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sapphism_no_gensou:8080

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[Anri] ……ニャー?

[Soyeon] なんですか? 杏里さん。

[Anri] ニャー。

[Soyeon] ……はい?

[Anri] ねえソヨン。今、ネコの鳴き真似、した?

[Soyeon] え……いいえ?していませんけれど……

[Anri] あれ……でも、確かに……あ、あそこだ!

[Narration] 今まさに通り過ぎようとした袋小路の一つ。その遙か上のほうに、小さくうごめくものがある。

[Soyeon] ……ひ、光りました! ほ、ホントです!杏里さん、猫ですよ!

[Narration] 時折明滅しながら、ぼうっと光る青い輝きは、まさにネコの瞳、キャッツアイだった。

[Anri] 暗くてよく見えないけど……かなり小さいな、子猫みたいだ……

[Soyeon] …………こ、子猫……っ

[Anri] どうやって登ったんだろ……というより、降りられない……? あんなところで……

[Soyeon] あ、あたしッ、いきます!

[Anri] ちょ、ちょっとソヨンっ! このボロボロの壁をクライミングする気かい?無理だよ! 危なすぎる!

[Soyeon] 大丈夫です!

[Anri] だいいちそんな格好じゃ……わかった、ボクにまかせてくれ。

[Soyeon] 杏里さん!

[Narration] 杏里は腕まくりすると、壁の手がかりに取りついた。

[Soyeon] 杏里さん、お願いします!

[Anri] ウィ……やっ……よいしょっ……こう見えても……ボクは……木登りだったら……っ……

[Soyeon] 得意だったんですね!

[Anri] いつも下から見ていたもんだよ……

[Narration] 同じく地下道を行くクローエは、格好をつけて安うけあいしてしまったことを、後悔しはじめていた。

[Narration] 実際のところ、ニキとは意志疎通もままならないのだから、彼女が何を発見しようと、クローエには分からない。

[Narration] ただ、ニキを避けている自分を、ソヨンや杏里の前でさらけ出したくないがため、あの場ではイエスと言ってしまった。

[Niki] …………

[Narration] なんとか顔を見分けられるほどの距離を置いて、ニキはついてきていた。

[Chloe] (……彼女にも避けられているのかしら。 無理もないけれど……)

[Narration] ニキには、つい先日、図書室での杏里との親密な抱擁を目撃されたばかりだ。

[Chloe] (でもあの晩は何もなかったの…… ……そんな言い訳をしても仕方ないし)

[Chloe] ……ふぅ……

[Narration] 面倒見のいいヘレナや、イライザに比べ、自分はとてもこの少女の扱いが不得手だ。それはよくわかっている。

[Narration] 別にニキを嫌っている、というわけでもない。

[Narration] ようやく杏里という人間を理解しはじめた最近では、このニキという少女が、なるほど愛らしいとさえ思えた。

[Narration] 杏里の視点になりかわって見ればの話だが。

[Narration] また、同じ“杏里・アンリエット被害者の会”の一員としては、同情すら感じよう。

[Niki] …………

[Narration] ニキの立ち止まった気配を、クローエは敏感に察知した。

[Narration] 振り返ると、ニキはみじろぎもせず、すこし道をはずれた場所の床を凝視している。

[Narration] 何だろうとクローエは歩み寄り、その勢いで何かを蹴飛ばした。

[Narration] 暗闇にごろごろと転がっていったのは、しゃれこうべだった。

[Chloe] うっ……じ、人骨!?

[Narration] そのころ。杏里とソヨンは───

[Anri] わっ、うわっ

[Narration] 壁面には黒いオイルが染みだし、やたらにぬめる。さらに上への手がかりを求めて、水平方向に移動しようとした杏里は、つまさきをすべらせた。

[Soyeon] 杏里さんッ! 右です!もうすこし、右足をあげてっ

[Anri] くっ…………

[Anri] (とは言われけれど……もう1センチでも 右足を上げたら、きっとツる………… むしろツる……絶対に……)

[Soyeon] ああっ、お、落ちちゃうっ!

[Anri] いや……まだなんとか…………え? 猫のほう?

[Anri] (……まだろくに目もあいてないのか…!? 時間が無いぞっ……)

[Soyeon] ああぁぁ、杏里さぁんッ

[Narration] ソヨンの懇願を背に受けて、杏里は一念発起する。

[Narration] 思い切り伸ばした右手の先、ぎりぎり届かない場所にある金属のパイプ。それに取りすがれさえすれば、目的地はすぐだ。

[Anri] くっ……ぐぅっ……い…やあっ!!

[Narration] 杏里は靴先を乗せる壁面のわずかな段差に、力を込め、決死のジャンプをした。

[Narration] しかし───してやったりと、歓喜の表情で握りしめたパイプは、手の中で粉々になった。

[Anri] え?

[Narration] ずだだだ、だ、だーん!

[Soyeon] 杏里さんっ! ご無事ですかっ?

[Anri] すっごく痛ーい!……でも、怪我は無いみたいだ。

[Soyeon] ああっ、杏里さん、あたしやっぱりいきます!

[Anri] そ、ソヨン……やっぱり、ここで待ちかまえて、ナイスキャッチしたほうが……

[Soyeon] ダメですよ! もし落としてしまったりしたら、どうするんですかっ!

[Narration] ボロボロになって言葉もない杏里の前で、ソヨンはチマチョゴリの下帯を、さっとほどきはじめた。

[Anri] あ……ソヨン……?

[Narration] 杏里の目前で、ソヨンはチマ(スカート)を脱ぎ捨てた。

[Narration] 子猫の鳴く壁の一点を、きっ、と見あげ飛びついた。

[Narration] 少女は、杏里が登る間にすでに、足がかりとなる突起の位置を覚えてしまったのだろう。

[Narration] 決して焦ることなく、常に3点で体を保持しながら、確実にその小さな体を持ち上げていく。

[Narration] その身軽さと確かな技術に、杏里は舌を巻く。

[Anri] す、すごいっ、すごいやソヨン!

[Narration] そして、それ以上の大きな感動に体をうちふるわせてもいた。

[Anri] (……ね、猫さんパンツ……!)

[Narration] クローエは、顔をしかめて、さらに人骨へと目を寄せた。

[Chloe] うっ……何か文字が刻まれてる……死者の尊厳を何だと……

[Narration] 自分で蹴り飛ばした物については、すでに懺悔を済ませたらしい。

[Narration] おそるおそる、大腿骨らしき骨に手を伸ばして読みあげる。

[Chloe] ……m……a……d……

[Chloe] メイド……イン……チャイナ……

[Niki] …………

[Chloe] ……な、何よ。おもちゃじゃない?趣味の悪い……

[Narration] クローエは怒って骨を投げ捨てた。

[Narration] カランカランと骨は暗闇に消えていく。

[Chloe] ……行きましょう。

[Narration] 複雑なつくりの地下道は方向感覚を大いに狂わせたが、逆にクローエにはおおよその自分の位置が見当つきはじめた。

[Narration] ここは、いわば船の内臓と内臓の間隙だ。

[Narration] 今、目にしている壁の規模から、内側の施設を類推できる。

[Narration] 本来なら、ぴったりと組み合わさって、こんな無駄な空間など生じないはずだ……。

[Chloe] (まさに、父と兄の亀裂そのものというわけね……)

[Narration] ふとクローエは思いとどまった。

[Narration] もしかして、本当にカタコンベを作ろうとしていたのかもしれない。

[Narration] ……とすれば、無駄なものや人間的なものが大好きだった父のほうが、合理主義の兄よりも一歩上手だったことになる。

[Narration] 船内に教会や病院があって、墓が無いのはアンバランスだとでも思ったのだろうか。

[Narration] クローエはそんな考えに行き着いて、思わず笑みを漏らした。

[Niki] …………?

[Narration] 物音が通路の先から聞こえてきた。やがてそれは水音であるとわかる。

[Narration] 急に差し込んだ光に、二人は目がくらんだ。

[Narration] ソヨンの決死の登攀は続く。

[Soyeon] ハァ……ハァ……

[Narration] 杏里の到達点はすでに遙か下となり、ついにソヨンは望む高さへたどり着いた。

[Anri] そこだ! あと、ほんのすこし左だよ!

[Soyeon] ハイ!

[Narration] ゆっくりと近づいていくと、向こうも気配がわかるのか、弱々しかった鳴き声がまたいくぶん強くなった。

[Narration] しかし、登り始めた時に比べて、ずいぶんと奥へと入ってしまっているようだ。

[Narration] そろそろと平行に移動しつつ、ソヨンは壁に開いた隙間をのぞきこんだ。

[Soyeon] ……あっ……

[Narration] ソヨンは息を呑んだ。15センチほどの幅しかない、狭い暗がりだ。

[Narration] おせじにも可愛いとは言い難い、油にまみれ骨と皮ばかりにやせた子猫が、そこにいた。

[Narration] そのすぐ隣には、やはり同じように痩せ細り、すでに息絶えてしまった兄弟らしき子猫の姿があった。

[Narration] 親猫の姿は無く、どこへいったかも勿論わかるはずもない。

[Narration] 泣きやまぬ子猫に向かって、ソヨンは夢中で腕を伸ばした。

[Soyeon] おいで……おいで、ホラ……っあたしと一緒に行こう……

[Soyeon] だめ……ここにいたら……死んじゃうよォ……ッ

[Narration] ソヨンは懸命に隙間に腕をさしこんだ。

[Narration] 指先にやわらかい感触があった。なおも触れると、よたよたと歩きながら、ぬくもりへと体を寄せた。

[Narration] そのまま手のひらを下にまわして猫をのせると、慎重にすくいあげる。

[Soyeon] 動いちゃだめ……そう、いい子だから……

[Narration] そろそろと引き寄せた手に乗って子猫が現れる。ソヨンは安堵の息をついた。

[Soyeon] はぁぁ…………よかったァ……もう大丈夫だからね……もう、おまえを死なせやしないからね……

[Narration] ソヨンは、抱きかかえた小さな命に、頬を寄せた。その瞳には、喜びの涙が光っていた。

[Soyeon] ……つかまえました!

[Soyeon] これから降りますから、杏里さん……あの……っ……

[Anri] わかった! 足を置く場所を教えるよ!ゆっくり降りてきて!

[Soyeon] ハイ!

[Narration] 杏里は下から叫びながら、ソヨンを誘導した。

[Narration] 中ほどまでソヨンが降りてきたところで、杏里は、内心安堵の息をついた。

[Narration] そしてまた、悔しさに歯がみもする。

[Anri] (ああ……も、もうあとほんの少しで……ソヨンのおしりタイムが終わっちゃうんだっ……)

[Soyeon] あ、杏里さん……このまま、まっすぐでよろしいんですかっ!?

[Soyeon] だ、黙ったままでいられると……は、恥ずかしいですよ!

[Narration] ソヨンはここに至って、ようやく自分の格好をかえりみる気持ちが生まれ、顔を赤らめた。

[Narration] 下着一枚だけのヒップむきだしで、杏里に向かって、大きく脚を開いたり、閉じたり、尻を突き出したり……

[Soyeon] いや〜〜っ、は、恥ずかしいですっ!見ちゃだめですっ!

[Anri] そ、そんなことないよっ!可愛いよ! とってもキュートだよ!

[Soyeon] そんなことありません!目を閉じていてくださいっ、杏里さん!

[Anri] それじゃ、ナビゲートできないじゃないか!

[Soyeon] もう大丈夫ですから!

[Anri] ちゃんと下に降りるまでが、壁のぼりだよ!見つめるよボクは!そりゃもう、穴があくほど!

[Soyeon] お気に入りに穴をあけないでください!

[Anri] 失敬! では、なめまわすように!

[Soyeon] なめるのもだめです!

[Anri] (……あああ、あと五メートルもない)

[Anri] (じ、時間よぉ、止まれぇぇっ!)

[Narration] 杏里がそう念じながら、チマを胸にかきいだくと、果たしてソヨンの降りる動きは止んだ。

[Soyeon] …………

[Anri] あれ?……ど、どうしたんだい、ソヨン!?

[Soyeon] あっ……だめ……だめだったら……

[Narration] 子猫はソヨンの胸元を抜け出し、肩へと這い登ってしまっていた。子猫にとってはそれが乳房を求める自然な動きなのだった。

[Narration] ソヨンはなんとか子猫をつかまえようとするが、腕がうまくあがらない。

[Soyeon] だめっ、動かないで! 危ないよっ!

[Soyeon] あっ、ああ……!

[Narration] 転び落ちそうになる子猫を、ソヨンはとっさに体をひねり、両手で捕まえた。

[Soyeon] っ……きゃぁぁぁぁぁぁっ!

[Anri] わぁっ、ソヨ───ンッ!!

sapphism_no_gensou/8080.txt · Last modified: 2013/06/01 22:49 (external edit)