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white_robe_love_syndrome:scr00411

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[001]【なぎさ】

[002]「沢井、あみちゃん見なかった?」

[003]詰所に入った途端、

[004]なぎさ先輩が声をかけてきた。

[005]【かおり】

[006]「あみちゃんですか?」

[007]そういえば、今日はあまり会ってないような……。

[008]【なぎさ】

[009]「あみちゃん、いなくて、

[010] 昼のバイタル取れてないのよ。

[011] 沢井、手が空いたら、取ってきてくれる?」

[012]【かおり】

[013]「あ、はい。

[014] 今、大丈夫なので、すぐ行ってきます」

[015]【なぎさ】

[016]「ごめんね、よろしくー」

[017]……あみちゃんが

[018]検温の時間にいないのは珍しいかも?

[019]入院生活が長いせいか、

[020]あみちゃんはこちらの事情を考慮して、

[021]回診の時間などはきちんと守って部屋にいてくれる。

[022]それだけじゃなくて、

[023]他の患者さんへのケアもしてくれて、

[024]そういう気配りのできる子、なんだけど……。

[025]【かおり】

[026]「あみちゃーん?」

[027]ひょいと病室を覗く。

[028]でもやっぱり、なぎさ先輩の言った通り

[029]あみちゃんの姿が見えない。

[030]【かおり】

[031]「あれー?

[032] あみちゃん、どこにいるか知らない?」

[033]病室にいたショウちゃんに聞いてみたけれど、

[034]ショウちゃんはフルフルと首を振る。

[035]【かおり】

[036]「そっかぁ、ありがと」

[037]わたしは病室を後にした。

[038]【かおり】

[039]「あ、ひろくん!

[040] あみちゃん知らないかな?」

[041]廊下ですれ違ったひろくんに聞いてみた。

[042]けれど……。

[043]【ひろくん】

[044]「あーみんなら、知ってるよ」

[045]【かおり】

[046]「えっ、ホントに!?

[047] どこにいるの?」

[048]【ひろくん】

[049]「あーみんなら知ってるけど、

[050] どこにいるかは、知らない」

[051]がっくり……。

[052]【かおり】

[053]「あ、ありがと」

[054]んー……、

[055]あみちゃんがよく行くところ……。

[056]行きそうなところ……。

[057]【かおり】

[058]「ここにもいない、かぁ」

[059]ふと目の端に見慣れた人の姿を見つけた。

[060]【かおり】

[061]「あ、山之内さん!

[062] あみちゃん、見かけませんでした?」

[063]【やすこ】

[064]「んー? 見てへんで。

[065] うちはレントゲンフィルム取りに

[066] 地下にも寄ったけど、そこでも会わんかった」

[067]【かおり】

[068]「そう、ですか……。

[069] ありがとうございます」

[070]がっくし……。

[071]ここも空振りかぁ。

[072]もう、一体、どこ行っちゃったんだろう?

[073]うーん……、

[074]心当たりはほとんど探したけど。

[075]後は……どこだろう、トイレとか、かな?

[076]一瞬、トイレを探しに行こうかと思ったけれど、

[077]時計を見て考え直す。

[078]いくらなんでも、

[079]トイレだったらもう病室に戻ってるはずだよね?

[080]なぎさ先輩が行ってから、だいぶ経つだろうし……。

[081]一度、病室に戻ってみようかな?

[082]【かおり】

[083]「あみちゃーん……」

[084]【かおり】

[085]「やっぱ、いないかぁ……。

[086] うーん、一体どこに行っちゃったんだろう?」

[087]ふと見ると、

[088]ショウちゃんが何か言いたげな表情で

[089]わたしをみつめていた。

[090]【かおり】

[091]「ショウちゃん?」

[092]ショウちゃんは何も聞いていないのに

[093]フルフルと首を振っている。

[094]……あ、怪しい。

[095]じっと見ていると、

[096]モゾモゾと居心地が悪そうに

[097]身体をゆすっている。

[098]【かおり】

[099]「ショウちゃん、何か知ってるの?」

[100]【ショウ】

[101]「う……ん、とね……」

[102]【かおり】

[103]「誰にも言わないから、

[104] わたしにだけ教えてくれる?」

[105]【ショウ】

[106]「えっと……えっと」

[107]迷うそぶりをして、

[108]しばらくしてから、ショウちゃんは

[109]コクリとうなずいた。

[110]【ショウ】

[111]「あのね……、

[112] あーみんちゃんはね、

[113] ナイショの場所に行ってるの」

[114]【かおり】

[115]「ナイショの場所?」

[116]ショウちゃんはまたコクンと頷いた。

[117]【ショウ】

[118]「……あのね……、屋上」

[119]【かおり】

[120]「屋上?」

[121]ショウちゃんはわたしの唇に指を当てる。

[122]【ショウ】

[123]「ナイショの場所だから、シーだよ。

[124] お姉ちゃんは仲良しさんだから、

[125] トクベツに教えてあげるの。ナイショだよ?」

[126]思わず、クスッと笑みが漏れる。

[127]ああ、子どもって可愛いな。

[128]【かおり】

[129]「わかった、ナイショね。

[130] 教えてくれてありがとう」

[131]ショウちゃんは

[132]嬉しそうににっこり笑った。

[133]……それにしても、屋上、かぁ。

[134]探してもいないわけだよね。

[135]でも……屋上って、

[136]たしか立ち入り禁止じゃなかったっけ?

[137]わたしは病室を出ると屋上へ向かった。

[138]院内を案内してもらった時、

[139]ここが屋上への階段だと教えてはもらったけれど……。

[140]屋上は使ってないから

[141]むやみに立ち入らないようにって

[142]主任さんに言われたような気がする。

[143]あみちゃん、ホントに屋上にいるのかな?

[144]屋上へ出る扉を押すと、

[145]鍵はかかっていなくて

[146]重いながらもなんとかそこを開けることができた。

[147]あ、あみちゃん!

[148]視線の先にあみちゃんの姿を見つけ、

[149]声をかけようとした。

[150]けれど、わたしが声をかけるより先に、

[151]耳に優しい音色が飛び込んでくる。

[152]この音色、あみちゃんが……?

[153]あみちゃんの手元に

[154]鍵盤楽器が見える。

[155]あみちゃんは、

[156]それをひいているようだった。

[157]わたしは

[158]あみちゃんを驚かせないよう気をつけながら

[159]そっと近づいていく。

[160]わたしの影に気づいたのか、

[161]あみちゃんがふと手を止めて、顔を上げた。

[162]【あみ】

[163]「あ、かおりんさん!」

[164]【かおり】

[165]「ごめんね、お邪魔して。

[166] キレイで不思議な音色の楽器ね」

[167]【あみ】

[168]「えへっ、ありがとうございます。

[169] これが、前に話してた

[170] フォルテールっていう楽器なんですよ」

[171]【かおり】

[172]「へぇ、これがフォルテールなんだ……。

[173] あみちゃんが専攻しているっていう楽器よね?」

[174]【あみ】

[175]「そうなんです!」

[176]あみちゃんは嬉しそうに頷いた。

[177]【あみ】

[178]「病室だと音は出せないから、ここで時々、

[179] 隠れて練習してるんです。 安静にしてなきゃ

[180] いけないのは判ってるんですけど」

[181]【かおり】

[182]「そっか」

[183]音楽のことは、わたしにはわからないけど、

[184]本格的にプロを目指す人たちは、

[185]毎日楽器に触れて練習しないといけないって

[186]聞いたことがある。

[187]一日でもサボると腕が落ちる、って。

[188]きっとあみちゃんも

[189]学校に行けない焦りとか、満足に練習できない不安とか

[190]いろいろあるんだろうな……。

[191]【あみ】

[192]「本当はもっと大きい楽器なんですけど。

[193] さすがに病院には持ち込めないから……。

[194] 携帯サイズとはいっても結構目立つでしょう?」

[195]【かおり】

[196]「そうね、携帯用っていうと、

[197] もっと小さいものをイメージしちゃうもんね。

[198] 鍵盤楽器だからこれくらいが限界なのかも」

[199]【あみ】

[200]「ロールピアノみたいなのがあれば便利なんですけど、

[201] さすがにフォルテールのロールピアノみたいなのは

[202] 見たことがありませんからねぇ……」

[203]あみちゃんはポンと軽く音を鳴らした。

[204]澄んだ音が、夕焼けの空に吸い込まれていく。

[205]【かおり】

[206]「本当に綺麗な音。

[207] なんだか癒される感じ」

[208]【あみ】

[209]「フォルテールは魔導楽器とも呼ばれていて、

[210] 特別な魔力を持つ人でないと、音が出ないんですよ」

[211]【かおり】

[212]「魔力?」

[213]【あみ】

[214]「はい、そう言われてます。

[215] とはいえ、わたしが弾けてるんだから、

[216] 実はそう大したものじゃないかもしれないけど」

[217]【かおり】

[218]「そんなことないと思うよ。

[219] わたし、魔力とかはよくわからないけど、

[220] さっきの演奏、すごく素敵だった」

[221]【かおり】

[222]「あれは、あみちゃんだからこそ出せる音だって、

[223] わたしは思ったよ?」

[224]あみちゃんは少し驚いたような顔で

[225]わたしを見ている。

[226]【あみ】

[227]「……わたしだから出せる、音?」

[228]わたしは力いっぱい頷く。

[229]【かおり】

[230]「そう!

[231] なんだかね『あみちゃんらしい』音だったよ、

[232] うまく言えないんだけど……」

[233]【かおり】

[234]「明るくて、元気で。

[235] でも優しくて、柔らかくて、あったかくて。

[236] ホントに『あみちゃんみたい』って思ったの」

[237]【あみ】

[238]「……うわ、どうしよう……。

[239] すっごく照れる……」

[240]頬を染めたあみちゃんは

[241]恥かしそうに微笑んでくれた。

[242]わたしの言いたいこと、伝わったかな。

[243]【あみ】

[244]「……実はね、フォルテールって

[245] 人の心を映す鏡、とも言われてるんですよ」

[246]【あみ】

[247]「奏者の心が濁れば、音も濁る。

[248] 奏者の心が澄んでいれば、

[249] その音は清らかに澄み渡り、聴衆の心に響く……」

[250]【あみ】

[251]「聴いている人に癒しを与える演奏をするためには

[252] 単に上手くなりたいと思うだけではダメよって、

[253] いつも先生に言われてるんです」

[254]そう言って、

[255]あみちゃんは遠い目をした。

[256]【あみ】

[257]「学苑にいる時は、

[258] わたし、先生の言うことがよく理解できなくて……」

[259]【あみ】

[260]「とにかく技術を上達させなきゃって

[261] 躍起になってたんです。

[262] でも全然上手くならなくて、落ち込んで……」

[263]【かおり】

[264]「そうだったんだ……」

[265]【あみ】

[266]「さっきはね、何も考えずに奏でてたんです。

[267] ただ、夕映えの空や街並みが綺麗だな、

[268] 風が気持ちいいなって、それだけ思って」

[269]【かおり】

[270]「じゃあ、そんなあみちゃんの気持ちが、

[271] 素敵な音に変わってたのね」

[272]【あみ】

[273]「そう、なのかな……。

[274] そうだったら、いいな……」

[275]【かおり】

[276]「絶対そうだよ!

[277] だって本当に、

[278] とっても綺麗で優しい音色だったもの!」

[279]【あみ】

[280]「あはっ、なんか照れちゃう……な。

[281] ……えっと、お礼にっていうのも変だけど、

[282] 何かリクエストがあれば演奏したいなー、なんて」

[283]【かおり】

[284]「えっ、ホント!?

[285] うわーどうしよう。

[286] 何がいいかなぁ……」

[287]突然の提案。

[288]うーん、迷うな……。

[289]好きな曲はたくさんあるんだけど。

[290]この楽器――フォルテールでひいてもらったら

[291]素敵だろうなっていう曲は……。

[292]【かおり】

[293]「じゃあ、『想いの羽根』。

[294] できたら、それがいいな」

[295]【あみ】

[296]「あ、知ってます、その曲。

[297] わたしも……大好き」

[298]【かおり】

[299]「ホント!?」

[300]あみちゃんはにっこりと笑ってくれた。

[301]【あみ】

[302]「じゃあ、かおりんさんのために、

[303] 気合……じゃなくて、心を込めて」

[304]あみちゃんが深呼吸する。

[305]鍵盤に白い指が乗り……。

[306]やわらかな音色と美しい旋律が

[307]ふわりと風に乗って、

[308]軽やかにわたしたちの周りを舞うように流れてゆく。

[309]心地よい音の波に優しく揺られているような感覚に

[310]わたしはうっとりと目を閉じた。

[311]演奏が終わっても

[312]しばらくぼんやりとした感じが抜けなくて、

[313]わたしはボーッとしていた。

[314]【あみ】

[315]「……さん、かおりんさん?」

[316]ハッと我に返ると、

[317]心配そうなあみちゃんの顔がある。

[318]【あみ】

[319]「……もしかして、

[320] 気に入ってもらえませんでした……?」

[321]しょぼん、としたあみちゃんの様子に、

[322]わたしは慌てて頭を振った。

[323]【かおり】

[324]「う、ううん、違うよ!

[325] 気に入らないはずがないよ!

[326] すごかった、すごい演奏だった!」

[327]【かおり】

[328]「すごく綺麗で、心地よくて。

[329] つい我を忘れて聴き入っちゃったの」

[330]【あみ】

[331]「……良かった」

[332]ホッとした様子のあみちゃんに

[333]わたしもまたホッとする。

[334]【かおり】

[335]「プロを目指す人って、すごいね。

[336] 音楽のことなんか全くわからないわたしまで

[337] 問答無用でその世界に引き込んじゃうんだもん」

[338]【あみ】

[339]「プロだなんて……考えたこと……

[340] いえ、ちょっとはあるかもですけど……

[341] もう! かおりんさんったら、褒めすぎですよぅ」

[342]【かおり】

[343]「ううん、本心だよ。

[344] なんだか、わたしも頑張ろうって

[345] 元気が沸いてきちゃった!」

[346]【あみ】

[347]「…………」

[348]あみちゃんが穏やかに微笑んでいる。

[349]大人びた、微笑み。

[350]子どもだって思ってたけど、

[351]この子、こんな表情もできるんだ……。

[352]【かおり】

[353]「よぉし、これで午後も頑張れる――」

[354]【かおり】

[355]「って、あひゃーーーんっ!」

[356]わたしの大声に、

[357]あみちゃんがビクッとする。

[358]【かおり】

[359]「ここにきた理由、忘れてた!

[360] あみちゃん、午後の検温!」

[361]【あみ】

[362]「あ、ごめんなさいっ!

[363] わたしも練習に夢中で忘れてた!」

[364]慌てて楽器をしまうあみちゃん。

[365]【かおり】

[366]「急がなくても大丈夫だから!

[367] ちゃんと待っててあげるから」

[368]【あみ】

[369]「やだ……、かおりんさんってば優しい」

[370]【かおり】

[371]「そーですよー、

[372] かおりんさんは優しい看護師さんなのです」

[373]二人で顔を見合わせて、くすくす笑い合う。

[374]そして、あみちゃんの歩調に合わせてゆっくりと、

[375]わたしたちは屋上を後にした。

[376]詰所に戻ってから、

[377]あみちゃんのバイタルを熱型表に記入しながら、

[378]わたしはあみちゃんの音色を思い出していた。

[379]自然と頬が緩んじゃう……。

[380]【はつみ】

[381]「そういえば、沢井さん。

[382] 浅田さんの検温は済んだの?」

[383]【かおり】

[384]「あ、はいっ」

[385]【はつみ】

[386]「そう。

[387] ところで、彼女、どこにいたのかしら?

[388] 藤沢さんがずいぶん探したそうだけれど……」

[389]【かおり】

[390]「えっと……」

[391]わたしは屋上のことを

[392]主任さんに報告するべきかどうか迷った。

[393]本来、屋上は立ち入り禁止、なんだよね。

[394]立ち入り禁止の場所に患者さんがいただなんて、

[395]しかも、看護師であるわたしが一緒だったなんて、

[396]バレたら大問題になっちゃうかも。

[397]そうならないためには、

[398]主任さんに報告するべきなんだろうけれど……。

[399]主任さんに報告したら、

[400]屋上のドアは施錠されてしまうかもしれない。

[401]そうすると、

[402]あみちゃんの憩いの場がなくなっちゃう。

[403]黙っておくべきか、

[404]主任さんには報告しておくべきか……。

[405]黙っておく

[406]主任に報告する

[407]少し考えたけれど、

[408]屋上のことは黙っておこう。

[409]気持ち良さそうにフォルテールを演奏していた

[410]あみちゃんの姿を思い出す。

[411]屋上のドアが施錠されちゃったら、

[412]あみちゃんに恨まれちゃうかも、だよね。

[413]【かおり】

[414]「えっと……、あみちゃ、いえ浅田さんは……、

[415] あー……、お、お手洗いに行ってたみたいです!

[416] ちょっと長くかかってしまったみたいで……!」

[417]【はつみ】

[418]「お手洗い?

[419] そう……それならいいわ」

[420]主任さんは不審そうな顔でわたしを見たけれど、

[421]それ以上は何も言わず、立ち去っていった。

[422]わたしはふぅっと息を吐く。

[423]こ、これって、後でバレたら

[424]かなり怒られるよね……。

[425]だ、大丈夫、かな?

[426]大丈夫……だよね!!

[427]少し迷ったけれど、

[428]主任さんには報告するべきだよね。

[429]主任さんもきっとわかってくれるだろうし。

[430]【かおり】

[431]「あみちゃ……、いえ、浅田さんは、

[432] その……、あの……、

[433] ……屋上にいました」

[434]【はつみ】

[435]「屋上に?」

[436]【かおり】

[437]「あ、危険なことをしていたとか、

[438] そういうわけではなくて。

[439] 楽器の練習のために立ち入ったみたいです」

[440]【はつみ】

[441]「……そう」

[442]主任さんはなにやら少し考え込んでいる様子だ。

[443]【やすこ】

[444]「屋上て、立ち入り禁止やなかった?

[445] 大丈夫なんですか、主任?」

[446]カルテを書く手を止めた山之内さんが言う。

[447]【はつみ】

[448]「……原則、立ち入り禁止、ね……」

[449]【やすこ】

[450]「そもそも、要安静のネフローゼの子が

[451] 安静を守れてないって状況も

[452] 問題なんと違いますか?」

[453]【はつみ】

[454]「…………」

[455]無言で考え込んでいる主任さん。

[456]うう……、

[457]やっぱり、報告するべきじゃなかったかも……。

[458]【はつみ】

[459]「屋上の柵は少し低くて、転落の危険性があるのと、

[460] 他の院内施設に比べて老朽化している、ということを

[461] あなたは理解していますか?」

[462]うっ……、

[463]そこまでは考えてなかった……!

[464]な、何て答えよう?

[465]でも、主任さんの目は誤魔化せないし、

[466]ウソついてもばれちゃいそうだから、

[467]正直に言うしかないよね……。

[468]【かおり】

[469]「正直言うと、そこまでは考えが至りませんでした。

[470] けれど、入院中の患者さんにとって、屋上が

[471] 癒しの場になっているのは事実だと思います」

[472]【やすこ】

[473]「癒しの場、ねぇ?」

[474]山之内さんが笑っている。

[475]ちょっとイジワルな感じがするのは

[476]わたしの気のせいかな。

[477]ううん、気のせいじゃない、

[478]山之内さん、呆れてる……。

[479]【やすこ】

[480]「……もし、誰かが屋上から飛び降りた、としたら、

[481] 責任を取るのは誰でしょう?」

[482]【かおり】

[483]「え……」

[484]ギクリとする。

[485]【やすこ】

[486]「飛び降りる、やのうて、

[487] 柵に近寄って、足を滑らせて転落、でもええよ。

[488] さて、誰が悪いんでしょう?」

[489]【かおり】

[490]「…………」

[491]【やすこ】

[492]「飛び降りたんも患者の責任、

[493] 足滑らせたんも患者の責任、

[494] せやけど、外部の人間はそうは見んやろ」

[495]【やすこ】

[496]「『病院の管理不行き届き』、

[497] 連日、マスコミに叩かれ、悪評立てられて、

[498] 百合ヶ浜総合はゴースト・ホスピタル一直線や」

[499]【かおり】

[500]「そ、そんな……」

[501]【やすこ】

[502]「一般人は病院っちゅーもんに

[503] クリーンなイメージを求めとる。

[504] イメージダウンは即・経営悪化に繋がる」

[505]【やすこ】

[506]「患者の癒しも結構やけど、

[507] その代償が、患者の転落事件と、

[508] それに伴う風評被害じゃあ、割りに合わん」

[509]山之内さんの言葉に、

[510]主任さんが決意を固めたらしい。

[511]【かおり】

[512]「じゃあ、あみちゃんはどうしたら……」

[513]不安に思って主任さんを見ると、

[514]主任さんは少し申し訳なさそうな顔をしてから、

[515]いつもの毅然とした表情でわたしを見返してきた。

[516]【はつみ】

[517]「浅田さんは、この病院に

[518] 治療のために入院しているの。

[519] 楽器の練習や癒しのための入院ではないわ」

[520]【かおり】

[521]「で、でも……!」

[522]【はつみ】

[523]「そもそも、浅田さんは安静治療中です。

[524] 屋上への立ち入りをみすみす見逃したばかりか、

[525] ベッドにいない理由を正当化しようだなんて……」

[526]【はつみ】

[527]「患者さんと馴れ合うのもいいけれど、

[528] あなたは看護師なのよ。

[529] 看護の本質を忘れてはだめ」

[530]【かおり】

[531]「…………」

[532]【はつみ】

[533]「今日限りで、屋上へ続くドアは施錠します。

[534] よって今後は関係者の許可がない限り、患者さんの

[535] 屋上への立ち入りは厳重に禁止とします」

[536]【はつみ】

[537]「浅田さんの楽器の練習については、

[538] 彼女の病状が良くなるまでは保留。

[539] ……わかったわね?」

[540]【かおり】

[541]「…………」

[542]理屈はわかる。

[543]けれど、感情が納得しない。

[544]それなのに、これで会話は終了だとでも言うように、

[545]主任さんはふいっと顔を逸らすと、

[546]そのまま詰所を出て行ってしまった。

[547]わたしは……。

[548]【やすこ】

[549]「ま、そういうこっちゃ。

[550] 今回は沢井が全面的に悪い。

[551] 何かあってからでは遅いんやで?」

[552]山之内さんが

[553]わたしの肩をポンポンと叩いて

[554]主任さんの後を追って詰所を出て行く。

[555]わたしの不注意で

[556]あみちゃんから癒しの場を取り上げたことに

[557]なってしまった……。

[558]【かおり】

[559]「……あみちゃん……」

[560]だから、あみちゃんに謝ろうと思ったんだけど……。

[561]306号室から、

[562]主任さんの声が聞こえてくる。

[563]【はつみ】

[564]「……というわけで、浅田さんには

[565] しっかりと安静を守ってもらわないといけないの。

[566] 安静にしなければ、治るものも治らないわ」

[567]【はつみ】

[568]「入院生活が退屈なのはわかるし、楽器の練習を

[569] したくて焦る気持ちもわかるけれど、あなたの病気は、

[570] 安静にすることがとても重要なの」

[571]【あみ】

[572]「……っく……」

[573]あみちゃん……、泣いてる?

[574]【はつみ】

[575]「前回の入院は、ストレス性の腹痛だったし、

[576] 他に屋上に立ち入っている患者さんはいなかったから

[577] わたしたちも大目に見ていたわ」

[578]【はつみ】

[579]「けれど、今回の入院はネフローゼでしょう?

[580] それに、他の患者さんも屋上の存在に気づき始めた」

[581]【はつみ】

[582]「こうなったらもう封鎖するしかないの。

[583] わかるわね?」

[584]【あみ】

[585]「……はい……」

[586]【はつみ】

[587]「大丈夫よ、病状が安定したら、

[588] 看護師の観察つきで屋上にあがる許可を

[589] 出してあげるから……今は我慢してくれるわね?」

[590]【あみ】

[591]「……はい、すみませんでした……」

[592]あみちゃん……。

[593]結果的には、あみちゃんが安静を守れるようになって

[594]あみちゃんの治療的には良かったのかも……。

[595]けれど。

[596]……後味はあまり良くない……。

[597]【かおり】

[598]「…………」

[599]屋上で、さわやかな風に吹かれながら

[600]フォルテールを演奏していたあみちゃんの

[601]楽しそうな顔がまぶたに浮かんで、

[602]そして、消えた。

white_robe_love_syndrome/scr00411.txt · Last modified: 2013/06/01 22:49 (external edit)