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white_robe_love_syndrome:scr00319

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[001]記録を書く。

[002]これが意外と難しい。

[003]学校でも習ったし、

[004]勤務を始めて一ヵ月半になるってのに、

[005]何て書いたらいいのか、全然、言葉が出てこないっ!!

[006]響き渡るナースコール。

[007]自分以外に誰もいないせいか、

[008]やけに大きく――まるで『早く出ろ』って

[009]催促してるみたいに聞こえる。

[010]【かおり】

[011]「はーい、どうされましたー?」

[012]【あみ】

[013]「……すみません。

[014] 間違って押しちゃいました……」

[015]【かおり】

[016]「はーい」

[017]たまに、こんな風に

[018]ナースコールの押し間違いってのがある。

[019]いつも『どんな内容だろう』とか、

[020]『急変だったらどうしよう』とか身構えちゃうから、

[021]コールを取る身としては

[022]ちょっと拍子抜けするのは否めない……んだけど。

[023]でも、何もなかったんだって思うと、

[024]それはそれで良いことだよね。

[025]【かおり】

[026]「ふむむ……」

[027]……けど。

[028]今のあみちゃん、元気がなかった……よね。

[029]【かおり】

[030]「うーん……」

[031]目の前には真っ白な記録。

[032]そして、

[033]元気がなかったあみちゃんの声。

[034]ちょっと気になるから、

[035]様子を見てこようかな。

[036]記録は……その後で、ね。

[037]少し気分転換したら

[038]書けるようになるかもしれないし。

[039]【かおり】

[040]「……ん?」

[041]突き当たりにある非常口の傍、

[042]あみちゃんのいる306号室の側、

[043]一番奥の二人部屋が308号室。

[044]廊下を挟んで、

[045]同じく一番奥の個室が310号室。

[046]いつもはぴったりと閉じられている310号室のドアが、

[047]今日に限って、ちょっと開いている。

[048]【はつみ】

[049]「特に、一番奥の310号室の患者さんは

[050] いろいろと難しい人だから、

[051] あなたは対応しなくてもいいわ」

[052]……どうしよう。

[053]306号室に行く前に、

[054]ちょっとだけ310号室を覗いてみようか……?

[055]覗いてみる

[056]やめておこう

[057]取り敢えず、310号室の前まで来てみた。

[058]やっぱりドアが開いている。

[059]ドアの向こうに人の気配がする。

[060]どうやら、廊下の様子を伺っていたらしい。

[061]ネームプレートを見る。

[062]『若本まゆき』

[063]……どんな人なんだろう?

[064]好奇心が膨れ上がってゆく。

[065]【はつみ】

[066]「特に、一番奥の310号室の患者さんは

[067] いろいろと難しい人だから、

[068] あなたは対応しなくてもいいわ」

[069]うう、

[070]ゴメンナサイ、主任さん!

[071]でも、

[072]何だかすっごく……若本さんのことが

[073]気になるんです!!

[074]一応、ノックをしてみた。

[075]【かおり】

[076]「……あれ?」

[077]人の気配がしてたのに、返事がない。

[078]不思議に思ってドアノブに手をかけようとした途端、

[079]ドアがスーッと開いた。

[080]【まゆき】

[081]「…………」

[082]こ、子供!?

[083]年の頃は小学校の高学年くらいか、

[084]せいぜい中学生くらい……かな?

[085]【まゆき】

[086]「廊下の風は冷たい。

[087] ドアを閉めてくれないか」

[088]【かおり】

[089]「あっ、ごめんなさい!」

[090]慌てて、ドアを閉めてしまってから、

[091]ハッと我に返る。

[092]部屋の内側からドアを閉めちゃった、ということは、

[093]主任さんが難しい患者さんだと言った

[094]要注意患者さんの部屋に

[095]うっかりと入ってしまったというわけで……。

[096]後ろを振り返ると、

[097]若本さんが興味深そうに

[098]こちらを見ている。

[099]【まゆき】

[100]「おまえ、新入りだな。

[101] 名前は?」

[102]【かおり】

[103]「はっ!

[104] さ、沢井かおりと申します!!

[105] この4月から働かせてもらっていましゅ!!」

[106]【まゆき】

[107]「……働き始めてまだ一月半か。

[108] どうだ、仕事には慣れたか?」

[109]あれ?

[110]難しい患者さんだって言うくらいだから、

[111]どれくらい偏屈なのかって思ってたけど……

[112]それほどでもない……?

[113]難しい疾患の子供の患者さん、って

[114]意味だったのかな?

[115]【かおり】

[116]「え、っと……まだ戸惑うことは多いけど、

[117] 先輩たちが優秀だから、おむつ交換とか

[118] 何度もやることはかなり慣れたと思う……かな」

[119]【まゆき】

[120]「そうか。

[121] それは何よりだ」

[122]若本さん……まゆきちゃんは

[123]にこりと大人びた微笑みを浮かべた。

[124]なぁんだ、

[125]主任さんが言うほどの要注意患者さんじゃ

[126]なさそうじゃない?

[127]そうホッとする反面、

[128]こんなに小さい子なのに、

[129]表情だけでなく、話し方まで

[130]大人びているのが気になった。

[131]【かおり】

[132]「…………」

[133]――でも、入院期間が長いと、

[134]大人ばかりの中で育つことになるし、

[135]こういう言動になるのも仕方がないのかもしれない。

[136]【まゆき】

[137]「ああ、一方的に自己紹介をさせたままなのは

[138] 公平ではないな。

[139] わたしの名前は……」

[140]【かおり】

[141]「知ってるよ、若本まゆきちゃん、だよね!

[142] 新人だけど、わたしも一応はこの病棟の一員だから、

[143] 患者さんの名前くらいは全員覚えてるよ」

[144]なーんてね、

[145]さっき、ネームプレートを見て確認しただけなんだけど、

[146]そこまで正直に言う必要はないよね。

[147]【まゆき】

[148]「その割には、

[149] わたしの顔は知らなかったようだが?」

[150]イジワルっぽい表情で、

[151]まゆきちゃんのツッコミが入った。

[152]うっ、痛いところを……!

[153]【かおり】

[154]「……失礼な言動があるかもしれないから、

[155] 対応しないように言われてて……」

[156]【まゆき】

[157]「ああ、

[158] あの大塚はつみなら、そう言うだろう」

[159]何だか嫌な言い方……。

[160]しかも、

[161]主任さんの名前をフルネームで呼び捨てにするなんて。

[162]【かおり】

[163]「あの……、

[164] まゆきちゃんは、主任さんが嫌い……なの?」

[165]【まゆき】

[166]「ああ、嫌いだ」

[167]【かおり】

[168]「…………」

[169]バッサリ、一刀両断された気分。

[170]たしかに主任さんは厳しいから、

[171]小児患者から人気があるとは言えないけど……。

[172]【かおり】

[173]「でも、主任さんは患者さんのことを

[174] すごく考えてくれてる人だから、

[175] あんまり嫌わないであげてね」

[176]【まゆき】

[177]「……嫌いなものを無理に好きになろうとは思わない」

[178]さっき以上にバッサリぶった切ってから、

[179]ぷいっとそっぽを向くまゆきちゃん。

[180]うーん、

[181]かなりきつい叱られ方でもしたのかなぁ?

[182]大人びてはいるけど、

[183]こういう頑固さは、子供なのかも。

[184]【まゆき】

[185]「う……っ!」

[186]不意にまゆきちゃんの顔が歪んだ。

[187]【かおり】

[188]「どうしたの!?」

[189]【まゆき】

[190]「な……何でもない……。

[191] ……いつもの頭痛だ」

[192]【かおり】

[193]「お薬はないの!?」

[194]【まゆき】

[195]「無駄だ……薬物は効かない……」

[196]咄嗟に手を伸ばして、

[197]まゆきちゃんを抱き寄せた。

[198]【かおり】

[199]「…………」

[200]深呼吸して、

[201]まゆきちゃんの頭痛が治まることを祈りながら、

[202]彼女の小さな頭を何度も撫でる。

[203]いろんな人に言われてる『癒しの手』なんて、

[204]ただのプラセボだって今でも思ってる。

[205]でも、そのプラセボで、

[206]薬も効かない頭痛を少しでも和らげることが

[207]できるのなら……!!

[208]その一心で、

[209]まゆきちゃんの頭を撫でた。

[210]【まゆき】

[211]「……驚いた……」

[212]【かおり】

[213]「まゆきちゃん?」

[214]【まゆき】

[215]「おかげで楽になった。

[216] ……ありがとう……」

[217]にっこりとまゆきちゃんが笑う。

[218]年齢よりも大人びている口調は、

[219]やっぱり病院暮らしが長いから……なんだね。

[220]だって、微笑んだら

[221]こんなにも歳相応で可愛いらしいんだから!

[222]【まゆき】

[223]「……これからも

[224] 時々は遊びに来てくれるか?」

[225]【かおり】

[226]「うん、約束はできないけど、

[227] それでも良いなら」

[228]【まゆき】

[229]「新人看護婦が

[230] そう忙しいとも思えないのだが」

[231]む。

[232]馬鹿にされた!?

[233]【かおり】

[234]「新人だからこそ、忙しいの!

[235] ひとつの行動に時間がかかるし、

[236] 覚えなきゃいけないことも多いし!!」

[237]【まゆき】

[238]「まぁ、そう怒るな。

[239] わたしは『厄介な患者』なのだから、

[240] 言動に気をつけるよう、主任に言われただろう?」

[241]【かおり】

[242]「はふっ!!」

[243]そうだった!!

[244]言動には注意しないと!!

[245]相手が子供であっても、

[246]まゆきちゃんは『要注意患者さん』だもんね!

[247]【まゆき】

[248]「まぁ良いだろう。

[249] ……ところで、おまえは何か用事が

[250] あったのではないのか?」

[251]はっ、あみちゃん!!

[252]【かおり】

[253]「ご、ごめんね!

[254] わたしは仕事に戻るけど、

[255] 何かあったら遠慮なくナースコールしてね!」

[256]【まゆき】

[257]「ああ」

[258]部屋を出ようとする寸前、

[259]まゆきちゃんにお礼を言われた。

[260]【まゆき】

[261]「では、な。

[262] 頭痛を癒してくれて、ありがとう」

[263]【かおり】

[264]「どういたしまして」

[265]【かおり】

[266]「うーん……」

[267]まゆきちゃん、不思議な子……。

[268]あっ、あみちゃんの様子を見てこなきゃ!

[269]【かおり】

[270]「こんにちはー」

[271]まっすぐ、あみちゃんのベッドへ向かう。

[272]【あみ】

[273]「か、かおりんさん!?

[274] さっきのコールは間違いだって……」

[275]【かおり】

[276]「うん、でも、ちょっと気になったから……」

[277]【あみ】

[278]「か、かおりんさん……優しい」

[279]あみちゃんが涙目になってる。

[280]【あみ】

[281]「でも、本当に何もないんですよ。

[282] うっかり肘が当たっちゃったみたいで」

[283]【かおり】

[284]「……そうなの?」

[285]用心深く、あみちゃんを見る。

[286]うーん……、

[287]いつもと変わりはないみたい。

[288]やっぱ気のせいだったのかな。

[289]【かおり】

[290]「それならいいの。

[291] 確認に来ただけだから」

[292]【あみ】

[293]「えー、もう帰っちゃうんですかー?

[294] もうちょっとお話しましょうよぅ」

[295]甘えた口調で引き止めるあみちゃんの手を

[296]やんわりと引き剥がす。

[297]【かおり】

[298]「ごめんね、

[299] まだ記録が終わってなくて……」

[300]【あみ】

[301]「そ、そうですよね。

[302] ワガママ言っちゃってゴメンナサイ」

[303]ペロッと舌を出すあみちゃんの頭を

[304]軽く撫でてあげてから、

[305]私は詰所に戻った。

[306]【かおり】

[307]「ふぐぅ……」

[308]主任さんだって言ってたもんね、

[309]難しい患者さんだって。

[310]後ろ髪を引かれながらも、

[311]310号室までは行かず、

[312]手前で曲がって、306号室に入る。

[313]【かおり】

[314]「こんにちはー」

[315]まっすぐ、あみちゃんのベッドへ向かう。

[316]【あみ】

[317]「か、かおりんさん!?」

[318]【かおり】

[319]「えへ、来ちゃった」

[320]【あみ】

[321]「え……、

[322] でも、忙しいんじゃ……」

[323]戸惑った表情をしてる。

[324]やっぱり、ちょっと元気がないみたい。

[325]……来て良かった。

[326]【かおり】

[327]「うん。わたしはまだまだ新人だし、

[328] できることが少ないから……

[329] だから来たの」

[330]【かおり】

[331]「おむつ交換とか誰でもできる仕事の時間以外は

[332] 割と時間は融通できるんだよね。

[333] さっきも詰所でひとり、記録書いてただけだし」

[334]【あみ】

[335]「記録……?」

[336]【かおり】

[337]「うん、看護記録」

[338]わたしの言葉に

[339]興味をそそられたらしい、

[340]あみちゃんが、いつもの表情になる。

[341]【あみ】

[342]「それって何ですか?」

[343]【かおり】

[344]「んと、看護記録っていうのはね、

[345] 患者さんの入院中の様子とか、ケアしたことを

[346] 記録して、後の人のために残しておくものなの」

[347]【かおり】

[348]「ナースコールがあったら、何時にどういう用件で、

[349] それに対して、どういうケアをしたのか記録すれば、

[350] 後からあの時はどうだったかがわかるでしょう?」

[351]【あみ】

[352]「それじゃ、さっきのわたしのコールも……」

[353]【かおり】

[354]「うん。後で記録に書くよ。

[355] 『間違いだと言うも、声に元気がない。

[356] 念のため訪室する』……とかね」

[357]【あみ】

[358]「へー……。

[359] じゃあ、ここに来てる今のことも……?」

[360]【かおり】

[361]「もちろん!

[362] こうやって直接、見にきたんだし、

[363] それは記録に残すべきことだからね」

[364]【あみ】

[365]「そうなんですかー……」

[366]【かおり】

[367]「でも、あみちゃんのことが心配だったのは本当。

[368] さっき、ちょっと声が元気ないなって思って……」

[369]【あみ】

[370]「かおりんさん……、

[371] あんなちょっとした会話で

[372] わかったんですか?」

[373]怪訝そうな顔のあみちゃんに、

[374]にっこりと微笑みかけた。

[375]【かおり】

[376]「わかった、っていうか……。

[377] なんかいつもと違うなーって思ったの。

[378] あみちゃんは、ホラ、いつもニコニコしてるから」

[379]【あみ】

[380]「……そうですね。

[381] 心配かけちゃって、ごめんなさい」

[382]ニコッと、

[383]はにかむようにあみちゃんが微笑む。

[384]どこが、とは詳しくは言えないんだけど、

[385]胸の奥で違和感を覚えた。

[386]……何かが……変だよね……。

[387]【かおり】

[388]「……無理して笑わなくてもいいんだよ?」

[389]ハッと我に返ると、

[390]言葉が口をついて出てしまった後だった。

[391]【あみ】

[392]「え?」

[393]あみちゃんが驚いた顔でわたしを見てる。

[394]……仕方がない。

[395]いい機会だから、

[396]胸の中に小さな棘のように引っかかってたことを

[397]ちょっとだけ言ってみようかな。

[398]【かおり】

[399]「無理に我慢しなくてもいいんだよ……。

[400] 辛い時は辛いって言っても良いし、

[401] 無理して笑う必要はない……って思うよ」

[402]【あみ】

[403]「…………」

[404]【かおり】

[405]「そりゃ、こっちも仕事だから、

[406] ワガママは聞いてあげられないけど……

[407] でも、だからって無理させたいわけじゃないの」

[408]【あみ】

[409]「……お母さん……母は、

[410] 『笑う門には福来る』って言ってました」

[411]【かおり】

[412]「うん、それも一理あるとは思うけど、

[413] ……でも、楽しくもないのに笑ってばっかりじゃ

[414] 心が疲れちゃうでしょ」

[415]【かおり】

[416]「入院しなきゃいけないほど弱ってる時に、

[417] 無理をしてまで、自分を疲れさせることを

[418] しないでもいいんじゃないかなって……」

[419]【あみ】

[420]「…………」

[421]あみちゃんは、

[422]ぽかんとした顔でわたしを見ていた。

[423]……わたし、

[424]的外れなこと、言っちゃったかも……。

[425]じわじわと後悔の念が溢れ始めた頃、

[426]あみちゃんの滑らかな頬を、

[427]ぽろっと何かが零れ落ちた。

[428]それは、ポロポロと堰を切ったように溢れて、

[429]次から次へと頬を伝い落ちてゆく。

[430]【あみ】

[431]「あ、あれっ?

[432] 泣くつもりなんて……

[433] わたし、泣くつもりなんてなかったのに……」

[434]戸惑いの声は、

[435]すぐに涙混じりの声になった。

[436]そっとあみちゃんを抱き寄せる。

[437]辛かったんだね、あみちゃん……。

[438]【あみ】

[439]「……わ、わたし、泣くつもりじゃなかったのに……

[440] か……かおりんさんが

[441] 思いがけないこと言うから……」

[442]この期に及んでも、

[443]まだ泣くのを堪えようとしてるあみちゃんに

[444]胸が痛くなる。

[445]【かおり】

[446]「うん、ごめんね」

[447]【あみ】

[448]「か、かおりんさんの馬鹿……ぁ」

[449]【かおり】

[450]「そうなの。

[451] わたし、バカで空気も読めないから……、

[452] だから今は泣いてもいいよ」

[453]そう豊かではないわたしの胸に、

[454]あみちゃんの顔を埋めさせた。

[455]【かおり】

[456]「ほら、こうしたら、大丈夫。

[457] 誰も……わたしも、

[458] あみちゃんの泣き顔は見られないでしょ?」

[459]【あみ】

[460]「……お、落ち着くまで、

[461] こうしててくれますか?」

[462]【かおり】

[463]「いいよ。

[464] 頭もナデナデしてあげるね」

[465]【あみ】

[466]「うふふ……、

[467] ふ……ぅ、ううう……っ」

[468]あみちゃんの涙声が、すすり泣きに変わった。

[469]いつも元気な印象を周囲に与えてるあみちゃんは、

[470]その内側に、どんな葛藤を抱えてるんだろう。

[471]【かおり】

[472]「…………」

[473]見えるものだけが、全てじゃないんだなぁ……。

[474]あみちゃんの気持ちが治まるよう、

[475]頭を撫でてあげながら、

[476]わたしはぼんやりと、そんなことを考えていた。

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