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white_robe_love_syndrome:scr00221

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[001]【かおり】

[002]「戻りました〜」

[003]だいぶ仕事にも慣れてきた。

[004]患者さんからも、

[005]慣れてきたねって声をかけてもらえるし、

[006]とってもいい感じなのかもしれない。

[007]太田井さんの嘔吐介助だって、

[008]もううろたえずに

[009]ひとりでできるようになったもんね。

[010]記録だって、以前よりずっとスムーズに

[011]終わらせることができる。

[012]詰所のテーブルについて、

[013]手早く太田井さんの記録を書き上げて、

[014]わたしは大きく伸びをした。

[015]【はつみ】

[016]「ちょっと聞いて!

[017] 今朝、網野さんのおむつ交換したのは誰?」

[018]入ってきた主任さんが

[019]詰所を見回して、そう訊いてくる。

[020]【かおり】

[021]「網野さん……?」

[022]今朝のおむつ交換は、

[023]わたしとなぎさ先輩と山之内さんで、

[024]301から回ったんだよね。

[025]【なぎさ】

[026]「あ、あたしと沢井ですが……」

[027]おずおずとなぎさ先輩が手を挙げた。

[028]網野さんには、わたしとなぎさ先輩が、

[029]網野さんの隣の劉さんには

[030]山之内さんがついたんだっけ。

[031]【かおり】

[032]「あの……どうかしたんですか?」

[033]【はつみ】

[034]「……あなたたちなのね……」

[035]なんだろう、

[036]いかにも「やっぱり」とでも

[037]言いたげな主任さんの言葉は……。

[038]【はつみ】

[039]「網野さんの便、

[040] おむつから溢れていたわよ」

[041]【かおり】

[042]「え!?」

[043]主任さんの言葉に、思わず立ち上がる。

[044]【はつみ】

[045]「もういいわ、

[046] わたしが替えておいたから」

[047]【かおり】

[048]「え、でも、

[049] おむつから溢れてたってことは……」

[050]【はつみ】

[051]「おむつも、パジャマも、ベッドシーツも、包布も、

[052] 全て交換して、ご家族にも説明済みです。

[053] だから、今更あなた方が行く必要はありません」

[054]【なぎさ】

[055]「…………」

[056]なぎさ先輩が真っ青になっている。

[057]そういえば、網野さんには

[058]さっきお孫さんを連れたご家族の方が……。

[059]お孫さんにとっては、

[060]網野さんと会うのは半年振りなんだって

[061]この前、ご家族が言ってた。

[062]それなのに、網野さんが身体を動かす度に、

[063]ふわりふわりと、便臭がただよってきて、

[064]せっかくのお見舞いを

[065]中断せざるを得ないことになったわけで。

[066]【はつみ】

[067]「沢井さんが頑張っているのは、

[068] わたしの目にもしっかりと映っています。

[069] 藤沢さんも同様です」

[070]【はつみ】

[071]「けれど、慣れてきたからといって、

[072] 手抜きをするのはどうなのかしら?」

[073]手抜きなんか……してない……。

[074]……でも、本当に?

[075]おむつ交換なんか面倒だって

[076]少しも思わなかった……なんて、

[077]胸を張って言える?

[078]【なぎさ】

[079]「お、お言葉ですが、主任。

[080] わたしたちは、おむつ交換に

[081] 手を抜いたつもりはありませんでした!」

[082]なぎさ先輩がかばってくれている。

[083]【なぎさ】

[084]「あたしもそうですけど、沢井も、

[085] 出来るだけ早く、風邪を引かせないよう

[086] 手早くおむつを交換しようとしたんです」

[087]【なぎさ】

[088]「おむつがずれていたことに

[089] 気づかなかったのは、

[090] たしかにわたしたちのミスですが……」

[091]【はつみ】

[092]「……あのね……」

[093]主任さんがこめかみを抑えながら

[094]小さくため息をついた。

[095]【はつみ】

[096]「たとえば、あなたたちが寝込んでいる時、

[097] 風邪を引かせちゃいけないからって

[098] 下着を前後逆にはかされたら、どうかしら?」

[099]【かおり】

[100]「え……そんなの、お尻がキツくて、

[101] 前がゴワゴワになりますね」

[102]【はつみ】

[103]「その状態で何時間、我慢できる?」

[104]【なぎさ】

[105]「…………」

[106]【かおり】

[107]「そんなの……」

[108]【はつみ】

[109]「確認してみたところ、網野さんは

[110] 朝食後にずれたおむつを当てられて、

[111] ずっと気持ち悪かったらしいのよ」

[112]【はつみ】

[113]「本当はちゃんと当て直してもらいたくても、

[114] 失語症だし、お願いするのも悪いと遠慮して、

[115] ずっと我慢していたんですって」

[116]【はつみ】

[117]「そして昼食前、我慢できなくて排便。

[118] お見舞いの家族の前で、ね」

[119]【はつみ】

[120]「おむつがずれたまま排便すれば、

[121] ベッドを汚してしまうのがわかっていたのに、

[122] そうせざるを得なかったの、網野さんは」

[123]【はつみ】

[124]「そんな状態でお昼ご飯が運ばれてきて、

[125] ご家族と一緒にお昼ご飯を食べながら、

[126] ずっと隠していたのよ」

[127]【はつみ】

[128]「……網野さんは

[129] どんな気持ちだったんでしょうね。

[130] あなたたちだったら、どうかしら?」

[131]主任さんの言葉に、

[132]わたしは網野さんになった気分を想像する。

[133]お父さんやお母さん、そして、妹の前で

[134]粗相をする自分の姿を想像して、

[135]あまりの情けなさに泣きそうになる。

[136]【かおり】

[137]「す、すみません……」

[138]【はつみ】

[139]「わたしに謝ってどうするの。

[140] 謝る相手が違うんじゃないかしら?」

[141]【なぎさ】

[142]「じゃ、じゃあ、

[143] あたしたち、今から謝ってきます!」

[144]【はつみ】

[145]「せっかくの面会時間なのよ、これ以上

[146] 邪魔するつもり? 謝るにしても、

[147] お孫さんが帰ってからにしなさい!」

[148]ぴしゃりと跳ねつけられた。

[149]【なぎさ】

[150]「……っく」

[151]隣のなぎさ先輩が

[152]小さくしゃくりあげた。

[153]ああ、なぎさ先輩も

[154]わたしと同じ気持ちになったんだ……。

[155]そう思うと、情けないやら、申し訳ないやら、

[156]ホッとするやら、気持ちがぐちゃぐちゃになって

[157]じわっと涙が浮かんできた。

[158]【かおり】

[159]「……ごめんなさい……」

[160]【なぎさ】

[161]「……す、みません、でした……」

[162]【はつみ】

[163]「泣けば済むというものでもないでしょう!」

[164]怒鳴られて、

[165]わたしたちはビクッとした。

[166]【はつみ】

[167]「誰が一番泣きたい気持ちだったのか

[168] わかって泣いているの、あなたたちは!?」

[169]【かおり】

[170]「……っ!」

[171]……主任さんの言う通りだ……。

[172]一番泣きたかったのは網野さんで、

[173]その次に泣きたかったのは、

[174]不甲斐ない部下のミスを背負い込んで

[175]後始末をする羽目になった、主任さん……。

[176]その原因を作ったわたしたちには

[177]泣く資格さえない……。

[178]【はつみ】

[179]「……仕事に慣れてきたのはいいけれど、

[180] わたしたちの仕事は

[181] 他人の生命を、心ごと扱うことよ」

[182]【はつみ】

[183]「手を抜くことや、気を抜くことで、誰かが傷つくの。

[184] それは患者さんだったり、同僚だったりするけど、

[185] 一番傷つくのは、あなたたち自身よ」

[186]【なぎさ】

[187]「……はい」

[188]【はつみ】

[189]「覚えておきなさい、

[190] 自分の言ったこと、やったことは全て、

[191] 良くも悪くも自分に跳ね返ってくることを」

[192]主任さんの言葉を肝に銘じておこう。

[193]もう二度と、手も気も抜かないように……。

[194]【やすこ】

[195]「……はー、やれやれ。

[196] 一時はどうなることかと思ったわ」

[197]いつの間にか戻ってきていた山之内さんが

[198]いつもの口調で声を上げる。

[199]詰所内の張り詰めた空気が

[200]一気に和らいだ。

[201]【やすこ】

[202]「ま、仕事に慣れた勢いで

[203] 変な手抜きのクセがつく前に

[204] きっちり躾けてもらえて良かったなぁ?」

[205]ホッとして気が緩んだのか、

[206]なぎさ先輩がしゃがみこんで

[207]シクシク泣き始めた。

[208]そんななぎさ先輩の肩を抱くようにして

[209]わたしも一緒に泣き始める。

[210]もうこんな思いはしたくないし、

[211]患者さんにもさせたくない。

[212]【はつみ】

[213]「躾はまだ終わってないわよ」

[214]【かおり】

[215]「……ほぇ?」

[216]【なぎさ】

[217]「……しつけ?」

[218]主任さんの言葉に、

[219]なぎさ先輩とふたり、

[220]涙でぐちゃぐちゃになった顔を上げる。

[221]ニヤニヤしている山之内さんの表情を横目に、

[222]無表情で言い放った主任さんの言葉に、

[223]わたしは自分の耳を疑った。

[224]勤務後のわたしの部屋で、

[225]わたしは、なぎさ先輩と顔を見合わせた。

[226]【なぎさ】

[227]「……ホントにやるの?」

[228]【かおり】

[229]「……だって、やらないわけには

[230] いかなくないですか……?」

[231]【なぎさ】

[232]「……それはそうなんだけど……」

[233]向かい合ったわたしとなぎさ先輩の間に、

[234]紙おむつが二人分。

[235]   「あなたたち、帰ったら寮で

[236]    おむつ内排泄を体験しなさい。

[237]    おむつは必要枚数、持って帰っていいわ」

[238]   「おむつ内排泄の感想をレポートにして

[239]    明日の朝に提出すること。

[240]    わかったわね?」

[241]     「言うておくけど、

[242]      主任の目を誤魔化せるなんざ

[243]      間違うても考えん方がええよ?」

[244]【なぎさ】

[245]「……でも、おむつ内排泄なんて……。

[246] ねぇ、やったつもりで

[247] レポート書いちゃわない?」

[248]山之内さんの言うとおり、

[249]主任さんの目を誤魔化せるとは思えない。

[250]バレたら最後、どれだけ怒られるか……。

[251]ううん、怒られるだけならいいけど、

[252]軽蔑されそうな気がする。

[253]でも……

[254]おむつの中に排泄するなんて……。

[255]どどどど、どうしよう……?

[256]でも、やらなきゃ

[257]黙っていればわからない

[258]でも、これはわたしたちが撒いた種だから、

[259]ちゃんと自分自身で片をつけなきゃダメだよね。

[260]やりたくないのは山々だけど、

[261]やる意味はきっとあると思うの。

[262]【かおり】

[263]「わたしは……やろうと思います」

[264]【なぎさ】

[265]「えええ!?」

[266]【かおり】

[267]「だって……相手はあの主任さん、ですよ?

[268] 絶対、バレますよ。

[269] 隠し通すなんて絶対に無理です」

[270]わたしの言葉に

[271]なぎさ先輩が難しい顔で考え込んだ。

[272]【なぎさ】

[273]「……たしかに、

[274] あの主任相手に隠し通せるかといえば

[275] ちょっと無理かも……自信ない……」

[276]【かおり】

[277]「ですよ。

[278] バレたら、怒られるだけじゃ

[279] 済まないかもしれないですよ?」

[280]【なぎさ】

[281]「あ、ありうるわね……」

[282]なぎさ先輩がブルッと身体を震わせたのは、

[283]きっと恐怖からだろう。

[284]【なぎさ】

[285]「じゃ、しょーがない、やりますか……。

[286] で、どっちからやる?」

[287]おむつを手に取ったなぎさ先輩は

[288]すっきりした顔をしている。

[289]覚悟が決まったらしい。

[290]こうなると、女は強いもんね!

[291]女の底力、主任さんに見せ付けてやるんだから!

[292]【かおり】

[293]「えと……、順番、じゃなくて、

[294] 一緒にやりませんか?」

[295]おそるおそる訊いてみると、

[296]なぎさ先輩は少し顔を赤くして、

[297]こくりとうなずいた。

[298]そして、わたしもおむつを手にとって……。

[299]【なぎさ】

[300]「……今日のことは

[301] 誰にも話しちゃダメなんだからねっ!」

[302]なぎさ先輩が真っ赤になっている。

[303]【かおり】

[304]「話しませんよ、こんなことっ!」

[305]わたしも真っ赤になって、そう返す。

[306]……何があったか。

[307]それは……。

[308]……ううう、言いたくない〜。

[309]【なぎさ】

[310]「こ、これで、

[311] すんごくリアルなレポートが書けるね!」

[312]【かおり】

[313]「そ、そうですね。

[314] 主任さんも山之内さんも、誰も疑いようのない

[315] 濃いレポートが書けます……よね?」

[316]【なぎさ】

[317]「も、もちろんよ!

[318] じゃないと、あんな……」

[319]【かおり】

[320]「…………」

[321]【なぎさ】

[322]「じゃ、じゃあ、あたしは

[323] 部屋に戻ってレポート書く……よ。

[324] ……沢井、また明日ね」

[325]【かおり】

[326]「は、はい……、また明日!」

[327]自分の使用済みおむつを持ち帰る

[328]なぎさ先輩を見送ってから、

[329]わたしは机に向かう。

[330]【かおり】

[331]「さ、さて、レポート、レポート!

[332] 主任さんが、ぐうの音も出ないような、

[333] すんごいレポート書いちゃうんだから!」

[334]【はつみ】

[335]「あなたたちのレポート、

[336] 読ませてもらいました」

[337]……ドキドキ……。

[338]【はつみ】

[339]「……大変、良く書けていると思います。

[340] あなたたちがここまで書いてくるとは

[341] わたしにとって、嬉しい予想外です」

[342]主任さんの言葉にホッとした。

[343]なぎさ先輩を見ると

[344]涙目で笑いかけてくれる。

[345]わたしも感激で

[346]涙目になっちゃった。

[347]【はつみ】

[348]「正直言うと、実行するのがイヤで

[349] 誤魔化すんじゃないかと思っていたのだけれど、

[350] あなたたちのことを甘く見ていました」

[351]【はつみ】

[352]「これからも、今回のことを忘れずに、

[353] 頑張ってくださいね」

[354]【なぎさ】

[355]「はいっ!」

[356]【かおり】

[357]「頑張ります!」

[358]……良かった……。

[359]やっぱり、やりたくない気持ちに負けず、

[360]ちゃんとやって良かったな。

[361]考えれば考えるほど、

[362]どうしてもやりたくない気持ちが大きくなる。

[363]【かおり】

[364]「……だ、黙っていれば

[365] わからない……ですよね……?」

[366]【なぎさ】

[367]「想像力を働かせて、

[368] それらしいことを書いておけば……」

[369]ゴクリと息を呑む。

[370]【なぎさ】

[371]「抜け駆けして、

[372] 自分だけイイ子になるのはナシだからね?」

[373]【かおり】

[374]「な、なぎさ先輩こそ……」

[375]【はつみ】

[376]「あなたたちのレポート、

[377] 読ませてもらいました」

[378]……ドキドキ……。

[379]【はつみ】

[380]「……子どもだましね。

[381] あなたたちには失望したわ。

[382] レポートを読んだ時間が無駄だったわね」

[383]!!

[384]やっぱりバレた!?

[385]【はつみ】

[386]「もう行っていいわ。

[387] やる気のない人に説教をするのも面倒よ。

[388] くれぐれも、患者さんに失礼のないように」

[389]【なぎさ】

[390]「…………」

[391]【かおり】

[392]「…………」

[393]やっぱり、やっておけば良かった……。

[394]主任さん、すごく傷ついた顔してたよね。

[395]わたしたちのために怒ってくれたのに、

[396]わたしたちは主任さんの思いを裏切ったんだ……。

[397]ごめんなさい。

[398]主任さん、ごめんなさい……。

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