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sapphism_no_gensou:7152

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[Narration] 「しまった……」

[Narration] そう言ったのはどっちだったのだろう。

[Narration] 杏里だ。杏里の方だ。

[Narration] 即座にニコルはそう判断した。一瞬で、頭に血がのぼる。そして、叫んだ。

[Nicolle] な、なんだ、それ! ふざけるな!

[Narration] 口を開いた勢いで、目はつぶっていた。だから、言葉を投げつけた相手、杏里の姿は見えなかった。

[Anri] ちょ、ちょっとニコル……?

[Narration] うろたえた杏里の声が、ニコルの耳に響いてくる。それがいっそう、ニコルの怒りと言葉を加速させる。

[Nicolle] そ、そりゃ、確かにあたしは、杏里の賭の負け分だよ、支払いの終わってない負け分さ!

[Nicolle] だから、杏里があたしのこと、どう思ってようとかまわない!

[Nicolle] だからって……。

[Narration] そこで、思いきってニコルは杏里の顔を見た。そこには、目の前のニコルの事態を把握しきれずにひどく困惑している愛しい少女の顔があった。

[Narration] ニコルは悟る。導火線に火がついてしまったのはあたしの方だ。さっきのつぶやきはあたしのものだった。

[Narration] 杏里は、いったいどこに、ニコルの怒りの根元があるか、気づいていない。

[Narration] そこまで思い至って、なお、ニコルは言葉をとどめることができなかった。

[Anri] 「ニコルも、もう少し、ふだんから綺麗に してればいいのにね」

[Narration] わかってるよ、杏里、そんなこと、いつもなら他愛のない軽口だよ、お互いに。

[Narration] あたしがそう言うこともある、だから、杏里がそう言うこともある。

[Narration] でも、なぜか今だけは、その言葉はとても許せなかった。

[Narration] からかい半分に出席した、ちょっとしたパーティー。

[Narration] 学園内とまるっきり同じ格好で出席した自分が悪かったのかもしれない。

[Narration] でも……、きれいに着飾った他の出席者の面々を見て、少しづつ、胸の奥底になにか、たまっていたのかもしれない。

[Narration] そんな時に……。

[Nicolle] 言わなくてもいいじゃないか、そんなこと……!

[Narration] 最後まで、言葉として発音できたか自信はなかった。

[Narration] それを確かめる気も、その手段もなかった。

[Narration] ニコルはまっすぐに、その場から駆けだしていたから。

[Eliza] あら、ニコル様。

[Nicolle] よう。

[Narration] 普通なら、学生は授業を受けている時間。昼休みまで、あと一時間。購買部通りのカフェテラスは嵐の前の静けさで、閑散としていた。

[Eliza] 今朝はごゆっくりでしたね。

[Nicolle] まーね。

[Narration] 結局、夕べはそのまま、部屋でヤケ酒をあおった後ベッドに潜り込み、そのまま朝まで、訂正、さっきまでふて寝をしていた。

[Narration] 当然、授業は自主的に休講とし、イライザからのモーニングコールも、担任教師からのおざなりな出欠確認も無視を決め込んだ。

[Narration] そして、ほんの30分ほど前に、何度目かの浅い眠りから覚め、空腹に耐えかねて、こうしてここまで出てきたところだった。

[Narration] 適当なテーブルにつく。お供をしてきたコローネもそのそばに座り込む。こんな時間まで放っといた割には、コローネはやけにおとなしい。

[Nicolle] イライザ、ひょっとして、コロに朝メシ、やってくれた?

[Eliza] はい。ひょっとしてお腹を空かせているかもしれないと思いましたので。3時間ほど前でしょうか、ニコル様はまだおやすみでしたので、勝手ながら。

[Nicolle] いや、いいよ。サンキュ。

[Narration] 礼を言ってから、ニコルは、イライザが差し出したメニューも見ずに、パニーニを注文し、遅すぎる朝食を始める。

[Eliza] そう言えば、ニコル様。

[Nicolle] なに?

[Eliza] 杏里様とケンカをなさったそうで。

[Nicolle] ブッ!

[Narration] カプチーノが褐色の霧になってテーブルの上に噴き出される。

[Nicolle] な……、ど……。

[Narration] なぜ、どうしてそれを。

[Narration] そう聞き返したかったが、言葉が出てこない。

[Narration] 誰か、目撃者がいたのだろうか?確かに、二人っきりの場所ではなかった。仲間内はいなかったはずだが、やらかしたのはパーティーの会場だ。

[Narration] ホームパーティーに毛が生えた程度のものだが、他の出席者も当然いた。

[Narration] あたしも大声をあげたのがまずかったか。それにしても……、情けないというか、格好のつかない昨日の自分が、もう広まっているのだろうか。

[Nicolle] だ、誰に聞いた……?

[Narration] おそるおそる聞いてみる。別に、その目撃者に口止めしたいわけではないが……。

[Narration] そう思いながら返事を待っているニコルに、イライザは短く明快に答えた。

[Eliza] 杏里様です。

[Nicolle] ………………。

[Narration] 思わず開いた口が、ふさがらなくなった。

[Eliza] 夕べはそれはもう、大変なお嘆きようだったようで……。

[Narration] イライザの声を聞きながら、ニコルはズルズルとテーブルにへたり込む。

[Eliza] 差し出がましいこととは思いますが、早く仲直りなさった方がいいですよ。

[Narration] とりあえず、その場は、そそくさと食事を片づけて立ち去ったものの、ことはそれだけでは収まらなかった。

[Helena] ニコル!?

[Narration] 先ほどのカフェテリアでのイライザとの会話が適度に尾をひいたまま、大廊下を歩くニコルに声がかけられる。

[Nicolle] ヘレナ!?

[Narration] ニコルを呼び止めたヘレナはまっすぐにニコルに向かって歩み寄ってくる。

[Nicolle] な、なんだい?

[Narration] 微妙に落ち込んだ気分が、ニコルに逃走をあきらめさせる。

[Narration] 授業をさぼってこんなところをウロウロしていることへのお説教くらいは覚悟したところへ。

[Helena] 杏里とケンカしたんですって!?

[Narration] ついさっき、聞いた憶えのある言葉がまた、耳に飛び込んでくる。

[Helena] かわいそうに。きっと、杏里がひどいことをしたのね。

[Nicolle] え、あの……?

[Helena] 傷ついたんでしょうね。こういう日には、ゆっくり休養をとることも必要よ。今日のところはゆっくりとお休みなさい。

[Nicolle] いや、だから……?

[Helena] もちろん、私の方から、杏里にはきつく言っておくわ。

[Helena] 理由も無しに人を傷つけたりはしないけど、思慮が足りない人だもの。きっと、うっかり、あなたの気に障ることを言ってしまったのね。

[Narration] たしかにそれはそうだが……。

[Helena] まったく、どうしてあの子はああなのかしら。もう少し、ものを考えてから口を開けばいいのに……。

[Nicolle] あの、さ……、ヘレナ……?

[Helena] なぁに?

[Nicolle] あの、杏里から、な、なんであたしと杏里がケンカしたか、とか、そういうことは聞いてるのかい?

[Helena] ……いいえ。

[Helena] でも、わかるわ。きっと杏里が悪かったということも! ニコルも、あまり気にしちゃダメよ?

[Helena] あ、それから、あなた授業は……。

[Narration] すでに、ヘレナの声はニコルに届いていなかった。ニコルは、ヘレナの言葉の半ばで、ついさっきよりもさらに脱力した足取りで、その場を立ち去っていた。

[Nicolle] で、今度はあんたかい……。

[Alma] まぁ? どうかされましたか?

[Nicolle] いや、こっちの話。

[Alma] それよりも、ニコル!

[Nicolle] 来たな……。

[Alma] 杏里様とケンカしたって本当ですか?

[Nicolle] やっぱり……。

[Narration] どうやらもう、この話は仲間内全員に知れ渡っていると思っていい。

[Narration] ニコルはそう、観念した。しかし、どいつもこいつも、事の次第はそれほど明確に把握してないらしいのが、タチが悪い。

[Nicolle] はいはい、ケンカしたよ、したってば。

[Alma] まぁ……、本当でしたのね……。

[Nicolle] おいおい、ちょっと言い争いをしただけだ。そんな、深刻そうな顔すんなよ。

[Nicolle] 第一、なんだってあたしと杏里がケンカしたってことで、アルマがそんなに心配するんだよ。

[Alma] 当たり前です! 友人なのですから!

[Nicolle] いや……、そう言われても……。

[Alma] 原因はどちらにあるんですか? できるだけ早く仲直りしないと、どんどん気まずくなってしまいますよ?

[Nicolle] うーん、どっちが悪いって言ってもなぁ……。

[Narration] ニコルの頭の中で、天秤がゆらゆらと揺れる。それは面白いほど、両方の皿に杏里とニコルを乗せて、ぐらつきながらも釣り合っていた。

[Nicolle] なんだ、どっちが悪いってもんじゃないのか……。

[Narration] まるで今気づいたかのように、ニコルはつぶやく。

[Alma] どちらが悪いというわけでもないんですね!?

[Nicolle] わわわっ!? 待った待った、どっちも悪いって言い方もできるしさ。

[Nicolle] それに、杏里のことだぜ?明日にでも、あたしに頭を下げに……。

[Narration] ……そうだった、とニコルは思い出す。

[Narration] 今まで、杏里とケンカしたことは何度もある。ケンカというより、じゃれ合いのちょっと進んだ諍い。

[Narration] そんなことをした後はいつだって、杏里が許しを請うてきた。こっちが許すと言うまで、仰々しいほどの言葉を並べ連ねて。

[Narration] それでなければ……、杏里がこっちの言い分を全く認識してなくて……、次の日にまるで何事もなかったかのように声をかけ、時には愛を語ってきた。

[Nicolle] ……なんだそりゃ。

[Nicolle] まるっきり、こっちがバカってもんじゃないか。

[Alma] え?

[Nicolle] いや、なんでもない。うん、確かに、このままじゃまずいな。

[Alma] え、ええ、そう思います。

[Nicolle] このまま杏里にただ、頭下げられておしまいじゃ、あたしの気が収まらない。

[Alma] あの、ニコル……?

[Nicolle] よし、いっちょやってみるか。

[Narration] アルマがまるでそこにいないかのように、ニコルはそう思考をまとめると、さっと体をひるがえし、まっすぐに廊下を歩き出す。

[Alma] あの……?

[Narration] 無理からぬことながら、ニコルの変化をつかみきれなかったアルマだけが、その場に残された。

sapphism_no_gensou/7152.txt · Last modified: 2013/06/01 22:49 (external edit)