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white_robe_love_syndrome:scr00751

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[001]季節はもう春。

[002]はつみさんと気持ちが通じてから、

[003]一年半くらいが過ぎて、

[004]百合ヶ浜に来てもうすぐ二年になる。

[005]ラブラブになった直後くらいかな、

[006]以前から、時々問題があったらしい

[007]一階下の外科病棟でトラブルが発覚して、

[008]人員の入れ替えがあったの。

[009]内科病棟はそれなりに安定してるし、

[010]外来も、内科師長兼任の常盤師長の奮闘で

[011]かなり安定してきた矢先の出来事で、

[012]病院上層部は、このトラブルは歓迎してるみたい。

[013]外科病棟の人員整理による不足人員は

[014]バイトさんや派遣さんで補って、

[015]外科主任は、はつみさんの伝手で、

[016]学生時代の信頼できる人が赴任してきた。

[017]内科病棟の常盤師長さんが外来師長を兼任しながら

[018]更に外科主任さんのサポートまでしてるから、

[019]はつみさんが内科病棟の主任兼師長のような

[020]役割をこなすことになって、とても忙しそう。

[021]お仕事モードのはつみさんは相変わらずで、

[022]白衣を着ている間は厳しい『主任さん』。

[023]わたしもそんなはつみさんの役に立ちたい一心で

[024]日々、仕事を頑張ってるの。

[025]そんなわたしの気持ちはちゃんと通じているらしく、

[026]白衣を脱いだはつみさんはとても情熱的で――。

[027]【はつみ】

[028]「……んっ」

[029]部屋に入った途端、

[030]抱き締められて、キスをされた。

[031]甘い、くちづけ。

[032]だけど……。

[033]【かおり】

[034]「あ、あの……はつみさん……?」

[035]唇を離して、

[036]思わず目に入った光景に眉を寄せた。

[037]【はつみ】

[038]「ごめんなさい、何も言わないで」

[039]【かおり】

[040]「…………」

[041]【はつみ】

[042]「……無言になっちゃいやよ」

[043]何も言うなって言ったり、

[044]無言になるなって言ったり、

[045]もう、素顔のはつみさんは

[046]どうしてこんなに可愛いんだろう……。

[047]【かおり】

[048]「んもう、わかってますよ。

[049] 忙しくて、お片づけどころじゃなかったんですよね」

[050]【はつみ】

[051]「…………」

[052]恥ずかしそうに、

[053]小さく頷くはつみさん。

[054]年上の女の人に言う言葉じゃないけど、

[055]モジモジする様子が可愛くて仕方がない。

[056]【かおり】

[057]「大丈夫です、

[058] はつみさんが大変なのはわかってます」

[059]【かおり】

[060]「わたしは仕事はまだまだで、

[061] はつみさんのフォローができるレベルじゃないから、

[062] 私生活くらいはフォローさせてください」

[063]【はつみ】

[064]「あなたは……頑張っていると思うわ。

[065] 初めて会った時とは比べものにならないくらいよ」

[066]そりゃあ、

[067]初めて会った時はドがつく新人でしたから……。

[068]【かおり】

[069]「でも……まだ叱られることが多くて……」

[070]【はつみ】

[071]「みんな、あなたの成長を認めているから叱るの。

[072] あなたが頑張らない子だったら

[073] 誰も相手にしないわ」

[074]チュッと、額に優しいキスが落とされる。

[075]【かおり】

[076]「そう……でしょうか……」

[077]比べても仕方がないとはわかってるけど、

[078]どうしても、はつみさんと自分を比べてしまう。

[079]自分がちゃんと仕事ができていない、

[080]それがわかっているから

[081]こうしてはつみさんの傍にいることが

[082]心苦しくなってしまう時もある。

[083]【はつみ】

[084]「……だから、

[085] そんな風に、自分を卑下してはだめ」

[086]まるで、わたしの心を読んだかのように、

[087]はつみさんが優しくキスしてくれる。

[088]【はつみ】

[089]「それに……あなたが急速に成長してしまうと、

[090] わたしの楽しみがなくなってしまうわ」

[091]【かおり】

[092]「はつみさんの、楽しみ……?」

[093]【はつみ】

[094]「あなたはあなたのスピードで

[095] ゆっくりと成長してゆけばいいの。

[096] 無理に成長しようなんて考えなくてもいいのよ」

[097]【はつみ】

[098]「わたしが教えたことを吸収していって、

[099] あなたらしい純粋な心を残したまま、

[100] 公私共にパートナーになってくれれば……」

[101]【かおり】

[102]「……はつみさん……」

[103]そっと抱き締められる。

[104]【はつみ】

[105]「成長を急ぐあまりに、心を壊す人もいるのよ。

[106] ……そんなあなたを見たくないわ」

[107]はつみさんの『思い』が流れ込んでくるような感覚。

[108]今まで、はつみさんは

[109]たくさんの新人を見てきたのだろう。

[110]――その新人たちが、

[111]柔らかで繊細な心を失くしていったり、

[112]心を壊して自滅していくところも……。

[113]【かおり】

[114]「大丈夫、ですよ」

[115]抱き締められるまま、

[116]そっと背中に腕を回す。

[117]【かおり】

[118]「わたしは大丈夫です。

[119] だって、はつみさんがこうして支えてくれるから……、

[120] だから壊れたりなんかしません」

[121]【はつみ】

[122]「……かおり……」

[123]一瞬、泣きそうになったはつみさんは

[124]まるで顔を隠すように、

[125]わたしの肩口に顔を埋めてきた。

[126]耳元に触れる、はつみさんの髪の毛がくすぐったくて、

[127]思わず、一歩、後退する。

[128]その途端――。

[129]【かおり】

[130]「ぎゃひーんっ!!」

[131]膝くらいまでの高さに積まれていた紙の山が崩れ、

[132]その拍子に、近くにあった本のタワーが倒れて、

[133]辞書のように重たい本が、弁慶の泣き所を直撃した!!

[134]【かおり】

[135]「ふぐぐぐ……」

[136]思わず膝が砕けてしまったせいで、

[137]まるではつみさんに

[138]ぶら下がるような姿勢になってしまってる。

[139]【はつみ】

[140]「か、かおり!?

[141] 大丈夫!?」

[142]あまりの痛さに、涙が出てきそうになるが、

[143]ここで泣いてはいけない!

[144]だって、

[145]はつみさんが心配そうな顔で見てるから!!

[146]【かおり】

[147]「だ、だいじょ……ぶ、です……ぅ」

[148]名残惜しかったけど、

[149]はつみさんに抱きついていた腕を放して、

[150]足元に散乱している本を片付ける。

[151]慌てた様子で、はつみさんも

[152]近くに散乱していた衣服やら紙類やらを

[153]より分け始めた。

[154]ううう……、

[155]久しぶりにはつみさんの部屋で

[156]今日こそはって思ってたのに……。

[157]一緒にお風呂に入って、一緒のベッドで寝ようっていう

[158]わたしのささやかで幸せな計画は、今夜もまた、

[159]こうして、散らかった部屋のお掃除大作戦に

[160]あっさり変更になったのでした……うう。

[161]【???】

[162]「くぉーら、新人!!」

[163]ナースコールの対応をして詰所に戻った途端、

[164]頭ごなしに怒鳴られた。

[165]【やすこ】

[166]「検査から電話来たで!

[167] うちがお願いしとった308のグッチーの血中濃度、

[168] どないなっとるねん!!」

[169]【かおり】

[170]「はふっ!」

[171]忘れてた!!

[172]グッチーというのは患者さんのあだ名で、

[173]308号室に入院してる亜茂木(あもき)さんのこと。

[174]ただひたすら愚痴が多いので、

[175]詰所の中では『グッチー』というあだ名で

[176]通ってる患者さん。

[177]本当は患者さんをあだ名で呼んじゃダメなんだけど、

[178]そんなことを気にするような山之内さんじゃないし。

[179]【やすこ】

[180]「武士の情けや、採血の準備は済ませたった!

[181] そこのトレイ持って、はよ行ってこんかい!!」

[182]【かおり】

[183]「は、はひぃっ!!」

[184]怒鳴られるまま、

[185]山之内さんが準備してくれた銀のトレイを持って

[186]慌しく詰所を出た。

[187]それにしても……。

[188]わたしは三年目になろうっていうのに、

[189]山之内さんにとっては、

[190]まだ『新人』としか見てもらってないのよね。

[191]実際、わたしの入職以来、

[192]バイトさんや派遣さんは新しい人が来るけど、

[193]正社員としては、誰も内科病棟に配属されてなくて

[194]事実上、一番下っ端のままだしね。

[195]そろそろ『新人』呼ばわりは卒業したいんだけど、

[196]でも、仕事はまだまだだから激しく主張できなくて……。

[197]ううっ、

[198]はつみさんからは焦るなって言われてるけど、

[199]やっぱ、新人って呼ばれる度に、

[200]どうしてもへこんじゃうよね……。

[201]亜茂木さんの採血を済ませて、

[202]検体を検査室に持って行ってから

[203]詰所に戻る。

[204]【なぎさ】

[205]「お疲れ、沢井」

[206]笑いながら、

[207]なぎさ先輩が肘で突付いてきた。

[208]【かおり】

[209]「……はい……」

[210]いつものように元気よく返事ができない。

[211]【なぎさ】

[212]「あらら、落ち込んじゃって。

[213] どしたの?」

[214]【かおり】

[215]「いえ……何でもないです……」

[216]本当は何でもなくない。

[217]山之内さんに昼一番で頼まれてた採血を

[218]すっかり忘れてしまっていた。

[219]亜茂木さんの採血は一発でできたけど、

[220]検査室で技師さんに

[221]こっちは手を空けて待ってたのに、と

[222]嫌味を言われた。

[223]こんなんじゃ、

[224]『新人』って言われ続けても仕方がないよね……。

[225]看護師になって三年目だっていうのに、

[226]新人並みの仕事しかできてないんだから。

[227]【なぎさ】

[228]「亜茂木さんの採血でも失敗して、

[229] またひたすらグチグチ言われたとか?」

[230]【かおり】

[231]「そんなんじゃないです……」

[232]【なぎさ】

[233]「じゃ、いいじゃない。

[234] 今日中に検体も提出できたんだし、

[235] 結果オーライよ」

[236]なぎさ先輩がいろいろと話しかけてくれるけど、

[237]今はちょっとだけ放っておいて欲しい……。

[238]ちらりと山之内さんを見ると、

[239]苦手な亜茂木さんの採血を押し付けておきながら、

[240]こっちを見ることもなく、黙って記録を書いている。

[241]……別にお礼を言われたいわけじゃないけど、

[242]何か声くらいかけてほしい……かな……。

[243]突然、背後でものすごい音がした。

[244]【かおり】

[245]「ぎょ!?」

[246]わたしやなぎさ先輩だけじゃなく、

[247]山之内さんも顔を上げて、音のした方を見る。

[248]【はつみ】

[249]「…………」

[250]はつみさんが立っていた。

[251]どうやら、机の足に足の小指でもぶつけたらしく、

[252]まるで涙を堪えるかのように

[253]目をパチパチさせている。

[254]【はつみ】

[255]「……み、なさん。

[256] 良いニュースがあります……」

[257]きっとものすごく痛いのだろう、

[258]声が震えている。

[259]でも、さすがは

[260]我が内科病棟の暫定師長でもある主任さん、

[261]足の小指をぶつけても、

[262]平静を装って話をしようとしてる……!

[263]【はつみ】

[264]「今年度は、新人を迎え入れることのなかった

[265] 我が百合ヶ浜総合病院内科病棟にも

[266] 4月から新人が入職してくれることになりました」

[267]あふ……、

[268]はつみさん……痛そう……。

[269]【やすこ】

[270]「へー、

[271] 4月からってこたー新卒か?」

[272]【はつみ】

[273]「ええ、新卒の女の子よ。

[274] 山之内さん、いじめてはだめよ?」

[275]【やすこ】

[276]「新卒かぁー!

[277] 個人的には経験者のが楽できてエエねんけど、

[278] ピチピチの若い子を仕込むんもまた一興やわぁ!」

[279]山之内さんがチラリとわたしを見る。

[280]【やすこ】

[281]「そろそろ沢井で遊ぶんも飽きてきたし、

[282] ウシ沢も外科に取られてまうし、

[283] 新しいオモチャは大歓迎!!」

[284]【かおり】

[285]「ひ、ひどい……!」

[286]【やすこ】

[287]「何や、沢井。

[288] 何か文句あるんか?」

[289]【かおり】

[290]「わ、わたしはオモチャじゃありません……」

[291]涙目になりながらも、

[292]精一杯の抗議をしてみた。

[293]【やすこ】

[294]「そういう主張は

[295] 一人前の仕事ができるようになってから言え、

[296] ボケが」

[297]【かおり】

[298]「ふぐっ!」

[299]グサッときた……!

[300]【やすこ】

[301]「そもそも沢井には主任がいてるやろ。

[302] さすがのうちも、人のモンに手ェ出すほど

[303] 落ちぶれとらんわ、バカにすんな」

[304]【かおり】

[305]「…………」

[306]な、何だろう、今日の山之内さん、

[307]機嫌が悪いのかな……?

[308]【はつみ】

[309]「まぁまぁ、そのへんで。

[310] そういうわけで、みなさん、

[311] 新しい人には優しく教えてあげてくださいね」

[312]【はつみ】

[313]「あと、人員補給がなされたからではないのですが、

[314] 4月から新人さんと入れ替わるように

[315] 藤沢さんが外科へと異動します」

[316]【かおり】

[317]「なぎさ先輩が!?」

[318]びっくりして、なぎさ先輩を見ると、

[319]なぎさ先輩は「えへへ」と笑っていた。

[320]そう言えば、さっき、山之内さんが

[321]外科に取られるとか何とか言ってたような気がしたけど、

[322]このことだったの……!?

[323]【なぎさ】

[324]「もう少し内科で腕を磨いてからって思ったんだけど、

[325] 腕を磨くなら、外科でもできるって

[326] 外科の小林主任さん直々に説得されて……」

[327]照れ臭そうになぎさ先輩が笑っている。

[328]【はつみ】

[329]「本当は勤務表の月が替わる3月16日から

[330] 外科に来て欲しいと言われていたのだけれど、

[331] そうなると内科が回らなくなるの」

[332]【はつみ】

[333]「ごめんなさいね、藤沢さん。

[334] 新しく配属になった病棟で、新卒の新人さんと同時に

[335] 勤務開始になるのは辛いかもしれないけれど……」

[336]【なぎさ】

[337]「大丈夫です、主任さん!

[338] 小林主任さんもいい人だし、

[339] きっとあたし、頑張れます!!」

[340]【はつみ】

[341]「そう……?

[342] もし何かやりにくいことがあれば、

[343] すぐにわたしに言ってね」

[344]【はつみ】

[345]「外科主任はわたしの後輩だから、

[346] きっと色々と取り計らってくれるはずよ」

[347]わたしの知らないところで、

[348]わたしの周囲の人たちは

[349]どんどんと自分のいるべき場所を得て

[350]成長していってるっていうのに……。

[351]【はつみ】

[352]「……さん。

[353] ちょっと沢井さん!!」

[354]【かおり】

[355]「ふぁ、ふぁいっ!!」

[356]厳しい声で名前を呼ばれて、

[357]思わず背筋が伸びた。

[358]【はつみ】

[359]「……4月からあなたにも後輩ができます。

[360] 三年目という自覚を持って、

[361] これからも仕事に励んでください」

[362]【かおり】

[363]「あ……」

[364]そっか、

[365]新人が来る、っていうことは

[366]わたしに後輩ができるっていうことだよね……。

[367]【はつみ】

[368]「返事がないわね。

[369] わたしの話、聞こえていないのかしら」

[370]【かおり】

[371]「は、はいっ!!」

[372]【なぎさ】

[373]「……沢井ィ……」

[374]【やすこ】

[375]「4月から来る新人が使える子やったらエエなぁ。

[376] さすがに新人ふたりを抱える余裕なんて

[377] あらへんもんなぁ」

[378]【やすこ】

[379]「あー、4月からの新人いらんから、

[380] 藤沢をこのまま内科に繋ぎとめておきたい!

[381] もしくは沢井を外科に押し付けるかで!!」

[382]【かおり】

[383]「あううう……」

[384]どうしていつもこうなっちゃうんだろう……、

[385]うう、自己嫌悪……。

[386]【はつみ】

[387]「沢井さん、

[388] あなたも来月から先輩になるのだから、

[389] 自覚を持ちなさい、自覚を」

[390]【はつみ】

[391]「後輩に笑われたくないでしょう?

[392] しっかりしなさい!」

[393]【かおり】

[394]「はい……、すみません……」

[395]はつみさんに叱られちゃった。

[396]この間は、わたしなりのスピードで

[397]ゆっくり成長していけばいいって言ってたけど、

[398]やっぱり限度ってのがあるよね。

[399]ちゃんと成長できてるのかな、わたし……。

[400]もう少ししたら新人が来るっていうのに、

[401]わたしは失敗ばかり。

[402]自己嫌悪でへこみまくりだけど、

[403]へこんでいても仕方がないので、

[404]部屋に帰ったら、毎日、勉強することにしてる。

[405]今日は癌性疼痛(がんせいとうつう)について。

[406]認知症だった都知(としる)さんが

[407]施設から戻ってきたのは年が明けてすぐのこと。

[408]施設でも断続的な頭痛を訴えていたものの、

[409]年末くらいから全身的な浮腫が酷くなってきて、

[410]食欲もないし、何か病気が潜んでいるのではと

[411]この百合ヶ浜総合病院に検査のために戻ってきた。

[412]結果、がんの全身性転移が見つかったの。

[413]断続的な頭痛も

[414]脳の奥深くで成長したがん細胞によるものだし、

[415]全身の浮腫も、食欲不振も、

[416]転移したがんによるもの。

[417]原因が判明したのはいいけれど、

[418]年齢が年齢だし、

[419]もう手の施しようがないのよね……。

[420]原発巣は肝臓だろうというのが、

[421]院長でもある小野医師の所見。

[422]きっと施設に移る前から肝臓にがん細胞が発生してて、

[423]お年寄りの病気の進行の遅さゆえに

[424]発見が遅れたのだろうとのこと。

[425]【かおり】

[426]「……ふぅ」

[427]都知さんのことを考える。

[428]施設へ行った時は、

[429]ほえほえとしたおじいちゃんだったのに、

[430]施設から戻ってきた時は

[431]大日本帝国陸軍の軍人さんになっていた。

[432]痛みで性格が変わるというのは

[433]よくある話だという。

[434]全身を蝕むがんの痛みというものは

[435]どういうものだろう?

[436]あの穏やかな笑顔の都知さんが

[437]別人のような厳しい顔で、厳しいことを言う。

[438]人格変容?

[439]記憶の退行?

[440]……考えてもよくわからない。

[441]わからないのは、

[442]わたしの経験が足りないからで、

[443]そこに勉強不足も加わって――。

[444]【かおり】

[445]「はふっ!?」

[446]ハッと我に返る。

[447]静かにドアノブが回って、

[448]ドアの陰から、顔を出したのは……。

[449]【かおり】

[450]「は、はつみさん!?」

[451]【はつみ】

[452]「勉強中だったのね、偉いわ。

[453] ちょっと休憩にしましょう?」

[454]靴を脱いで、

[455]はつみさんが部屋に上がってくる。

[456]【かおり】

[457]「でも……わたし、

[458] このままだと後輩にも笑われてしまいそうで……」

[459]【はつみ】

[460]「安心なさい。

[461] 頑張っている人を笑うようなスタッフは、

[462] わたしが主任権限で、叱り飛ばしてやるわ!」

[463]はつみさんの言葉に、

[464]胸の奥がじーんと熱くなった。

[465]【はつみ】

[466]「病棟で厳しく言ったのは、

[467] あなたが仕事に集中していなかったから。

[468] きっと山之内さんも同意見よ」

[469]【はつみ】

[470]「……もっとも山之内さんは、

[471] 藤沢さんを外科に取られることが気に入らなくて、

[472] 八つ当たりしていただけだったようだけれど」

[473]そう言えば、今日の山之内さん、

[474]いつもより口調が厳しかったような……。

[475]でも、普段は口論手前のやり取りをしてる

[476]なぎさ先輩と山之内さんだけど、

[477]……わたしに八つ当たりするくらい、

[478]なぎさ先輩のこと気に入ってたのかな。

[479]だったら、いいな。

[480]【はつみ】

[481]「あなたの頑張りは、わたしも認めてはいるのよ。

[482] ……ただ、頑張ろうとして、

[483] 空回りしているのが気になるところね」

[484]【かおり】

[485]「空回り……ですか?」

[486]自分ではそんな風に思ったことはないけど、

[487]主任という立場を通してのはつみさんの目には

[488]わたしは空回りしてるように見えるのかな。

[489]【はつみ】

[490]「人の成長には、その人なりのスピードがあるの。

[491] 頑張るのはいいことだけれど、

[492] 無理をすれば、必ずどこかに歪みが出るのよ」

[493]【はつみ】

[494]「特定の患者さんだけを看護することが仕事じゃないの。

[495] 病棟全ての患者さんを看るのがわたしたちの仕事よ。

[496] 視野を広く持ちなさい」

[497]【かおり】

[498]「は、はい」

[499]そっか……、今日のわたしは

[500]新しく入院になった都知さんのことばかりで

[501]同じ301なのに、

[502]他の患者さんのことはおざなりになってた……。

[503]きっと陰ながらに、フォローしてくれてたはずの

[504]なぎさ先輩や山之内さんにも

[505]少しも気付かなかった。

[506]【はつみ】

[507]「さ、ここからはプライベートよ。

[508] お惣菜を買ってきたの。

[509] 一緒に食べましょう?」

[510]ニコッと笑ったはつみさんは

[511]一歩踏み出して……。

[512]【はつみ】

[513]「きゃっ!!」

[514]何故か、何もないところで

[515]転んでしまった。

[516]【かおり】

[517]「だ、大丈夫ですか!?」

[518]【はつみ】

[519]「ええ、わたしは大丈夫だけれど……」

[520]涙目になってるはつみさんが、

[521]持っていた紙袋をゆっくりと持ち上げる。

[522]【かおり】

[523]「あ」

[524]転んだ際に潰してしまったのだろう、

[525]紙袋の底から、お惣菜か何かの汁がボタボタと垂れて、

[526]フローリングの床を汚していた。

[527]【はつみ】

[528]「……ご、ごめんなさい……」

[529]病棟では決して見られない

[530]しょんぼりと肩を落としてるはつみさんが愛しくて、

[531]布巾を片手に、大丈夫ですよと微笑む。

[532]【かおり】

[533]「平気です。

[534] 潰れちゃっても、味が変わるわけじゃありませんし。

[535] 食べられないことはないですから。ね?」

[536]【はつみ】

[537]「かおり……」

[538]【かおり】

[539]「一緒に、食べてくれるんですよね?」

[540]【はつみ】

[541]「ええ……ええ、もちろんよ!

[542] 本当は綺麗に盛り付けて食べさせたかったけど、

[543] 潰れても味は変わらないものね!」

[544]嬉しそうなはつみさん。

[545]……本当は、わたし、

[546]はつみさんを食べたい……なんて言ったら

[547]どんな顔をするだろう?

[548]はつみさんのことだから、真っ赤になって

[549]「そういう生意気なセリフは

[550]一人前の仕事ができるようになってから言いなさい」

[551]なーんて言うかもね。

[552]それから、言いすぎたかもって、しょんぼりして、

[553]プライベートな時間に仕事の話を持ち込んだって

[554]落ち込むんだよね。

[555]だから……わたしも

[556]本当の気持ちを言わないまま、

[557]一緒にご飯を食べる準備をするだけ。

[558]……今は、これでいい。

[559]ちゃんと仕事ができるようになったら、

[560]きっとはつみさんとの関係も

[561]今よりもっと、ずっと進められると思うから。

white_robe_love_syndrome/scr00751.txt · Last modified: 2018/05/22 17:15 (external edit)