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sapphism_no_gensou:7153

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[Narration] わりと勢いよくドアを開けて、ニコルは自室へと帰還する。

[Narration] 主人の決然とした雰囲気に、コローネが何事かと顔をあげた。

[Collone] ワォゥ?

[Narration] しかし、ニコルはコローネに見向きもせずに、部屋の中に入るなり、ばっと制服の上着を脱ぎ捨てる。

[Narration] まっすぐに部屋を突っ切りながら、ホックをはずして、ファスナーをおろし、スカートを歩く足の動きにまかせて床に落とす。

[Narration] その時にはもう、上着の下のTシャツは首から抜かれて、まるめて放り投げられていた。

[Collone] ……ワゥ。

[Narration] そのまま、ニコルはずかずかと部屋の奥の扉へと向かっていく。その様子を、見ていたコローネは、何事か合点がいったのか、ベッドの上で丸くなる。

[Narration] その表情はどこか、懐かしいものを見たというものだった。

[Narration] ニコルはまっすぐにバスルームに向かう。

[Narration] 裸足のまま、タイルを踏みしめて、バスタブの前に立ち、勢いよく、お湯のタグを押し下げる。

[Narration] 蛇口からお湯がほとばしり、バスタブの底で跳ね、そして、広がっていく。ほのかに湯気があがり、バスルームに漂っていく。

[Narration] ニコルはお湯のたまっていくバスタブを見下ろし、息を吐き、そして吸う。温かく湿った空気が肺に満たされていく。

[Nicolle] よし、いくぞ。

[Narration] 自分自身に言い聞かせる。これから始まる、戦いのために。

[Narration] ニコルは、風呂に入ることはそれほど好きではない。

[Narration] もとがものぐさなタチなので、普段なら2日に一度、シャワーを浴びればいい方で、この学園のサウナにだって、たいていは誰かのお供でいくくらいだ。

[Narration] こぎれいにしていたって、たかが知れている。それに、この学園の中なら、空調が効いているので、そんなに汗もかかないし、汚れもしない。

[Narration] 授業をさぼって、部屋でゴロゴロしているぶんには、体なんて洗わなくたって……、死にはしない。

[Narration] でも。

[Narration] どうしても。

[Narration] きれいになりたい時がある。ニコル本人は、チビでガリガリで、きっとたいした魅力はない。

[Narration] それでも、ほんのちょっとだけ、魔法を使えば、夜中の12時まで、相手をだませることくらいは知っている。そんな魔法を知っている。

[Narration] これから、その魔法を使うのだ。

[Narration] 小さな泡を立てながら、少しくすんだオレンジ色の不格好な立方体が、半ばまでたまったお湯の中に沈んでいく。

[Narration] 実家の近くの雑貨屋のばーちゃんの手作りのバスソープ。

[Narration] 市販の凝固剤を使っておきながら、混ざりものなしなんて威張っていた。

[Narration] 芸のない柑橘系の香り、オレンジのフレーバー。いまだ蛇口から注がれるお湯にかき混ぜられるバスタブの中で、そのバスソープはくるくる回りながら、だんだん小さくなっていく。

[Narration] 見るからに安っぽい。実際に、そんなに高くない。ニコルがまだ、学校にあがるまえにもらっていた小遣いででも、ダース単位でいくらでも買えた。

[Narration] おもしろがって、公園の噴水やその辺の家の池に放り込んで遊んでいたら、そのばーちゃんにこっぴどく怒られた思い出がある。

[Narration] ジラルドの家にはばかることなく叱りつけてくれたばーちゃんの心意気に感じたのか、幼いニコルはそれ以来、バスソープはバスタブにしか放り込まなくなった。

[Narration] 家にどれほど高級な入浴剤が揃っていても……、大切な日には必ず、このバスソープを使った。

[Narration] 大きめの泡を、水面いっぱいに浮かび上がらせたお湯が十分に満ちてから、ニコルは右脚から、今はまだちっぽけな体を、バスタブに滑り込ませていった。

[Narration] それから1時間後。

[Narration] ぬるめのお湯で、ゆっくりとゆっくりと、呪文を唱えながら体を温め、手足にソープをぬりたくって磨き上げる。

[Narration] ぼさぼさの髪も、一度洗ってから、エッセンスをといたお湯の中に浸して、つやをつける。

[Narration] そして、シャワーノズルを盛大に噴き出させながら、バスタブの栓を抜いて、泡だらけのお湯を流す。

[Narration] 体のすみずみに当たり、流れていく温かい水の粒。たっぷりと時間をかけて、体の泡を流し終えた後、ニコルはシャワーを止めて、立ち上がる。

[Narration] バスタブの縁を乗り越え、シャワーカーテンを開け放つと、水気たっぷりの空気がかき回される。

[Narration] バスルームの中まで機能しているエアコンのひんやりとした空気が肌をふるわせる。

[Narration] 積んである山の中から、いちばん、手触りのよいお気に入りのタオルを引きずり出し、体に巻き付ける。

[Narration] サイズは特大。頭からすっぽりかぶっても、膝下まで裾が伸びるタオルの中で、ニコルは体に残った水気を細かな布の繊維に吸わせていった。

[Narration] そして。

[Narration] バスルームのドアが開く音を聞きつけて、コローネは再び、頭をあげる。

[Narration] 彼の、十年来の親友にして主人にして手のかかる妹は、肌にその年齢本来のみずみずしさを取り戻して、現れた。

[Collone] ……ワゥ。

[Narration] そのニコルの顔を見て、コローネは満足そうにうなずいた。

[Narration] そんなコローネの視線の先で、ニコルはクローゼットをかき回して、ショーツを身につけ、スリップを頭からかぶる。

[Narration] まだ少し湿っている髪には、ヘアピンとカーラーそして、彼女は準備を終える。

[Narration] 目指す最後の仕上げの場所は、自分の寝ているベッドのそばだ。ニコルはまっすぐに向かってくる。

[Nicolle] ………………。

[Narration] 自分に視線もあわせないことを、コローネはまるで当然のように、そして、少し満足げに受け止めた。

[Narration] ニコルは鏡台の下から椅子を引き出すと、体重そのまま、とさっと軽い音をたてて、その上に座る。

[Collone] ……ワフ。

[Narration] 再び、コローネは首をおろして、昼寝の続きを決め込んだ。

[Narration] おそらくあと、2時間は、ニコルの儀式が終わらないことを知っていたからだ。

[Nicolle] ………………。

[Narration] まっすぐに、鏡の中にいるやせたチビを見据える。

[Narration] なるほど、あまり栄養が足りていなさそうなガキだ。このままでは。

[Nicolle] でも、あたしは、魔法が使える。

[Narration] そう、自分に言い聞かせる。

[Narration] 魔法の道具は鏡台の上と引き出しの中に揃っている。

[Narration] それを使えば、この鏡の中のちっぽけなあたしも変わることができる。

[Narration] うっすら残って気になっているソバカスはファンデで消せる。

[Narration] 今は全開のおでこに残った小さなシミだって問題ない。

[Narration] つぶれた鼻だって、影をつければちょっとはマシ。

[Narration] のび放題の髪は、ブラシで根気よく梳いてから結い上げればいい。

[Narration] 普段は鬱陶しい前髪は、あげてからが勝負。

[Narration] まだ子供っぽい目も眉毛も、大人用に変えられる。

[Nicolle] あたしは、きれいになれるんだ。

[Narration] ひとつひとつの手順にを丁寧に、ニコルはこなしていく。そのたびにニコルは変わっていく。

[Nicolle] 使い古されてるよな、みにくいアヒルの子なんて……。

[Narration] 小さな筆に紅をのせて、それを血色の悪い唇へとひいていく。

[Narration] どぎつくはなく、明るい赤。

[Nicolle] 見てな、杏里。あたしは、自分の意志で白鳥になれるんだから。

[Narration] そして……。

[Narration] コローネの予感のとおり、たっぷり2時間後。

[Narration] ニコルは鏡台の前で立ち上がる。そして、もう一度、まっすぐに鏡の中の自分を見据える。

[Nicolle] ……よし。

[Narration] そこには、同じようにまっすぐに自分を見返してくる、もう一人の自分がいた。

[Narration] コローネは、ニコルの背後から、その姿を一瞥し、満足そうにうなずいた。

[Narration] その姿は、当然ながら、鏡の前の少女と同じように、きれいで可憐な少女、ニコル・ジラルドだった。

sapphism_no_gensou/7153.txt · Last modified: 2013/06/01 22:49 (external edit)