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sapphism_no_gensou:7351

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[Narration] 5:30。

[Narration] 嫌な予感はしていた。

[Narration] いや、予感なんてものじゃない、昨日からわかりきっていたことだ。

[Narration] こうなるってことは……。

[Narration] 5:50。

[Bess] そう言えば、今朝は、目覚ましが鳴っていた気がしたわ。

[Narration] その表情や仕草によく似合う、少しおっとりとした話し方で、ベスが話す。

[Bess] イライザ、今日は目覚ましに負けたんだね。

[Narration] けして、バタバタと音を立てた駆け足にならないように、それでもできる限りの急ぎ足で、いまだ大半が眠りの国にいる通路を歩いていく。

[Eliza] そうね、少し寝坊してしまったわ。

[Narration] 答えながら、どこか奇妙な受け答えをしていると自覚する。目覚ましに起こされて寝坊とはいったいどういうことだろう。

[Narration] しかし、たいがいの朝は、目覚ましよりも早く目が覚める自分がいるのだから、ベスがそういう感想をもらすのも無理はない。

[Narration] たいした変わり様だ。一年前までは、目覚ましどころか、人に起こしてもらうまで決して目覚めない眠りをむさぼっていたというのに。

[Bess] ………………。

[Narration] 帰らぬ昔を思い出して、軽くため息でもつこうかというところで、こちらを見ているベスの視線に気づいた。

[Eliza] なに?

[Bess] イライザ、もしかして、顔色、悪くない?

[Narration] ばれたか。一応、体調良好用の化粧はしてきたんだけど。こういうところをあっさり見抜くベスの注意深さは嫌いじゃない。

[Eliza] ちょっと貧血気味で……。微熱もあるみたいだし。

[Narration] おなかは痛いし。

[Bess] あ、そっか……。

[Narration] 納得された。そこまで察しがいいと、ちょっと気恥ずかしい。まあ、私もベスの体調ならだいたいわかるから、お互い様というところか。

[Bess] カイロ使う?

[Eliza] ううん、大丈夫。

[Narration] 今日一日くらい、なんとかなるだろう。その時はそう思っていた。

[Narration] 6:00。

[—–] おはようございます、みなさん。さぁ、本日も学生の皆さんが、学業に集中できるよう、我々もせいいっぱいご奉仕いたしましょう。

[Narration] 10年くらい前から一語一句変わってないのではないかと思わせるメイド長の言葉で、一日の仕事が始まる。

[Narration] 学生達が使用する通路からわずかに離れた場所に、メイド達が集まっている。

[—–] 本日、特に重要かつ緊急な行事などはありません。平常通り、誠心誠意、業務に励んでください。

[Narration] 「はい」ときれいにそろった声が、60人近い平均20代前半の年齢の女性の集団からあがる。

[—–] では、各自、業務に移ってください。

[Narration] その言葉を合図に、メイド達は一斉に動き始め、いくつかの集団に別れた。

[Narration] イライザと、その隣にいたベスも、その中の一つに加わる。見渡せば、毎日変わらずに見ている顔ばかりだ。そのうちの3分の1ほどは、眠たげな顔をしている。

[Eliza] さ、引継を始めましょう。

[Narration] ポケットからメモ帳を取り出し、夜通しで働いていた同僚達から、伝達事項を引き出していく。このメイド達のかたまりは、主にセカンドクラスの学生を担当していた。

[Narration] 曰く、学生達がそれぞれ、寝る前にメイド達に伝えた、本日のモーニングコールの時間から、クリーニングに出しておいた服を朝一番で届けてほしいという要望。

[Narration] 果ては、その日の朝食を運ぶ時間に、その場所、卵のゆで具合まで……、学生達からのリクエストには、できる限り応えなければならない。

[Narration] この学園船でもっとも、わがままが許されているのは、学生達だ。ついで、教員達。まるきり別枠で学園長。

[Narration] いわば、船の上層部を占有する学園のために、その他の職員は存在する。PS、機関員、運行要員、施設職員……。

[Narration] その中でも、メイド達の働く場所は、体を張る最前線と言えた。それだけに、伝達ミスなどは許されず、まだ学園が本格的に目覚める前に、こうして夜勤と日勤の引継を行うことになる。

[Eliza] あら? フランキスカは?

[Narration] 同僚達を見渡して、頭の中のシフト表と照らし合わせ、いるべき顔が見えないことに、イライザは気づいた。

[—–] あ、夕べから風邪ひいたって騒いでたの。今日は休ませてくれって。

[Narration] 姿の見えない彼女と同室のメイドが答える。それに、十数人の他の同僚達がざわめいた。

[—–] また?あの子、先週もそう言って休んでなかった?

[—–] 確かに、学生の子達にうつしたらまずいからさ、風邪なんて言われたら、休ませるしかないんだけどさ。

[—–] こうも頻繁だと、困るわね。体調管理はしっかりしてもらわなきゃ。

[Eliza] そういうことは、お見舞いの時に言ってあげましょう。彼女の有給休暇が残っている範囲で風邪をひいてしまうのは仕方がないわ。

[—–] あの人、まだ、休暇残ってました?

[Eliza] あと一日はあったはずよ。

[—–] ふーん、イライザが言うなら、仕方がないわ。

[Narration] この仕事に就いてからここまでのあいだで、記憶力と状況の把握力については、同僚達の信頼を勝ち取ることに、イライザは成功していた。

[Eliza] それで、彼女の担当している分をどうするかだけど……。

[—–] ………………。

[Narration] いっせいに全員が押し黙る。

[Narration] 学生とメイドの数の比率は、ほぼ、2対1。メイドは日勤夜勤の2交代制で、交代で休みを入れているので、だいたい、メイド一人で学生5人ほどの世話をする勘定になる。

[Narration] 本日の日勤のメイドの数からすれば、急な休みを入れたフランキスカの担当学生の数なら、3人に一人が、学生一人分を受け持てば問題ない……、はずだが。

[—–] ………………。

[Narration] 突然に増えた仕事というものに、同僚のほとんどが、熱心な労働意欲を持てずにいるようだった。

[Bess] あ、わたし、2、3人、持っていってもいいよ。

[Eliza] ベス?

[Narration] 沈黙を裂くという表現をするには、かなりのんびりとしすぎた語調で、ベスが口を開いた。

[Bess] わたしの担当、今、二人ばかし、帰省して船を離れてるから。

[Eliza] そうだっけ?

[Bess] うん。一人は見舞いで一人は見合い。

[Eliza] ああ……。じゃあ、お願いできるかしら。

[Bess] ええ、いいわよ。

[Eliza] じゃあ、残りのうち、私が一人、担当するわね。後は……。

[—–] じゃあ……。

[—–] わたしも……。

[Narration] ベスとイライザにつられて、仕事の余裕に心当たりのある同僚達がおずおずと名乗りをあげる。かくして、急な欠勤者の仕事の割り当てはつつがなく終わった。

[Eliza] ええと、じゃあ、とりあえず引継の方はこれで……。

[Narration] メモ帳に目を落とし、確認しておくべき事項に抜けがないか、確認する。

[Eliza] ………………。

[Narration] 紙の上の字面を追っているうちに、頭の隅に追いやっていた体調の不良がじわじわと這いずりだしてくる感じを覚えて、イライザはわずかに眉をしかめた。

[—–] イライザ・ランカスターさん。

[Eliza] あ、はい。

[Narration] 神経が体の内側に集中していたところへ、背後から声をかけられた。

[Eliza] なんでしょう、ミズ・ウィリアムス。

[Narration] 振り返り、答える。声をかけたメイド長は簡潔に用件だけを告げてきた。

[—–] お話があります。後で、私の部屋まで来てください。手の空いた時間でかまいません。

[Eliza] はい、わかりました。

[Narration] それだけ伝えると、メイド長は去っていく。イライザが中断された引継を再開させようと振り返ると、同僚達の視線が集中していることに気づいた。

[—–] なになに? 何かやらかしたの? イライザ。

[—–] 馬鹿ね。イライザはあなたとはちがうわよ。

[—–] でも、メイド長の呼び出しなんて穏やかじゃないわよ? あたしなんて、学生からクレームが来た時しか呼ばれないもの。

[—–] だから、あなたとはちがうってば。ねぇ?

[Eliza] さ、さぁ? 心当たりは特にないのだけど……。

[Narration] そう答えながら、記憶の中を、心当たりを探して回る。

[Eliza] なかったかしら……?

[Narration] 今ひとつ、あるともないとも確信が持てない。どうにも本当に、今日は調子が悪いらしいということだけ、イライザは確信した。

sapphism_no_gensou/7351.txt · Last modified: 2013/06/01 22:49 (external edit)