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sapphism_no_gensou:7008

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[Narration] 天京院のベッドにはアイーシャに運ばれてきた杏里が横たわり、ゆっくりと胸を上下させている。

[Narration] いっぽう机の上には、クッションの詰まった籐カゴに寝かされた四角い沖田がいる。

[Narration] 切り取った床を傾けて、なんとかそこへ移動させたらしい───ヤーンのベッドであると知ったら、かなり嫌な顔をしただろうが。

[Narration] 天京院は部屋に集まった少女たちに向けて静かに切り出した。

[Tenkyouin] ……彼女の名は、『沖田鈴音(おきた・すずね)』。

[Tenkyouin] 日本史をかじったことのある者なら、『新選組』の名を聞いたことくらいはあるだろう?

[Tenkyouin] その新選組一番隊長が、他ならぬ彼女だ。

[Helena] そんな……じゃあ……彼女は時間を超えて現代にタイムトラベルしたっていうの……?

[Helena] それに……それに一番隊長って……嘘でしょう……まるで子供だわ?

[Narration] ヘレナにとっては、物理法則の矛盾よりも、少女の容姿と立場のギャップのほうがショッキングだった。

[Tenkyouin] うん……実際に子供だったんだよ。あたしらとほとんど歳は違わない。

[Tenkyouin] 新選組の中でも最年少の……そして、最強の名を持つ剣士だったんだ。

[Narration] 天京院は、沖田の問題はひとまずおき、杏里へと視線を向けた。

[Tenkyouin] あたしは、杏里がキミたち「子猫ちゃん」のことだけを忘れてしまったことについて、どうしても納得がいかなかった。

[Tenkyouin] そこで、事件の起きた際の状況を独自に、徹底的に洗い直した。

[Eliza] まあ、お珍しい。

[Tenkyouin] …………事件の夜。海は大荒れの嵐だった。

[Tenkyouin] その際、ポーラースターに落雷があった。

[Anne Shirley] ゴロピカドン!?

[Chloe] 船への落雷自体は、そう珍しいものじゃないわ。みんなだって、慣れっこになっていて、気にもとめなかったでしょう?

[Chloe] これだけの巨大な船が、真っ平らな場所に立っているのだもの。狙い撃ちされて当然よ。

[Tenkyouin] そう。

[Tenkyouin] その晩の落雷も、避雷針を伝わり海中へと拡散してしまうはずだった。だが……

[Soyeon] 無かったんですね? その形跡が。

[Tenkyouin] そう。雷のエネルギーは拡散することなく、この船内に留まっていたんだ。

[Tenkyouin] 何かしらの超高エネルギー、異常なまでのポテンシャルを秘めたモノがこの船内にいる。

[Tenkyouin] そう考えたあたしは、手製のセンサーを用いて船内をくまなく走査した。そこで見つけた驚くべき存在。それが……

[Okita] ……わたしなんです。

[Narration] むくりと沖田がたちあがった。

[Alma] 沖田さん……っ

[Anne Shirley] わーい、沖田が起きたー!

[Anne Shirley] ……0.5点。

[Narration] 天京院がおもむろにレコードの針を置く。

[Tenkyouin] …………

[Tenkyouin] ……大丈夫か?

[Okita] ……はい。すこし、楽になりました。ここからは、あたしが……

[Narration] 沖田はいずまいを正した。

[Okita] 天京院さんに見つけていただいた時、あたしは、ろくに実体を保つことができませんでした。

[Okita] 『えねるぎい』が足りなかったのだそうです。ですが天京院さんの助けで、なんとか実体化することができました。

[Narration] クローエが天京院のほうをみやり、ため息をつく。

[Tenkyouin] そ。エンジンから、ちょいとね。

[Narration] 沖田はさらに淡々と話を続けた。

[Narration] 彼女が黒猫を追い続けていること。

[Narration] 嵐の夜、それは強力凶悪な黒猫に……それも妖怪猫又に遭遇したこと。

[Narration] 剣を交えながら、大麻神に黒黒猫が絶対に逃げられないようお祈りいしたこと。

[Narration] とつぜん雷に打たれ、気がづいたらこの船に来ていたこと……

[Helena] とほうもない話だわ。

[Tenkyouin] しかし、世界のほうはバランスを取ろうとしていたんだ。

[Tenkyouin] 異質な侵入者である黒猫と彼女が、この世界に存在する。その帳尻をなんとかして合わせようとしたらしい。

[Eliza] まさか……それが杏里さんの記憶を消すことだったのですか?

[Nicolle] なぜに杏里が……

[Okita] それは、黒猫又がその化ける対象を、あい〜しゃさんに選んだせいかもしれません。

[Nicolle] だったら、そのまんま子猫ちゃんつながり?

[Nicolle] 駄洒落? オー、マイガー!?

[Tenkyouin] ……日本の八百万の神々はどいつもこいつも語呂合わせが大好きだからな。

[Tenkyouin] ついでに言うなら、杏里は京都の出身だからな。

[Tenkyouin] もしかして、その昔、その大麻神とやらの恨みを買うような事をしたんじゃないか?

[Nicolle] それは、充分ありうる……

[Nicolle] 教会でヘレナを押し倒すくらいわけないもんなあ……

[Tenkyouin] 年下の記憶だけすっぽり無くなったのは、そのあたりが原因だろ。まったく……

[Narration] 皆がベッドに眠る杏里を見た。のんきによだれを垂らしている。

[Okita] ……黒猫又は、あたしよりずっと『えねるぎい』に溢れていたようですね。

[Okita] あたしに先んじて、早々に活動をはじめました。

[Okita] あたしは天京院さんに助けてもらいながら、黒猫又の痕跡をさぐりました。

[Nicolle] って、やっぱりカナエは安楽椅子してたのか! この薄情者!

[Tenkyouin] 当然だろう。向いてないものは向いてない。

[Narration] 沖田は苦笑して言った。

[Okita] 天京院さんには充分、力を貸していただきました。

[Okita] それに、黒猫は、あたし自身の問題ですから。

[Okita] そういうわけで……あたしが帰らなければ、杏里さんの記憶は永久に戻らないと思います。

[Okita] あたしがこの場に居続けることで、もっと影響は大きくなっていくでしょう。一刻も早く戻らなくっちゃ……

[Okita] もしかすると、杏里さんの意識だってこのまま……

[Niki] …………(すごく焦っているらしい)

[Chloe] ……戻……る……?

[Nicolle] そうだよ。スズネだって元の世界に戻りたいんだ。待ってる人がいるんだ。

[Nicolle] ねえ?

[Soyeon] 天京院先輩!沖田さんを元の時代へおかえしすることは……難しいのでしょうか……?

[Tenkyouin] …………ふ。

[Tenkyouin] 何度も言うが、あたしはだてに部屋にこもってるわけじゃない。それなりに研究していたんだよ。

[Tenkyouin] 鍵はポーラースターの通過した、熱帯性低気圧にある!

[Narration] 問題の大型の低気圧は進路を大きく変えながら、また船に接近しているとのことだった。

[Narration] 低気圧の中で、再びポーラースターが嵐に遭い、その身に落雷を受ければ、不安定な状態にあった彼女の存在は、再び本来あるべき時代へと戻されるだろう。

[Narration] そうすれば、沖田は元の時代に戻り、その反動で杏里の記憶も再び回復するはずだ。

[Narration] そう、天京院は自信たっぷりに断言した。

[Narration] その説明を聞くやいなや、少女たちはブリッジの学園長の元へと馳せ参じ、進路を嵐に向けるよう懇願した。

[Narration] 元々、ダイナミックな航海の好きな学園長は二つ返事でそれを了承。

[Narration] その日の晩の未明にでも、再び嵐に再突入とあいなった。

[Narration] 天京院の部屋に静けさが戻る。

[Narration] ベッドに懇々と眠る杏里の寝息と、それを見つめる天京院が時折コーヒーをすする音だけが部屋にひびく。

[Narration] そこへノックが加わり、長身の少女が顔を出した。

[Tenkyouin] おや……?

[Tenkyouin] ……沖田鈴音の即席ガラパーティとやらに出ているかと思っていたよ。

[Tenkyouin] 欠席したみたいだな。

[Chloe] ……図書館で新選組の書籍に目を通していたのよ。

[Chloe] このあと彼女、池田屋事件に遭遇するみたいね。

[Tenkyouin] うん……どうやらそうらしい。

[Chloe] その後、鳥羽・伏見の戦いに参列することもなく、持病の労咳(ろうがい)が悪化、江戸に引き上げ、そのまま病没す。

[Chloe] ……労咳って?

[Tenkyouin] 肺結核さ。

[Chloe] ……肺結核? 治る病気だわ?彼女をこのまま帰してしまうの?

[Tenkyouin] もちろんだとも。

[Tenkyouin] バランスを取ろうとする世界の方は、きっと容赦ないぞ?

[Tenkyouin] 杏里だけじゃない。キミらの杏里に対する記憶まで奪おうとするだろうな。

[Tenkyouin] それだけ彼女が歴史に与えた影響は大きい……

[Chloe] それはわたしも予想していたわよ。

[Chloe] でも……彼女をこのまま帰してしまったら、彼女、あと数年と経たずに生涯を終えてしまうのよ?

[Chloe] 天京院さん、あなたは杏里さえ無事なら、それでいいわけ?

[Chloe] せめて、病気だけでも治し……っ

[Narration] さえぎるように天京院が言った。

[Tenkyouin] あいにく肺結核という病気の治療は、ひどく時間がかかる。現代医術を持ってしてもだ。

[Tenkyouin] 池田屋以前の新選組の文献を詳しくあたってみたか?

[Tenkyouin] ほんの小さくだが、沖田鈴音が山里に黒猫を追い、三日三晩の死闘を繰り広げたという記載がある。その時、一種の神隠しに遭ったらしい。

[Tenkyouin] その期間は3日……つまり、彼女が戻るべき時は、今夜をおいてない!

[Tenkyouin] まだ歴史は変わっていないんだ。

[Tenkyouin] 明日までに彼女を過去へ送り戻せば、つじつまが合う。

[Tenkyouin] 最小限の過去への干渉で済むんだ。

[Narration] 天京院はクローエに背を向けて、窓の前に立った。

[Narration] そして低くつぶやく。

[Tenkyouin] ……しかたないだろう。彼女は、そういう時代に生まれたんだ。

[Tenkyouin] 1分1秒が大切だった。

[Tenkyouin] 毎日、命がけで闘って、そんななかでも、必死に恋をして、

[Tenkyouin] 国の未来のために、なにより信じる仲間のために、自分の生涯を賭したんだよ。

[Tenkyouin] その貴重な時間を、キミは彼女から奪うのか?

[Chloe] ………………

[Narration] クローエは唇を噛んだ。その横では、何も知らずに杏里が安らかに眠っていた。

[Narration] 扉が乱暴にノックされる。

[Soyeon] あ〜〜、くろーえせんぱい〜〜こんなところにいたんれすか〜〜〜

[Narration] 嫌がるヤーンを抱きかかえたソヨンが、扉にぶらさがるようにして顔を出す。

[Soyeon] みんな待ってるんれすよ〜きょうのクローエせんぱいのばとるはすごかったれすかられ〜〜

[Chloe] ソヨン、あなた酔って……?

[Narration] さらに、ニコルやアンシャーリーたちも現れ、無理矢理にクローエの腕を引いていく。

[Narration] クローエが困り顔で振り返ると、行った行った、とばかりに天京院は手のひらを振っていた。

[Narration] ───その夜。

[Narration] 吹きつける嵐のなかで、ポーラースターの船上に、ひときわ巨大な雷鳴がとどろき……

[Narration] そして、沖田鈴音は還っていった。

[Narration] 轟音が去ったあと、船の周囲は嘘のように晴れわたり、夜空には星々が瞬いていた。

[Narration] 夜が明けると、なにごともなかったかのように杏里はベッドから身を起こした。

[Narration] 無事に記憶も戻った。

[Narration] 杏里を中心に、ふたたび騒がしい日常が始まった。

[Narration] 後日───

[Narration] いつも通りのドタバタとした喧噪を遠目に見ていたクローエのもとに、天京院が訪れる。

[Chloe] ……天京院……さん。

[Tenkyouin] ほれ。

[Narration] 天京院は、古びた一冊の書物をクローエの前に置いた。

[Narration] 合間に、しおりが挟まっている。

[Chloe] これは……

[Narration] クローエが見たことの無い本だった。

[Narration] 予感を感じながら、本を手にとった。

[Chloe] え……っ…?

[Narration] そこにはクローエの知っている史実とは異なり、あの沖田鈴音が江戸への帰還後も病没することなく……

[Narration] それどころか元隊士と結婚し、子供まで設けたという記述があった。彼女は幸せな生涯を送ったのだ。

[Narration] クローエは喜びを隠せず天京院を見た。

[Chloe] こ、これ……!

[Tenkyouin] 珍説だよ。まともな本じゃない。他にも原田沙乃モンゴル馬賊説とか、とんでもないことばかり書いてある。

[Tenkyouin] ……以前の歴史のほうが消滅してしまったたわけじゃなし、実際のところは誰にもわからん。

[Tenkyouin] まあ、でも……

[Tenkyouin] そのくらいの夢は見させてもらってもいいんじゃないか?

[Chloe] ……そうね……

[Chloe] ……H.B.ポーラースター。洋上の楽園。

[Chloe] こんな天国みたいな学園だもの……

[Tenkyouin] ああ……

[Narration] 「そーじ!」

[Narration] 「そーじ! そーじっ!」

[Okita] あ……

[Narration] 「生きてるか?」

[Narration] 「すっげー、さがしたって! こんなところに倒れてたのか?」

[Okita] あ……うん……

[Narration] 「うん、じゃないだろ? ったく、耳だいじょうぶか? 今の雷、すごかったな!」

[Okita] うん。

[Narration] 「ふぅ……心配かけて…… それで……黒猫……どうした……?」

[Okita] うん、やったよ。

[Narration] 「そうか……よかったな」

[Okita] うん…………

[Okita] ……よかった……

[Okita] ……おにいちゃん……

[Narration]                 おわり

sapphism_no_gensou/7008.txt · Last modified: 2013/06/01 22:49 (external edit)