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sapphism_no_gensou:7452

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 満天の星の下でおこなわれた、ソフィア女史の授業は、彼女にとって興味ぶかいものだった。

 ところが、折悪く海上に立ちこめてきた濃霧に、たちまち星々はおおわれ、授業も途中で切り上げられてしまう。

 部屋へと向かう通路までが、なんだかしっとりと肌寒く、照明もぼんやりとモヤがかっているようだ。

 長い絨毯の上を、ひっそりと足をすべらせながら、アイーシャ・スカーレット・ヤンはさきほどの時間に思いをめぐらせた。

 天文学を専門とするソフィア女史だが、その晩、プールサイドで語られたテーマは、天にまたたく星ではなく、海上に輝く星、我らがハンギング・バスケット・ポーラースターの由来についてのものだった。

 今こうして、彼女たちのまなびやとなり、同時に寄宿舎となっているこの巨船は、正式にはポーラースターⅣ世という名を与えられており、初代ポーラースターの誕生は、西暦一八世紀にまでさかのぼることを、アイーシャはこの夜、はじめて知った。

 海洋演習船として、多くの女性船員を世に送りだした、先代のⅢ世。

 第二次世界大戦下に、特に女性のための難民船として活躍したⅡ世。

 そして……伝説の海賊船、H・B・ポーラースターⅠ世。

 「海賊船」という、その粗野ながらもロマンティックな響きに、女生徒たちは深い感銘をおぼえた。

 いやが上にも期待は高まり、注目のⅠ世の逸話にさしかかったところで、突然、霧によって授業は中断となった。

 女史に続きをせがむ生徒たちを尻目に、アイーシャはプールサイドをそっと離れた。

 老教師のふしぶしに、霧はこたえるのだろう。

(あまり、先生に無理をさせないとよいのだけれど……)

 そう、おもんばかりながらも口にできぬまま、ただ、そそくさと消え去ることでしか配慮をあらわせない自分が、情けなかった。

 長々とした廊下の果てにある、自分の部屋の前までくると、扉から薄く漏れる光に気がついた。

 扉が開け放してある。

 自動鍵のついた扉を、閉め忘れることはむりだ。

 他人が部屋に入ろうとするなら、指導部に厳重に管理されている合鍵が必要になる。あるいは高度なピッキング技術が。

 どうにも不穏な匂いがする。

 濃霧がかもしだす不気味な雰囲気もあって、アイーシャはだんだん心許なくなってきた。

(すぐに……PSに報せるべき? でも……)

 しかし、万が一、そういった常識の通用しない相手が……

 実は、自分の見知った誰かが、この部屋で待っていたのだとしたら……

 友人がPSに連行されていくなんて、そんなのとんでもないことだ。

(ありえるとしたら……)

 それは誰だろう。

 たとえば、どんな場所にでも神出鬼没な、アンシャーリー・バンクロフト。

 あるいは、言わずもがなの、杏里・アンリエット。

(…………うん)

 それ以上は迷わず、アイーシャは扉を押し開いた。

「杏里……? それとも……アンなの?」

 読書灯のともった薄暗い室内は、すぐそれとわかるほど、乱雑に引っかき回されていた。

(……これは……)

 違和感を感じたアイーシャは、扉の下に目をやった。

 扉と床の隙間には、閉め切られないようにか、用心の布きれが詰められていた。

 偶然に何かが扉をふさいでいたのならともかく、杏里やアンシャーリーであれば、そんなことは絶対にしない。

(……!)

 すぐさまきびすを返し、廊下に戻ろうとしたアイーシャの肩に、ごりっと、冷たく硬い筒先が押しあてられる。

「アンを呼ぶな!」

 強い硝煙の香りに、アイーシャは従順に反応した。

「扉を閉めろっ……それで、こ、こっちを向くんだっ……」

 押し殺した声が、唾を飲みこみ、せいいっぱいすごんでみせながら告げる。

 いわれた通りに、扉に詰められていた布を取って、ゆっくりと振り返る。

(……子供……)

 そこには、彼女より頭一つ、いや、もっと背の低い、青い目の少年が、無骨な銃を構えて立っていた。

 目の粗い羊織物のズボンに、まるでぼろ雑巾のような、くたくたのシャツ。小さな頭には、しゃれこうべのバンダナをきっちりと巻きつけている。

 小さな海賊、という言葉がぴったりの出で立ちだった。

 また同時に、汗と、濃い潮の香りが混じった、悪臭が鼻をついた。

 震える両手で構えるのは、まるで棍棒のように太くて頑丈そうなマスケット銃。

 子供だからといって、油断はしない。

 ただ、つきつけられた銃口を見つめるうちに、恐怖が薄れ、ひっそりと醒めゆく自分の胸の内を、アイーシャは寂しく思った。

「あなた……誰?」

 淡々と、アイーシャはたずねる。

「どこだ!? どこにある、教えろっ!」

 にらみあげるようにして、少年が迫る。

「何を?」散らかった部屋をゆっくりと見渡す。「お金なら、ないわ。宝石も、たいしたものは……」

 するとその途端に、景気よく少年の腹が鳴った。

 陽に焼けた顔を、さらに赤らめる。

「その……た……」

「……食べ物が欲しいの? 簡単な物なら、冷蔵庫にあると思う」

 冷蔵庫という言葉を聞いても、少年は怪訝な顔をするばかりだ。

「その、部屋の奥にあるキッチンのかどよ」

 ごつい銃をつきつけたまま、少年はアイーシャを手招きして案内させた。

 アイーシャを壁に立たせたまま、なんとか片手で冷蔵庫のパネルをあけると、ひやりと流れ出した冷気におののきながらも、その中をごそごそとさぐった。

 夢中だった。

 手にふれた果物やチーズを、皮ごと包みごと、バリバリと口に放り込む。

 そのあいだにも、アイーシャは少年の様子と、自分の置かれた状況を、冷ややかに見つめなおしていた。

 少年が、粗野で空腹なのは、よくわかった。

 握りしめられた銃は、年代物ながら、確かに本物らしい威圧感を匂わせている。

 ただし、その装弾数は一発きり……。

 見ると、すぐに引き金から指が離れてしまう少年の様子では、あまり銃の扱いにも慣れていないようだ。

 それに、だぶついた服に隠されてはいるが、随分と非力で、きゃしゃな体つきに思えた。

(なんとか……なるかもしれない……)

 アイーシャは落ち着いて、自分に語りかけた。

 もちろん、ピストルは危険だ。

 だけれど今、自分が手を打たなければ、その弾丸は、大切な誰かを傷つけるかもしれない。

(…………)

 アイーシャは、ごくかすかにうなずいた。

「ふっ……むぐっ……」

 食べ物を詰め込みすぎてむせる少年に、アイーシャはうながした。

「下の段に、飲み物もあるわ」

 ない。嘘だ。

 下段は、空っぽのワインセラー。

 淡々と促しながら、少年が銃を握る腕の脇へ、そろそろとにじり寄る。

「ええ、そうよ。そのボタンを───」

 少年があわててボタンに手を伸ばすと、間近に立っていた少年の膝を押しのけるようにして、ワインセラーがスライドした。

「……っ!」

 少年がよろめく。

 その隙を、アイーシャは逃さない。

 さっと少年の背後にまわり、思い切り抱え込んだ。

「……ぁがったなッ……!」

 少年がうなり、猛然と暴れだす。

「……銃を……離してっ……!」

 覆いかぶせるようにして掴んだ少年の手は、やはりきゃしゃで、今にも折れてしまいそうだ。

 必死にあらがうが、体格で勝るアイーシャが渾身の力を振り絞ると、かろうじて押さえ込むことができた。

 しかし、いつまでもこうしてはいられない。

 二人もみあい、キッチンに体をぶつけながら、ぎりぎりと拳銃の引き金へと指を伸ばす。

「ともかくっ……弾を……撃ってしまえば……っ……」

 なんとかなる、と信じたその時───

「こんばんは、アイーシャ」

 なんの前ぶれもなく、来客があった。

 くすくすと顔をほころばせ、部屋を跳ねながら横切ってきたのは、アンシャーリーだった。

「とってもファンキーでクレバーな新作を届けに来たのだわ?」

 部屋の散らかりようにも、かかっていたはずの鍵にも、まるで気をとめることなくずかずかと……

 ふっと目が合う。

 ようやく事態を把握したアイーシャが血相を変える。

「何してるの?」

 キッチンでもみあう二人に、アンがキョトンと語りかける。

「来ちゃだめっ、アンッ!」

「……ッ!」

 アイーシャの警告と同時に、少年はバネ仕掛けの人形を思わせる動きで、猛然と腕をふりあげ、闖入者めがけて撃ちはなした。

 はなばなしい筒音が響き、少女は派手にぶったおれる。

「アンシャーリーッ!」

 反動で、思わずアイーシャにもたれかかった少年の頭から、バンダナがほどけ落ちる。

 結いあげられていた髪が、はらりとほどけ、腰までとどく蜂蜜色のブロンドが目前に広がった。

 アイーシャは息をのむ。

「あなた……っ……」

 とっさに撃ち倒してしまった相手を凝視し、身をすくませる少年の、その素顔は───

sapphism_no_gensou/7452.txt · Last modified: 2018/05/22 17:15 (external edit)