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sapphism_no_gensou:3801

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[Anri] 捜査の基本は足だって、昔の人は言ったらしいけど……。

[Anri] 午後のこんな時間、授業時間の真っ最中なんて、いったい歩き回ったってどれほどの手がかりが得られるって言うんだろう?

[Narration] などと、独り言を繰り返しながら、杏里は空中庭園を当てもなく歩いていた。

[Narration] 本当は、人気の少ないこのような時間ならそれはそれで、捜すことのできる手がかりもたくさんあるものなのだが……。

[Narration] 基本的に誰かと会って、話をして情報を得て、それを手がかりとするような杏里のようなタイプの人間には、こんな時間は本当に、ただうろつきまわることしかできなかった。

[Anri] あーあ、暇だなぁ……。

[Narration] きわめて主観的な暇を感じながら、杏里は広い空中庭園を歩く。

[Unknown] あら、杏里……?

[Narration] 自分の名前を呼ばれた、それも覚えがあり聞くと心が躍る、声に杏里は振り返る。

[Narration] 見ると、広い庭園の小径の一つを、褐色の肌をした少女がこちらに向かってこようとしていた。

[Aisha] 奇遇ね、こんなところで……。

[Anri] ワォ、アイーシャ!

[Aisha] えっ!?

[Narration] 杏里は、内心の喜びをそのまま加速力に変えて、一瞬でアイーシャの元に駆け寄る。

[Anri] 素晴らしい偶然だね。これを運命と名付けよう!でもどうしたの? この時間に授業はないの?

[Aisha] 空き時間なの。サードクラスはこの時間は選択授業だから……。たいていの人は、ソフィア教授の授業を入れているみたいだけど。

[Anri] ああ、あの先生の授業はほとんどの人がとってるからね。もう必修見たいなものかな。

[Aisha] そうみたい。でも、あの授業って、どこで行われるか、決まってないでしょう?

[Anri] そう、自分で突き止めなければならない!ソフィア先生らしいイタズラだよね。

[Aisha] だから……。わたし、その授業の魅力も情報も場所も、集められなくて。聞ける友達がいなかったから……。

[Anri] あ……。

[Aisha] ……残念です、少し。

[Anri] でも、これからは違うさ! ボクがいるし、ボクの親愛なる友人たちもいる!

[Aisha] でも、杏里からサードクラスの人の名前を聞いたことはないわ。

[Anri] あっと……、かなえさんがいるし!

[Aisha] かなえさん……?ああ、天京院さんのこと……。

[Aisha] ……あの人も、この時間はわたしと一緒で、空き時間なんじゃないかしら……。

[Anri] ……その通りだよ。

[Aisha] 天京院さん、授業でもほとんど教室で見ないもの。

[Anri] まじめに授業に出ているって話は聞いたことないからなぁ、かなえさん。

[Aisha] そうね、でも、天京院さん、すごい頭がいいのよ。

[Anri] それはアイーシャもだろう?

[Aisha] わたしは……、そうでもないわ。クラスでも成績は、まぁ、平凡なものだし。

[Anri] そんなことないよ! だって、スキップしたくらいだもの! よりにもよって、ボクのいるセカンドクラスをね!

[Aisha] そんなこと言われても……。

[Anri] おかげで、ずいぶん、キミとの出会いがドラマチックになってしまった! ああ、だからこれはこれでよし!

[Aisha] ……変な人。

[Narration] そう感想をもらして、アイーシャは顔をほころばせる。その笑顔を見て、杏里の顔にも笑みが浮かんだ。

[Aisha] あ……。

[Narration] ふと顔をあげたアイーシャが、小さくつぶやく。

[Anri] どうしたの?

[Aisha] ひと雨、きそう。

[Anri] 雨? ……この上なく天気はいいみたいだけど。

[Aisha] そう、ね。でも、湿った風が吹いたような気がしたの。あっちの方からかしら……。

[Aisha] でも、船の上ですものね、ここ。少し自信がないけど……。

[Narration] しぼむように弱くなっていくアイーシャの声が消えかける瞬間、彼女が指し示す先の空に、黒い雲が浮かび上がる。

[Anri] わわっ!?

[Aisha] やっぱり……。

[Anri] すごい……。どうしてわかったの?

[Aisha] なんとなく……。わたしの国は、赤道直下にあるでしょう?

[Anri] ああ……。

[Narration] 杏里は頭の中で、少しいびつでところどころ空白が混じっている世界地図を描きあげる。その中で、アイーシャの故郷、シンガポールは確かに、地図の真ん中付近にあった。

[Aisha] スコールが多いの。だから、降る前兆みたいなものも、なんとなくわかるのよ。

[Aisha] さっき言ったように、少し、風が湿った感じがするのよ。でも……。

[Aisha] あまり、自信がなかったわ。ほら、ここは船の上でしょう? 外はいつも、海風だもの。

[Anri] いや、でも今回は大当たりさ! すごいすごい!

[Aisha] ありがと。さ、中に戻りましょう。まだ遠くに見えるかもしれないけど、あの雲はとても速いから、すぐにも降り出すわ。

[Anri] やれやれ、じとじとしそうだな。

[Aisha] そんなものじゃないわよ、スコールは。空が真っ暗になって、傘も役に立たないくらい、水びたし。

[Aisha] でも、傘をささないと、雨粒が痛いくらいなの。

[Anri] やっぱり、故郷が懐かしい?

[Aisha] え……?

[Narration] 杏里の言葉に、はっとアイーシャが顔をあげる。

[Anri] なにか、楽しそうにしていたよ。

[Aisha] そう、かしら……。

[Narration] 杏里の指摘と、そのほんの1分前の自分に困惑を覚えた顔で、アイーシャは口をつぐむ。

[Aisha] ………………。

[Anri] ? ……アイーシャ?

[Aisha] ……あ、あの、建物の中に入りましょう?このままだと、濡れて、しまうから……。

[Anri] ………………。

[Aisha] ……杏里?

[Anri] ……よし! 行こう!

[Aisha] え……? きゃぁ!

[Narration] 不意に、杏里はアイーシャの手をとって走り出す。

[Narration] 庭園の小径を、自分が歩いてきた方とも、アイーシャが姿を現した方とも違う方向へと。

[Aisha] あ、杏里! 校舎はそっちじゃ……。

[Anri] いいからいいから! あ……。

[Narration] 不意に、あたりは暗くなる。空は黒く厚い雲に覆われ、陽はそれに阻まれる。

[Narration] ポーラースターの上空へと到達した積乱雲は、まさに待ちかねたように、自らがためこんだ水蒸気を水滴へと還元して、船上に叩き落とし始めた。

[Narration] 最初の一滴が、小径に敷かれた石の上で、高い音をたててはねる。

[Narration] 瞬く間に、視界は、黒い雲と影をまとったポーラースターの建物、そして空から船上へと無数にひかれた雨の糸に埋め尽くされる。

[Aisha] きゃあ!

[Anri] ワーオ!

[Narration] タッチの差で、杏里が広げた上着が、二人の頭上に覆い被さる。

[Narration] 小径の石畳を叩き、広げた上着の上ではぜる雨音が、二人の耳にやかましく響き渡る。

[Anri] ほんとにすごいや!

[Aisha] だ、だから……、言ったのに……!

[Anri] ひゃっほう!

[Aisha] あ、杏里!?

[Narration] 雨音に負けないように、慣れない大声をあげたアイーシャの抗議も耳に届かない風で、杏里はスコールの中を駆けだしていく。

[Narration] なけなしの傘代わりの上着をともにする杏里に走り出されて、たまらず、アイーシャも杏里に並ぶよう、ついていく。

[Narration] 杏里は軽快に走り、時折、ターンさえくるりと切ってみせる。アイーシャもその杏里の動きに必死についていき、二人は雨の中を駆け回る。

[Narration] すべり、転びそうになりながら、石畳の上を、くるぶしまでつかるほど、雨水をためこんだ芝生の上を。

[Narration] 葉と枝をつたってより不規則に滴を落とす木の下を、雨粒が壁に当たってはぜるため、横からもしぶきが飛ぶ建物の脇を。

[Anri] うわ、ほんとに傘いらずだね!

[Aisha] だから言ったでしょう!?もう、どうして……。

[Narration] 地面に叩きつけられた雨滴は細かく砕け、霧のような細かな粒があたりに満ちる。

[Narration] 足下はおろか、上着もすでに、服を着たまま泳いだ後のように水を吸っている。

[Narration] 頭上にかざした上着は、傘の意味を持たず、せいぜい、目をつぶらすにすむ程度の役目しか果たしていない。

[Narration] そんなスコールの中を、杏里とアイーシャは走っていた。

[Anri] ねぇ!

[Aisha] な、なぁに!?

[Narration] うるさいほどの雨音のおかげで、交わす声も大きくなっている。

[Anri] 楽しいだろう!?

[Aisha] 楽しい、ですって……?

[Anri] うん! 傘を発明して以来、人は、雨が降れば傘を差す。でも、それ故に忘れてしまったこともある!

[Aisha] なにを?

[Anri] 今のこの楽しささ! 痛いほど強い雨! びしょぬれの服と靴! むせそうなほどの空気、でも喉が渇く心配はない!

[Anri] なにもかも滅茶苦茶だけど、なにをかまうこともない! ボクなら、こんな状況、ウキウキして仕方がない!

[Aisha] ………………。

[Anri] どう? キミが見つけてくれたスコールが、ボクを今、こんなに楽しませてくれる!アイーシャ、キミの心はウキウキしてこない? ドキドキでもいいよ! ワクワクでも!

[Anri] ボクと同じように高鳴っていれば!

[Aisha] ……ふふ……。

[Narration] ついに、こらえかねたように、アイーシャの口から笑みがもれる。

[Aisha] だめね、ほんとに変な人、杏里って。

[Aisha] でたらめだわ、こんなスコールの中で、本当に杏里の言うとおり、楽しくなってくるなんて。

[Anri] ワォ! 通じた!

[Aisha] もう、水びたしよ? きっと、あのメイドの人……、ランカスターさんにも、怒られるわ。

[Anri] イライザはきっと怒らないよ。そして、掃除も洗濯も完璧にこなしてくれるって!

[Aisha] それはきっと、あきれられているのよ。だって、こんなスコールの中で遊んでいるんだもの、わたし達。

[Anri] 簡単! 傘を忘れてしまえばいい!

[Aisha] そうね、そんな簡単なことなんて。今、わたし、この後のことなんて、まるっきり考えてないわ。次の授業のことも、制服の替えのことも。

[Aisha] ほんとに、なにも……。

[Anri] ボクは思うよ、人生には、そういう時間も必要なんだよ!

[Aisha] ……ふふ、まるでとってつけたように……。もう……。

[Anri] だからこそ……。

[Aisha] ……あ……。

[Narration] ほんのわずか、雨の勢いが弱くなったと感じ取れたとたん、雲の中に一筋の切れ目が走る。

[Narration] 次の瞬間、その厚みを雨に変え続けた雲を切り裂いて、陽光が一条、まだ止みきらぬ雨の中を貫いて、地面まで走る。

[Narration] 二筋、三筋と光の帯は増え、やがて、空を厚く覆っていたはずの雲ですら、うっすらと明るくなっていった。

[Anri] こうして、雨上がりの太陽の素晴らしさを味わうことができるのさ! ワーォ!

[Aisha] ………………。

[Narration] まだかかげたままの上着の端から、アイーシャはついに顔を出した太陽を見上げる。

[Aisha] あっという間ね……。まるで……。

[Anri] うん、楽しかったね! 大自然のアトラクション! たった数分でちょっと後始末は大変だけど、面白いことこの上ない!

[Anri] でも、魔法の時間はここまでだね。今度こそ、急いで部屋に戻らなくちゃ。このままじゃ、二人とも風邪をひいちゃうよ。

[Narration] そう言いながらも上機嫌のまま、杏里はアイーシャを促して、校舎へと向かって小径を歩き出す。

[Narration] すっかりと水を吸って重たくなった上着を力一杯にはためかせて、少しでも水気を飛ばそうとする杏里より、わずかに遅れて、アイーシャはその後を続く。

[Narration] もう一度だけ、切れ切れになった雲と、それを追い散らして陽光をそそぐ太陽がある空を見上げて。

[Aisha] そうね……。

[Aisha] いつか必ず、光さすその時が、来ると、あなたは言うのね……。

sapphism_no_gensou/3801.txt · Last modified: 2013/06/01 22:49 (external edit)