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sapphism_no_gensou:7509

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[Tenkyouin] ああ、レイチェル・フォックス、あなたか。

[Narration] ノックの音に、やや警戒しながらドアを開ける。そこに立っていたのは、セカンドクラスの担任の、この船でいちばん若い教師だった。

[Rachel] ごめんなさい、お忙しかったかしら?

[Tenkyouin] いや……。ほとんど人にまかせているから……。早くすませるには、自分もやった方がいいんだが、どうにもあたしは、昔から片づけが苦手で。

[Rachel] あら、そうなの? じゃあ、ちょうどよかったと言うべきかしら。少し、つきあってほしくって。

[Tenkyouin] 何の用です? はっきり言って、あなたとは担当されている学年も、専攻している学科もちがうはずだけど?

[Rachel] あら、そんなつれないこと言われると悲しいわ。ちょっとね、協力してほしいことがあるの。

[Tenkyouin] ……なにか?

[Rachel] ほら、私も来期はサードクラスの担任になるかもしれないじゃない? だから、今期の卒業生の進路をデータベースにして、役に立てたいのよ。

[Tenkyouin] ……それで?

[Rachel] 天京院さん、急に進路を変えたじゃない?それで、ちょっといろいろ聞いておきたくて。

[Tenkyouin] ……話す事なんてないけどね。

[Rachel] 冷たいこと言わないで、協力してくれないかしら……。あなたみたいな、ちょっと特別なケースの学生の話を聞きたいのよ。

[Rachel] ほら、今のセカンドには、変わり者が多いでしょう? ……杏里さんとか。

[Tenkyouin] あたしの話が、杏里の場合になんの役に立つか、わからないんだが。

[Rachel] 何かの役に立つのよ、これがきっと。さ、教員室までいらっしゃい。すぐにすみますから。

[Tenkyouin] ……はい。

[Narration] 教師相手に、つっけんどんに断るのも馬鹿な話だ。そう判断して、天京院はうなずいた。

[Narration] とりたてて急ぐ用もない。すぐにでも船を離れたいとは思うが、準備ができてないまま逃げ出さなきゃならないほど、後ろめたいことでもない。

[Narration] これからおおよそ30分程度の時間に味わうであろう煩わしさを予感しながらも、天京院はレイチェルの後に続いて、廊下へと出た。

[Nicolle] 出た! よくやった、レイチェル! カナエをつれだしたぞ!

[Alma] まぁ……。でも、よくレイチェル先生に協力してもらえましたわね。

[Anne Shirley] クスリ?

[Nicolle] ちがうよ。ちょっとね、こないだカジノでちょっとしたお宝を見つけたんでね。

[Nicolle] それをエサに、協力してもらったってわけさ。

[Alma] まぁ……。なんですの、その、ちょっとしたお宝って。

[Nicolle] ……ああ、大丈夫だよ、アルマは映ってなかったから。おっと、いけね……。

[Alma] はい?

[Niki] ……! あ、あの……。あ、あた、し、は……?

[Nicolle] えーと……。ニキ、気にしちゃダメだぞ?

[Niki] ! !!

[Anne Shirley] ほっほっほ、お主もワルじゃのう。

[Nicolle] 変なノリに巻き込むな。さて、ここまでは計画通り。あとは、杏里の方だな……。

[Eliza] は? 天京院様のお部屋ですか?

[Anri] う、うん。ちょっと忘れ物をしちゃってね。取りに行ったんだけど、今、かなえさん、留守だからさ。

[Anri] イライザなら、かなえさんの部屋の鍵を持っているだろう? あ、開けてもらえないかと思って……。

[Eliza] まぁ、そうでしたか。

[Eliza] でも、天京院様でしたら、この後すぐに、荷物の整理をお願いされていますので、それほど長い間、部屋を空けてはいないと思いますので、お待ちになられた方が……。

[Anri] だから急がなくちゃ!

[Eliza] は?

[Anri] あーいやいや! こっちの話。そう、ボクが急いでいるんだ! その忘れ物が、急に必要になっちゃって!

[Eliza] 何をお忘れになったんですか?私が探してまいりますが。

[Anri] え!? えーと、あ、あの、どこでなくしたかはっきり憶えていないんだ。だから、部屋に入ってゆっくりと……。

[Eliza] それならば、なおさら、天京院様のお帰りを待ってから、探された方がいいと思いますが……。

[Anri] あ、あれ? あの、えーと……。

[Narration] あからさまに動揺し、目の前で頭を抱える杏里を見て、イライザは一つ、ため息をついた。

[Eliza] 杏里様? いくら杏里様のお願いでも、勝手に留守中に他の方をお部屋にお通しすることはできないんです。

[Anri] あ……、うん……。

[Eliza] 確かに、私達メイドは、皆様の部屋の鍵を預かっておりますが、それは、留守中にどなたかをその部屋にご案内するためではないんです。

[Anri] うん……。そうだよね。

[Anri] ……あのね、イライザ。

[Eliza] はい、杏里様。

[Anri] ボク……、昨日、かなえさんとちょっとケンカをしてしまったんだ。

[Eliza] はい、一応、存じ上げております。

[Anri] できれば、ちゃんと話し合って仲直りしたいんだ。ただ、ちょっと……、かなえさんがボクに会ってくれない気がするんだ。

[Anri] だから、絶対にかなえさんと話ができるように、かなえさんの部屋で待ち伏せしたいんだ。

[Anri] 約束するよ、イライザ。イタズラとかそんなんじゃないんだ。もちろん、泥棒もしないし、部屋を汚したりもしない。

[Anri] イライザにも、決して迷惑はかけないから!ボクは真剣で……、その……。

[Narration] 迷惑はかけない、それはお願いの内容からして、無理だろう。しかし、言葉の通り、杏里は真剣だ。それだけは疑いようもない。

[Eliza] わかりました。

[Anri] イライザ!

[Eliza] 天京院様のお部屋の中にお通しします。杏里様。

[Anri] ありがとう、イライザ!

[Eliza] 急ぎましょう。先ほど言いましたように、天京院様も、長くは部屋を空けないと思いますから。

[Anri] うん!

[Nicolle] 杏里! 鍵はどうした? ってあれ?イライザも一緒なのかい?

[Anri] うん!事情を話したら、鍵を開けてくれるって!

[Nicolle] 杏里〜、イライザを巻き込んでどうすんだよ。迷惑がかかるだろ?

[Anri] イライザに迷惑はかけないよ! 約束したんだ。ボク達が勝手に、かなえさんの部屋に忍び込むってことなんだからね!

[Nicolle] だ〜か〜ら〜、イライザを騙して鍵を手に入れなきゃいけないんじゃないか。事情をばらして開けてもらったら、協力してもらったことになるじゃないか!

[Anri] あれ? え、えっと?

[Eliza] お気になさらずに、杏里様。私の方は、うまくやっておきますので。

[Narration] そう言ってから、イライザはエプロンのスカートのポケットからカードキーを取り出すと、それをリーダーに差し入れる。

[Narration] カードが認証されたのを確認して、イライザはドアホンに備え付けられたテンキーから、数字を打ち込む。

[Narration] やがて、小さな電子音が響いて、ロックが外されたことが知らされた。

[Anri] 開いた!

[Nicolle] ようし、行くぞ!

[Eliza] まだ、お待ちを。

[Narration] 急ききってドアを開けようとする杏里とニコルを、イライザはやんわりとした口調で止める。

[Eliza] まだ、天京院様特製のセキュリティがありますから。

[Anri] え!?

[Narration] 言い置いて、イライザは今度はカードの向きを逆にして、リーダーに差し入れる。

[Narration] 鳴り響く不正音を無視して、テンキーから数字を入れると、7桁目か8桁目の数字で、不意に不正音が鳴りやむ。

[Eliza] はい、これで中に入れますよ。

[Nicolle] うわ、カナエ、自分専用のセキュリティなんか入れているのか。

[Eliza] ええ。急がれた方がいいですよ? このセキュリティを外したことは、天京院様にも伝わっているはずですから。

[Anri] すごいや、かなえさん、なんだかスパイみたい。

[Nicolle] のんきな感想をもらしている場合じゃないぞ、杏里! ほら、行こう!

[Anri] うん! それじゃ、みんな、かなえさんの部屋にお邪魔しよう!

[Alma] はい、お邪魔します。

[Anne Shirley] お邪魔しま〜す。

[Niki] お、お……じゃま……しま……す……。

[Narration] 中に駆け込んでいく一行をドアのそばで見送りながら、イライザは部屋の中にいち早く足を踏み入れた杏里に声をかける。

[Eliza] うまくいくといいですね、杏里様。

[Anri] うん、そう祈っていておくれ、イライザ。ほんとにありがとう。お礼の言葉もないよ!

[Eliza] 過分なお言葉ですわ、杏里様。私は、杏里様のためのメイドなんですよ?

[Narration] そう言って笑うと一礼し、イライザは仕事に戻るために、大廊下の向こうへと消えていった。

[Chloe] 何を考えてるの?

[Narration] 杏里達と別れた後、他の仕事へと向かうイライザの前に、クローエが声をかける。

[Eliza] ……は? 何のことでしょう?

[Chloe] しらばっくれて。最初のあの下手な嘘に騙されていれば、あなたは杏里に騙されて、勝手に他人の部屋をドアを開けただけ。せいぜい過失ですんだのよ?

[Chloe] それを……、いちいち白状させてから部屋に通すだなんて……。これじゃ立派に共犯じゃない。

[Eliza] そうですねぇ……。

[Chloe] 笑い事じゃないわよ。杏里達のしでかしたことが大事になれば、あなたの首だって危ないわよ?

[Eliza] 確かにそうかもしれませんけど……。

[Eliza] 騙したって思われるより、協力してもらったと思われた方が、杏里様にはいいかと思いまして。

[Chloe] なによ、それ。

[Eliza] 被害者でいるよりも、共犯者でいたいんですよね、杏里様との関係って。

[Chloe] ……理解しかねるわ。

[Eliza] まぁ、これからがいよいと本番みたいですよ。どうなるか、楽しみではありませんか?

[Chloe] ふん、つまりは、騒がしくなるってことよね。やれやれだわ。

[Narration] かすかな振動が、白衣のポケットに入れた携帯電話を兼ねた小型端末から伝わってくる。

[Tenkyouin] 部屋に誰か入ったか……。失礼。

[Rachel] あ、はい、はい?

[Narration] 目の前のレイチェルに断って、天京院は懐から携帯端末を取り出す。

[Tenkyouin] 確か、イライザに荷造りの手伝いを頼んでいたから、彼女だろうけど……。

[Narration] 端末の液晶に流れていくデータを読みとる。知識のない者には、というより、天京院意外には理解のできないアルファベットと数字の羅列の中から、彼女は瞬時に異変を察知する。

[Tenkyouin] なんだ!? この人数は!

[Narration] 部屋に侵入した人数はあきらかに複数。留守中にメイドが掃除に入る人数ではない。

[Narration] そのコーヒー色の脳細胞の中で、いくつかの推論が積み重ねられ、検討され、確度の高いものが残されていく。そして……。

[Tenkyouin] まさか……!

[Narration] さっと携帯端末から顔を上げる。鋭く飛ばした視線の先には、天京院をここまで呼びつけた教師の顔がある。

[Rachel] あ、あら、なにかしら〜?

[Narration] ここまでのらりくらりと天京院を引き留めてきたレイチェルの方も、天京院がどういう推理にいたったかを読みとる。隠しようもない汗が、こめかみをつたう。

[Tenkyouin] あんたは……!

[Rachel] え、えっと……。

[Narration] 射抜くような視線から目をそらしていたのもわずかの間。

[Rachel] 何かしら? 天京院さん?

[Narration] レイチェルは自分の立場と態度を固める。共犯者の証言がなければ、白を切り通せば自分は大丈夫だと。

[Tenkyouin] あたしはもう戻るぞ! 文句はないな!?

[Narration] 問いつめても時間の無駄だと、天京院も判断する。

[Rachel] あら、残念だわ。もっといろいろお話しを聞かせてほしかったのに。

[Tenkyouin] 知るか!

[Narration] 乱暴にドアを開けて、天京院は教員室から飛び出す。

[Narration] そして、記憶の中では数度しかなく、そして、これまでの中で最大のスピードで、天京院は廊下を駆け、自室へと向かった。

sapphism_no_gensou/7509.txt · Last modified: 2013/06/01 22:49 (external edit)