User Tools

Site Tools


white_robe_love_syndrome:scr00418

Full text: 293 lines Place translations on the >s

[001]あ、もうこんな時間。

[002]そろそろ堺さんの点滴を換えないとね。

[003]堺さんのおかげで最近、

[004]早め早めに行動する癖がついちゃった。

[005]それはそれでいいことなんだけど……。

[006]今日は、嫌味を言われないといいなぁ。

[007]あれ?

[008]返事が返ってこない。

[009]【かおり】

[010]「堺さん?

[011] 点滴の交換の時間ですよー?」

[012]やっぱり返事がない。

[013]そっとドアを開ける。

[014]【かおり】

[015]「……あれ、

[016] いない……?」

[017]どうしよう、点滴……。

[018]そろそろ前のボトルがなくなる頃なのに。

[019]それにしても、

[020]堺さんが部屋にいないなんて

[021]珍しいな……。

[022]【かおり】

[023]「どこ行っちゃったんだろう、堺さん……」

[024]待っていれば

[025]その内、戻ってくるのはわかってるけど。

[026]わたしの担当患者さんは

[027]堺さんしかいないんだし、

[028]ちょっと探してみようかな……。

[029]それにしても、いい風が吹いてる。

[030]きっと、どこかの病室で

[031]窓が全開にされてるのね。

[032]廊下を通ってく気持ちのいい潮風に

[033]もしかしたら堺さんも

[034]ふらふらと散歩したくなったのかも。

[035]入院生活なんて

[036]きっと味気のないものだろうし、

[037]ちょっとくらい散歩したくなっても

[038]不思議じゃないもんね。

[039]でも、堺さんは療養上、

[040]病院から出ちゃいけないことになってる。

[041]それは、本人もよくわかってるはずだから

[042]きっと堺さんは院内にいるはず。

[043]相変わらず人が多い……。

[044]こんなところに気晴らしに来るなんて

[045]ちょっと考えにくいかな。

[046]……かといって、

[047]全然関係のない外科病棟に行くのも

[048]考えにくいし……。

[049]【かおり】

[050]「もしかして!」

[051]あ……、いた!

[052]背の高い患者さんが

[053]こちら側に背を向けて立っている。

[054]細い背中。

[055]痩せた背中は、ひどく頼りなげで

[056]思わず抱きしめてあげたくなる。

[057]……でも、いきなり抱きしめたらきっと

[058]ものすごーく怒りそうだよね。

[059]だから、今は

[060]抱きしめてあげたい気持ちを堪えて……。

[061]【かおり】

[062]「何を見てるの?」

[063]声をかけて、そばに寄る。

[064]【さゆり】

[065]「……見てわからないものは

[066] 説明したってわからないわ」

[067]……相変わらずだなぁ、堺さん。

[068]苦笑が出そうになるのを我慢して、

[069]堺さんの視線を追う。

[070]低い建物の向こう、

[071]眩しい太陽の光が反射して

[072]キラキラと輝く青い海が見えた。

[073]【かおり】

[074]「……ここから海が見えるのね」

[075]【さゆり】

[076]「…………」

[077]口に出して言っても、

[078]堺さんからの返事はない。

[079]でも、拒絶はされてないっぽい。

[080]拒絶されていたら

[081]きっと堺さんは何か冷たいことを言うだろうから。

[082]ただふたりで黙って海を眺める。

[083]どこか居心地がいい。

[084]言葉がなくても

[085]何となく、わかり合えている感覚。

[086]錯覚かもしれない。

[087]ううん、錯覚でもいい。

[088]こんな穏やかな時間を共有できるのなら。

[089]【さゆり】

[090]「……あなた、泳ぎは得意?」

[091]突然、質問された。

[092]少しびっくりしたし、

[093]堺さんの質問の意図が見えないけど。

[094]でも……正直に答えるのがいいよね。

[095]【かおり】

[096]「得意……じゃない、かな。

[097] 金づちじゃないけど、

[098] でも、得意というわけでもない、かな」

[099]【かおり】

[100]「そういう堺さんは?

[101] 何だか得意そうに見えるけど」

[102]【さゆり】

[103]「……そう、見える?」

[104]【かおり】

[105]「あ、うん……。

[106] 堺さん、何でもできそうな感じだから……」

[107]【さゆり】

[108]「何でもできそう、……ね」

[109]なんとなく、自嘲するような笑み。

[110]あれ?

[111]地雷だった?

[112]わたしの心配をよそに

[113]堺さんは穏やかな顔で遠くの海を見ている。

[114]【さゆり】

[115]「もうすぐ夏ですね」

[116]飛び飛びの会話。

[117]一見、脈絡がなくても

[118]しゃべっている本人には意味があるのかもしれない。

[119]うん、きっとそうだよね。

[120]【かおり】

[121]「そうだね、

[122] あと二ヶ月もすれば、

[123] 海に入ると気持ちいい季節になるね」

[124]【さゆり】

[125]「そうらしいですね」

[126]【かおり】

[127]「らしい、って?」

[128]また自嘲するような笑いを浮かべている。

[129]気になる……、

[130]目が、離せない……。

[131]【さゆり】

[132]「わたし

[133] 海で遊んだ経験がないのでわかりません」

[134]え?

[135]海で遊んだことがない……?

[136]【さゆり】

[137]「……きっと海で遊ぶ経験もないまま、

[138] わたしは百合ヶ浜を離れることに

[139] なるんでしょうけど」

[140]【かおり】

[141]「…………」

[142]そんなことないよ、って言ってあげたい。

[143]でも、気休めは言いたくない。

[144]気休めを言ったところで

[145]頭のいい彼女には通じないだろうから。

[146]あれから、堺さんの病気、

[147]再生不良性貧血について猛勉強した。

[148]堺さんの骨髄は、何らかの理由で

[149]血液を作らなくなってしまったの。

[150]現状、そんなに病気は進行していない。

[151]だから、輸血で何とか

[152]その場をしのいでいるけれど、

[153]輸血はあくまで対症療法でしかなくて。

[154]今後、堺さんの病状は

[155]少しずつ進行していくはず。

[156]彼女の病気を治すには、

[157]骨髄移植をするしかない。

[158]けれど、骨髄移植は難しい。

[159]第一、ドナーが現れるかどうかも厳しい。

[160]――ドナーが現れなければ

[161]堺さんはいずれ病院内で死ぬことになる。

[162]そして彼女は、それがわかってるの。

[163]わたしは別の話題を探す。

[164]黙っていることに耐えられなくて……。

[165]【かおり】

[166]「……ここ、気持ちいいね。

[167] 堺さんが見つけたの?」

[168]【さゆり】

[169]「いえ、

[170] あの変なあだ名をつけたがる子が

[171] こっそり教えてくれました」

[172]変なあだ名をつけたがる子、って

[173]あみちゃんのことね……。

[174]堺さんったら、あみちゃんを

[175]そういう風に見てたのか。

[176]【さゆり】

[177]「あの子も入院生活でストレスを感じたら

[178] よくここにくるんだって言ってました」

[179]【かおり】

[180]「へぇ」

[181]そっか……、

[182]いつもニコニコしてるあみちゃんは、

[183]堺さんには、自分がストレスを抱えてることを

[184]話したんだね。

[185]……良かった、

[186]屋上のドアが施錠されずに済んで。

[187]【さゆり】

[188]「変な人」

[189]【かおり】

[190]「ほへ?」

[191]【さゆり】

[192]「あなたも。浅田さんも。

[193] 山之内さんとか他のバイトナースを見習って、

[194] 普通にしていればいいのに」

[195]【かおり】

[196]「普通に……してるつもりだけど、

[197] 堺さんにはそうは見えない?」

[198]【さゆり】

[199]「わたしのことなんか

[200] 放っておけばいいのに、

[201] わざわざ面倒なことをしようとして」

[202]放っておけばいい。

[203]面倒。

[204]……すごく、悲しい、言葉。

[205]この子はどうして

[206]こんな風に自分を孤独に追い込むんだろう?

[207]【かおり】

[208]「…………」

[209]わたしはその時

[210]どんな顔をしてたんだろう?

[211]堺さんがクスッと笑った。

[212]【さゆり】

[213]「わたしがここにいたこと、

[214] 主任さんにでも報告しますか?」

[215]【かおり】

[216]「え?」

[217]【さゆり】

[218]「屋上は立ち入り禁止区域でしょう?

[219] どんな理由であれ、

[220] 患者が立ち入ってはいけない場所のはずです」

[221]【さゆり】

[222]「特に、わたしのように難病疾患で入院中の患者は

[223] 絶対に立ち入り禁止、でしょう?

[224] 発作的に自殺する可能性もあるんだし」

[225]わたしは少し考える。

[226]他の患者さんはともかく、

[227]主任さんにそんな報告なんてしたら最後、

[228]堺さんだけは屋上への立ち入りを

[229]禁止されてしまうはず。

[230]そうなったら

[231]難しい病気で息が詰まりそうになっているはずの

[232]堺さんも気晴らしの場所がなくなってしまう。

[233]たしかに、堺さんが

[234]今後、ここから飛び降りないという保証なんてない。

[235]治らなければ助からないかもしれない、

[236]それなのに、治療も難しい病気。

[237]堺さんみたいに強い人でも、

[238]心が折れてしまう時がくるかもしれない。

[239]自殺とまではいかなくても、

[240]うっかり足を滑らせて落ちた、なんてことがあったら、

[241]それこそ病院の存続にかかわる大問題だってわかってる。

[242]けれど。

[243]【かおり】

[244]「看護師であるなら……、

[245] 患者さんの安全を最優先させるべき看護師なら、

[246] 報告するのが当然、なのはわかってるよ」

[247]【さゆり】

[248]「ええ、それが当然ね」

[249]【かおり】

[250]「でも、堺さんの友人として考えると、

[251] 報告はしたくない」

[252]【さゆり】

[253]「…………」

[254]堺さんは驚いた顔をしている。

[255]報告をしない、と言ったことに対してか、

[256]堺さんを友人と言ったことに対してか、

[257]それはわからないけれど。

[258]【さゆり】

[259]「そうね。

[260] 報告をしたら、ここは封鎖されてしまうし。

[261] 他の患者さんに恨まれたくないものね」

[262]【かおり】

[263]「……たしかに、ドアを施錠されちゃうと

[264] ここを癒しの場にしてる患者さんには

[265] 恨まれちゃいそうだよね」

[266]クスッと笑ってから、気がついた。

[267]今の堺さんの言葉って……嫌味だったのかな。

[268]わたし、堺さんの嫌味に

[269]少し耐性がついてきたのかも。

[270]【かおり】

[271]「とにかく、報告はしない。

[272] これは以前から決めていたことなの」

[273]ふっと堺さんは

[274]わたしから顔を背けた。

[275]【さゆり】

[276]「……あなたの好きなようにしたらいい」

[277]【かおり】

[278]「え?」

[279]わたしから顔を背けたまま、

[280]堺さんはわたしの隣をすり抜けるように

[281]ドアへと向かった。

[282]【さゆり】

[283]「点滴はあと三十分ほどで終わるように

[284] クレンメを絞ってあります。

[285] 終わる頃にコールします」

[286]堺さんに取り残された形になった

[287]わたしだけど。

[288]でも、さみしいとは感じなかった。

[289]だって、出て行く間際、

[290]堺さんがホッとした表情を浮かべてたのが見えたから。

[291]意地を張っているけれど、

[292]堺さんもわたしと同じ年代の

[293]ひとりの女の子だってわかったから。

white_robe_love_syndrome/scr00418.txt · Last modified: 2013/06/01 22:49 (external edit)