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sapphism_no_gensou:8070

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[Narration] 途方に暮れ、乗馬場にたどりついた時には、もうすっかり陽は暮れかかっていた。

[Narration] 杏里は息を切らしながら、草の海へと我が身を投じた。

[Narration] 風にうねる牧場は、帯状に赤銅色の輝きを返しながら、刻々と表情を変えていく。

[Narration] ほどなく杏里は、牧場を囲む丸木柵の傍らに少女を見つけた。

[Narration] 柵に寄りかかり、草はむ馬たちの姿を見つめている。

[Narration] ひたむきで、でも、どことなく寂しげな横顔。一枚の絵画のように視界におさまった少女の姿を、杏里は息を止め見つめていた。

[Narration] やがて、草を踏み分けながら近づくと、少女も気づいて顔をあげた。

[Narration] 杏里に自然と微笑みが広がる。

[Anri] 見つけたソヨン!

[Anri] ずっとここにいたの?

[Narration] 一瞬、その声を聞いたソヨンは、ぱっと顔を輝かせたものの、すぐまた塞いだ表情に戻ってしまう。

[Anri] ハァ……ハァ……あんまり大きな船も考えものだよ。もう一生、逢えないんじゃないかってなんだか不安になっちゃった。

[Soyeon] ぁ……

[Narration] かすれた声は、たちまち草の音にかき消されてしまった。

[Anri] でもよかった。ここにいたんだね……よかった……

[Narration] 杏里はその場に腰をおろした。胸を上下させながら深呼吸する。

[Soyeon] 杏里……さん……

[Soyeon] ごめんなさい……あたし……

[Narration] その場に立ちつくしたまま、ソヨンは歯をかみしめた。すっかりしょげて、涙をにじませようとするソヨンに、杏里は草の上から語りかけた。

[Anri] よかったら座らない?

[Anri] 馬を見ていたんだよね?一緒に見ようよ。

[Narration] こくりとうなずいたソヨンは、杏里の脇にそろそろと腰を下ろした。

[Narration] 二頭の馬が長い影を落としながら、丸い丘へと向かう。優雅にたなびくたてがみを、杏里はまぶしそうに、目をすがめて見つめた。

[Anri] きみの姿を捜しながら、ボクずっと考えていたんだ。どうしてこんなふうになってしまったのか。

[Anri] それで……ひとつだけど、思い当たることがあって。

[Anri] それだけは聞きたくてさ。

[Narration] またソヨンはためらいがちに肯く。

[Anri] ソヨンがボクのことを、事件の犯人じゃないって信じてくれてるのはわかるよ。

[Anri] ただ、もしかしてボクの別の噂の方を、気にしているんじゃないかなって。

[Anri] その噂は……たぶん嘘なんかじゃなくて、当たっていると思うんだ。

[Narration] 夕日に染まる杏里の横顔をソヨンは見つめた。

[Anri] ボクさ、女の子が好きなんだ。

[Narration] ソヨンはまだ平静だった。

[Soyeon] ……あたしもです……

[Anri] え?

[Soyeon] ……あたしも……クレアやミリエラやコーたちが大好き……です。

[Anri] 違う違う。きみの好きとは異なるんだ。likeじゃなくて、loveだよ。愛しているんだ。

[Narration] 杏里はまた前を向き直して続けた。

[Anri] 可憐で美しい少女を想い浮かべる時、ボクの心は恋に焦がれ、踊り出す身をおさえられなくなる。

[Anri] 若き乙女こそ、この世の美の象徴だ。すべての詩よ、祈りよ、賛美歌よ。乙女を讃えるためにこそあれ!

[Anri] この胸に絶えずほとばしるパトスを、乙女たちの愛の器にこそ注ぎこみたい。

[Anri] ボクの愛は、ある時は彼女らのまとう花の香りに。またある時は、甘き眠りへと誘うしらべになろう。

[Anri] そしてある時は、薄明に瞬き、彼女らに朝の到来を報せる明星になろう……

[Anri] とまあ、こんな事ばかり考えてるんだ。いつも。うん。

[Narration] ソヨンは目をぱちぱちさせている。

[Anri] 耳ざといビジターたちに何か言われなかったかい?

[Soyeon] あの、杏里先輩は、レズの王子様だって……

[Anri] あはは。そう、それ。

[Soyeon] ほ、ホントだったんですね……

[Soyeon] じゃ、杏里さん、男性は駄目なんですか?

[Anri] いや、嫌いじゃないよ。男にだっていい奴はいるさ。

[Anri] ただ、友達になってもいいと思う奴はいたけど、眠れないほど好きになった男性はいないなあ。

[Soyeon] ……はぁ……

[Anri] 驚いたかい?

[Narration] ソヨンは深く肯いた。

[Soyeon] もう、びっくりですよ。

[Soyeon] あたし、そういった方々は小説や映画の中にいるものだとばかり……

[Anri] 現実は小説よりも驚きに満ちている。ま、別に自分では珍しいとは思ってないけどね。

[Anri] ……それで、ボクを避けていたわけじゃ?

[Soyeon] ち、ちがいますっ!そんなっ。

[Anri] 本当に?

[Soyeon] は、はいっ! 本当です!

[Anri] よかった。

[Narration] 杏里はスラックスについた草をはらって起きあがると、ひょいと柵の上へと腰を乗せた。

[Narration] ソヨンもそのすぐ脇に立って、柵にヒジをつき、やがてとつとつと語りだした。

[Soyeon] あたし、その、何となくわかり、ます。杏里さんが本気で女の人を好きになる、その気持ちって。

[Soyeon] 何て言ったらいいんだろ。言葉に出来ないや、けど……あ、じゃあ本当はわかってないのかなっで、でも、解るようにがんばります。

[Soyeon] ただ、あたし自身はまだ、そのっ……相手の性別に関わらず……愛してる……とかは……よく……解らなくて……

[Narration] 夕映えに負けじと赤くなるソヨンを見て、杏里は微笑んだ。

[Anri] ありがとうソヨン。今は、それでじゅうぶんだよ。

[Anri] じゃあ……

[Anri] ね、ソヨン。よかったらどうしてボクを避けていたのか、教えてくれないだろうか?

[Soyeon] 違うんです! 杏里さんを避けていたんじゃないんです!

[Anri] というと?

[Soyeon] あたし、実は、う、うう、ううう───

[Anri] ううう?

[Soyeon] う

[Soyeon] 海が怖いんです!

[Anri] ハ?

[Soyeon] ……ひゃぁぁ……言ってしまったぁ……

[Soyeon] あたし……どうしよっ……恥ずかしぃ…………っ!!

[Narration] 何を聞いても驚かないでいようと思っていた杏里の肩が、ずるりとさがる。

[Anri] 海って、この船が浮いてる……海?

[Soyeon] は、はいっ、そうなんです。

[Soyeon] あ、あとプールもっ、おふろも、あんまり大きいのはっ、だめなんです。

[Soyeon] とにかく、水面(みなも)がゆらゆらしているのを見ると、あたしっ、もう足がすくんでしまって……!

[Anri] じゃあ、以前、部屋で様子がおかしかったのも、高い所が怖いんじゃなく……

[Narration] 顔を青ざめさせ、ぶんぶんと前髪を浮かせてうなずくソヨン。

[Soyeon] う、海側の窓を避けてたんです。

[Anri] ……ふぅ、それで……か。

[Anri] そっか。なるほど……待ち合わせにしたカフェテラスは、三方を海に囲まれてるし。海を眺めるには絶好の場所と思ったんだけれど。

[Soyeon] はぁあ〜、あんまり言わないでくださいぃ、想像するだけでも、た、立ってられないんです……

[Narration] 震え上がったソヨンはへなへなとその場に崩れた。

[Narration] 杏里はフフと微笑みながら、優雅な身のこなしで前後に手をまわし、頭を垂れた。

[Anri] それでは改めて、レディ?

[Anri] よろしければ、デートを申し込んでもよろしいですか?

[Soyeon] えっ……今からですか?

[Anri] 馬、好き?

[Soyeon] えっ?

[Anri] ソヨン、馬、好きなんだ?

[Soyeon] は、はいっ!お馬さんを見ていると、何時間でも飽きません。

[Anri] きっとその背を借りたら、もっと楽しいよ。

sapphism_no_gensou/8070.txt · Last modified: 2013/06/01 22:49 (external edit)