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sapphism_no_gensou:7303

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[Narration] 並の国立オペラハウス丸々を吹き抜けにしたかのような、H・B・ポーラースター左舷エントランスホール。

[Narration] 学生やその家族、来賓の送迎を引き受ける、そこは、船であり学園であり、また、世界有数のVIPが集まるポーラースターの表玄関だった。

[Narration] 今、その門扉である船腹は開け放たれ、内港には引き込まれた海水をたたえている。

[Narration] そして、学園中央部からのび、そのホールを縦に貫く階梯の行き着く先、埠頭の端には、校章を船腹に刻み込んだ艀(はしけ)がつけられていた。

[Narration] すなわちそれは。

[Narration] この船を降りる者がいることを示していた。

[Girl] ……え……?

[Narration] 階梯の半ばで呼び止められた少女は、はるか頭上、学園へと続くエレベーターのある最上段を見上げ、目を見開いた。

[Narration] 自分の見たものを疑っている。なぜ、その人物がそこにいるのか、理解できない表情。

[Chloe] ごめんなさい、遅れたわ。

[Narration] エレベーターの中で整えた息を、最後にもう一度、深呼吸しておさめると、クローエはゆっくりと、艀へ向けて下りていく。

[—–] ウィザースプーン先輩……。

[Chloe] クローエでいいわ。

[Narration] そう断ってようやく、たっぷり5階分はある階段を下りきって、クローエはニーナの側へと歩み寄る。

[—–] あの……、どうしてですか……?

[—–] 今日のことは、手紙には書かなかったはずなのに……。

[Chloe] ええ、書いてなかったわね。おかげで、会いそこねるところだったわ。

[—–] じゃあ、どうして……?

[Chloe] たまたま聞こえたのよ。だから、まぁ、顔くらいは憶えておこうと思って。

[Narration] すっと、クローエは、自分の目線よりわずかに低い位置にあるニーナの顔を見据える。

[Narration] まぁ、平凡な顔立ちか。無遠慮に見つめ、失礼な感想をクローエは持つ。

[Narration] 顔を真っ赤にして俯きもすれば、かわいくも思えるのに、戸惑いはあるものの、まっすぐこちらを見返してくる。

[Chloe] まぁ、嫌いになるタイプじゃなくてよかったわ。

[—–] え?

[Narration] その呟きはほぼ、口の中だけでおさまったらしい。ニーナには聞こえなかったようだ。

[Chloe] いいえ。手紙だけじゃわからなかったから。そう、手紙、読ませてもらったわ。そうね、その……。

[—–] あ、あの……!

[—–] あの手紙、本気じゃないんです!

[Chloe] ……はい?

[—–] あ、いえ、本気だったんです、けど!

[—–] 今はちがうというか、なんというか……。

[—–] 私……! ウ……、クローエさんを困らせるつもりはなくって……!

[—–] あ、その、イタズラで手紙を書いたわけじゃないんです。ただ、でも、その……。

[—–] 書き終えて、渡してしまったら、割とすっきりしてしまって……。

[Chloe] ……はぁ。

[Narration] 目の前で、少女の顔に、困惑とか恐縮とかの表情が浮かんでくるのがわかる。

[Narration] 自分にも、少しだけ心当たりがある。思いの丈というものは、吐き捨ててしまうとすっきりするものだということが。日記とか、手紙とか、あるいは、高名な文学作品とか。

[—–] 先輩のことは、とても、憧れていたんです、ずっと! た、ただ、その、あんなふうに気持ち悪く思われるようなものじゃなくって……。

[Chloe] 別に、あなたの手紙は、気持ち悪いもんじゃなかったわ。それだけは、本当。

[Chloe] むしろ、気に入ったわ。あ、その、変な意味じゃなくてね。

[Narration] 言いながら、苦笑がもれる。きっと今、ここ数年、「他人」には見せたことのない顔をしている。

[Chloe] 時間、ある? 少しだけ、話をしましょう。

[—–] 結婚するんです、私。

[—–] 婚約自体はずっと前から決まっていたんですけど、いろんな事情で、ちょっと結婚が早まってしまって……。

[Narration] よくある話だ。そのいろんな事情なんて別に聞きたくもない。彼女も特に話しはしなかった。

[—–] あ、相手の方とは、ちゃんと会ったこともあるんです。その、年が12才離れてるけど、悪い人じゃないです。

[—–] たぶん、結婚してからちゃんと好きになれると思います。

[Narration] 別に嘘をついているわけでもないのだろう。繰り返すけど、よくある話だ。別にいい、彼女が納得しているなら。

[—–] ただ……。

[Narration] 納得しているなら。

[—–] なにか、忘れているような、気がしてしまって……。

[—–] 学園をやめることは、仕方がないです。結婚も、いやじゃないんです。

[—–] でも、どうしても気持ちがおさまらなくって。つい、あんな手紙を……。

[—–] どうして、あんなことを……。クローエさんに手紙を渡すまでは、すごい、舞い上がっていたのに……。

[—–] あの後、部屋に戻ってから、急に、どうして、こんなことをしてしまったんだろうって……。

[Narration] もう限界だった。じわじわと積み上がってきたものをこらえられず、そこで吹き出すと、彼女は目を丸くして驚いた。

[Chloe] ご、ごめんなさい……。あなたのことを馬鹿にして笑っているわけじゃないんだけど……。

[Chloe] ……どうにも我慢できなくて。

[—–] あの、やっぱり、私が変な手紙を渡したから。

[Chloe] まぁ、あなたみたいな人からもらうなら、ああいう手紙もたまには悪くないわ。

[—–] はぁ……?

[Chloe] やっぱり、見送りにきてよかったわ。

[Chloe] あなたにとって、この船で最後の友人に、私はなれたんだから。

[Narration] 小さくなっていく艀、閉じていく扉を、クローエは桟橋に立ったまま、見つめていた。

[Chloe] 結婚式への参列は、まぁ、無理でしょうけど。

[Narration] もう、水平線をほとんど隠してしまった、外洋へと続く門を見やり、つぶやく。

[Narration] 同じ言葉を、ほんの少し前、ニナに告げた。もう一度、今、繰り返しているのは、その時の気持ちを自分の中で味わうためだ。

[Chloe] 「あなたの幸せを祈るわ。この船でできた、あなたの最後の友人として」

[Chloe] 「とりあえず、あなたの結婚を祝い、それが幸せであることを。そして、どのような形であれ、あなたの人生が幸せであることを」

[Narration] うん、悪くない。素直にそう告げられた、そう思う。そう祈る。

[Narration] ニナ、あなたが幸せであれば、あなたの幸せを祈ることができるのなら、あなたが幸せであると信じられるのなら。

[Chloe] 言っておいた方がよかったかしら……。

[Chloe] この次、もしまた、あなたが手紙をくれるのなら。

[Chloe] ……巡り合わせが悪い時は、やめてちょうだいって。

[Chloe] 幸せを祈った甲斐がないもの。

[Narration] 割と勝手なことを呟いている。そう思い、苦笑して、クローエはもう閉じきった扉に背を向けると、静かに階段を上っていった。

sapphism_no_gensou/7303.txt · Last modified: 2013/06/01 22:49 (external edit)