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sapphism_no_gensou:7453

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 ───翌朝。

 空中庭園のカフェー。

 昨夜の濃霧はどこかへ消え去り、ピーカンの青空が広がっている。

「本当に、見たんだったら!」

「そう。夢の中で?」

 杏里の訴えを、クローエはぞんざいに受け流す。

「よりにもよって幽霊船とは……。非科学的極まりないな」

「鼎さんまで!」

 学園論客の双璧にはさまれ、どうにも杏里の分が悪い。

「でも杏里さん、目はとってもよろしいんですよ?」

「……いいよソヨン」

 杏里は瞼をなかば伏せ、生気のない顔をした。

「なんだかボク、自分がかわいそうになってきた」

「でも───」

 それでも杏里をかばおうとするソヨンの脇に、三つ編みを垂らした女性が立った。

「いや、あたしも見た」

「───学園長!」

 HBPの船長兼、学園長を務めるけーこは、いつものように独特の風格をただよわせていた。

 かっと目を見開く杏里の手からカップをひったくると、がば、とシナモンティーを口にあける。

「ふう。……あのなあ、毎度毎度、ヘンにびっくりするんじゃない。あたしが船のどこにいたっていいだろ?」

「そうなんだ。くせって怖いよね。で?」

「ああ」

 学園長は、ラウンドテーブルに腰をおろして、高く組んだ脚の上で頬杖をついた。

「あたしが見たのはね、一本マストのスループ船の船団だ。そのむかしバミューダーあたりで海賊たちが、ぶいぶい乗りまわしてたヤツだ」

「あれっ? ボクが見たのは、三本マストのおっきなお船だったよ? すごーく背の高い」

 杏里は、けーこの具体的な問いに応じて、その見た通りの姿を空中へ描き出してみせた。

 ふっとけーこの顔がくもる。

「……おそらくフリゲートだな。何隻いた?」

「一隻きり」

「なんだ。二人の視認したものが、てんで違っているじゃないか」

 言わないことはない、と天京院は肩をすくめる。

「昨夜はずいぶんと霧が出てましたし、見まちがえたんじゃ……」

 ソヨンが苦しい助け船を出す。

「うーん……それでも、変なところがあってね」

 杏里は椅子の背にもたれかかりながら、話をつづける。

「こうやって、なんとなくデッキの柵にもたれて海を見てたんだ。そうしたら、ドーンドーンって大砲を撃つ音が聞こえてきて。そうしたら、海にお船が映ってたんだよ」

「波のくだける音と聞き違えたんだろ」

「てんで信用してないね、鼎さん? 波なんか、ぜんぜん無かったよ。それよりとにかく変だったのは───」

「船が、上下さかさまに見えた」

「トゥッタ フェー! そう、そうなんだ!」

 学園長のはさんだ言葉に、杏里ははっしと手を打った。

「水面を境にしてさ、その向こう側にまるで別世界があるみたいに!」

 クローエや天京院にほほえみかける杏里とは対称的に、けーこは慎重な面もちを崩さない。

「……あたしはブリッジにいたから、音は何も聞こえなかった。海にチカチカ光るものがあったんで、最初はブイかと思ったんだ……どうやら、砲火だったようだな」

 二つのレンズが、ぎらりと陽光を反射する。

「ふっ……ふふ……幽霊船とはいえ、あたしの船に撃ち込んでくるとはいい度胸じゃないか」

 控えていた高級PSに一瞥をくれると、けーこは足早にその場を立ち去った。

 その背を見送りながら、杏里は、他人事のように言う。

「幽霊船と……戦争でもはじめる気かな?」

「海戦ですか!?」

「そうとも、ソヨン! なんたって、この船はお宝でいっぱいだからね! いつだって賊どもに狙われてるんだ!」

「あ、あたしの、満月壺入りの極辛キムチも?」

「もちろん!」

「こ、高麗青磁のポッサムキムチも?」

「一切合切!」

「ポ、ポッサムだけは〜!」

「問答無用!」

「そんな〜っ」

 あきれかえる天京院は、浮かない様子のクローエに目がとまった。

 指の根を噛むように唇にそえ、うつむいている。

「どうした。まさか、海賊が怖いのか?」

「い、いえ……なんでも……」

 おなじころ───

 オカルト話に興じる杏里たちから離れ、こそこそと、花壇の脇道を頭を低くして進む三人。

「もうお花の真似はしなくていいわ、リード」

「こんな格好……いやだっ」

「もう杏里のセンサー圏外だから、大丈夫なのだわ」

「ちがうっ、こんな短いスカートなんて……っ」

 リードと呼ばれた少年は、そうして何十回目かの不平を漏らす。

「なんですと〜! あたしよりウエスト細いのに〜!」

 眉をつりあげたアンは、リードに貸したスカートの胴に指を入れて、するすると体に沿わせた。

 笑いの混じった悲鳴をほとばしらせながら、少年は身をよじる。

「その服装のほうが、目立たないと思うの。追っ手の目をくらますためにも」

 淡々とアイーシャが告げると、リードはしぶしぶ了解する。

 細腰を包むスカートから、すらりとみずみずしい両足が伸びる。

 伸ばし放題だったハニーブロンドは、いまや丁寧にとかされ、薄肩と胸を流れる、黄金の河となって広がっていた。

「そう!」

 誰もいない場所へ、アンは目線を向けて語りかける。

「少年は魔女……じゃなくて『少女』だったのです! チャ〜ラ〜〜ララ〜〜ラララ〜〜ララララ〜♪(裏声)」

「ううう……けがされたよう……」

 すでに昨夜の事件となった、あの悶着でアンをうち倒したのは、弾頭の無い空砲だった。

 だがそうとは知らず、銃を取り落とし、蒼ざめたその素顔は、まだ年若い少女のものだった。

 銃声を聞きつけPSが駆けつけてくる。

 敏感に気配を察して、少女は心底おびえていた。

(…………!)

 震える青い瞳をじっと見据え、アイーシャは決心した。

 少女の肩をつかみ、とっさにクローゼットに押し込める。

 床に転がるマスケット銃は、蹴り飛ばしてベッドの下へすべらせる。

 次の瞬間、戸口にあらわれた二人のPSは、部屋の惨状と、かき消しようのない硝煙臭に驚き、何事かと部屋の主に問いただそうとした。

 とっさの言葉が出ず、躊躇してしまったアイーシャを、PSたちが不審な目で見つめる。

 ───と、背後でまたもや破裂音が響いた。

 訓練された動きで、即座にアイーシャを伏せさせると、PSはみずから盾となるようにして振り返った。

 パンッ──パパンッ───!

 騒動の主は、アンシャーリーだった。

 どこで見つけたのか、パーティークラッカーを口いっぱいにくわえたアンが、ブリッジポーズのまま、エクソシストよろしく猛烈に迫ってくる。

 PSたちは、素晴らしい職業精神を発揮して、喉もとまでこみあげた悲鳴をなんとか堪えたが、もはや異常な空気の中にのみこまれていた。

「ふごふごごご──!」

 パンパンパパパパパパパパンパン!!!!

 炸裂はとまらない。

 部屋はたちまち、マッチ臭い煙と紙吹雪で埋め尽くされる。

 そうして、何だかわからないうちに、PSは追いはらわれていた。

「かくまってくれた……の……? わっ!」

 クローゼットからこわごわと顔を出した少女に、アンシャーリーは猛然とつかみかかった。

「あたしを殺した責任をとれ〜〜!」

 度を失った少女をかばうように、アイーシャが立つ。

 心細げに腕にすがった少女は、今度は赤くなり、どぎまぎと言い訳をした。

「ご、ごめんっ……その、人ちがいで……」

「人ちがいで人を殺すなー、えーいこの人ちがいめ! めっ!」

 憤慨するアンシャーリーを横目に、アイーシャは少女の肩に手を置いた。

 その小さな顔にじっと見入る。

 日に焼かれ、垢じみた顔のなかにも、なお隠しがたいこまやかな面差しが浮き上がる。

「女の子……だったのね……?」

 少女は、くっと唇を噛んだ。

「マリオン・リード……ううん、違う」

 ドレッサー付きの椅子にかけた少女は首を振った。

「本当はメアリ・リード。生まれはロンドン。父親は海で死んだ。母親とはもう、家出してからずいぶん会ってない。別に向こうも気にしてない。貧乏だったからね。物心ついた時から、男だか、女だか、わからないような格好してた」

 本名をメアリ・リードと名乗った少女は、ぽつりぽつりと二人に身の上を語って聞かせた。

 海の冒険にあこがれて、故郷を飛び出したはいいものの、いざという時の度胸がまるでなく、おまけに運もなく、何をやってもうまくいかなかったこと。

 性別をいつわって、やっと軍艦の仕事についても、臆病がたたってすぐ首になり、その後もずっとそんな調子で、職を転々としていたこと。

 そしてようやく、ハバナ行きの貿易船で仕事にありつけたのに、今度は海賊船団に襲われて、あまつさえ人手が足りないからと、その海賊の一味にされてしまったこと。

「ハァ……それで……」

 リードは、ため息を何度もつきながら続ける。

「月さえわからない霧の夜に、イギリスのフリゲート艦と、ばったり鉢合わせた。白兵戦になって、船から逃れようとしたら、足をすべらせて、海に落ちて……」

「くさい」

「……え?」

「あなたくさいわね」

 鼻をつまんだアンシャーリーが、リードをにらむ。

 少女はくんくんと自分の匂いをかいで、怪訝そうにアイーシャを見あげる。

「……匂う……かな?」

 救いを求めるように顔を寄せてきた少女に、アイーシャはさみしそうに微笑んだ。

「そ……そんなにくさい……?」

「………………」

「………ね、ねえ……?」

 憂いをおびたアイーシャの横顔がじわじわと赤くなる。

「……………………………………ぷはっ!」

 たまらず、アイーシャは顔をそむけて息をついだ。

「息とめてたね!? ひどいよ!」

「うらららあっ、入るのよナウ!」

「って、な、何? わああっ!」

 少女の上着がズバッとたくしあげられる。

 茶巾包みにされた少女は、コヨーテに狩られた子鹿のように、ずるずるとアンに引きずられていった。

「ちょっとお借りします」とニヤつくアンシャーリーと、暴れる茶巾包みのその先は、バスルームだ。

 くぐもった情けない悲鳴と、けたたましい笑い声が耳を打つ。

 そんななか、アイーシャはベッドに腰かけ、膝にのせた年代物の銃を見つめながら、考えをめぐらせていた。

「ううう……けがされたよう……」

「まだ言ってるー。汚しただなんて、失礼ね」

 唇をとがらせたアンが、歩きながらリードをのぞきこむ。

「あたしはただ、はげしく抵抗するあなたを馬乗りになって押さえつけ、あんなトコやこんなトコを、むりやり、いやおうなく、あますところなく、執拗に強引にねちっこく、洗って洗って洗いまくってあげた。それだけなのだわ?」

「………………………………ううう……」

「おかげでこっちは寝不足だあ!」

「知らないよ、もう」

「リード、アンって誰?」

 泣きべそのまま、リードはアンシャーリーを指さす。

 アイーシャは瞼を伏せた。

「ごまかしてもだめ。あなたが一番おびえている相手のことよ。そんな苦手なピストルを使ってまで、身を守らなきゃいけない……アンって誰なの?」

sapphism_no_gensou/7453.txt · Last modified: 2018/05/22 17:15 (external edit)