User Tools

Site Tools


sapphism_no_gensou:7026

Place translations on the >s

[Narration] 夕映えに染まった展望所に、一人天京院が立つ。

[Narration] 真鍮製の古風な双眼鏡から手を離す。腕は痺れ、重くなっている。

[Anne Shirley] 見つけた。講堂にいるかと思ったのに。

[Anne Shirley] どう?

[Tenkyouin] アン……?

[Tenkyouin] いいや……広いなこの船は……

[Tenkyouin] 隠れようと思ったら、何年でも隠れていられるだろ。

[Anne Shirley] そう。

[Anne Shirley] あたしも隠れんぼは得意。

[Anne Shirley] だけど、見つける鬼の方になるのはちょっと苦手。

[Narration] 海風に髪をなびかせる天京院を、アンシャーリーはしげしげと見た。

[Anne Shirley] ……カナエがこの場所にいるなんて珍しい……初めて見たわ。

[Anne Shirley] 一人でのぼって?

[Tenkyouin] そうだよ。エレベーターも動かないしな。

[Tenkyouin] 1時間かかったよ。

[Anne Shirley] まあ。お疲れ様。

[Tenkyouin] 降りるのにまた、1時間かかる。まったく、エレベーターのすばらしさを思い知るよ。

[Anne Shirley] ……階段一段に、12分も?

[Tenkyouin] ……え?

[Tenkyouin] ……ふ……ふふっ……ああ……その手があったか……

[Narration] 天京院は手すりに背をもたれながら頭をかいた。

[Tenkyouin] ……その、後ろに持ってるのは?

[Anne Shirley] あら、忘れていたわ。

[Anne Shirley] レイチェルが借してくれたのよ。

[Tenkyouin] ノートパソコン?

[Anne Shirley] 医務室で寝ていたレイチェルがニコニコしながら眺めていたの。

[Anne Shirley] 最初は渋っていたのだけれどお茶をご一緒したら、喜んで貸してくれたわ。

[Tenkyouin] ……はあ。

[Tenkyouin] ちょっといじらせてもらうぞ。

[Anne Shirley] ええ、どうぞ?

[Narration] 展望室の床に置いたパソコンを二人はのぞきこんだ。

[Tenkyouin] 稼働したままか……バッテリーもまだ半分あるな……

[Anne Shirley] ん……?無線式のネットワークだって……?

[Narration] 案の定、レイチェルのパソコンには秘蔵のデータがぎっしりと詰め込まれていた。

[Tenkyouin] あいつ……まだこんなところにバックアップを残していたな……

[Tenkyouin] 消去だ消去。まったく…………ん……?

[Narration] 見ている合間にもパソコンに着信があった。

[Narration] 自動的に映像が転送されてくる仕組みらしい。

[Narration] 天京院が映像を開くと、それはたった今、杏里を捜索中の、クローエたちの画像だった。

[Anne Shirley] あら? ソヨンだわ。クローエは素っ裸で真っ赤になってる。

[Anne Shirley] けつまずいたソヨンがクローエのタオルを脱がしちゃったのね。アハハハ、エロエロコミックみたい。

[Narration] 途端、天京院は画面をにらみつけ次々に記録映像を確認していった。

[Narration] 間違いなく、ポーラースターの警備網から送られきた盗撮映像だ。

[Narration] 時間をじりじりとさかのぼる。

[Tenkyouin] !

[Narration] 果たしてそれはあった。

[Narration] 広角にゆがみ、その端のピントのずれた森のなかの小さな人影。

[Narration] 画像を拡大していくと、重なる枝の下に、膝をかかえしゃがみこんでいるのは確かに杏里だった。

[Narration] 最後の記録時刻からはそろそろ1時間ちかくが経過しようとしている。

[Anne Shirley] 鐘楼の壁が見えるわ。ここのすぐ下のほうね?

[Anne Shirley] そうね……あのあたりかしら?

[Narration] アンシャーリーは手すりから身をのりだし、甲板の一角を指さす。

[Narration] 天京院は深く息をつき肩の力を抜いた。

[Anne Shirley] 迎えに行かないの?

[Narration] 訊ねるアンシャーリーに天京院は力なく首をふった。

[Tenkyouin] …………頼む。

[Tenkyouin] アンが……行ってやってくれないか……?

[Tenkyouin] あたしが顔を出したら、またどこかへ行ってしまうかもしれない……。

[Narration] 夕陽を背にしたアンシャーリーは目をとじたまま首を振った。

[Anne Shirley] おことわりだわ。

[Narration] 面くらった天京院に、アンシャーリーは両の掌を向けて一歩一歩近づいてくる。

[Anne Shirley] できるわ。

[Anne Shirley] 大丈夫、カナエ。とっても簡単なこと。

[Anne Shirley] しっかり捕まえて、離さなければいいのよ?

[Narration] そう言って鐘楼からアンシャーリーに突き落とされ、声にならぬ悲鳴をあげ、視界を黒いものが覆い、なんだかわからぬうちに天京院は地面に寝転がっていた。

[Narration] 全身がずきずきと痛む。

[Tenkyouin] ───アンめ!

[Narration] 土と芝生にまみれた顔を歯を食いしばってはねあげた。

[Narration] 長く伸びきった影が茜色の地面をひた走る。

[Narration] 手当たりしだいに下生えに分け入り、茂みをかきわける。

[Narration] とがった枝先がむき出しの足を傷つけ、髪は絡みとられた。

[Narration] だが天京院はなおも腕を不器用に振りまわし、前進することをやめない。

[Tenkyouin] わかってるんだ!そんなこと!

[Tenkyouin] あたしを…誰だと思ってる……!

[Tenkyouin] 最初から答えなんて、知ってる……!

[Narration] 枝に刺さった白衣を強引に引き裂いて天京院は茂みを抜ける。

[Narration] つと、周囲を木立に囲まれた小さな空間に出た。

[Narration] わずかに望む空は月もなく、もう澄んだ蒼い闇となっている。

[Narration] 荒い息をついて立ち止まった天京院の目に、すこしずつ周囲の輪郭が見えてきた。

[Narration] 膝をかかえていた小柄な影が、息を呑んで立ちあがった。

[Narration] 夜を運ぶ風が、木々の合間を吹き抜け、もれ射す細い夕陽が、その頬を照らした。

[Narration] 二人は言葉もなく立ちつくした。

[Narration] 泣き腫らし、熱を帯びた青い瞳が、天京院を見あげている。

[Narration] 瞳は語っていた。

[Narration] 天京院が最も怖れ、ひた隠しにしていた事実にもうすでに出会っている、と。

[Tenkyouin] …………杏里……

[Narration] ふくれあがる哀しみに圧され天京院は、そうつぶやくのがやっとだった。

[Narration] 自分を捜しあてた天京院に、杏里もまた振り絞るように告げた。

[Anri] ………………てん……

[Anri] ……お母はん……………死んでもうてん……っ……

[Anri] ひとり……ぼっちや…………ボク………………………

[Narration] 杏里の顔がしわくちゃにゆがんでいく。

[Narration] 張り裂けそうな小さな胸に拳を押しつけ、無理矢理にほとばしる嗚咽を抑えこもうとしている。

[Tenkyouin] …………杏里……っ……!

[Narration] 言葉よりも先に、体は動いていた。気づけば、あらんかぎりの力で、杏里をかき抱いていた。

[Narration] 杏里はその胸にすがりようやく声をはりあげ泣いた。

[Anri] うわぁぁぁぁぁぁぁぁッ……

[Anri] ……おかあはん……っ………………おかあはん…………!

[Anri] ……なんで……なんでや……………ずるいよ……っ………………おかあはん……っ……!

[Narration] 泣きじゃくり、炎となった杏里を腕の中に感じながら、天京院もまた息をつまらせ、とめどなく涙をこぼしていた。

[Tenkyouin] 杏里…………

[Tenkyouin] ごめん……ごめんよ……杏里……っ

[Tenkyouin] こんなつらい想いを…………二度までも……させる……っ……

[Narration] 腕の中で、杏里は泣き叫びながら、悲しみと憤りを天京院にぶつけてきた。

[Narration] 歯をくいしばりながら、ただただ天京院はそれを受けとめつづける。

[Tenkyouin] あたしだ……!ぜんぶあたしの間違いが招いたんだ……っ……

[Tenkyouin] なんて……愚かなんだ…………あたしは……

[Tenkyouin] なにが……天才だ……

[Tenkyouin] 名推理ができたって……世界に一つの発明が出来たって……っ

[Tenkyouin] 泣いている杏里に何ひとつ……してやれない……ッ!

[Tenkyouin] ごめん…………

[Tenkyouin] みんな……あきらめの悪い……あたしの心が……招いたことなんだ……

[Tenkyouin] 許してくれ……杏…里……っ……

[Narration] 杏里を抱いたたま天京院は膝からくずおれた。

[Narration] 仰向けになり草を背にした天京院は、なおもすがりつき、襟元に顔を寄せながら慟哭しつづける杏里を……

[Narration] いつまでも、いつまでも、その腕の中に抱きとめていた───

[Narration] 大講堂では、くたびれ果てた様子の少女たちが顔を寄せあっていた。

[Narration] 灯りは蝋燭だけ。

[Narration] 毎日ふんだんに振る舞われていた高級食材も、冷凍庫をやられほぼ全滅。

[Narration] 燃料類は唯一の独立電源である非常用発電に優先的にまわされ、煮炊きにも不自由するありさまだった。

[Narration] 食事の内容も、いきおい缶詰と災害用の保存食ばかりとなる。きょうびのオートキャンプに、はるかに劣る。

[Narration] トサカにくることに、衣食住のきちんと供給される、空調も完備された場所も、ちゃんと残されていた。

[Narration] しかし、そこは狂ったコンピューターの完全な制御下に置かれ……

[Narration] 利用者は、恥ずかしいコスプレを着用しながら、不可思議なポーズでアニソンを歌わねばならず、あまつさえ執拗につけ狙うカメラアームの前へと立たねばならないのだ。

[Narration] プライドの高いこの船の学生たちが、そんな場所を利用することはなかったが、この閉塞した状況が続けば、誘惑にかられるものが出てくるかもしれない……

[Nicolle] ───うえ。

[Narration] まだ中身の残っている皿に、ニコルは、さじをカンと投げ入れた。

[Nicolle] あーあ、今日一日でたっぷりひと夏ぶんは日焼けしたぜ。

[Nicolle] いくら暑いからって、ずっとあんなナリしてたらアマゾン族になっちゃうって。

[Nicolle] あ。これ、差別発言?アマゾン出身のコっていた? いない? じゃ別にいっか。

[Nicolle] ……しっかしさあ、このレトルトのチキンシチューまっずいよねえー?

[Nicolle] なんでこう非常食って……

[Soyeon] ニ……ニコル!?

[Narration] 悲痛な面もちのソヨンは、眉間に皺を刻み、きっとニコルを見た。

[Narration] もくもくとスプーンを運んでいたアルマも顔をあげる。

[Soyeon] …………

[Nicolle] そんな目で見るなよ。心配してるよ、あたしだって。でもさ……?

[Nicolle] わぁ〜〜心配だ心配だぁ〜〜〜不安で不安でな〜んにも手につかないよ〜〜

[Nicolle] …………なんて慌てふためいたって、仕方ないだろ? 今さら。

[Soyeon] ……そう……そうだよね……ごめん。

[Soyeon] みんな、今、出来ることを、一所懸命やってるんだものね……

[Alma] ……ソヨンさん?

[Alma] ニコルさんは、わたしたちのこと、気づかってくださってるんです。

[Soyeon] ……うん。わたしすぐに焦っちゃって……

[Soyeon] ごめんね、ニコル。

[Nicolle] うわ、やめろ!そんなピュアな瞳でけがれたあたしを見ないでくれーっ!

[Alma] うふふ……

[Narration] ファーストクラスたちから少し離れた場所では、クローエが横になりペーパーバックを読んでいる。

[Clare] 杏里ちゃん帰ってこないね……

[Mirriela] ………………

[Coe] やっぱりコーがやるよ!ぷりてぃーコー・もえもえさくせん!

[Mirriela] だめだ!

[Coe] なんでえー……?コーももえもえしたーい。

[Mirriela] なんででも!

[Mirriela] ……コーには、務まらないよ。

[Coe] ぶうう。

[Clare] ふう……

[Narration] コローネの毛並みに手をはわせていたニキが、ぴくりと耳を動かすコローネの様子に気がつき、顔をあげた。

[Narration] 入り口近くのテラスで、暗い海を見つめていたアイーシャが、物音に気づいてふと顔をあげる。

[Narration] その場を離れていたイライザとヘレナが講堂に戻ってきた。

[Eliza] ニキ様、

[Narration] 不安気なアイーシャに、微笑みながらイライザは告げる。

[Eliza] アイーシャ様、

杏里様が戻られましたよ。

[Narration] ぶぅぅん───…………

[Narration] 設置された大がかりな機械のスイッチにヘレナが手をかけると、講堂に照明が戻った。

[Clare] まぶしっ

[Coe] ……あ……杏里ちゃんだー!

[Mirriela] ……杏里先輩?

[Anri] おまっとーさん!えらい難儀かけてすんません!

[Narration] ぺこりと頭をさげる杏里。

[Narration] たちまち、安堵や不満を口にする仲間たちに、杏里はとり囲まれた。

[Narration] すこし遅れて、天京院とアンシャーリーも二人肩をならべて現れる。

[Anne Shirley] ………ふふふふ。

[Tenkyouin] …………なんだ。いったい。

[Anne Shirley] ……ふふふふ…………貴様の秘密を知っている……

[Narration] 反撃の準備は整った。

[Narration] 居並ぶ面々に、天京院はめずらしく感謝の言葉をのべた。

[Tenkyouin] では少しばかり時間がずれたが、作戦を開始する!

[Tenkyouin] レイチェル!

[Rachel] ポーラースターへのホットライン、準備オーライよ?

[Tenkyouin] イライザ!

[Eliza] 杏里様へのヘッドセット、マイク装着、および撮影用カメラの設置OKです。

[Tenkyouin] よし。ヘレナ!

[Helena] ポットいっぱいのあつあつコーヒーOK!

……って、なんで私はこんな役なの!

[Tenkyouin] 天京院式「ミキサー付オーディオミキサー」準備OKだ。

[Tenkyouin] よし……

[Niki] !!!!

[Narration] 突然、ニキは立ち上がり、目にもとまらぬ身振りでなにごとか訴えた。

[Narration] いっせいにその少女へと目が向く。

[Narration] その身振りをもらさず読みとって、杏里は一つ一つうなずく。

[Niki] …………ハァ……ハァ……

[Narration] 息を切らし、恥ずかしそうに消沈した。ニキの手をとって杏里は言った。

[Anri] 大丈夫……みんなおるから、ボク、やれるよ。

[Anri] 逃げてもうたのは……イヤやからやない。

[Anri] ボク、もう大丈夫やから?

[Anri] ニキも……手伝ってくれるやろ?

[Niki] …………………ぅ……

[Narration] 小さく、しかし確かにニキは頷いた。

[Anri] ありがとう!

[Tenkyouin] ……いくぞ?

[Tenkyouin] 回線オープン!

[Narration] メーターに光がともるがいなや天京院はマイクに向かってどなりつけた。

[Tenkyouin] 聞け、ポーラースター!このポンコツ! エロアニマル!

[Tenkyouin] これからが反撃の時間だ!

[Tenkyouin] ちょっと処理速度を稼いだくらいで偉そうな真似をするなよ!チェスなんかマルバツと変わらん子供だましだ! おしりぺんぺん!

[Tenkyouin] このオウム返ししか能の無い人工無能め!

[Tenkyouin] いまだに人間と機械のあいだに横たわる溝がどれだけ深いのか、見せつけてやる!

sapphism_no_gensou/7026.txt · Last modified: 2018/05/22 17:15 (external edit)