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sapphism_no_gensou:7603

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[Tenkyouin] ふむ……、予想通りの幽霊の類か。杏里に取り憑いたな。

[Anri] その言い方は少しひどい。私は別に、無理にこの人の体に入って、動かしているわけじゃない。

[Anri] お互い、同意の上で、体を一時的に借りているんだけど。

[Soyeon] あ、杏里さん……、なんで同意しちゃったんですか……。

[Anri] 私は、普段は船内倉庫の一つにいる。そこに、この彼女がふらりと迷い込んできた。

[Soyeon] あ、そういえば、ちょっとした宝探しをしてから、ここに来るって言ってましたっけ……。

[Tenkyouin] なにをしてるんだ、杏里のやつは……。

[Anri] 彼女は、うっかりだけど、私の封印を解いてくれた。それから、お互い、ほんの少しだけど情報を交換して……。

[Anri] 彼女が意外にも気前よく体を貸してくれることを承諾したので、こうして、私は久しぶりに学園の中を歩いているわけ。

[Anri] まさか、ここが船の上になっているなんて知らなかったけど。

[Tenkyouin] すると、君はまだ、ポーラースターが陸の上にあった時の学生か。

[Soyeon] え!? ポーラースターが陸の上にあったことがあるんですか?

[Tenkyouin] 別に、この船が陸の上に乗り上げていたわけじゃない。

[Soyeon] え? あ、それはそうですよね……。

[Anri] そう、私がいたころの学園は、スイスにあった。すごい山の中だけど、きれいなところだった……。

[Tenkyouin] H・B・ポーラースターが学園船として就航するまで、学園としてのポーラースターはスイスにあった。そのころの話だな。

[Anri] そう。アルプスのイタリア側。麓の村まで、たっぷり3時間は山道を歩かないとたどり着けない。

[Anri] そう言ってみれば、この船と変わりないわね。海の上か山の中かの違いで。

[Anri] 変わらない。きっと今と同じ。隔絶されたその場所は、いつだって、乙女達の楽園……。

[Anri] 愚か者が、若さ故にその命を散らすこともあるけれど。……私みたいに。

[Tenkyouin] 本題に入ろうか。

[Tenkyouin] なぜ、君がこうして、幽体となり、この船にいるのか。そして、杏里の体を借りて何をしようとしているのか。……聞かせてもらおう。

[Anri] 話したとおり、私は、まだ山の中にあった頃のポーラースター学園の学生だった。

[Narration] 杏里の姿を借りた彼女の口から、当然、杏里のものではない過去が語られる。

[Narration] その違和感が、杏里の体の輪郭を、どこかおぼろげなものにしているように、ソヨンには思えた。

[Anri] 家は、国では屈指の資産家。だから、この学園ではごく普通のレベル。

[Anri] 特に疑問も持たずに、この学園に入って、学園生活をすごしていた。

[Anri] 楽しい日々だった。彼女に出会ってから、特に。

[Anri] 恋人が、できたの。ここは女子校だから、当然、相手は女性で……。

[Anri] 許される恋じゃなかった。

[Anri] 無知でも、幼稚でも、私達は真剣だった。当然、大人達は反対する。馬鹿なことをと一笑に付して、あるいは、頭ごなしに否定して。

[Anri] そして、真剣だったからこそ、私達は純粋に、二人の関係を守ろうと思った。永遠のものにしたいと願った。

[Anri] だから……、二人でともに、命を絶とうと思った。

[Anri] 方法は月並みに睡眠薬で……。深い闇に陥った後、自分の体がどうなったかは知らない。そして、ともに薬をあおった彼女がどうなったかも……。

[Anri] 気づいた時は、幽霊と呼ばれる存在になっていた。あてもなく、学園内をさまよい……、あるいは、ただ、立ちつくす。

[Anri] 時が過ぎているのかもわからない体で、意識で、ずっと学園にとどまっていた……。

[Tenkyouin] なるほど……。そういった理由か。さぞ、杏里は君に同情してくれただろうな。

[Anri] 同情……? ああ、同情なんだろうね。

[Tenkyouin] 杏里がどれほど言葉を尽くしたかは知らないが、あたしから見れば、杏里のそれは同情だ。実際、もし、あたしが杏里なら、君に同情はする。

[Tenkyouin] 幼稚な恋にふけり、周囲の壁の高さを嘆き、絶望を選んで命を絶つ。

[Tenkyouin] 挙げ句の果てが、何も手に入れることなく、こうしてただ、存在しているだけか。

[Narration] 彼女を見据えながら、天京院は短く笑った。そして、告げた。

[Tenkyouin] 哀れだな。

[Soyeon] ……!

[Narration] ふと、部屋の中の気温が下がったようにソヨンには感じられた。これは、いったい誰のしわざなのだろう? 目の前の幽霊か、あるいは……、天京院か。

[Narration] それほど、天京院の言葉は冷たく、硬くとがっていた。

[Anri] どうだろう?

[Narration] その言葉に、切り刻まれたふうもなく、彼女は答えた。

[Anri] 確かに、私はもう、一人。

[Anri] 愛したあの少女も、もはや、どこにいるのかわからない。

[Anri] それでも……。

[Anri] 再び、生を得て巡り会うこと願った。

[Anri] ともにあることを誓った。

[Anri] 互いの気持ちを声に出して告げ、そして確認した。

[Anri] 私は、この気持ちに何一つ、嘘はつかなかった。

[Anri] 言わずにいたら、一生、なにもできなかったから。

[Anri] だから、伝えて、答えを選んだんだ。

[Anri] ねぇ、あなたは……。

[Narration] 風が、吹いた。締め切った、室内に。エアコンにはありえない、湿度を持った温かい風が。

[Soyeon] ひゃ……。

[Narration] 髪が、たなびく。その人の姿にはない、髪が。中にいる少女の在りし日の姿を映しているのか……。

[Anri] なにか、言いたいことを抱えたまま、生きているのか?

[Tenkyouin] な……っ!

[Anri] それは……、この中の彼女に、伝えたいことじゃないのか?

[Tenkyouin] 黙れ。

[Narration] 目の前の怪異に怯みもせずに、天京院は低い声で言い放つ。

[Tenkyouin] ……泣こうが吐こうが、口に出せない言葉がある。

[Tenkyouin] だが、それはあたしのものだ。……誰にも汚させはしない。

[Anri] そして、一生、告げることなく朽ち果てる?

[Tenkyouin] かまうもんか。無様に吐き出すくらいなら、その方がいい。

[Anri] その言葉を、相手が望んでいても?

[Tenkyouin] ……はっ!

[Narration] 天京院は短く笑う。それは明らかに、相手に対して、侮蔑を含んだものだった。

[Narration] そんな望みは存在しない。天京院は言葉も発せずに、彼女の言葉を否定した。

[Anri] 私の中で寝ている彼女は、なによりも、気持ちを伝えてくれることを望んでいる。

[Tenkyouin] ………………。

[Anri] なによりも、言葉で気持ちを伝えることに喜びを感じる彼女に、なにを隠しているのか?

[Tenkyouin] ………………。

[Anri] 言ってみて、言えないことを……。

[Tenkyouin] ……言ってやろうか……?

[Soyeon] かなえさん!?

[Tenkyouin] 望んでる!? はっ、馬鹿らしい! なら、聞かせてやろうか、杏里!

[Tenkyouin] お前に言ってやる! あたしは……。

[Soyeon] だめです、かなえさん……!

[Narration] 言葉を遮って、ソヨンは天京院の腕にしがみつく。

[Tenkyouin] はな……!

[Narration] その手を振りほどこうとして、天京院は、腕が少しも動かないほど、強い力でソヨンが自分を止めているのに気づいた。

[Narration] けして、腕を引っ張るのでもなく、押さえつけるのでもなく。ただ、自分に、ここから一歩も動くなと強く告げるように、ソヨンは天京院の腕をとっていた。

[Soyeon] ダメです、こんなところで……。

[Soyeon] ダメですよ、こんなところで、棄てちゃ……、ダメです……!

[Narration] 驚愕を込めて見下ろす天京院を、ソヨンはまっすぐに見つめ返す。

[Narration] つかまれた腕に伝わる感触そのままに、強く、穏やかに、澄んで。

[Soyeon] 言葉にしたら、壊れてしまう、なら……!

[Tenkyouin] ……!

[Anri] 壊れてもいい。その先に、なにも残ってなくてもいいじゃない。

[Anri] 私達は、なにもつかめなかった。でも、互いの体は抱き合ったままと信じてる。

[Anri] あなた触れもせずに……。

[Soyeon] お願い、黙って!

[Narration] 強く、天京院の腕をつかんで、ソヨンが叫ぶ。

[Soyeon] あなただって、考えたことがあるでしょう!?

[Soyeon] もし、気持ちを伝えなかったら、二人とも、生きていられたかもしれない。

[Soyeon] もし、秘密にしていれば、二人とも、生きていられたかもしれない。

[Soyeon] あなたは……。

[Soyeon] 選ばなかった選択肢を後悔してるんです。それを……。

[Soyeon] 杏里さんの声で、言わないでください。

[Soyeon] その人はいつだって……、選ばなかったことを悔やんだりはしなかったんだから。

[Anri] そんな選択肢なんてなかった!

[Soyeon] あったはずです! 絶対、どこかに!

[Anri] どこに!

[Anri] 言え! 教えて!

[Anri] あの時、あなたは……!

[Anri] どうした、かった、なんて……。

[Anri] ……聞けない、……でしょう?

[Narration] 顔をあげ、二人を見つめる、光る瞳。

[Narration] なにか、この今の状況も忘れ、まるで、哀れに見える、濡れた瞳。

[Narration] しかし、その唇からはまだ、抗いの剣が言葉となって引き抜かれる。

[Anri] ……彼女は、こう呼ぶんだ。かなえさん──。

[Tenkyouin] ……っ!

[Narration] それはひどく気味悪く、偽りの長い髪を称えた杏里の姿をした少女は、ゆっくりと言葉を続けた。

[Anri] ボクに、つたえたいことがあるんじゃないのか?

[Tenkyouin] 杏里ぃっ!!

[Soyeon] かなえさん! ダメ、ダメです!

[Tenkyouin] 離せ! ファン・ソヨン!

[Soyeon] 離しません!

[Narration] 天京院は今度こそ、満身の力で、ソヨンをふりほどこうとする。

[Narration] それでも、ソヨンは天京院の手を離さず、そして……。

[Soyeon] 杏里さん!!

[Narration] 杏里に向かって叫んだ。

[Soyeon] 杏里さん、目を覚まして! お願い! 覚ましてぇ!!

[Soyeon] このままじゃ、かなえさん、戻れなくなっちゃいますよ!? 杏里さん、杏里さん!!

[Narration] 突如。

[Narration] 部屋の中は膨大な光量によって埋め尽くされる。そして、光が押しつけてくるような風が、天京院とソヨンに吹きつける。

[Tenkyouin] ポルターガイスト!?

[Soyeon] 天京院先輩! 杏里さんが!!

[Tenkyouin] ……!

[Narration] その光の中でも、杏里の姿は二人にはっきりと見えた。

[Narration] 杏里の、今は杏里ではない証明である長い髪が、ゆっくりと光に飲まれてかき消えていく。

[Tenkyouin] どこへいく気だ!

[Narration] 天京院の声も、吹き荒れる風に飲まれる。

[Narration] ガラスの割れる音、ミキサーの落ちる音、本が壁に叩きつけられる音がそれに重なる。

[Narration] 小さな部屋の中だけに吹き荒れる暴風が、この夜を少しづつ、削り取っていくようだった。

[Narration] やがて暴風はやみ、天京院の部屋の中は、その寸前より5割り増しに物が散乱した有様となった。

[Narration] そして、杏里・アンリエットはその真ん中で倒れていた。蒼白になったソヨンが駆け寄り、その容態を確かめる。

[Narration] すぐに、直前まで杏里の中にいた彼女は嘘をついていなかったことが証明される。杏里は、非常によく、熟睡していたのだ。

sapphism_no_gensou/7603.txt · Last modified: 2013/06/01 22:49 (external edit)