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white_robe_love_syndrome:scr00612

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[001]主任さんと山之内さんは

[002]最近、詰所でよく相談をしている。

[003]堺さんの担当は今は山之内さんで、

[004]どうやらふたりで

[005]堺さんのことを相談しているみたい。

[006]堺さんの病状って

[007]そんなに悪いのかな。

[008]今、わたしは堺さんの担当じゃないから

[009]あまり情報が入ってこないのよね……。

[010]【かおり】

[011]「…………」

[012]堺さんのカルテ、

[013]わたしが見てもいいんだよね。

[014]わたしだって、

[015]この病棟のスタッフなんだもんね。

[016]カルテを開いて

[017]血液データのページを見る。

[018]【かおり】

[019]「うーん……よくわからない……」

[020]血液項目のいくつかに『L』がついてる。

[021]『L』というのは『LOW』の略で、

[022]それはつまり

[023]基準値より低い数値だということで……。

[024]【???】

[025]「お、新人、どうした?」

[026]ドキーンッ!

[027]背後から声をかけられて、

[028]慌ててカルテを閉じた。

[029]【やすこ】

[030]「隠さんでもええよ。

[031] 堺さんのデータ、見てたんやろ?

[032] わからんとこあったら、教えるで?」

[033]優しい言葉。

[034]でも、わたしはもう堺さんの担当じゃないし……。

[035]一気に仕事が増えてしまった山之内さんに

[036]これ以上の負担をかけるなんて、

[037]申し訳ないよね。

[038]【かおり】

[039]「いえ……わからないところは、

[040] 自分で調べるから大丈夫です……」

[041]【やすこ】

[042]「そうか?

[043] あんまり頑張りすぎんなよ?」

[044]データなんかよりも、

[045]本当は、もっと知りたいことがある。

[046]堺さんは、今、どうしてるの?

[047]担当が替わって、せいせいしてるの?

[048]少しは心が通い合ったようになってたのは、

[049]わたしだけだったのかな?

[050]【やすこ】

[051]「……そんなに気になるんやったら、

[052] 気になる、て言えばええのに」

[053]ため息混じりの山之内さんの声。

[054]【かおり】

[055]「え?」

[056]【やすこ】

[057]「気になるんやろ、

[058] あのワガママ娘のことが」

[059]【やすこ】

[060]「気になるんやったら『気になる』、とか

[061] 『あの子、元気ですか』、とか

[062] 変な我慢せずに言うたらええねん」

[063]え?

[064]……それは……、

[065]そういうのは、アリ、なのかな?

[066]わたしは彼女の担当を外されたのに……。

[067]【やすこ】

[068]「思うてること、素直に紙に書いてみ?

[069] どうせワガママ娘の部屋には行くんやから、

[070] メッセンジャーくらいはしたるで?」

[071]【かおり】

[072]「メッセンジャー……」

[073]【やすこ】

[074]「手紙なんて古風な手を使いますなぁ、

[075] 沢井さんったら」

[076]そうか……、

[077]気持ちを伝えるのに、手紙、っていう手もあるよね……。

[078]【かおり】

[079]「えと……、

[080] お、お願いしても、いいですか……?」

[081]【やすこ】

[082]「おう!

[083] がってん、了解!」

[084]昼休み、山之内さんの言葉に背中を押されて、

[085]十五分でごはんを食べたわたしは

[086]残り三十分を目いっぱい使って、

[087]わたしの思いの丈を書き記してみた。

[088]便箋なんかなかったから、

[089]看護記録の用紙を使って。

[090]わたしの気持ち、

[091]堺さんに届くといいなぁ。

[092]ナースコールが鳴って

[093]発信先の部屋を確認する。

[094]堺さんからのコールだ……。

[095]出ようかどうしようか迷ったけれど、

[096]出てみることにした。

[097]今度はすぐに

[098]山之内さんに報告するから、大丈夫……!

[099]【かおり】

[100]「はい、どうされました?」

[101]【さゆり】

[102]「…………」

[103]あれ?

[104]応答がない。

[105]もしかして堺さん、

[106]病室で倒れているのかも!?

[107]【かおり】

[108]「あの……っ、堺さん?

[109] どうかしましたか!?」

[110]【さゆり】

[111]「……沢井さん、ですか?」

[112]【かおり】

[113]「え?

[114] そうですけど……」

[115]ホッ、

[116]倒れてるわけじゃなかったのね。

[117]【さゆり】

[118]「……わたしの部屋に来てください」

[119]ブツッとコールが切れた。

[120]何だろう?

[121]【やすこ】

[122]「お、沢井。

[123] さっき、コール鳴ってへんかった?」

[124]【かおり】

[125]「えっと……堺さんからコールが……」

[126]【やすこ】

[127]「ほほう?

[128] で、あのワガママ娘は何て?」

[129]【かおり】

[130]「よくわかんないんですけど、

[131] 部屋に来いって言われました……」

[132]パッと山之内さんの顔が明るくなる。

[133]【やすこ】

[134]「ひゅーひゅー!

[135] ご指名やねぇ、ひゅーひゅー!」

[136]【かおり】

[137]「も……もう……、

[138] からかわないでくださいよぅ」

[139]堺さんはわたしの手紙を受け取ってくれた。

[140]わたしの手紙を読んで、

[141]いったい、どんな返事をくれるんだろう?

[142]山之内さんの声援に見送られて、

[143]わたしは堺さんの部屋に向かった。

[144]部屋の前に立つと

[145]急に不安になった。

[146]……本当に、担当外のわたしが

[147]堺さんに会ってもいいのかな……。

[148]というか、それ以前に

[149]何となく予感がするの……

[150]ここに入っちゃいけない予感が。

[151]でも、わたしは入りたい。

[152]直感で入っちゃいけないって感じても、

[153]わたしが入りたいと思うから入るの。

[154]深呼吸をする。

[155]いいんだよね、

[156]だって、わたし、

[157]堺さん本人に呼ばれたんだもんね。

[158]面会謝絶だけど、

[159]わたしだってスタッフなんだもん、

[160]いいんだよね……?

[161]【さゆり】

[162]「……どうぞ」

[163]【かおり】

[164]「あ、あの……沢井ですけど……、

[165] 入ってもいいですか?」

[166]【さゆり】

[167]「……鍵は開いてるから

[168] 勝手に入ってきてください」

[169]堺さんの部屋。

[170]久しぶりに入った……。

[171]……懐かしいなぁ、この部屋。

[172]【さゆり】

[173]「……単刀直入にききますけど。

[174] この手紙は、どういうつもりですか?」

[175]静かな堺さんの声。

[176]手にしているのは、

[177]わたしが書いた、手紙……。

[178]無表情な堺さん。

[179]わたしの手紙、歓迎されてない……?

[180]【かおり】

[181]「……どういう、って……」

[182]手紙を渡して迷惑だった?

[183]堺さん、もうわたしには

[184]心を開いてくれない、ということ?

[185]【さゆり】

[186]「……はぁ」

[187]【さゆり】

[188]「……はっきり言動で示さないと

[189] あなたには伝わらないんですね」

[190]【さゆり】

[191]「わたしの返事はこうです」

[192]ため息をついた堺さんは

[193]無表情のまま、

[194]わたしからの手紙を、縦に引き裂いた。

[195]【かおり】

[196]「…………!!」

[197]ショックのあまり、声も出ない。

[198]【さゆり】

[199]「あなたはわたしとは無関係のはずです。

[200] もう二度と、こんな未練がましい真似は

[201] しないでください」

[202]【かおり】

[203]「…………」

[204]【さゆり】

[205]「迷惑です」

[206]堺さんは

[207]手紙を読んでくれたんだろうか。

[208]手紙を読んで、その上で、

[209]わたしの思いを拒否したのかな。

[210]それとも、山之内さんに手紙を渡されて、

[211]何も読まずに、わたしの目の前で

[212]手紙を破ったのかな。

[213]堺さんの心がわからない……。

[214]堺さんの病室から出て、

[215]病棟内をさまよう。

[216]今、詰所には戻れない。

[217]屋上……は、

[218]他の患者さんがいそうだから……。

[219]屋上……は、

[220]この間、施錠しちゃったから……。

[221]ここで、いいかな。

[222]今の時間は、

[223]あまり誰も通らない、はずだから。

[224]【かおり】

[225]「ふ……っ、う、うっ……」

[226]階段にうずくまって、

[227]両腕に抱えた膝に

[228]ぎゅっと顔をうずめた。

[229]【かおり】

[230]「うう……っ、くっ……、ふぐっ」

[231]わたしの気持ちは、

[232]堺さんには伝わらないの?

[233]わたしが堺さんを思うのは、

[234]無駄なことだったのかな。

[235]堺さんにとっては、迷惑なことだったのかな。

[236]わたしの気持ちは、

[237]堺さんには迷惑なだけなのかな……。

[238]【かおり】

[239]「ううっ、く、ひっく……」

[240]わたしはしばらくの間、

[241]階段で声を殺して泣いていた。

[242]【やすこ】

[243]「ごめんな、沢井……。

[244] ワガママ娘から話は聞いた……」

[245]【やすこ】

[246]「うちが余計なこと言うたから……、

[247] ホンマ、ごめん」

[248]【かおり】

[249]「や、やだなぁ……、

[250] 山之内さんのせいじゃないです……よ」

[251]【やすこ】

[252]「マジでゴメン。

[253] うちも、あのワガママ娘が

[254] ここまで性悪やとは思わんかった……」

[255]【かおり】

[256]「……わたしは大丈夫です……。

[257] すみません、せっかく

[258] メッセンジャーになってもらったのに……」

[259]【やすこ】

[260]「……はぁ……」

[261]【かおり】

[262]「ふぅ……」

[263]ああ……、

[264]山之内さんまで落ち込ませてしまった……。

[265]わたし、何やってるんだろう。

[266]【はつみ】

[267]「あなたたち、そんな顔で病棟を

[268] ウロウロされるのは困るわ」

[269]【はつみ】

[270]「それにもうすぐ夜勤さんが来る頃なのだから、

[271] シャキッとしなさい!」

[272]【かおり】

[273]「はい……」

[274]申し送りの後、

[275]山之内さんの姿は

[276]いつものように気がついたら消えてたの。

[277]わたしは、というと、

[278]ひとりぼっちの部屋に帰る気にもなれず、

[279]外来から伝票が上がってきたこともあり、

[280]残業をすることにした。

[281]【看護師A】

[282]「大丈夫なの、沢井さん?

[283] 手伝ってくれるのはありがたいけど、

[284] もうすぐ雨が降ってきそうよ?」

[285]【かおり】

[286]「大丈夫ですよ。

[287] わたし、寮生ですし、

[288] 濡れてもお風呂に入ればいいんですから」

[289]【看護師A】

[290]「そう?

[291] ……だったらいいんだけど……」

[292]夜勤さんの言う通り、

[293]あの後、すぐに雨が降ってきた。

[294]ここから更衣室までなら、

[295]傘なしでも、ほとんど濡れずに移動はできる。

[296]でも、更衣室から寮までだと

[297]傘がないと、ずぶ濡れになりそうな、

[298]そんな雨脚だった。

[299]【かおり】

[300]「…………」

[301]イロイロなことが面倒になってきた。

[302]傘を借りるのも面倒くさい。

[303]もう、何も考えたくない。

[304]いいや、どうせ白衣だし、

[305]濡れちゃってもいいよ、もう。

[306]私服で濡れると面倒だけど、

[307]白衣で濡れても一枚脱げばいいだけだしね。

[308]覚悟を決めて、雨の中、

[309]かばんを抱えて、白衣で駆け出す。

[310]冷たい雨で

[311]すぐに全身がびしょ濡れになった。

[312]心の中に濁っている、

[313]もやもやした気持ちを全部、

[314]この雨が洗い流してくれたらいいのに……。

[315]……そう、頬を流れる涙ごと、全部。

[316]寮のエントランスに駆け込んだ。

[317]見慣れた景色に飛び込んだからか、

[318]ふと我に返る。

[319]白衣のままで

[320]寮に戻ってきちゃった自分に気づいて、

[321]自分の行動に呆れて、途方にくれた。

[322]カバンはちゃんと持ってきたから

[323]部屋には戻れるけど……。

[324]でも、こんなずぶ濡れで

[325]寮の廊下を歩いたら、

[326]他の人に迷惑になっちゃうよね。

[327]【???】

[328]「ちょっと!

[329] あなた、びしょぬれじゃないの」

[330]声をかけられたかと思ったら、

[331]目の前が真っ白になった。

[332]【かおり】

[333]「!?」

[334]【???】

[335]「夜勤さんから態度が変だったって聞いて

[336] 心配で探していたのよ!

[337] 白衣のまま濡れ鼠で帰ってくるなんて!」

[338]視界を隠す白いタオルからは

[339]優しい石けんの香りがする。

[340]頭をガシガシとこすられた。

[341]乱暴な手つき。

[342]……だけど、

[343]心配されてたってことが伝わってくる。

[344]どうしよう……、

[345]また涙が出てきちゃう……。

[346]【???】

[347]「これくらいで、いいかしらね?」

[348]タオルが取り去られた。

[349]目の前には

[350]ちょっと怒ってる顔の主任さん。

[351]本気でわたしを心配してくれてたんだ……。

[352]【はつみ】

[353]「そんな濡れたまま帰ってくるなんて、

[354] 風邪を引いたらどうするつもりだったの?」

[355]【かおり】

[356]「…………」

[357]言いたいことも伝えたいことも

[358]たくさんある。

[359]なのに、言葉にならない。

[360]主任さんはわたしの顔を見て、

[361]ちょっと困ったような表情を浮かべた。

[362]それから、クスッと笑って、

[363]わたしの手を取る。

[364]【はつみ】

[365]「……しょうがない子ね。

[366] いらっしゃい」

[367]わたしは無言で

[368]主任さんに手を引かれるまま、

[369]歩いていった。

[370]主任さんの部屋についてすぐ、

[371]お風呂場に連れ込まれた。

[372]温かいシャワーが

[373]わたしたちの上に降り注いでくる。

[374]【はつみ】

[375]「冷え切っているじゃないの、ばかね。

[376] 低体温になったらどうするの」

[377]シャワーの下には、

[378]主任さんまで入っている。

[379]【かおり】

[380]「……主任さん……、

[381] 主任さんまで、濡れちゃいます……」

[382]【はつみ】

[383]「気にしなくてもいいのよ、

[384] わたしのことは」

[385]ふたり、服を着たまま、

[386]あたたかいシャワーに濡れる。

[387]そっと抱き寄せられた。

[388]【かおり】

[389]「……主任、さん……?」

[390]【はつみ】

[391]「……しー、黙って。

[392] じっとしていなさい……」

[393]シャワーが振り注いでくる。

[394]主任さんのあたたかくて柔らかな手が、

[395]わたしの髪を、服の上から肌を撫でてくれる。

[396]わたしは、あまりの心地よさに

[397]主任さんの手に身をゆだねている。

[398]【はつみ】

[399]「……少しは、あたたまったかしら?」

[400]【かおり】

[401]「……はい……」

[402]ああ、頭がボーッとする。

[403]【はつみ】

[404]「じゃあ、その手をのけて……?」

[405]濡れて肌に張り付いた白衣を

[406]主任さんが器用に脱がせてくれた。

[407]【かおり】

[408]「しゅにんさん……?」

[409]【はつみ】

[410]「凍えたままだと、脱がせる際にお肌を傷つけて

[411] しまうこともあるのよ。 可愛い部下の

[412] 玉のお肌を傷つける訳にはいかないわ」

[413]【かおり】

[414]「……お肌……?」

[415]【はつみ】

[416]「本当は、ハサミで切って着衣を取り除くのだけれど。

[417] 入職二年までは、この白衣は貸与なの。

[418] 切ってしまえば買い取りになってしまうから……」

[419]【かおり】

[420]「…………?」

[421]頭がボーッとしてて、

[422]主任さんが何を言っているのか

[423]よくわからない。

[424]けれど、あたたかいシャワーの下で

[425]身体をあたためてから白衣を脱がせてくれたのは、

[426]わたしを気遣ってくれたからってことがわかる。

[427]わたしは……安心して主任さんに肌を晒す。

[428]恥ずかしい、なんて思わなかった。

[429]足元に落とされた濡れた白衣も下着も、

[430]全然、気にならないの。

[431]ただ……

[432]わたしの肌の温度があがったことを確認するような

[433]主任さんの手のひらのぬくもりが心地よくて……。

[434]【かおり】

[435]「……あったかい……」

[436]ぽつりと声が漏れた。

[437]【はつみ】

[438]「身体だけでなく、

[439] 心も冷え切っていたのね……」

[440]改めて、抱き寄せられた。

[441]主任さんの心臓の音が聞こえてくる。

[442]【はつみ】

[443]「……心を受け取ってもらえなくて、

[444] 辛かったわね」

[445]その温かさと、優しさと、

[446]そして、その言葉に、

[447]思わず涙が出た。

[448]【はつみ】

[449]「病棟では泣かせてあげられなくて

[450] ごめんなさいね。

[451] でも、ここではもう泣いてもいいのよ」

[452]心に染み込んでくる、声。

[453]【かおり】

[454]「……辛かった……」

[455]声を出しただけで、

[456]胸の奥に抱えていたもやもやが、

[457]一気に吹き上がってくる。

[458]【かおり】

[459]「……つら、かった……」

[460]慰めるように抱きしめられて、

[461]ぽんぽんと背中を叩かれた。

[462]感情が、あふれ出してくる。

[463]【かおり】

[464]「ふ……っ、う、う……っ」

[465]主任さんの背中に

[466]ぎゅっと手を回した。

[467]【かおり】

[468]「う、うわぁぁぁん!

[469] わたし、わたし……っ、

[470] うわぁぁぁん!!」

[471]シャワーに打たれながら、

[472]わたしは子どもに帰ったように、

[473]主任さんにしがみついて大泣きした。

[474]恥ずかしいとか、迷惑だとか、

[475]そんなことを考える余裕もなく、

[476]ただ主任さんの胸で、大声を上げて、泣いていた。

[477]お風呂上がり。

[478]主任さんから着替えを渡された。

[479]泣くのを一段落させたわたしが

[480]お湯を張った浴槽で身体を温めている間に、

[481]主任さんはわたしの部屋に行って、

[482]部屋着を取りに行ってくれたらしい。

[483]お風呂から出ると、

[484]今度は熱いハニーミルクを渡される。

[485]身体の奥深くから

[486]じわりと暖かさが広がってゆく。

[487]【はつみ】

[488]「どうして、雨に濡れていたの?」

[489]【かおり】

[490]「…………」

[491]……雨に濡れることで、

[492]もやもやしたものを洗い流して、

[493]すっきりしたかった。

[494]けれど、口が動かない。

[495]どうせ濡れても白衣一枚だし、

[496]私服で濡れるよりは後始末が楽だと思った。

[497]それなのに、

[498]主任さんに見つかって、

[499]うっかりおおごとになってしまって……。

[500]主任さんの胸で大泣きしたことで、

[501]一度、決壊した感情は平静を取り戻したけど、

[502]でも、心は空っぽのまま。

[503]……ちょっと疲れちゃったのかな。

[504]頑張ろうと思う度に、

[505]いつもへこむような事件が起こって、

[506]もう頑張る気力がなくなっちゃったのかな。

[507]そんなこと、ないよね。

[508]わたしは、もうちょっと頑張れるはずだもんね。

[509]でも……今くらい

[510]弱音を吐いちゃってもいいかな。

[511]今まで思っていたことを全部

[512]残らず吐き出してしまいたい……。

[513]でも……それを

[514]主任さんに言ってもいいのかな。

[515]呆れられたり

[516]見捨てられたりしないかな……。

[517]【はつみ】

[518]「いいのよ、何を話しても。

[519] あなたの秘密は誰にも漏らさない、

[520] わたしの胸の中だけに留めておくわ」

[521]【はつみ】

[522]「だから……、

[523] 話したくなったら、

[524] いつでも、どんな話でも聞いてあげる」

[525]【かおり】

[526]「…………」

[527]……うん、言ってしまおう。

[528]どうせもう恥は十分さらしてるもん、

[529]呆れられたり、見捨てられたりされるなら、

[530]もっと早い段階でされてるよね。

[531]洗いざらい、

[532]思ったこと、感じたことを口に出してみた。

[533]堺さんと少しだけ心が通じ合ったって思えた

[534]いくつかの出来事。

[535]そう思ったのに、

[536]また心を閉ざされてしまったこと。

[537]何とかしたくて、手紙を書いたこと。

[538]でも、その手紙も、

[539]目の前で引き裂かれてしまったこと。

[540]【はつみ】

[541]「そう……」

[542]主任さんは静かに話を聞いてくれる。

[543]それだけなのに、

[544]こんなに心が和らいでゆく……。

[545]【かおり】

[546]「……聞いてくれて、

[547] ありがとうございます」

[548]【はつみ】

[549]「わたしは聞いてあげるくらいしか

[550] できないから」

[551]【かおり】

[552]「そんなこと……ないです」

[553]ゆるゆると首を横に振った。

[554]【かおり】

[555]「わたし……最初は主任さんが怖かったんです。

[556] だって、主任さんったらスキがなくて、

[557] 叱られても、言い返しようがないんですもの」

[558]失礼な発言なのに

[559]主任さんは怒らずに聞いてくれる。

[560]【はつみ】

[561]「……そう」

[562]優しさに包み込まれているような感覚に

[563]うっとりとした。

[564]ああ、どうしよう、

[565]わたし、主任さんに惹かれてく……。

[566]【かおり】

[567]「でも、部屋が片付けられなかったり、

[568] 更衣室で下着姿を惜しげもなくさらしたり、

[569] 意外な程優しくしてくれたり……」

[570]主任さんは、

[571]わたしよりずっと年上の女性で、

[572]職場の上司で……。

[573]でも、この気持ちを止められない。

[574]【かおり】

[575]「主任さんの、意外な部分を

[576] 見せられる度に……

[577] わたし……」

[578]好きです。

[579]そう言っても平気かな。

[580]好きだと言っても、

[581]迷惑がられちゃわないかな。

[582]主任さんは

[583]わたしをどう思ってるんだろう?

[584]【はつみ】

[585]「見せられる度に……何?」

[586]主任さんの視線がわたしを捉える。

[587]正直に言う

[588]恥ずかしくて言えない

[589]【かおり】

[590]「あ、ああああの……、

[591] しゅ、主任さん……」

[592]【はつみ】

[593]「…………?」

[594]わたし、主任さんが好きです。

[595]…………。

[596]ああ、やっぱり、その一言が言えないっ。

[597]うう、どうしよう。

[598]主任さん、ものすごく期待した目で

[599]わたしを見てる……。

[600]【かおり】

[601]「しゅ、主任さんみたいな

[602] ステキでかっこよくて、憧れの女性になりたいな

[603] って、わたし……」

[604]好きだと言う代わりに、

[605]ずっと思ってたことを言ってみた。

[606]恥ずかしかったけど、

[607]これもわたしの本音だもん。

[608]本当は『好き』って言いたいけど。

[609]でも、主任さんに迷惑をかけたくないし。

[610]……それに、主任さんに

[611]迷惑だって思われたら、わたし、

[612]きっと立ち直れないかも……。

[613]【はつみ】

[614]「…………」

[615]主任さんは苦笑しているみたいだった。

[616]わたし、変なこと言ったのかな?

[617]【かおり】

[618]「えっと……」

[619]うわ、照れる……。

[620]【かおり】

[621]「な、何でもありません」

[622]【はつみ】

[623]「……はぁ……」

[624]主任さんは大きなため息をついた。

[625]もしかして、わたしが何か言うのか

[626]期待してくれてた……のかな?

[627]……まさかね。

[628]【かおり】

[629]「えっと、あ、あのっ……、

[630] 主任さん……」

[631]湧き上がる感情と、少しの恐怖と。

[632]勇気を出して、

[633]主任さんの手をぎゅっと握る。

[634]【かおり】

[635]「こ、これからも、

[636] わたしを導いてくださいますか……?」

[637]クスッと笑った主任さんは、

[638]わたしの手を、きゅっと握り返してくれた。

[639]【はつみ】

[640]「もちろんよ」

[641]【かおり】

[642]「わぁ……!」

[643]天にも昇る気持ち、というのは

[644]こういう気持ちなんだろうか。

[645]ポーッとして

[646]主任さんの顔を眺める。

[647]主任さんはニコッと笑いかけてくれた。

[648]【はつみ】

[649]「わたしは厳しいわよ?

[650] スパルタ方式でやるから、

[651] 落伍しないよう、そのつもりでいなさい?」

[652]【かおり】

[653]「は、はい!!」

[654]これって、主任さんが

[655]わたしを認めてくれたってこと、だよね!?

[656]わたしが頑張ってきたことって

[657]無駄じゃなかったんだよね!?

[658]【かおり】

[659]「わ、わたし、

[660] これからも、もっともっと頑張ります!

[661] だから、もっといろいろ教えてくださいねっ!!」

[662]両手で握りこぶしを作って宣言すると

[663]主任さんは小さく笑ってくれた。

[664]【はつみ】

[665]「ほどほどにね。

[666] 息切れしてリタイヤなんて

[667] 許さないわよ?」

[668]【かおり】

[669]「はいっ!!」

[670]今日はいろいろなことがあった。

[671]自分の部屋に戻って、

[672]わたしは幸せな気分でベッドに入る。

[673]看護の仕事って本当に大変だけれど、

[674]頑張ったわたしを誰かが見ててくれることが

[675]やりがいに繋がるのね。

[676]わたし、もっともっと頑張らないと!

[677]主任さんにもっと認めてもらうために!!

[678]【はつみ】

[679]「さ、バカなことを言っていないで

[680] それを飲んだら部屋に戻りなさい」

[681]【かおり】

[682]「はい……」

[683]バカなことって言われちゃった。

[684]やっぱり、わたしの気持ちって

[685]迷惑だったのかな。

[686]部下として、

[687]ふさわしい気持ちじゃないよね。

[688]【はつみ】

[689]「それはそうと、

[690] 明日話そうと思っていたのだけれど。

[691] 堺さんの転院が決まりました」

[692]【かおり】

[693]「え!?」

[694]【はつみ】

[695]「ご本人の希望で帝都大学医学部付属病院へ、ね。

[696] うちでは治療に限界があるから……

[697] 仕方がないことなのよ」

[698]【かおり】

[699]「……そう、ですか。

[700] 本人の希望なら、

[701] 転院もしょうがないですよね」

[702]【かおり】

[703]「堺さんも、わたしの看護に不満だったようだし、

[704] わたしも堺さんの望む看護を提供できなかったし、

[705] 大学病院なら、堺さんも文句ないですよね」

[706]【かおり】

[707]「転院が決まって、

[708] 堺さん、きっとせいせいしてますよ。

[709] わたしもちょっとホッとしちゃった」

[710]【はつみ】

[711]「…………」

[712]主任さんはじっとわたしを見て、

[713]またため息をついた。

[714]なんだろう……胸騒ぎがする。

[715]このため息、

[716]なんだかすごく意味ありげな気が……。

[717]【はつみ】

[718]「……あなたにとって、

[719] 患者さんというのはその程度なのね」

[720]【かおり】

[721]「え?」

[722]【はつみ】

[723]「前から、そうじゃないかと思っていたけれど、

[724] 今のあなたの言葉でよくわかったわ」

[725]しゅ、主任さん……?

[726]【はつみ】

[727]「あなたにとっては、仕事も患者さんも、

[728] その場を取り繕って、やり過ごせば済む、

[729] その程度のものなのね」

[730]【かおり】

[731]「え……、わたし、

[732] そういうつもりで言ったんじゃ……!」

[733]【はつみ】

[734]「そういう考えだから

[735] 堺さんに受け入れられなかったのよ、

[736] ただでさえ、あの子は人の本質を疑っていたのに」

[737]手のひらの中の、空のカップを

[738]取り上げられた。

[739]【はつみ】

[740]「これはわたしが洗っておくわ。

[741] おやすみなさい」

[742]主任さんはわたしに背中を向けた。

[743]【かおり】

[744]「…………」

[745]わたし、拒絶、された?

[746]きっと、もう何を言っても、

[747]主任さんが振り向いてくれることはない。

[748]主任さんの背中が、わたしを拒絶している。

[749]わたし、主任さんを失望させちゃったんだ……。

[750]【かおり】

[751]「あ、あの……っ、

[752] ハニーミルク、ごちそうさまでした」

[753]【はつみ】

[754]「…………」

[755]【かおり】

[756]「…………」

[757]主任さんはドアが閉まる瞬間まで、

[758]わたしを見てもくれなかったし、

[759]何も言ってもくれなかった。

[760]【かおり】

[761]「…………」

[762]どうしてだろう、

[763]うまく気持ちが伝わらない。

[764]頑張ろうと思う度に、

[765]伝え方が悪くて

[766]自分で台無しにしちゃう……。

[767]堺さんのことだって、そうだったし、

[768]主任さんのことだって……。

[769]わたしの頑張りが足りないのかな。

[770]主任さんの言葉を思い出す。

[771]堺さんは、人の本質を疑っていた、って

[772]そう言ってたっけ。

[773]言葉の意味はよくわからないけれど、

[774]それって、堺さんは最初から

[775]わたしを信じてなくて、

[776]わたしの行動を観察してた、ってこと?

[777]その上で、

[778]わたしが信用ならないって判断したから、

[779]ああいう行動を取った、ということなの?

[780]いずれにしても、わたしが堺さんに

[781]受け入れてもらえなかったのは事実で、

[782]そのせいで、手ひどく拒否されたのもまた事実。

[783]自分では真面目に

[784]仕事をしてたつもりだったのに、

[785]まだまだ仕事に対する認識が甘かったって

[786]ことなのね……。

[787]……けれど。

[788]わたしが主任さんに憧れる気持ちまでも、

[789]主任さんには伝わっていないのかな……。

[790]……わたしの頑張りが

[791]足りてなかった、んだよね。

[792]だから、主任さんも

[793]あんな冷たい目でわたしを見たんだよね。

[794]やり直せるなら

[795]ちゃんと仕事に向き合って

[796]頑張っているわたしを見てもらいたい。

[797]生半可な決心じゃダメ。

[798]心を入れ替えるつもりで、

[799]ちゃんと看護というものを考えなきゃ。

[800]生まれ変わったわたしを

[801]主任さんに見てもらいたい……。

[802]そうしたらきっと、わたしだって

[803]ちゃんと認めてもらえるようになるよね。

white_robe_love_syndrome/scr00612.txt · Last modified: 2013/06/01 22:49 (external edit)