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sapphism_no_gensou:7304

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[Chloe] 今日は、杏里は?

[Helena] さぁ? 天京院さんのところじゃないかしら?

[Chloe] そう……。よかった、今日は静かに過ごせそうだわ。

[Helena] どうかしら。天京院さんのご機嫌次第じゃないかしら?

[Eliza] あまり、期待は持てないかもしれませんね。

[Narration] 数日前と同じように、クローエとヘレナが囲むテーブルに、イライザが飲み物を供する。

[Narration] ため息を一つついて、クローエは運ばれてきたコーヒーカップを口元に運んだ。

[Helena] それ、で……。

[Chloe] 例の手紙の子はどうしたかって?

[Narration] ちらちらとうかがいながら、言いよどむヘレナの言葉をクローエが継ぐ。

[Helena] あ、あの、私は別に、立ち入ったことを聞きたいわけじゃ……。

[Chloe] あなたって、本当に面倒くさい性格してるわね。

[Chloe] いいわよ、別に。隠すことでもないし。

[Narration] そう言い置いて、クローエはあの日のことを二人に聞かせた。

[Narration] きわめて、散文的に。細かな情景や叙情は取り去って。

[Helena] ………………。

[Eliza] ………………。

[Chloe] 話してみると、たいしておもしろいものでもないわね。

[Narration] すぐに言葉の出てこない二人を見て、クローエが独りごちる。

[Helena] あ、いえ……。なんて言うのかしら、もう少し、こう……。

[Chloe] どうしろっていうのよ。

[Eliza] もう少し、山場が必要だと、ヘレナ様はおっしゃりたいのでは?

[Helena] そういうわけではないのだけど、その……、そうなのかしら?

[Chloe] 無理言わないで。話をしたのだって初めてだったのよ。

[Chloe] それもたった10分程度。そんな相手と、無二の友情を誓ったり、永遠の愛を約束したりなんてできないわ。……杏里じゃあるまいし。

[Helena] ……それは……。

[Eliza] ……そうですねぇ……。

[Chloe] まぁ確かに、あの程度しか言えなかったことを考えると、杏里ってなかなか偉大な存在ね。

[Helena] そうかしら?

[Eliza] クローエ様が今、おっしゃったことに関してだけは、そうかもしれませんね。

[Chloe] ……だけ、ね。その通りだわ。杏里だったら、いつもの調子で、思ったことを洗いざらい、伝えられたでしょうね。

[Helena] 洗いざらいっていうのも、どうかしら?

[Eliza] 杏里様の場合は、よろしいんじゃないですか? 気持ちを隠す人じゃありませんから。

[Chloe] わたしはどうだったかしら。あの子にちゃんと、自分の気持ちを伝えられた自信はないわ。……まぁ、悔やんでいるわけでもないけど。

[Helena] 向こうが落ち着いたら、連絡をしてみれば?

[Chloe] そうね……。あ……。

[Helena] どうしたの?

[Chloe] そう言えば……、しまったわね。あの子の住所も連絡先も聞いていなかったわ。

[Helena] ……ひどいわね。

[Eliza] お教えしましょうか?

[Chloe] ……わかるの?

[Eliza] 少し、調べれば。嫁ぎ先もわかりますよ。

[Chloe] ……別にいいわ。

[Narration] 思案をしていたのか、わずかに視線を巡らせてから、クローエは答えた。

[Chloe] 幸福を祈るのに、住所が必要なわけではないし。

[Eliza] 神様もきっと、相手様の住所がわからなければ、お困りになりますよ。

[Narration] 遠回しに緩やかに、クローエの無精を責めているのだろうか、イライザの口元に微笑が浮かぶ。

[Chloe] この程度で困るなんて、全知全能にはほど遠いのね、我らが主は。仕方のないこと。

[Eliza] コールラウシュ様の住所、のちほど、お伝えしますね。

[Chloe] 好きにして。……ううん、お願い。

[Eliza] かしこまりました。

[Narration] イライザがわずかに頭を下げて了承を示した時、図書館からこのテラスへと通じるドアが回る音が響いた。

[Narration] クローエがその音に、少しだけ眉をあげる。3人のよく知る後輩二人が、テラスへあがってきて、めざとくクローエ達を見つけて、近づいてきた。

[Nicolle] よ! おそろいで!

[Soyeon] こんにちわ! クローエ先輩! ヘレナ先輩も、イライザさんも。みんなでお茶の時間ですか?

[Helena] え、ええ、まぁ、そんなところね。

[Chloe] 騒がしくなってきたわね。

[Nicolle] 会うなりそれかい?今日は静かな方だぜ、アンは新作に夢中みたいだからね。

[Helena] ……なんの新作よ。

[Nicolle] 聞くない。……で?

[Soyeon] 杏里さんは、いらっしゃらないんですか?

[Narration] ニコルとソヨン、二人にたずねられ、先にいた3人は、ふと、顔を見合わせる。

[Chloe] ご覧の通りよ。今日は安息日だわ。

[Soyeon] あ、そうでしたか。

[Nicolle] あれ? おっかしーな。今日はどこへ行ったんだ?

[Nicolle] ヘレナ? 知らない?

[Helena] あ、ええと……。

[Eliza] うかがっておりませんね。どちらでしょう? お部屋の方にはいらっしゃらなかったようですが……。

[Narration] ヘレナが言葉を途切れさせる寸前で、イライザが二人に答える。

[Eliza] でも、今日はお忙しいようですよ。

[Helena] え? あ、ああ、そうみたいね。

[Nicolle] なんだい?

[Narration] 二人の態度を見て、ニコルが声をあげる。

[Nicolle] 杏里のヤツ、今日は誰かの予約が入っているのかい?

[Eliza] いえ、そこまでは。でも、杏里様、このあいだの考査の結果が思わしくなかったようですから。

[Helena] そうだったの!? 杏里ったら!あれだけ勉強を見てあげたっていうのに!

[Nicolle] ……ヘレナが見てたんじゃ、身が入るわけないだろ。10分も机に座っていられやしない。すぐにベッド行きだ。

[Helena] ニコル!

[Narration] 顔を真っ赤にして立ち上がるヘレナから逃げるように、ニコルがテーブルから遠ざかり、図書室への扉の前で振り返って、ソヨンに声をかける。

[Nicolle] 行こう、どうやら空振りみたいだし!

[Soyeon] あ、う、うん!

[Narration] ニコルを追おうとしたソヨンだが、ちらとだけ、その視線がクローエをうかがった。

[Chloe] 大丈夫よ。

[Chloe] 心配してくれて、ありがとう。

[Soyeon] ……はい!

[Narration] チョゴリがひるがえり、ニコルの後を追って、図書室への回転扉に吸い込まれていった。

[Chloe] ……体よく追い払ったものね。

[Narration] 二人の姿が完全に見えなくなってから、クローエが回転扉の方に視線を向けたまま言った。

[Eliza] 人生には、静穏な時間が必要ですし。

[Chloe] その通りよ。

[Eliza] では、私もそろそろ、仕事の方に戻らせていただきます。メイド長の点検の時間までに、皆様の部屋の掃除をすませてしまわないといけませんので。

[Chloe] そう。

[Helena] 私も、行くわね。

[Chloe] 別に理由とか、断っていかなくていいわよ。

[Helena] う……。

[Narration] 窮して唇を噛んだまま、ヘレナも広げていた書類をまとめて立ち上がる。

[Eliza] それでは失礼いたします。

[Helena] じゃあね、クローエ。

[Chloe] ……はいはい。

[Narration] 二人が席を立った後、クローエは持っていた文庫本を開き、ゆるやかにそれに視線を落とす。

[Chloe] お節介というものね。……まぁ、ありがたくはあるけど。

[Narration] ひとつ、息をつく。暖かな陽射しと、わずかな風、波の音。できれば、静かにこのまま、過ごしていたい。

[Narration] 気まぐれにページを繰りながら、一秒づつ刻まれているはずの時の中を、緩慢に。

[Narration] でも。

[Narration] 知っている。そんな時間なんてないのだ、この船では。こちらに歩み寄る人物がいるのだ、この船では。

[Anri] やぁ、クローエ。……ひとり?

[Chloe] 見てのとおりよ。

[Narration] 軽い絶望を錯覚して、クローエは答える。

[Anri] それは素敵だ。

[Narration] クローエの内面のさざ波などまるで無視して、杏里は満面の笑みで、その真向かいに座る。

[Narration] そして、わずかの間だけ、クローエの顔を見つめ……。

[Anri] ……なにか、あったの?

[Chloe] 腹が立つわね、あなたのその勘の良さったら。

[Narration] 一瞬でカモフラージュの役目を終えた文庫本をテーブルの上に伏せる。

[Chloe] あったわ。でも、ちょっとしたこと。あなたに話すことじゃないわ。

[Anri] んー、そう? それじゃ、そのお話の種は、いつか未来のキミとのおしゃべりにとっておくっていうことで。

[Chloe] ……わたしの言葉、ちゃんと理解してほしいものね。

[Narration] 身構えていたものが磨り潰されていく、心地よい感覚でため息をつく。

[Chloe] ねぇ、杏里。

[Anri] なに?

[Chloe] わたしは。

[Narration] のぞき込んでくる視線を受け止める。引き込まれそうな心地よさを感じる、その眼差しに向かい合う。

[Chloe] 焦がれるほど、あなたを恋しく思ったことはないわ。

[Anri] ……え?

[Narration] その顔に一瞬浮かぶ小さな驚きと、かすかな逡巡。でも、あなたはいつも、投げかけた言葉ごと、それを包み込む。

[Anri] そうなの?

[Chloe] ええ。そう言ったら、どうする?

[Anri] どうもしないよ? ボクがキミを愛している。そして、クローエ、キミが応えてくれる。それがボクにとってはすべてだからね。

[Narration] だめだ、どうあっても。

[Narration] ニナ。

[Narration] わたしは、あなたが忘れていたものに、あなたの憧れに、ちゃんと答えることができただろうか?

[Narration] 今、わたしが感じているこの情動の何十分の一ほどでも。

[Chloe] 杏里。

[Narration] まっすぐに見つめてくる視線に答える。

[Narration] ニナ。

[Narration] あなたの憧れは、少し、空振りに終わってしまったと思うわ。申し訳ないことだけど。

[Narration] お互い様かもしれない。手紙を書いて、満足してしまったあなた。そのあなたに笑ってしまったわたし。

[Narration] 役者不足だわ、どちらとも。でも。

[Anri] なんでも言っておくれ、クローエ。

[Narration] わたしは今、気持ちを受け止めてもらえた、本当の昂揚を知っている。

[Narration] 世界のすべてを独り占めしたいこの気持ちが、あなたにもいつか、訪れますように。まがいものではなく、本物が。

[Chloe] まずは、キスして。それからよ。

[Narration] 言ったでしょう?あなたの幸せを、祈ってる。

sapphism_no_gensou/7304.txt · Last modified: 2018/05/22 17:15 (external edit)