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sapphism_no_gensou:7456

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 その翌日。

 午後の休息の時刻。

 クローエ・ウィザースプーンの部屋に、一人のメイドが訪れている。

 あまりルームサービスを入れさせない彼女にしては、少々珍しい光景だ。

「アイーシャ様は、今日は風邪をひかれて授業をお休みなさいました」

 一風変わった部屋の調度品に目を向けながら、イライザが言った。

「……まさか、二日酔いで倒れているとは言えないでしょう」

 クローエはソファに斜めに腰かけ、手元の薄い文庫に目を落としている。

「彼女も……?」

「リード様ですか。ええ、責任を感じていられるようで、アイーシャ様のおそばにおります。大丈夫ですよ。私とベスしか、部屋には入れさせませんから」

「そう……」

 その言葉を聞いても、クローエは浮かない顔のままだった。

「グレイス・オマリーにでも、なられるおつもりだったのでしょうか、アイーシャ様」

「アイルランドの“海賊女王”と呼ばれた女性ね。よく知ってるわね」

「以前、音楽の授業で」

「へえ」

 イライザが部屋をさがると、クローエは窓に目をやった。

 ひとめで暖流とわかる。海鳥たちも、活発に水面の飛翔を繰り返している。これなら、今夜のところはまだ海霧は出ないだろう。

 だけれども、いっそ早く、あの深い濃霧がやってくればいいのに。そう願わずにはいられなかった。

 それから、またさらに二日が経った夜。

 ポーラースターの進路は、ふたたび濃密な霧にとざされた。

 ほとんど視界の失われたデッキから、周囲を見渡す、アイーシャたち。

 果たして、海賊船はやってきた。

 海上に、ぽっ、ぽっ、と幾つもの、かがり火がともる。

「不知火(しらぬい)が…………」

 波間を赤々と照らす炎に、アイーシャは息を呑んだ。

「うわあ……こないだの倍はいるんじゃない?」

 デッキの柱につかまり、柵から身をのり出して見張りをしていた杏里は、感嘆の声をあげた。

 霧にけぶる海面の下に現れたのは、すべてが天地逆に映った、カリブの海賊の大船団だった。

『敵襲!』

 学園長の号令が、伝声管を伝ってポーラースターに響きわたる。

『敵は海面下にあり! 繰り返す、敵は海面下にあり! レーダーには反応しないぞッ!』

 ドン! ドン! ドドドドドドドン!

 いならぶ海賊船団の砲口が、立て続けにうなる。ひゅるる……と間の抜けた風切り音をしたがって迫る砲弾は、いったん海の底へ潜っていくかのような、大きな下向きの放物線を描いて、ポーラースターに接近する。

 水面を突き破り、赤熱した砲弾がポーラースターを襲った。

 見上げるような水柱が、カーテンのように、海面にそびえ立った。砲弾は、ポーラースターの高い舷側に、次々と吸い込まれていく。

「くっ……!」

 決してありえない規模の振動が、船をゆるがす。

 歯がみするクローエが舷側を見ても、そこにはまるで損壊の跡は無い。

「砲弾まで幽霊だって云うの!?」

 機関部からは、まるで何かに吸い取られるかのように、恐ろしい勢いで出力が降下していると、悲鳴まじりの報告が届く。

 速力の落ちたポーラースターに、何隻もの、海賊たちを乗せた船が接舷しようと肉迫してきた。

 それらはすべて、鏡写しとなった海面の向こうの姿だった。

 デッキ脇の茂みにカモフラージュされていたバルカンファランクスが、海上にせりだし、猛烈なうなりをあげて、水面を叩いた。

 だがしかし、毎分数千発もの銃弾は、水面をいたずらに乱すばかりで、敵に痛手を与えている様子はまるで無い。

 何かが、ずれている。

「ポーラースター・セキュリティ! 抜刀!」

 すでに部署についていた各オフィサーが、PS隊員たちに命じる。

 式典以外では、その銀色の刃を見せる機会を与えられなかったサーベルが、いっせいに抜き払われる。

 サーベルは儀礼用といっても、PSは揃って、剣の達人ぞろいだ。

 実のところPSという連中は、無鉄砲なけーこ学園長のもと、いつかこんな日が来ることを、うずうずと待ちわびていた者ばかりなのだった。

 海賊船から、かぎのついたロープが次々と、デッキの柵に投げかけられた。

 ぼんやりと青い光を身にまとった、海賊たちが続々と這い登ってくる。

 ───白兵戦だ!

「PSの威信にかけ、賊どもの乗船を許すな! ポーラースターの甲板を、男の足が踏む時は、この船が沈む時だと思え!」

 おおっ、と威勢のいいかけ声があがる。

 アイーシャたちは、リードをかくまいながら、船の中心部、夜のカリヨン広場へと避難していた。

 激しい戦いの喚声が、びりびりとここまで届く。海賊たちと、PSとが激しいつばぜり合いを繰り広げているようだ。

「ぶえっ……くしゅ」

 砲弾の水しぶきでびしょ濡れになった杏里が、くしゃみする。

「ふぇ〜、剣呑剣呑。よもやこんな大事になるとはね」

「思わなかったのなら、その手に持っている杖はなんなの?」

 緊張が顔にあらわれてきたクローエに、そう指摘され、杏里はニコニコと、手元に握っていた樫の杖を持ち上げた。

「あれ、言わなかったっけ。ボク、ちょっとステッキ術をかじったことがあるんだよ」

「聞いてないわよ」

「そう? ああ……でも、他のみんなは大丈夫かなあ」

 ───侵入者だ!

 PSの叫びと共に、サーベルとサーベルの打ち合わされる音が、広場まで響いてきた。

「っと、おでましみたいだ」

「それじゃまた逃げましょう?」

「包囲された船の、どこへ逃げるっていうの」

 アンシャーリーに向かって、クローエは鋭く言い返す。

 4人の剣を持ったPSに囲まれながらも、ウェーブがかった黒髪をなびかせる海賊は、縦横無尽に駆けまわり、舞うように刃を走らせて、対等な戦いを見せていた。

 いや、むしろ、PSが押されている。

「ボ……ボニー……」

 アイーシャに取りすがるリードは、蒼白になる。

「あの人が……?」

 いかにも我流の型にこだわらない動きで、海賊はたちまちのうちに、敵の数を減らし、最後のひとりとなる。

「アララ、ポーラースター男性不侵の伝説もここまでか」

「させるものですか! 倒してしまえば、ノーカウントよ」

「そういうものかな」

 最後に残ったPSは、フェイントにまんまとかかり、海賊のブーツに蹴り飛ばされる。

 今度は、杖を構える杏里と、クローエが海賊の前に立ちはだかった。

「女ばかり現れる船とは思っていたが、こんな若い娘たちまで乗っていたとは……。それで、本当にオレとやる気なのか?」

 サーベルを肩にのせる海賊は、少女たちを馬鹿にするように手を持ち上げる。

「杏里! その人がアン・ボニーよ!」

 アイーシャが叫ぶ。

「いきなりラスボスかい、うわっ」

 ボニーは前ぶれなく、武器を持つ杏里に向かって斬りつけてきた。

 激しく、ボニーと杏里が切り結ぶ。

「光栄だね! こっちの名前をご存じとは……いや、さてはリードから聞いたか!」

「うわっ、つ、強い!」

 笑みを浮かべるボニーとは反対に、もはや杏里に軽口を叩いている余裕はなかった。

「今いくわ!」

 クローエも、すぐさま倒れたPSからサーベルを拾いあげて加勢する。

 両手に2本の剣だ。

「ほう! おまえ、二刀流か? 以前闘ったシナ人もそうだったぜ! もちろん、オレが両方とも腕を切り落としてやったがな!」

 ボニーは鬼神のような強さを発揮し、たちまちのうちに、杏里たちの武器をはじき飛ばした。

「くうっ」

 クローエがバランスを崩して、地に伏せる。

「そこでとどめーっ、うっ、ぎゃーっ!」

 と、振りかぶるボニーに合わせ、素っ頓狂な調子で叫ぶアンシャーリー。ボニーも、ばつが悪そうに手が止まる。

「ま、待った待った! そんなことしたら死んじゃうって!」

 杏里は、ボニーの背から、しゃにむにしがみついた。

 その時、はっと、杏里の顔色が変わる。

「動かないで!」

 アイーシャが、その手にピストルを構え、立っていた。

 がちり、と撃鉄を起こす。

 年代物のマスケット銃の銃口は、まっすぐにボニーを狙っていた。

「…………」

 ボニーが、刺すような三白眼でアイーシャをねめつける。

 アイーシャは歯をくいしばって震えをこらえながら、一心に海賊へ狙いをつける。

「あなたの銃よ、アン・ボニー。この船の銃器は効かなくても、この銃だったらどうかしら」

「…………」

 逡巡している様子のボニーに、さらに告げる。

「弾は詰め替えました。今度こそ、実弾よ!」

 やがて、アン・ボニーは、すがりついたまま呆然としていた杏里を振り払い、持っていたサーベルを地面に投げ、突き刺した。

「ふんっ……確かに、それはオレがリードにやった銃だ。おい、リードはどこにいる。リードを返しやがれ!」

 銃口を突きつけられながらも、ボニーはすごんでみせる。

 そしてようやく、アイーシャのすぐ脇に立つ、プロンドの少女の姿に気づいた。

「…………あ……?」

 ボニーはしきりに、目をこすった。

「お、おまえ……リードか? な、なんて格好だ!」

 近づいてきたボニーの前に、またアイーシャが立ちはだかった。

「それ以上、こちらへ歩いてきたら、本当に撃ちます!」

「……っ……にゃろう……」

 ボニーは、ぎりぎりと歯ぎしりする。

 アイーシャの背にすがりながら、リードは、ボニーの一言一言にびくびくと震えていた。

「リード、こっちへ来い」

 低く、重く、ボニーが告げる。

「なんで、そんな女みたいな格好をしてやがるんだ……は、恥ずかしくないのか? お前、それでも海の男か?」

 アイーシャの肩をつかむリードの指に、ぐっと力がこもる。

「リード……大丈夫……?」

 ふるえながら、少女は小さく頷く。

 アイーシャの脇から、おそるおそるリードが前に出る。

「ボニー、そうだよ! ボクだってこんな、頼りないスカートなんか穿いたりして、顔から火が出るくらい恥ずかしいさ! ……だけど……だけど、ボクは……本当は……」

 両のこぶしを握りしめ、リードが絶叫する。

「ボクは、女なんだ、ボニー!」

 カリヨン広場に、朗々と声が反響する。

「マリオン・リードなんて、嘘っぱちだよ……本当は、メアリ・リードなんだ!」

 呆然となったボニーは、やがて自分を取り戻し、力無くせせら笑った。

「ハハ……ハ……ば、バカ言えっ……そ……そんなはず無いだろ? あのリードが……女だなんて……メアリー……?」

 アンシャーリーが、リードの脇にぴたりとはりついて言う。

「ハイ。雌雄鑑定ならこの人。あたしアンシャーリーが、責任をもって確認いたしました。リードちゃんは、本当に女の子よ? ちょとやせすぎだけど」

 がっくりと膝をついた、ボニーの肩に、杏里がぽむ、と手を置く。

「よかったねえ、ボニーさん。リードちゃんが可愛い女の子で」

「い……いいわけあるかっ! バカ野郎ッ! お……オレの純愛を、どうしてくれるんだよ……!」

 先ほどまでの威勢の良さは消し飛び、ボニーはその場にぼろぼろと泣きくずれる。

「そんな、純愛なんて……っ」

 言い返そうとしたリードに向かって、なぜか杏里がちっちっ、首を振る。

「リード、きみは一つ、重大な勘違いをしているようだよ。しかもそれはね、ボニーと同じ勘違いだったんだ」

「……えっ……そ、それって……!」

 リードだけでなく、アイーシャたちもまた同じく息をのむ。

「……待て、リード……なんだって?」

 むくりと立ち上がったボニーは、頬に流れる涙もぬぐわずに、まじまじと少女を見つめながら歩み寄った。

「リード? まさか、おまえ……オレのこと、ずっと男だと思っていたんじゃあるまいな……」

「えっ……だ、だって……じゃあ、なんだって、あんなにボクに、いろいろ他の船員と違うふうにしてきたのさ?」

「そ、それは……オマエが可愛かったからに決まってるだろっ……! 男だろうが女だろうが、オマエみたいな器量のいいヤツが、誰の加護もなしに海賊の船でやっていけるか!」

 ひたすらどきまぎしているリードに、ボニーは自分の黒髪に隠れるようにして顔を染めた。

「ボク……てっきり……じゃあ、毎晩ボニーのベッドで寝かされたのも、いつでもボクを襲えるようにじゃなくて……」

「そりゃあ、ソドム野郎からお前を守るためだよっ! あたりまえだろっ!」

「じゃ、じゃあ……毎日、珍しい果物やお菓子を食べさせてくれたのも……寝る前に、ボクに本を読ませたりしたのも……」

「なによ、ラブラブじゃない」

 とアンシャーリー。

 ボニーは、ごわごわした自分のシャツに手をかけると、びりびりと横に引き裂いた。

 そこには、形の良い豊かな胸があらわになる。

 目を見張るリードに向かって、ボニーはまくしたてる。

「いったいいつ、オレが男だなんて言った! 見ろ! この通り、オレは正真正銘の女だ、バカっ! 部屋で着替えたりしている時に、気づかなかったのか!?」

「犯されるのかと思って……こ、怖くて……目つぶってたから……ごめんなさい……」

 深いためいきをついて、今度こそボニーはがっくりと肩を落とした。

 その目前に、アイーシャは再び銃を構えて立った。

「謝ることなんてないわ、リード。アン・ボニーは決して、あなたを信用してなんかいないもの」

 どっかりとその場にあぐらをかいたまま、ボニーはアイーシャをねめつけた。

「…………なぜ、そう言える」

 リードは、はらはらと二人の対峙を凝視している。

「じゃあ、なぜ空砲の、弾の込められていないピストルなんて渡したの!?」

 激しくアイーシャがたたみかける。

「背中を撃たれるのが怖かったんでしょう!? 武器を与えて、信用しているフリをしたのよ!」

 だがその時、ハッとリードの息をのむ音が届いた。

「アイーシャ……! ごめん……ちがうよ、ちがう……ボニーは……っ……」

「リード……?」

 それ以上言葉にならず、歯を食いしばるリードは、アイーシャの腕にすがって首を振る。

「海賊が、1発きりの弾と、銃を与えられるとしたら、そいつぁ決まってる」

 そう毅然と言い放って、ボニーは人差し指の先を、自分のこめかみに当てた。

「自決用なんだよ、その銃は」

「え……っ……」

 ぐらりとアイーシャの地面がゆらぐ。

「リードの腕で、一発きりの弾が敵に当たるわけが無い」

「じゃ……じゃあ……」 

 ボニーは、動かぬままリードを見据えた。

「お前には、どんなことがあっても生きてほしかった……たとえ、孤島に放り出されても……ソドム野郎に、好きにされるようなことがあったとしても……決して、あきらめずに」

「……アン……ボニー……」

sapphism_no_gensou/7456.txt · Last modified: 2013/06/01 22:49 (external edit)