User Tools

Site Tools


sapphism_no_gensou:7105

Place translations on the >s

[Narration] 深夜。

[Narration] 静寂を裂いて、ポーラースターのヘリポートに、臨時便のジェットへりが緊急着陸してから、およそ5分後。

[Narration] 学園H・B・ポーラースターの格式にはあまりふさわしくない足音を蹴立てて。

[Narration] その部屋の主は帰還した。

[Helena] ただいま! あんり!

[Anri] あ……。

[Helena] きゃあ!? あ、杏里? びっくりした、来ていたのね。

[Anri] あの、ヘレナ……。

[Helena] あ、ごめんなさい、杏里。すぐにすむから、ちょっとだけ待ってて。

[Narration] 杏里にそう言って、ヘレナは机のそばに駆け寄り、その上に置かれた小さなゲーム機に手を伸ばす。

[Narration] 全力疾走の息を切らせたまま、もどかしげに光の入った小さな液晶の画面を見つめる。

[Helena] あんり、ただいま。ごめんね、置いていって……。

[Anri] ……ヘレナ。

[Narration] やがて液晶に浮かび上がる画像。そこには、いつも出迎えてくれた愛らしい姿はなかった。

[Helena] ……え?

[Narration] 一度、明るくなった画面は、すぐに暗転しする。そして、1文字づつ、メッセージが表示されていく。

[Anri] ……ごめん。

[Anri (hiragana)] へれにゃへ。

[Anri (hiragana)] ながいあいだ、あんりといっしょにいてくれてありがとうにゃあ。

[Anri (hiragana)] へれにゃとすごした

173

じかん

41

ふん

25

びょうは、とてもたのしいひびでした。

[Helena] あ……。

[Anri (hiragana)] でも、あんりはたびにでにゃくてはいけません。

[Anri (hiragana)] あんりは、へれにゃのもとをはなれてたびだつのは、すごくかなしいにゃ。

[Anri (hiragana)] でも、しんぱいしにゃいでほしいにゃ。

[Anri (hiragana)] あんりはきっと、どこかでげんきにたびをしているから。

[Anri (hiragana)] へれにゃもおげんきで。かしこ。

[Narration] 最期の句点が画面に表示されてから、きっかり10秒後、メッセージは今度は先頭の文字からゆっくりと消えていく。

[Narration] 5分にも満たない、メッセージの中にあった、ヘレナと過ごした時間に比べて、あまりにも短い時間。

[Narration] その置き手紙のすべてが消えるまで、ヘレナはただ、液晶画面を見つめ続けていた。言葉もなく。

[Narration] 灯の消えた小さなゲーム機を手にしたまま、呆然とするヘレナの肩に、二本の腕がそっとまわされる。

[Narration] 背後から肩を抱いたその腕は、ゆっくりとゆっくりと、そしてやがてひっしと、ヘレナを抱きしめる。

[Anri] ……ごめん……。

[Helena] あ、杏里……。

[Narration] 肩越しに小さな声を聞いて、ヘレナはやっと、自分が杏里に抱きしめられていることに気づいた。そして、杏里の声の小さな震えにも。

[Anri] ごめんね……、ヘレナ……。

[Helena] なぜ……。

[Narration] 抱きすくめられた中で、わずかに体をよじる。間近にある杏里の顔。謝罪の言葉を繰り返しながら、きつく閉じた目の端に、涙がにじんでいるのがわかる。

[Helena] なぜ、あなたが謝るの、杏里……。

[Anri] だって……。

[Helena] 悪いのは私よ。持っていくのを忘れていたんだもの。

[Anri] でも、もし、ボクが預かっていた時に……、キミが帰ってくるまでの間に、なにか間違っていたかもしれない……。

[Anri] なにか、『あんり』をひきとめることができたかもしれない……。

[Helena] ううん、ちがうわ、杏里。私じゃなきゃダメだったのよ。

[Helena] これは、そういうゲームだったの。

[Narration] ヘレナがそう答えた時、抱きしめる杏里の力が、きゅっとわずかに強くなった。

[Anri] ちがう、ちがうよ、ヘレナ。

[Anri] ボクは、悲しいんだ。

[Narration] 頬を一筋だけつたう涙と同じように、杏里は言葉をしぼり出す。

[Anri] さっきまで、ずっと、楽しい会話を続けていた、『あんり』がいなくなったのが悲しいんだ。

[Anri] ゲームなんかじゃないよ。こんなに悲しいなんて。キミをこうして抱きしめていなければ、泣き叫んでしまいそうなんだ。

[Narration] その言葉が嘘ではないことを証明するように、言葉を句切るごとに、杏里はヘレナを抱きしめる。肩を抱き、頭を抱き、顔を髪にうずめ、肩に額を当てる。

[Anri] ヘレナは……、悲しくないの?

[Narration] 包み込むような囁きでたずねてくる。

[Helena] ……悲しいわ。

[Anri] 泣きたくないの?

[Helena] 泣いてるわ。

[Narration] ヘレナがそう答えると、杏里の手のひらが、頬をなで、つたう涙をすくっていく。

[Helena] お別れが言えなかったもの。それが残念なの。

[Helena] でも、この日が来るのは知っていたわ。説明書にも書いてあったから。私と、あの子のあいだにはずっとあった約束なのね。

[Helena] でも……。

[Narration] 住む者のいなくなったポケットエアポートをそっと握りしめる。

[Helena] 私は、『あんり』と交わしたいくつもの言葉を憶えてるわ。一日、一時間。それでも毎日、『あんり』とした会話の中で、聞かれたこと、教えた言葉を憶えてるわ。

[Helena] それが、私の中には残っているの。

[Helena] あの子が旅立って、離ればなれになって、こうしてもう二度と会えなくなっても、いつまでも、私は『あんり』を憶えている。

[Helena] だから……。

[Helena] もう一度、会いたい。また、会いたい。

[Helena] 会った時に、おかえりって言ってあげたい。だから、『あんり』のことを憶えているわ。ずっとよ。

[Helena] もう一度、また、会いたい……。

[Helena] 望めぬことだとわかっていても、そう、願うわ。

[Chloe] 悪かったわね、本当に。

[Eliza] 申し訳ありません、お預かりしておりましたのに……。

[Helena] あなた達のせいじゃないわ。仕方のないことだったし……。そんなに気にしないで。

[Chloe] わかってはいるんだけど、ね。

[Eliza] あまり、お気を落とされないように。

[Helena] もう大丈夫よ。一晩、さめざめと泣いたら、わりと吹っ切れたわ。……私は。

[Chloe] あなたは……、ね。じゃ、あれは?

[Narration] そうクローエが指し示す方向に、3人は視線を向ける。

[Helena] はぁ……。

[Narration] そして、ヘレナは大きくため息をついてから、立ち上がる。

[Helena] 杏里! いつまでめそめそしているの!しゃっきりしなさい、だらしのない!

[Anri] だって〜、『あんり』が、『あんり』が〜。うう、いなくなっちゃうなんて……。

[Helena] 夕べ、さんざん悲しんだでしょう!?明け方までつきあってあげたじゃない!

[Helena] まったく、いつまで泣いているつもりなの!

[Anri] ひどいや、ヘレナ! なんて血も涙もないことを! あんなにかわいい『あんり』がいなくなったことに、ボクの胸は張り裂け、いまだに悲しみを流しているというのに!

[Helena] 大袈裟すぎるのよ!だいたい、『あんり』は私の……。

[Narration] その時、不意に。

[Narration] カフェテリアが流しているジャズナンバーには不似合いなこもった電子音が鳴り響く。

[Helena] え……!?

[Narration] 慌てて、ヘレナは制服のポケットをかき回す。

[Helena] うそ……! どうして……?

[Narration] 取り出されたポケットエアポートは、LEDを点滅させ、ヘレナを呼んでいた。

[Tenkyouin] やぁ、ここにいたのか。

[Anri] やぁ、かなえさん。こんな日の当たるところまで出てくるなんて珍しいね。どうしたんだい?

[Tenkyouin] 余計なお世話だ。杏里こそどうしたんだ?そんなに目を赤くして。

[Tenkyouin] まぁいい。ポーラースターのファイヤーウォールに面白いものがひっかかっていたんでね。

[Chloe] 面白いもの?

[Tenkyouin] ああ、ポケットエアポートのゲームデータさ。一時期、はやったヤツがあったろう?

[Tenkyouin] あれはね、学習したデータをどうやら開発元に送り返していたんだ。おそらく、データベースへのフィードバックのためだろうね。

[Tenkyouin] 実際に旅立っていたというわけさ。一時期は、一日にいくつもデータがひっかかっていたものでね。まさに大漁。

[Tenkyouin] ところが夕べ、久しぶりにデータが一個ひっかかっている。興味半分に中をのぞいてみたら、知っている固有名詞がずらずら出てくるものでね。

[Tenkyouin] 面白そうだから、試しに、転送元に送り返してみたんだ。その首尾を確認しようと思ってね。

[Tenkyouin] ……ヘレナ、鳴っているよ。

[Chloe] うるさいから、その音、止めてちょうだい。

[Helena] あ、え、ええ。

[Narration] 半信半疑におそるおそると、ヘレナはポケットエアポートのボタンを押す。

[Narration] 光が入り、明るくなる液晶画面。その中に浮かび上がってくる──。

[Anri (hiragana)] へれにゃ!

[Helena] あんり……!!

[Tenkyouin] よし、成功だ。

[Anri] ワォ! すごいよ! さすがはかなえさんだ!

[Eliza] あの、天京院様? それができるならどうしていままで……。学園内の悲劇もずいぶん防げたでしょうし……。

[Chloe] 言っても無駄よ、イライザ。

[Narration] 騒ぎ出す周りの面々のよそに、ヘレナは、小さな画面の中で満面の笑みを浮かべている『あんり』との再会に、今だけは心を預けていた。

[Anri (hiragana)] へれにゃ、あんりのこと、すき?

[Helena] ええ、もちろんよ!

sapphism_no_gensou/7105.txt · Last modified: 2013/06/01 22:49 (external edit)