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white_robe_love_syndrome:scr00405

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[001]【なぎさ】

[002]「沢井、今日306号室、エントあるよね、

[003] 準備できた?」

[004]なぎさ先輩に言われて、わたしはコクンと頷いた。

[005]『エント』っていうのは、

[006]退院って意味のドイツ語だってもう知ってるもんねー。

[007]【かおり】

[008]「こはくちゃんですね。

[009] もうエント処方も上がってきてます。

[010] 昼食後、ご両親がお迎えに来るんですって」

[011]【なぎさ】

[012]「そっかー。桔梗ちゃんもこむやんも退院して、

[013] 騒がしい子ども部屋もずいぶん静かになったよね。

[014] みんな、またさみしがるだろうね……」

[015]【かおり】

[016]「ですねぇ……」

[017]306号室の子どもたちって、みんなとても仲良しで、

[018]いつも一緒に遊んでいたのに。

[019]それがここのところ立て続けに退院があって、

[020]六人部屋が今は四人になった。

[021]そして今日、また一人退院する予定。

[022]退院は嬉しいことだし、喜ばしいことだけれど……。

[023]夕食の食事摂取量が

[024]また少し減っちゃわないか、ちょっと心配だなぁ。

[025]わたしはこはくちゃんのカルテを机に出し、

[026]レントゲンフィルムや心電図がそろっているか、

[027]最終チェックをした。

[028]これらは患者さん本人が退院して

[029]病棟からいなくなってから、

[030]事務室やレントゲン室に返却する予定なの。

[031]ふと、時計を見た。

[032]そろそろお昼も終わる頃かな。

[033]【かおり】

[034]「なぎさ先輩、306号室いってきます」

[035]【なぎさ】

[036]「オッケー!

[037] 退院指導の最終確認もよろしくね」

[038]【かおり】

[039]「はーい」

[040]【こはく】

[041]「あっ、看護婦のお姉ちゃん!」

[042]病室に入った途端、

[043]元気なこはくちゃんの声に迎えられた。

[044]お迎えにきたご両親に甘えて

[045]いつもよりとってもいい笑顔!

[046]【かおり】

[047]「こはくちゃん、退院おめでとう」

[048]【こはく】

[049]「ありがとう!!」

[050]こはくちゃんのご両親に軽く頭を下げ挨拶をすると、

[051]わたしはオーバーベッドテーブルに資料を載せた。

[052]【かおり】

[053]「一昨日と昨日もお話したんだけど、

[054] 退院してからのこと、

[055] 最後に一応、確認しておくね」

[056]【こはく】

[057]「退院してからのこと?」

[058]【かおり】

[059]「うん、そうだよ。

[060] こはくちゃんの病気は

[061] 完全に治る病気じゃないから」

[062]【かおり】

[063]「おうちに帰っても

[064] 注意しなくちゃいけないことがいくつかあるの。

[065] それ、覚えてるかな?」

[066]こはくちゃんは一型糖尿病で、

[067]退院しても、食事管理やインスリン注射の継続など

[068]自分で頑張らなければいけないことがいくつかあった。

[069]もちろん、ご両親に対してそれらの指導は

[070]ちゃんと行われているけれど、本人の理解度が

[071]予後を左右するものだから、小さい子だからといって

[072]教育をおざなりにはできない。

[073]【こはく】

[074]「んーと……」

[075]こはくちゃんは顔を上げると、

[076]何かを考えながらひとつずつ指を折った。

[077]【こはく】

[078]「えっと、ご飯は決められたものを食べること。

[079] 決められたもの以外を食べちゃいけないこと。

[080] あと、風邪を引かないこと?」

[081]【かおり】

[082]「うん、そう。

[083] あと学校でもやってほしいことがあるんだけど

[084] それも聞いてるかな?」

[085]【こはく】

[086]「あ、聞いたよ。

[087] えと、けっとーちを測ることとか

[088] お注射を自分で打つこととか」

[089]【かおり】

[090]「そうそう。

[091] やり方はちゃんと覚えてる?」

[092]【こはく】

[093]「うんっ!」

[094]にっこりと笑って頷くこはくちゃん。

[095]小さな子どもには、大変なことが多いけれど

[096]これを頑張って守らないと

[097]悪化して、もっとひどい状態になってしまうから、

[098]心を鬼にして、理解してもらわないといけないの。

[099]【こはく】

[100]「でも……学校にキャンデーを持っていって

[101] 本当にいいの?」

[102]【かおり】

[103]「うん、ちゃんと学校にも連絡してるから。

[104] でも見せびらかしたりしちゃダメだよ?

[105] 他の子とケンカになっちゃうからね?」

[106]【こはく】

[107]「うん、わかってる!

[108] お注射は保健室でするんだよね!」

[109]【かおり】

[110]「そうそう。

[111] お注射は、もう自分でできるだろうけど、

[112] 小学校の間は、保健の先生に見てもらってね」

[113]うん、と頷いてから、

[114]こはくちゃんは持ってきた資料の中から、

[115]ホチキスで閉じられた冊子を引っ張り出した。

[116]【こはく】

[117]「ねぇねぇ、この漫画、

[118] お姉ちゃんが描いたの?

[119] 『とうにょうびょうのこころえ』

[120]こはくちゃんが声に出して表紙を読んでいる。

[121]【こはく】

[122]「もしかして、これ、

[123] あたしの顔だよね?」

[124]こはくちゃんが指差す女の子のイラストは、

[125]こはくちゃんの特徴をよく捉えていた。

[126]【かおり】

[127]「よくわかったね。

[128] これは、こはくちゃんだよー?」

[129]【こはく】

[130]「わぁ、すごい!

[131] あたしが漫画になってる!」

[132]歓声をあげるこはくちゃんを、

[133]ご両親はニコニコと嬉しそうに見守っていた。

[134]【かおり】

[135]「それは漫画がすごく上手な看護師のお姉ちゃんが

[136] こはくちゃんのために描いてくれた漫画なの。

[137] あ、わたしもちょっと手伝ったんだよ」

[138]【こはく】

[139]「わぁ、嬉しいな!」

[140]山之内さんの描いたイラストは上手で、

[141]しかもこはくちゃんを主人公にした

[142]漫画仕立てになっていて、

[143]読み物としても普通に面白い。

[144]もちろん、わたしもお手伝いしたんだけど、

[145]こんな風に予想以上に喜んでもらえると

[146]とても嬉しくなる。

[147]【かおり】

[148]「詳しいことはこの漫画に書いてあるから、

[149] おうちでも、きちんと読んでおいてね」

[150]【こはく】

[151]「はぁい!」

[152]こはくちゃんは元気にそういうと、

[153]ぴょんとベッドから飛び降りた。

[154]【こはく】

[155]「ねぇねぇ、

[156] あーみんちゃん、これ見て!」

[157]こはくちゃんはあみちゃんのベッドへ駆けていき

[158]その資料を嬉しそうに見せていた。

[159]【あみ】

[160]「うわー、すごいねー!

[161] こはくちゃんが漫画になってるね。

[162] しかも、主人公だねー」

[163]【こはく】

[164]「えへへ〜っ」

[165]照れたように笑うこはくちゃん。

[166]それを微笑みながら見守るあみちゃん。

[167]【こはくの母】

[168]「こはく、そろそろ帰りましょう」

[169]【こはく】

[170]「うんっ」

[171]【こはくの母】

[172]「じゃあ、病室のみんなにさよなら言って」

[173]【こはく】

[174]「え?」

[175]【こはくの母】

[176]「お世話になりましたって」

[177]【こはく】

[178]「さよなら……?」

[179]首をかしげたこはくちゃんの目に、

[180]大粒の涙が浮かんだかと思うと、

[181]ポロポロと頬を伝って零れ落ちた。

[182]【かおり】

[183]「こ、こはくちゃんっ!?」

[184]【こはく】

[185]「あたし、あたし……

[186] みんなとお別れするのいやだーーーっ!」

[187]大声で泣いて、あみちゃんにしがみついてしまう。

[188]【あみ】

[189]「こはくちゃん……」

[190]【こはく】

[191]「あーみんちゃんや、みんなと一緒にいたい!

[192] みんなで一緒に退院したいよーっ!」

[193]【かおり】

[194]「こはく、ちゃん……」

[195]こはくちゃんの気持ちはすごくよくわかる。

[196]一緒に病気と闘っている仲間。

[197]みんなで支え合って、はげまし合って、

[198]時には泣いたり笑ったりしてきた子どもたち。

[199]退院することは嬉しいけれど、

[200]そんなみんなと離れるのは

[201]とてもさみしいことのはず……。

[202]【あみ】

[203]「こはくちゃん。

[204] 退院しても、時々はここに遊びにきて?

[205] 定期健診のときとか、ね?」

[206]慰めるあみちゃんの目も、涙で潤んでいる。

[207]【こはく】

[208]「うん……、来る……」

[209]【あみ】

[210]「そしたら、こはくちゃんに会えるし、

[211] その時はまた一緒に遊べるよ」

[212]【こはく】

[213]「……うん」

[214]【あみ】

[215]「ナースさんたちも、みんなここで働いてるから

[216] こはくちゃんが来たくなったら、

[217] ここでまた会えるよ?」

[218]【こはく】

[219]「うん……」

[220]【ひろくん】

[221]「こはく、ばっかでー!」

[222]そんなことを言いながら、

[223]ひろくんは自分のベッドの上でそっぽを向いている。

[224]【ひろくん】

[225]「退院するのに、泣くなんてばっかじゃねー?

[226] 退院は嬉しいことなんだぞ!」

[227]【こはく】

[228]「ひろくん……」

[229]【ひろくん】

[230]「もう戻ってくんなよなっ!」

[231]【こはく】

[232]「ふぇっ……」

[233]ひろくんの乱暴な言葉に、

[234]こはくちゃん、また泣きそうになってる。

[235]【ひろくん】

[236]「ば、バッカ!

[237] 会いたくないって言ってんじゃないんだからなっ!

[238] もう入院すんなって意味だぞ、ゴカイすんな!!」

[239]【こはく】

[240]「ふぇっ……、ふぇぇ……」

[241]【ひろくん】

[242]「……た、退院したら、遊びに来いよなっ!」

[243]そう言うが早いか、

[244]ひろくんは布団に潜り込んでしまった。

[245]……そっか、

[246]ひろくんもさみしいのね……。

[247]【こはく】

[248]「ひろくん……ありがと……」

[249]【あみ】

[250]「みんな、こはくちゃんがいなくなるとさみしいけど、

[251] こはくちゃんの退院は、すごく喜んでいるんだよ。

[252] だから、元気でね」

[253]【こはく】

[254]「うんっ」

[255]【こはくの母】

[256]「じゃあ、行きましょう。

[257] みなさんお世話になりました」

[258]パパとママの手を握りながら、

[259]こはくちゃんは病室を出てゆく。

[260]【あみ】

[261]「元気でね」

[262]【こはく】

[263]「お姉ちゃんも、またね……」

[264]涙に濡れた頬を上げて、

[265]こはくちゃんはにっこりと微笑むと、

[266]バイバイと手を振ってくれた。

[267]ひろくんは布団に潜ったままで、

[268]他の子たちは少しさみしそうな表情で廊下に出て、

[269]去ってゆくこはくちゃんへと手を振り返す。

[270]こはくちゃんのご両親は軽くわたしに目礼し、

[271]最愛の娘の手を引いて去っていった。

[272]【あみ】

[273]「……さみしいけど、

[274] 退院できて良かったんですよね、こはくちゃん」

[275]【かおり】

[276]「うん。喜ぶべきことだよ。

[277] ここのみんなも、こうやっていつか元気になって

[278] 退院していくんだよ」

[279]【あみ】

[280]「そうですね」

[281]病室はなんとなく

[282]しんみりした雰囲気になっている。

[283]けれど、こんな風に

[284]元気になって退院していく子がいるということは、

[285]きっとみんなの励みになるはず。

[286]【かおり】

[287]「さーて!

[288] みんなお昼ごはん、いっぱい食べたかな?

[289] 看護師のお姉ちゃんに食事量、教えてね!」

[290]さみしい空気を吹き飛ばすように、

[291]わたしは元気の良い声を出した。

white_robe_love_syndrome/scr00405.txt · Last modified: 2013/06/01 22:49 (external edit)