできないことは言わないわ。

[284] できると判断したからこそ、指名したの」

[285]【かおり】

[286]「はつ……主任さん……」

[287]【はつみ】

[288]「たしかにあなたはまだまだ勉強不足、それは事実よ。

[289] でも、堺さんを指導することで、

[290] あなたはもっと成長できる」

[291]【はつみ】

[292]「……やってくれるわね?」

[293]更に強く手を握られた。

[294]【かおり】

[295]「は、はい!!

[296] できる限りのこと、やってみようと思います!」

[297]【さゆり】

[298]「……単純」

[299]うっ、聞こえた!!

[300]聞こえたよ、堺さん!!

[301]そりゃわたしは単純だけど、

[302]でも、はつみさんの言葉に納得したから

[303]引き受けたんだもん!!

[304]押し切られたわけじゃないもんっ!!

[305]【はつみ】

[306]「ふふ……、そうは言うけれど、

[307] 人の世というものは意外と単純なものよ。

[308] あなたもそれがわかるわ、近い内にね」

[309]【さゆり】

[310]「…………」

[311]納得したのかしていないのか、

[312]堺さんは何も言わずに

[313]ただ、はつみさんに頭を下げた。

[314]既におむつ交換は山之内さんたち他の日勤さんと

[315]介護士さんたちがやってくれていたので、

[316]堺さんを連れて点滴回りのための準備に入る。

[317]点滴の薬剤チェックをして、

[318]順番に点滴ボトルに詰めてゆく。

[319]【さゆり】

[320]「…………」

[321]物覚えの良い堺さんは、

[322]一度の説明で理解したらしく、

[323]後は無言で作業をしている。

[324]うーん、

[325]やっぱりわたしがプリセプターなんて

[326]納得いかないのかな。

[327]こうして黙っていられるのも怖いけど、

[328]かといって、口を開かれるのも、

[329]また何かキツいこと言われるかもって思って、

[330]何だかビクビクしちゃうよぅ。

[331]【さゆり】

[332]「……わたしが入院していた頃も、

[333] こんな風にチェックしたり、薬剤を詰めたり、

[334] 詰所では、細々としたことをやっていたんですね」

[335]【かおり】

[336]「えっ? ああ、うん……。

[337] 意外とやること細かくて大変なんだよねー。

[338] でも、たぶん、堺さんならすぐ慣れるよ」

[339]そういえば、堺さん、

[340]ちょっとでも点滴の時間に遅れると

[341]すっごい嫌味を言ってたっけ。

[342]【さゆり】

[343]「あの……都知さんって、

[344] 大部屋にいた朗らかに笑うおじいさん

[345] ……ですよね」

[346]【かおり】

[347]「うん、そう。堺さんが転院したくらいかな、

[348] 施設に移ったんだけど……。

[349] でも……戻ってきちゃった」

[350]【さゆり】

[351]「戸井さんも大部屋にいた

[352] 狭心症の患者さんでしたよね……」

[353]【かおり】

[354]「それを言うなら、加藤さんも大部屋にいたんだよ?

[355] そういえば、わたし、ターゲスで採血失敗しちゃって

[356] 怒られちゃったんだよねー」

[357]ド新人時代の思い出が蘇ってくる。

[358]狭心症の戸井さんは物静かな人で、

[359]堺さんが入院してた当時は

[360]大部屋の一番奥のベッドで、食事制限をしてたっけ。

[361]かなりシビアな状態ながらも、

[362]何とか今まで頑張ってきたけど、

[363]とうとう、この冬に

[364]心筋梗塞を起こして、運ばれてきた。

[365]糖尿病の加藤さんには

[366]たった2mlの採血ができなくて、

[367]しかも駆血帯をしたまま針を抜いて

[368]大出血させちゃったこともある……。

[369]その加藤さんも、

[370]症状が大幅に進んだ挙句に腎不全になってしまって、

[371]とうとう透析を受けなければならないほどに

[372]悪化してしまった。

[373]【さゆり】

[374]「……みんな、状態が悪くなって

[375] 入院してるんですか……?」

[376]【かおり】

[377]「うん……、

[378] 全員、一度は退院したんだけどね。

[379] ……でも、病院ってそういうところだから」

[380]そう言って、ハッと気付く。

[381]『病院って、そういうところだから』

[382]自分の発言に、自分で驚いた。

[383]そんな発言、昔はしなかったし、

[384]考えることもなかった……。

[385]昔はただ、患者さんの治る過程の手助けをしたい、

[386]患者さんの生活のお手伝いをしたいという一心で

[387]ただただ必死でケアしてた。

[388]病院は、患者さんが一時的に入院する場所で、

[389]良くなって帰っていくための

[390]そんな場所だって思ってたのに。

[391]もちろん、全員が全員、良くなるわけでもないし、

[392]やっぱり寿命には逆らえないものだって

[393]わかってはいるけど……。

[394]いつの間にか

[395]悪い意味での『看護師』に染まってた自分が

[396]ただショックだった。

[397]【さゆり】

[398]「……沢井さん、

[399] 随分と変わったんですね……」

[400]だから、堺さんの言葉を否定できなくて、

[401]黙ったまま、薬液をボトルに詰める作業に

[402]集中しているふりをした。

[403]【かおり】

[404]「はーい、

[405] 点滴の時間ですよー!」

[406]【都知】

[407]「わしは大日本帝国陸軍の軍人じゃあーっ!」

[408]【さゆり】

[409]「!!」

[410]堺さんがびくっとその場を飛びのいた。

[411]見ると、

[412]都知さんが、くわっと目を見開いて

[413]鬼のような形相で天井を見つめている。

[414]【かおり】

[415]「都知さん、……痛い?」

[416]【都知】

[417]「痛くなんぞないわ!

[418] わしを誰だと思っとるんじゃあ!!」

[419]【かおり】

[420]「そっかー、都知さんは軍人さんだもん、強いね。

[421] もうすぐ新しい鎮痛剤の処方箋が出るから、

[422] それまでもうちょっとの辛抱だからね?」

[423]都知さんは、

[424]ちょっとホッとしたような顔をして、

[425]それから、また天井を睨みつけた。

[426]【さゆり】

[427]「……戦争なんて

[428] とっくの昔に終わっているのに」

[429]都知さんは

[430]じろりと堺さんを睨んだだけで

[431]何も言わない。

[432]ちょっとハラハラしながらも、

[433]次の患者さん――加藤さんのベッドサイドに向かう。

[434]【かおり】

[435]「おはようございまーす。

[436] 加藤さん、ちゃんと水分制限、守ってますかー?」

[437]【加藤】

[438]「あはは、わかってたけど、キツイねぇ。

[439] って、あれ……その子、

[440] もしかして昔、手前の個室にいた子じゃない?」

[441]【さゆり】

[442]「!!」

[443]ビクリと堺さんが肩を震わせる。

[444]加藤さんが顔を覚えてくれてたことに

[445]相当、驚いたらしい。

[446]【かおり】

[447]「そうなんですよー!

[448] 堺さんはちゃんと病気と向き合って、

[449] 看護師になって戻ってきたんですよ!!」

[450]【加藤】

[451]「そっかー、お嬢ちゃんはエラいねー。

[452] おじさんは糖尿病が悪化して、

[453] 今度、透析受けることになっちゃってねぇ」

[454]ちらりと堺さんを見ると、

[455]堺さんは泣きそうな顔をしていた。

[456]【さゆり】

[457]「だ、だから言ったじゃないですか!

[458] あんな生活続けてたら、

[459] 病気が酷くなるって……!」

[460]【加藤】

[461]「うーん、そりゃあ確かに

[462] お嬢ちゃんの言う通りなんだけどねぇ。

[463] それができたら苦労しないっていうか……ねぇ?」

[464]バツが悪そうに笑っている加藤さんに、

[465]泣きたいのだろう感情を

[466]怒った顔で堪えている堺さん。

[467]どうやら、ふたりは

[468]入院中にもいろいろと話をしていたみたい。

[469]患者さんは患者さん同士の

[470]ネットワークみたいなものがあるっていうし。

[471]積もる話もあるだろうから、

[472]加藤さんと堺さんが何か話してる間に、

[473]そっと戸井さんのカーテンを捲る。

[474]……良く寝てる。

[475]静かに点滴だけ交換して、

[476]カーテンを戻した。

[477]点滴回りも済んで、

[478]記録を書こうと詰所の椅子に座った、

[479]丁度その時。

[480]【さゆり】

[481]「ちょっと!

[482] 置いていくなんてどういうことですか!!」

[483]【かおり】

[484]「……は?」

[485]堺さんが文字通り

[486]詰所に怒鳴り込んできた。

[487]【かおり】

[488]「だって、堺さんは加藤さんとお話していたし、

[489] きっと積もる話もあるだろうから、

[490] 邪魔しちゃ悪いと思って……」

[491]【さゆり】

[492]「でも、わたしはもうここの患者ではありません!

[493] 百合ヶ浜総合病院内科病棟のスタッフです!!

[494] あなた、わたしのプリセプターでしょう!?」

[495]【かおり】

[496]「でも……ちらっと聞いた限りでは、

[497] 加藤さんのDMに関する指導もしてたみたいだし、

[498] さっきのおしゃべりも仕事の内かなって……」

[499]【さゆり】

[500]「わたしが一番優先すべきは、

[501] ここのスタッフとしての仕事に慣れることです!

[502] 顔見知りの患者さんの指導じゃありません!!」

[503]うーん……、

[504]そう言われてみれば、

[505]堺さんの方が正しいような気がしてきた……。

[506]加藤さんとお話してた堺さんを残して、

[507]さっさとひとりで仕事を済ませちゃったのは

[508]間違ってたのかも。

[509]【かおり】

[510]「あー……、

[511] うん、ごめんね……」

[512]【さゆり】

[513]「わたしは謝って欲しいんじゃありません!!

[514] ただ……!!」

[515]【はつみ】

[516]「堺さん、もうそのへんになさい。

[517] 廊下まで怒鳴り声が聞こえていたわよ?」

[518]【さゆり】

[519]「でも、主任さん!!

[520] この人は新入りのわたしを置いて行ったんですよ!

[521] ありえなくないですか!?」

[522]怒りが収まらないのか、

[523]今度は、はつみさんに食って掛かっている。

[524]【さゆり】

[525]「プリセプターのくせに

[526] プリセプティーを放置して現場を離れるなんて

[527] プリセプター失格じゃないでしょうか!」

[528]噛み付かんばかりの勢いに、

[529]はつみさんは小さく笑った。

[530]それがまた堺さんの癇に障ったらしい。

[531]【さゆり】

[532]「主任さんっ!!

[533] 笑い事じゃありませんッ!!」

[534]【はつみ】

[535]「……堺さんが一刻も早くここのスタッフとして、

[536] 病棟に馴染もうとしてくれる気持ちは嬉しいわ。

[537] でも、焦ってはだめ」

[538]はつみさんが優しく微笑んで、

[539]堺さんを見つめた後で、

[540]溜め息混じりにわたしを見た。

[541]【はつみ】

[542]「沢井さんも、自分の物差しで判断してはいけないわ。

[543] あなたはもう堺さんのプリセプターなのだから、

[544] 堺さんが何を望んでいるのかを考えないと」

[545]はつみさんに諭されて、

[546]どうやって『指導』しようかということばかりで、

[547]『堺さんが何を望んでいるか』までは

[548]考えてなかったことに気づいた。

[549]【かおり】

[550]「すみません……。

[551] きっと積もる話があるんだって思ったんですけど、

[552] それは余計な気遣いだったんですね」

[553]【さゆり】

[554]「余計ってゆーか、

[555] 無駄ってゆーか……そんなこと……」

[556]堺さんが口ごもってる。

[557]言葉を選ぶのが下手なのはわかったから、

[558]いちいち傷つかないようにしなくちゃって思うけど……。

[559]でも、余計とか無駄とか言われると

[560]やっぱり胸にグサッてくるよね……。

[561]【さゆり】

[562]「……焦ってはいけない……か。

[563] たしかに主任さんのおっしゃる通りです。

[564] 沢井さんには言い過ぎました、申し訳ありません」

[565]【かおり】

[566]「!!」

[567]あ、あの堺さんが

[568]わたしに素直に謝ってくれた……!!

[569]【やすこ】

[570]「本当はわたし、沢井さんのこと、

[571] ずっと好きだったんです!

[572] だから……受け止めてください、この気持ち!」

[573]【やすこ】

[574]「まぁ、そうだったのね!

[575] ごめんなさい、わたしも堺さんを誤解していたわ!

[576] さ、このぺったんこの胸に飛び込んできて!」

[577]【かおり】

[578]「ちょっ!?

[579] わたし、ぺったんこじゃないですよぅ!!」

[580]【やすこ】

[581]「わたしの方がぺったんこです!

[582] だから沢井さんは気にしないで!!」

[583]【さゆり】

[584]「…………」

[585]ああっ!

[586]堺さんが反応できずに固まってる!!

[587]【はつみ】

[588]「山之内さん、

[589] 今日はまだ初日ですよ?」

[590]【やすこ】

[591]「でも、事実やで?」

[592]【はつみ】

[593]「胸の話をしているのではないわ。

[594] それに、沢井さんは意外と胸があります。

[595] 事実は正確に伝えてください」

[596]は、はつみさん、

[597]論点がズレてます……。

[598]【やすこ】

[599]「ほな、訂正。

[600] わたしの胸は洗濯板ですから、

[601] 沢井さんは気にしなくてもいいじゃないですか!」

[602]【はつみ】

[603]「……それもどうかと思うのだけれど」

[604]はつみさんと山之内さんのコントに、

[605]堺さんは深刻そうな顔で

[606]はつみさんを見た。

[607]【さゆり】

[608]「……やっぱり看護師である以上、

[609] 胸は大きい方が良いのでしょうか……」

[610]【はつみ】

[611]「……あの、堺さん、

[612] あなたの視線がさっきからわたしの胸部に

[613] 固定されているような気がするのだけれど……」

[614]【やすこ】

[615]「どうせなら、穴が開くほど

[616] しっかり見なさいっ!

[617] 見られたくらいで減るものではなくてよ!!」

[618]【かおり】

[619]「やめてくださいよぅ!

[620] はつみさんはそんなこと言わないです〜!」

[621]はつみさんの胸を

[622]山之内さんや堺さんの視線から必死で守る。

[623]【さゆり】

[624]「主任さんも山之内さんも、ふたりとも大きい……。

[625] 沢井さんまで、それなりの大きさだし……、

[626] 揉めばいいのかな……」

[627]クスクスとバイトさんたちが笑う中、

[628]堺さんは神妙な顔で何やらボソボソ言いながら、

[629]自分の胸をペタペタと触っていた。

[630]堺さんの初日は、

[631]わたしにとっては散々な結果だったけど、

[632]堺さん本人は何だかんだで

[633]それなりに楽しそうだった。

[634]【かおり】

[635]「……ってことがあったんですよぅ」

[636]そして、今、

[637]ベッドにごろ寝しながら、

[638]なぎさ先輩に電話中。

[639]【なぎさ】

[640]『申し訳ありません、かぁ。

[641] 以前の堺さんじゃ考えられないことね。

[642] あー、山之内さんとのやり取り、見たかったー!』

[643]【かおり】

[644]「……ああ、あれ、意外と面白かったですよ。

[645] 堺さんも初日なのに、結構、馴染んでましたし」

[646]【なぎさ】

[647]『主任さん、おっぱい大きいもんね!

[648] 今日も見に行くんでしょう?』

[649]【かおり】

[650]「誤解するようなこと言わないでください!

[651] 主任さんの胸を見に行くわけじゃありませんからっ!

[652] って、胸から話を逸らしてください!!」

[653]……とか言いながらも、なぎさ先輩の言うように

[654]実は、さっき、お風呂から出てから

[655]一足先に、はつみさんの部屋に行ったのよね。

[656]この間、あのにっこり笑顔で

[657]「いつでもいらっしゃい」って

[658]合鍵を貰ったんだよね。

[659]もちろん、わたしも合鍵を作って

[660]プレゼントしたの!

[661]合鍵を交換するだなんて、

[662]恋人ちっくでいいよね!!

[663]それから、時々、

[664]はつみさんの部屋に泊まりに行ってるんだけど、

[665]それはなぎさ先輩には秘密なの。

[666]夜もだいぶ遅くなったから

[667]もう詰所にはいないだろうって思って

[668]お風呂上りにすぐ、部屋に行ったのに、

[669]はつみさんは部屋にはいなくて……。

[670]病棟で何か急変とかあったのかなぁ?

[671]急変時に人手が足りないのは本当にしんどいからって、

[672]はつみさん、残業して夜勤さんを手伝って

[673]急変が一段落するのを見届けてから、

[674]帰るんだもんなぁ。

[675]【なぎさ】

[676]『……ったく、

[677] あの仕事馬鹿にも困ったものね』

[678]【かおり】

[679]「え?

[680] なぎさ先輩、今、何て……?」

[681]【なぎさ】

[682]『空耳よ、空耳。

[683] 気にしちゃ負けよ』

[684]いや、別に

[685]勝負してるわけじゃないんですが。

[686]【なぎさ】

[687]『ん? ……ってことは、沢井は

[688] 愛しのカノジョとイチャイチャできないから

[689] 仕方がなく、あたしに愚痴電話をかけてきた、と』

[690]【かおり】

[691]「えー、そういうわけじゃないんですけどー。

[692] そんな言い方、身も蓋もないっていうかー」

[693]【なぎさ】

[694]『……切っちゃおうかなー』

[695]【かおり】

[696]「あひゃん、なぎさ先輩、

[697] 見捨てないでー!!」

[698]わたしが堺さんのプリセプターになって

[699]早二週間。

[700]その間に、なぎさ先輩と堺さんの

[701]合同歓送迎会も開かれて、

[702]何となく堺さんも内科病棟メンバーとして

[703]受け入れられたような感じになっている。

[704]で、昨夜は、

[705]プリセプターとして頑張っているわたしを

[706]慰労するために……と、はつみさんが

[707]部屋に泊めてくれて、今朝は憧れの同伴出勤!

[708]【かおり】

[709]「早朝の空気って

[710] すごく美味しいですね!!」

[711]一緒に出勤したいってワガママを言って、

[712]はつみさんの出勤時間に合わせてみたんだけど、

[713]……やっぱりちょっと眠いなぁ。

[714]【はつみ】

[715]「うふふ、

[716] そんなことを言いながら、

[717] あなた、すごく眠そうよ?」

[718]【はつみ】

[719]「勤務中に寝たりなんかしたら、

[720] 遠慮なく襲っちゃおうかしら」

[721]【かおり】

[722]「はつみさんに襲ってもらえるなら、

[723] 誰にも見咎められないところで

[724] 居眠りしなきゃですね!」

[725]真っ赤になったはつみさんが

[726]ふいっと顔を逸らした。

[727]【はつみ】

[728]「……もう、ばか」

[729]ああ、もう、

[730]こういう年上なのにウブいところが

[731]可愛くてたまんないんだよね!

[732]でも、堺さんのプリセプターやるのは

[733]正直言うと、しんどい……というか気疲れして、

[734]はつみさんがいなければ、

[735]この病院を辞めようかって考えてたかも……。

[736]もっとも、今、辞めたところで

[737]わたしみたいな半端な新人が再就職するのは

[738]厳しいってわかってるから、

[739]我慢するしかないんだけど。

[740]【はつみ】

[741]「ほらほら、そんな疲れた顔をしないで。

[742] せっかくの可愛い顔が台無しよ?」

[743]着替えの手を止めて、

[744]はつみさんが

[745]わたしの頬を両手で包んでくれる。

[746]あっ、あっ、目の前に

[747]少し緩んだ胸元から覗く、魅惑の谷間が……!!

[748]昨日は一緒にお風呂に入ったし、

[749]一晩中ずっと一緒にいたけど、

[750]やっぱり病院のこのシチュエーションだと

[751]どうしても顔が赤くなっちゃうよぅ!!

[752]【はつみ】

[753]「……可愛いあなたにこんなことを言うのは辛いけど、

[754] 白衣を着る前に言っておくわね」

[755]【はつみ】

[756]「これからしばらくの間、

[757] 日勤業務の後、別件で帰宅が遅くなることが

[758] 多くなるかもしれないの」

[759]持って回ったような言い回しに、

[760]嫌な予感が頭を過ぎる。

[761]【かおり】

[762]「……それって、

[763] 部屋に来るなってことですか?」

[764]【はつみ】

[765]「そうじゃないのよ、かおり。

[766] その件が落ち着くまで、あなたに寂しい思いを

[767] させてしまうかもしれないってことなの」

[768]はつみさんの手が、

[769]わたしの頬を優しく撫でてくれる。

[770]【はつみ】

[771]「昨日のように、お風呂上りにわたしの部屋に来て、

[772] わたしがいなかったとしても、

[773] ……がっかりしないでね」

[774]【はつみ】

[775]「わたしが好きなのは、あなただけよ。

[776] そのことは、絶対に忘れないで」

[777]何だか意味深な言葉だったけど、

[778]ストレートに好きだと言われて、心が軽くなる。

[779]【かおり】

[780]「……はい、

[781] わたしも一番好きなのは、はつみさんです」

[782]【はつみ】

[783]「嬉しいわ。

[784] ……わたしの可愛いかおり……」

[785]少しずつ、はつみさんの顔が近づいてきて――。

[786]【はつみ】

[787]「……ここは一応勤務先だから、

[788] これで我慢してね」

[789]おでこに優しくキスをされた。

[790]会えないかもしれないって言われたけど、

[791]でも、きっと大丈夫!

[792]わたしたちは信じ合ってる『恋人同士』なんだもの!

[793]【はつみ】

[794]「おはようございます、

[795] 変わりはないかしら?」

[796]【看護師B】

[797]「特にないでーす。

[798] あ、彼女、もう来てますよ」

[799]意味深な夜勤さんの目配せに、

[800]はつみさんは苦笑にも似た表情を浮かべた。

[801]【かおり】

[802]「……はつみさん?」

[803]それには何も答えず、

[804]はつみさんはわたしの腕を取るように

[805]詰所の奥の休憩室に入る。

[806]――そこでは、

[807]堺さんが既に出勤してて、

[808]患者さんの記録を読んでいた。

[809]【はつみ】

[810]「おはようございます。

[811] いつも早いのね、堺さん。

[812] 勤務開始まではあと二時間はあるわよ?」

[813]【さゆり】

[814]「…………」

[815]堺さんははつみさんの声が聞こえなかったようで、

[816]黙々と記録を読んでいる。

[817]わたしたちは堺さんの邪魔にならないように、

[818]静かにカバンを置いて、

[819]詰所へと出る。

[820]【はつみ】

[821]「……彼女、自分にできることで思いついたことは

[822] 何だってやるつもりだって言ってたわ。

[823] 頑張りすぎないようには言ったのだけれど……」

[824]【かおり】

[825]「だから、こんなに早い時間に出勤して、

[826] 患者さんの記録を読んでるんですね……」

[827]堺さんの姿を見て、

[828]自分が恥ずかしくなってくる。

[829]わたし、堺さんみたいに

[830]入院患者さん全員の状態を把握しようなんて、

[831]一度も考えたことなんてなかった。

[832]担当になった患者さんの記録なら

[833]遡って読むくらいはするけど、

[834]あんな風に全員分を読もうだなんて……。

[835]【やすこ】

[836]「おうおう、おはようさん!

[837] 何や、今朝は手伝い多いなぁ!」

[838]【はつみ】

[839]「お疲れ様。

[840] 夜の間、急変はなかった?」

[841]さっきの夜勤さんに訊いたようなことを

[842]山之内さんにも訊いている。

[843]【やすこ】

[844]「せやねー。

[845] 都知さんもオピオイド合うてるみたいやし、

[846] 静かでツマラン夜勤でしたわー」

[847]うーん……、

[848]山之内さんの不謹慎な発言は

[849]相変わらずだなぁ。

[850]【はつみ】

[851]「さて、沢井さん。

[852] せっかく早く出てきたのだから、

[853] 朝食の配膳の準備を手伝いに行きましょう?」

[854]【かおり】

[855]「は、はい!」

[856]そうだよね、

[857]朝はとても忙しいんだから、

[858]少しでも夜勤さんの負担を軽くしてあげなくちゃ!!

[859]【かおり】

[860]「今日も疲れたなぁ〜。

[861] 重いし……」

[862]わたしが詰所から出る時には、

[863]同じ日勤を終えた堺さんは

[864]読みたい記録があるからと、

[865]分厚いカルテを持って休憩室に引っ込んでしまった。

[866]はつみさんは例によって例の如く、

[867]夜勤さんのちょっとした手伝いで、

[868]今日も残業中。

[869]帰る前に、ちらっと1階下の外科病棟を覗いてみたら、

[870]手術室から患者さんが戻ってきたところだったらしく、

[871]まるで蜂の巣を突付いたように

[872]たくさんの白衣の裾がひらめいていた。

[873]その中で、なぎさ先輩が

[874]他の外科の看護師さんに混じって走り回っていて、

[875]ちゃんと仕事してるんだなぁと思うと

[876]何だか誇らしくなっちゃった。

[877]ああ、なぎさ先輩も、堺さんも

[878]本当に仕事を頑張ってるんだなぁ。

[879]わたしも頑張らないとね!!

[880]……と思って、

[881]仕事の後に、神庫に寄って、

[882]看護書籍とかいろいろ買ってきちゃった。

[883]はつみさんも忙しそうだし、

[884]部屋に入り浸る機会も減りそうだってことだし、

[885]看護書籍を独り寝の友にするのは切ないけど、

[886]わたしだって成長しないと!!

[887]まずはエレベーターを使わずに

[888]階段をダッシュで上がる!!

[889]看護師は体力も大事だもんね!!

[890]四階に上がった途端、

[891]廊下の陰に見知った人の横顔が

[892]閉まるドアの陰にチラリと見えた。

[893]【かおり】

[894]「い、今のって……」

[895]このわたしが、

[896]大好きな人の横顔を見間違えるはずがない!

[897]あれは、はつみさんだった!!

[898]もどかしく鍵を取り出して、

[899]勢い良くドアを開けて――。

[900]【かおり】

[901]「ただいま帰りました!!」

[902]元気良く、部屋の中に声をかけた。

[903]けれど。

[904]【かおり】

[905]「あ、あれ?」

[906]部屋の中には誰もいないし、

[907]誰かが入ってきた形跡もない。

[908]【かおり】

[909]「……おっかしいなぁ。

[910] たしかにはつみさんが

[911] ドアを開けて入ってったの、見えたんだけどなぁ」

[912]買ってきた本を玄関先に置いたまま、

[913]靴を脱いで、ベッドにごろりと横になる。

[914]そういえば、

[915]堺さんもこの寮に入ったんだよね。

[916]しかも、

[917]偶然にも、わたしの隣の部屋。

[918]【かおり】

[919]「…………」

[920]ふと頭に浮かんだことを

[921]それはない、と打ち消した。

[922]だって、堺さんはまだ病棟で記録を読んでるだろうし、

[923]はつみさんだって、この時間は

[924]夜勤さんを手伝ってるはず。

[925]【かおり】

[926]「き、きっと見間違いだよ、うん。

[927] はつみさんに会いたい気持ちが生み出した、

[928] ただの幻影、そうに違いないよ!!」

[929]でも……

[930]何だろう、このモヤモヤした気持ち。

[931]いると思っていなかった、

[932]はつみさんに会えると思ったのに会えなかった

[933]ガッカリ感なのかな……。

[934]やっぱり気になったので

[935]今日もちょっと早めに起きて、

[936]いつもよりも早く出勤してみた。

[937]案の定、堺さんは

[938]昨日と同じく既に出勤してて、

[939]持ち込んだ患者さんの過去の看護記録を

[940]休憩室で読んでいる。

[941]【かおり】

[942]「あ、あの……おはよう、堺さん。

[943] ちょっと質問していいかな?」

[944]【さゆり】

[945]「業務に関係のあることなら、と言いたいところですが、

[946] 今は勤務開始前の時間なので、何でもどうぞ。

[947] 答えられることなら答えます」

[948]【かおり】

[949]「じゃ、単刀直入に訊くね。

[950] 昨日、はつ……主任さんが部屋に行った?」

[951]【さゆり】

[952]「は!?

[953] 主任さんが!?

[954] わたしの部屋に!?」

[955]【かおり】

[956]「うん……チラッと見ただけなんだけど、

[957] 主任さんが四階にいたような気がするんだよね」

[958]【さゆり】

[959]「み、見間違いじゃないんですか?」

[960]取り落としたカルテやら看護記録を

[961]拾い集めるのを手伝ってみる。

[962]ふと手が触れた。

[963]【さゆり】

[964]「!!」

[965]ビクッとして

[966]堺さんが手を引っ込めた。

[967]【かおり】

[968]「あ、ごめん……」

[969]【さゆり】

[970]「……いえ」

[971]ううっ、

[972]……そんな過剰な反応されちゃうと、

[973]何だか傷つくなぁ。

[974]【さゆり】

[975]「そんな質問をするってことは、

[976] 主任さんのこと、疑っているんですか?」

[977]【かおり】

[978]「え、そういうわけじゃ……」

[979]【さゆり】

[980]「それとも、主任さんほどの人が、

[981] あなたなんかに本気になるはずないなんて

[982] 当然ともいえる心配でもしているんですか?」

[983]【かおり】

[984]「…………」

[985]う、うん……、

[986]堺さんには悪気はないってわかってる。

[987]わかってるんだけど……

[988]やっぱり、わたしとはつみさんって

[989]不釣合いなのかなぁ……。

[990]堺さんには、そう見えるのかなぁ……、

[991]へこむなぁ……。

[992]結局、朝の一件を引きずってたのか、

[993]業務でも堺さんとの連携は上手くいかなかった。

[994]わたしなんかが教えるまでもなく、

[995]堺さん、ちゃんと仕事できてるもんね。

[996]むしろ、わたしの方が

[997]堺さんの足を引っ張ったみたいになって、

[998]派遣さんに思いっきり叱られてしまった。

[999]はつみさんはどうしてこんな未熟なわたしを

[1000]堺さんのプリセプターに任命したのかな。

[1001]【なぎさ】

[1002]『……んもー!

[1003] ホント、沢井は相変わらずおバカなんだから』

[1004]なぎさ先輩の電話越しの言葉にも反応できない。

[1005]今はただ、はつみさんに会いたい……。

[1006]けど、さっき行ったら

[1007]やっぱり、はつみさんは不在で……。

[1008]【なぎさ】

[1009]『あーあ、犬も食わない話を聞かされる

[1010] こっちの身にもなりなさいよねー!

[1011] ちょっとぉ、聞いてるの〜?』

[1012]【かおり】

[1013]「……うぅっ、

[1014] 聞いてます……けど……っ」

[1015]もう、泣きたいよぅ……。

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