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white_robe_love_syndrome:scr00302

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[001]306号室に向かうわたしの今日の足取りは、

[002]いつもよりもずっと軽かった。

[003]気が付くと頬がニマニマと緩んじゃって、

[004]朝から主任さんにはしゃきっとしなさいと叱られ、

[005]山之内さんからは気味悪がられ、

[006]なぎさ先輩には呆れられちゃった。

[007]でも、しょーがない!

[008]だって、嬉しいんだもん!

[009]【かおり】

[010]「失礼しまーす」

[011]【あみ】

[012]「あ、かおりんさん!」

[013]見慣れた306号室の風景の中、

[014]振り向いたあみちゃんは――。

[015]【かおり】

[016]「いやぁぁぁん!

[017] あみちゃんったら、スッテキー!」

[018]【あみ】

[019]「えへっ、そう、かなっ」

[020]照れたように顔を赤らめるあみちゃんは、

[021]いつものパジャマとは違い、

[022]可愛らしい制服を身につけていた。

[023]制服姿、ということは、

[024]それはつまり……。

[025]【かおり】

[026]「……本当に退院なんだね」

[027]しみじみと言うわたしに、

[028]一緒にお見送りのためにやってきたなぎさ先輩が

[029]くすっと笑った。

[030]【なぎさ】

[031]「さみしいとか言っちゃダメよ?

[032] とってもおめでたいことなんだからね?」

[033]【かおり】

[034]「わ、わかってますよぅ〜!」

[035]ぶぅ、と、口を尖らせてみたけれど。

[036]でも、なぎさ先輩の指摘通り、

[037]本当は、あみちゃんが退院しちゃうことを

[038]さみしいなと思う気持ちがあったの。

[039]ほんのちょこっと、だけね。

[040]だって、

[041]あみちゃんは、患者さんの中で

[042]一番親しくなった患者さんだから、

[043]あみちゃんがいなくなるのは、正直、さみしい。

[044]でも!

[045]退院したくてもできない人や、

[046]五体満足で退院できない人も多い中、

[047]自分の足で歩いて退院できるなんて、

[048]すごくおめでたいことだもんね!

[049]【かおり】

[050]「退院、本当におめでとうっ!」

[051]心から、そう思う。

[052]制服姿のあみちゃんが

[053]はにかむように微笑んだ。

[054]いつもよりずっと大人っぽくて、

[055]こうして笑っていると、

[056]今日まで入院してたとは思えないほど元気に見える。

[057]【あみ】

[058]「かおりんさん、ありがとうございました。

[059] わたし……退院しても、頑張りますね!」

[060]潤んだ目で、あみちゃんがわたしを見つめる。

[061]うっ……、

[062]そんな目で見られると、

[063]なんだか、涙が出ちゃいそう……。

[064]でも、泣いちゃダメ。

[065]せっかくの退院の日に涙で見送るなんて

[066]あみちゃんに悪いよ。

[067]お見送りなんだから、

[068]笑って見送ってあげなきゃ!

[069]【かおり】

[070]「それ、あみちゃんの学校の制服?

[071] すごく可愛いね」

[072]あみちゃんは再び照れたように笑って、

[073]おどけてスカートを摘み、クルリと回ってみせた。

[074]【あみ】

[075]「でしょう?

[076] この制服のデザイン、大好きなんです」

[077]【かおり】

[078]「久しぶりに着られて良かったね。

[079] といっても、これからは毎日のように着ることに

[080] なるんだろうけど」

[081]【あみ】

[082]「あははっ、そうですね。

[083] これを着て、また毎日学校に……」

[084]ふと、あみちゃんの言葉が途切れる。

[085]【かおり】

[086]「あみ、ちゃん?」

[087]【あみ】

[088]「……あ……あはっ。

[089] ちょっとぼんやりしちゃった」

[090]無理に笑ったような表情に、

[091]少し胸が騒ぐ。

[092]でも……気のせいよね。

[093]【あみ】

[094]「な、何でもないです。

[095] そんな心配そうな顔しないでくださいよ、

[096] やだなー」

[097]明るい声で言うあみちゃんに

[098]わたしはホッとして、にっこり笑う。

[099]【かおり】

[100]「ねぇ、聞いていいかな?

[101] あみちゃんの学校って、どんな学校なの?」

[102]【あみ】

[103]「わたしの学校、ですか?」

[104]あみちゃんは少し遠い目をした。

[105]【あみ】

[106]「そうですね、すごく歴史のある学校ですよ。

[107] 分校なんですけど、女の子しかいないんです。

[108] ま、いわゆる、お嬢様学校?」

[109]【なぎさ】

[110]「お嬢様学校!?

[111] それってやっぱり挨拶は……」

[112]【あみ】

[113]「もちろん『ごきげんよう』ですわ」

[114]【かおり】

[115]「きゃーっ、あみちゃんたらお嬢様!

[116] 看護学校も女子校みたいだったけど

[117] そんな優雅な雰囲気、ありえないですよね!」

[118]【なぎさ】

[119]「そうそう!

[120] 優雅の『ゆ』の字もないわよね!

[121] どちらかというと、戦場?」

[122]【あみ】

[123]「お嬢様学校っていっても、わたしの学校は

[124] 分校だし、わたしみたいに

[125] お嬢様じゃない一般人も多いんです」

[126]【あみ】

[127]「でも、……本校に行けなかった子もいるし、

[128] 学苑の名前が一人歩きしちゃってて、

[129] ちょっと大変っていうか……」

[130]あみちゃんが言葉を濁す。

[131]やっぱり一般人にはわからない苦労とか、

[132]お嬢様ゆえの厳しい風紀とか

[133]いろいろあるのかもしれないよね。

[134]【あみ】

[135]「たとえば、うちの学苑独特のシステム。

[136] チューター制っていうのがあるんですけど、

[137] これなんてちょっと珍しいですよね」

[138]【かおり】

[139]「ちゅーたー?」

[140]【あみ】

[141]「簡単に言うと、上級生が下級生の面倒を見る制度です。

[142] ほぼマンツーマン指導で、姉妹みたいな感じで

[143] 一緒に学苑生活を送っていくんです」

[144]【かおり】

[145]「へぇ、面白いシステムねー」

[146]先輩が後輩の面倒をマンツーマンで見るなんて、

[147]いかにもな雰囲気だよね。

[148]【なぎさ】

[149]「ふーん。

[150] 看護師のプリセプターシップに似てる感じね」

[151]【かおり】

[152]「あ、ほんとだ!」

[153]わたしも、ここに来てから

[154]なぎさ先輩には随分と面倒を見てもらったけれど、

[155]そういうのとはちょっと違うのかな……。

[156]【かおり】

[157]「芸術系の学校、だっけ?

[158] あみちゃんは楽器やってるんだよね?」

[159]【あみ】

[160]「はい、フォルテールっていう楽器です。

[161] これがなかなか難しくて大変なんですよね、

[162] 担任の先生も、美人だけど、すっごく厳しいの」

[163]【なぎさ】

[164]「美人、ってことは、女の先生?」

[165]【あみ】

[166]「そうなんです、学苑内でも一、二を争うほど

[167] とっても厳しい先生なんですよー。

[168] わたし、いっつもしごかれてるんです」

[169]【あみ】

[170]「でもね、担任の先生、厳しいんですけど、優しい

[171] ところもあって、すごく面倒見もいいんですよね。

[172] フォルテールもとっても上手で……憧れなんです」

[173]【かおり】

[174]「へぇ……、いい先生みたいね」

[175]【あみ】

[176]「そうなんです、いい先生なんです!

[177] でも、先生にも憧れてるんですけど、

[178] 実はもっと憧れてる人がいるんですー!」

[179]【かおり】

[180]「学校の先輩?」

[181]【あみ】

[182]「いえ、本校の卒業生の宮藤さん!

[183] 今はプロのフォルテール奏者で、

[184] とても温かく心に響く音を響かせる人なんです!」

[185]【あみ】

[186]「先生にその人のCDを紹介されて聴いた時から

[187] わたしの中での憧れの人になっちゃった」

[188]一生懸命にその人のことを伝えようとする

[189]あみちゃんの頬は、興奮で少し上気していた。

[190]CDを聴いただけで、憧れるくらいすごい人かぁ。

[191]なんだか壮大だなぁ。

[192]音楽のことはちんぷんかんぷんのわたしにも、

[193]あみちゃんの表情や口調から、

[194]その人がどれだけ素敵な音を出すのか

[195]伝わってくるような気がした。

[196]その人に、本当に憧れているんだろうなぁ。

[197]なんだか微笑ましくなっちゃう。

[198]【あみ】

[199]「わたしもあんな風に

[200] フォルテールを歌わせることができたらって

[201] いつも思って頑張ってるんですけど、全然ダメで」

[202]【かおり】

[203]「大丈夫!

[204] 思い続けて頑張り続ければ、夢は絶対叶うから!

[205] 諦めちゃダメ!」

[206]【なぎさ】

[207]「そうよ、夢は諦めなければ、いずれ叶うわ。

[208] ここにいる沢井でさえ、

[209] 看護師になれたんだよー?」

[210]【かおり】

[211]「ちょっ、なぎさ先輩っ!?

[212] 沢井で『さえ』って何ですか、『さえ』って!」

[213]なぎさ先輩がニヤニヤ笑ってる。

[214]んもう!

[215]あみちゃんの最後の日なのにひどいよぅ!!

[216]【なぎさ】

[217]「やだー、沢井ったら自覚ナシ?

[218] わたし、こんな子が人の命を預かる仕事に就いて、

[219] 大丈夫なのかしらって思ってたんだけど〜?」

[220]【かおり】

[221]「ひっどーい!

[222] なぎさ先輩だって、裏の顔を隠して

[223] 生徒会長なんかやってたじゃないですかー!」

[224]【なぎさ】

[225]「裏の顔って何よ、失礼ね。

[226] まるであたしに裏表があるみたいじゃない?」

[227]【かおり】

[228]「ないつもりだったんですか?」

[229]【なぎさ】

[230]「裏表があるんじゃなくて、あたしの場合は

[231] TPOにあわせて使い分けてるの。

[232] 臨機応変ってこと」

[233]【かおり】

[234]「うわー、物は言い様ですよね」

[235]頬を膨らませるわたしを見て、

[236]あみちゃんがくすくすと笑っている。

[237]【あみ】

[238]「本当にふたりとも仲が良くてうらやましいなー。

[239] わたしもなぎさんみたいな先輩が欲しい〜!」

[240]【かおり】

[241]「なぎさ先輩なら、いつでも貸し出しOKだから!」

[242]【なぎさ】

[243]「んまっ! こっちこそ、

[244] あみちゃんみたいな可愛い後輩だったら

[245] 超ウェルカムですよーだ!」

[246]【かおり】

[247]「むーっ!」

[248]【なぎさ】

[249]「むむぅっ!」

[250]頬を膨らませて顔を付き合わせるわたしたちを見て、

[251]あみちゃんはまだくすくすと笑っていた。

[252]【あみ】

[253]「なんだか、先生たちを見てるみたい。

[254] わたしの憧れの人って、先生と仲が良くて、

[255] わたし、いっつも置いてけぼりなんですよ」

[256]【あみ】

[257]「先生と宮藤さんって学苑が同じだったからか

[258] すごく仲がいいんですよね……

[259] いつも学苑時代のことをしゃべってるんです」

[260]【あみ】

[261]「その人のことを話す先生は、楽しそうで、

[262] 羨ましくなるくらい、幸せそうなんですよね。

[263] きっと良い思い出がいっぱいあるんだろうな……」

[264]遠い目をしているあみちゃんは、

[265]フッと微笑んで、わたしたちを見た。

[266]【あみ】

[267]「今のかおりんさんたちに似てるかも……。

[268] おふたりがわたしの先輩だったら良かったのに」

[269]あみちゃんの言葉に、

[270]わたしとなぎさ先輩は思わず顔を見合わせる。

[271]その時、なぎさ先輩がハッとした様子で

[272]わたしに向き直った。

[273]【なぎさ】

[274]「ところで……お見送りの時間は、平気?」

[275]はっ!?

[276]わたしは慌てて腕時計を見た。

[277]【かおり】

[278]「なぎさ先輩とのアホな漫才で

[279] すっかり時間を忘れちゃってたー!

[280] ごめんね、そろそろお迎え来るよね?」

[281]【なぎさ】

[282]「んま!

[283] アホな漫才って、沢井ったら失礼ね、もー!」

[284]ぶーぶー唇を尖らせているなぎさ先輩をスルーして、

[285]わたしはあみちゃんに微笑みかける。

[286]【かおり】

[287]「あみちゃん、荷物持つよ。

[288] ロビーまで一緒に行こう?」

[289]【あみ】

[290]「はい、ありがとうございます」

[291]荷物を持って、病室のドアを出る直前に、

[292]あみちゃんは一瞬だけ自分のベッドを見た。

[293]【あみ】

[294]「わたしはここ、嫌いじゃなかったな……」

[295]【かおり】

[296]「えっ?」

[297]あみちゃんは小さく首を振って笑う。

[298]【あみ】

[299]「なんでもないです。

[300] さ、かおりんさん、行きましょっ」

[301]【あみ】

[302]「ここもしばらく見納めかー」

[303]【なぎさ】

[304]「見納めじゃないでしょ、

[305] 定期健診には来るんだよね?」

[306]【あみ】

[307]「はいっ、来ます!

[308] 病棟にも……遊びに行ってもいいですか?」

[309]甘えるような、あみちゃんの口調。

[310]この口調とも、お別れなのね……。

[311]【あみ】

[312]「本当にお世話になりました!」

[313]ぺこりと、頭を下げられた。

[314]一気にさみしさが押し寄せてきて、

[315]思わず目頭が熱くなってしまう。

[316]【かおり】

[317]「退院しても……っていうのはちょっと変だけど、

[318] 退院しても、元気でね」

[319]【あみ】

[320]「はいっ!」

[321]【かおり】

[322]「何かあったら、相談に乗るからね?

[323] ひとりで考え込んじゃダメよ?」

[324]【あみ】

[325]「うん!」

[326]【かおり】

[327]「たまに、元気な顔を見せに来てね」

[328]【あみ】

[329]「はいっ!」

[330]にこやかに笑うあみちゃん。

[331]元気だし、嬉しいはずなんだろうけど、

[332]どこかさみしげに見えるのは気のせいなのかな……。

[333]【あみ】

[334]「いつか……、

[335] わたしがもっとフォルテールが上手くなったら

[336] 聴きに来てくださいね……かおり、お姉ちゃん」

[337]お姉ちゃんって言葉に、

[338]思わずうるって来ちゃった!

[339]【かおり】

[340]「うん、うん! 絶対行くよ!

[341] その日がどうしても外せない勤務の日でも、

[342] なぎさ先輩に代わってもらってでも行くから!!」

[343]【なぎさ】

[344]「……沢井ったら」

[345]【あみ】

[346]「……いつまでもぐずぐずしてると

[347] さみしくなっちゃうから、

[348] わたし、そろそろ行きますね」

[349]【かおり】

[350]「うん、本当に元気でね。

[351] 身体に気をつけて……」

[352]【あみ】

[353]「はい。

[354] ありがとうございました」

[355]笑顔で軽く手を振って、

[356]あみちゃんはわたしたちに背中を向けた。

[357]制服の長いスカートが風に吹かれて、

[358]ひらひらとひるがえる。

[359]わたしとなぎさ先輩は、

[360]あみちゃんの背中が見えなくなるまで見送った。

[361]【なぎさ】

[362]「……沢井、そろそろ戻ろう?

[363] 患者さんの退院なんて珍しいことじゃないんだし、

[364] ましてや軽快退院なんて、喜ばしいことじゃない」

[365]【かおり】

[366]「……はい」

[367]【なぎさ】

[368]「沢井にはあたしがいるから、ね?」

[369]なぎさ先輩の言葉に、

[370]思わず笑みが浮かんだ。

[371]わたしを元気付けようとしてくれてるんですね……。

[372]【かおり】

[373]「そう、ですね……」

[374]【なぎさ】

[375]「もー、なによぅ〜。

[376] あたしじゃ不満だって言うの?」

[377]【かおり】

[378]「えー、不満なんてないですよー」

[379]【なぎさ】

[380]「ま、取って付けたように。

[381] もーもー!」

[382]【かおり】

[383]「……なんていうか、

[384] 初めての軽快退院だったから、

[385] ちょっと感慨深くなっちゃったんですよね……」

[386]【かおり】

[387]「嬉しいような、さみしいような、複雑な気持ち……。

[388] もちろん、無事に退院できたことは

[389] とってもいいことなんですけど」

[390]【なぎさ】

[391]「……そうね、

[392] そういう気持ち、大事なのかもね」

[393]それまでふざけてたなぎさ先輩が、

[394]急に真面目な顔で、ポツリと言った。

[395]【かおり】

[396]「え……?」

[397]【なぎさ】

[398]「初心忘るべからず、ってことよ。

[399] そういう気持ち、大事だと思う」

[400]【なぎさ】

[401]「そういえば、初めての担当患者さんが退院した時、

[402] あたしも今の沢井みたいにすごく嬉しかったし、

[403] その反面、すごくさみしい気もしたのよね」

[404]【なぎさ】

[405]「初めて担当の患者さんが亡くなった時は、

[406] 悲しくてかなしくて、ずっと泣いてたわ……。

[407] 自分の知識や技術不足のせいにも感じたし……」

[408]なぎさ、先輩……。

[409]【なぎさ】

[410]「あたしも沢井みたいに、

[411] 患者さんのことで一喜一憂してたなって、

[412] なんだか懐かしくなっちゃった」

[413]へへっと笑って

[414]なぎさ先輩はわたしを見つめる。

[415]【なぎさ】

[416]「そのままの気持ち、忘れちゃダメよ?」

[417]【かおり】

[418]「はいっ」

[419]わたしは元気よく頷いた。

[420]患者さんが元気になって、笑顔で退院していく。

[421]それはなんてすばらしくて、幸せなことなんだろう。

[422]仲良くなって、

[423]もっと一緒にいたいと思う気持ちも少しはあるけれど、

[424]それよりも、元気になって自宅に帰っていく

[425]患者さんの笑顔が何よりも嬉しい。

[426]もっと、たくさんの患者さんの

[427]元気な背中を見送りたい。

[428]そのためには、

[429]わたし、もっともっと頑張らなきゃ。

[430]わたしは改めて、もっとデキる看護師になりたいと

[431]強く心に思った。

white_robe_love_syndrome/scr00302.txt · Last modified: 2018/05/22 17:15 (external edit)