User Tools

Site Tools


sapphism_no_gensou:3582

Place translations on the >s

[Narration] 舳先から、二人の少女が吊り下がっていた。

[Narration] 巨船HBポーラースター、彼女達は、実に水面から20メートルのところにぶら下がっていた。

[Narration] 外洋の強風にあおられて、髪とドレスがなびく。体が揺れる。

[Narration] 落ちればひとたまりもないだろう。下は海とはいえ、この高さにくわえ、豪華船にあるまじき速度で進むポーラースターが待っている。

[Narration] 文字通り、海の藻屑となれるだろう。

[Narration] そんな場所に、アイーシャを抱えたまま、杏里は腕一つでぶら下がっていた。

[Aisha] な、なんてこと……。なんてバカな人なの、あなたって……。

[Anri] 自分でもびっくりしてる。かなりスリリングだったよ。

[Aisha] スリリングどころじゃないわ。……すぐに、私から手を離して。私をこのまま下に降ろして。それから、這い上がるなり、助けを呼ばないと……。

[Anri] ここから叫んでも、きっと誰にも聞こえないよ。

[Aisha] じゃあ、早く私を……。

[Anri] アイーシャ!

[Narration] 杏里の声がアイーシャの言葉を阻んだ。

[Anri] よければ手を、貸してくれないかな?その、けっしてキミが重いと言ってるわけじゃないんで、気を悪くしないでほしいんだけど……。片手じゃ、疲れて。

[Aisha] だから言ってるでしょう。私を離して!

[Anri] それは、できない。

[Aisha] なぜ……、きゃあっ!?

[Anri] くぅ!

[Narration] 杏里の小指が舳先から外れた。それだけで、二人の体は激しく揺れた。とっさにアイーシャは両腕を天に向かって伸ばす。

[Narration] 杏里は力をふりしぼって、抱えたアイーシャの腰をわずかにひきあげる。アイーシャの手は舳先にかかった。

[Anri] ……ふぅ、助かったよ、アイーシャ。

[Aisha] ……はぁ、はぁ。こ、これですぐには落ちたりしないわ。さあ、杏里、今のうちに甲板にあがって。

[Anri] レディの先をゆくなんてできないよ。

[Aisha] ……先に上に行って、私を引き上げて。

[Anri] 騙されないぞ。

[Aisha] ……このままじゃ、二人とも落ちるわよ。

[Anri] それは困ったなぁ。

[Aisha] いい加減にして! 私のことはほっておいてよ!

[Narration] アイーシャはついに声をはりあげる。

[Aisha] あなたが突き止めたとおりよ、さっき私が言ったじゃない!

[Aisha] 私は、レイプ犯なのよ! 襲った人達にとっては、この世からいなくなった方がいいに決まってる!

[Aisha] こんな女が死んだって誰も悲しんだりしないわ!

[Anri] ……ボクが嫌だもの。

[Anri] ああそうだ、ボクが嫌だ! 絶対に嫌だ!

[Anri] キミがこの世からいなくなる? それもボクの目の前で? そんなのごめんだ。

[Anri] ボクはキミの体を離さないぞ。アイーシャ、死にたかったら手を離せばいい。でも、その時はボクも一緒だ。落ちよ、もろともに。

[Aisha] なんで杏里が私と死ななきゃならないのよ!

[Anri] キミのいない世界に意味がないって気づいたからさ。どうあってもキミとともにある。そう決めたんだ。だから、絶対に離さない。

[Aisha] お願い、離して!

[Aisha] あなたの知ってるアイーシャじゃないのよ、私は! 犯罪者なのよ! 罪を償う意気地もない……!

[Aisha] 逃げたいのよ……、もう。

[Aisha] あなたを騙してたの。あなたのいうような女じゃなかったの。そんな女の子にはなれなかったの……。

[Aisha] 杏里、お願い……。あなたの腕を私から離して……。私の罪は、許されないものなのよ……。

[Anri] ボクが許す。

[Anri] ボクだけは、キミの罪を認め、それでも許す。キミの心にある償いをいつだって見守ることを誓う。

[Aisha] ……!

[Anri] ここでキミが手を離すなら、ボクもその罪と共に海に沈もう。這い上がるのなら、力をあわせよう。

[Anri] アイーシャ、キミの告白はすべてボクが聞いた。キミが誰にも話せなくても、ボクだけはちゃんと知っている。

[Anri] キミがどれだけ苦しみ、なぜ、罪を犯したのか。償いの気持ちも、死を選ぼうとした決意も、みんな、ボクは聞いた。

[Anri] その罪を許したボクの前で、キミはただの少女だ。ボクの最愛の少女だ。だから、キミとともにあるよ。死も生も罪も罰も、キミとともに受けよう。

[Aisha] ……そんなこと、そんなこと、できるはずないもの……。

[Anri] そう思うなら、手を離せばいい。

[Aisha] できないわよ!

[Anri] だったら、手を離すな! 這い上がろう!どこに逃げてもかまわない。でも、ボクと一緒にだ!

[Narration] アイーシャは目を閉じる。ゆっくりと、そしてやがて強く。涙が大粒となって頬をつたう。

[Aisha] ……う、うあぁ……!

[Narration] アイーシャは叫んだ。か細い腕に力を込め、自らの体を持ち上げようとあがいた。

[Narration] それは逃避だったのかもしれない。杏里が、自分を飲み込もうとする存在に思え、逃れようとしたのかもしれない。

[Narration] しかし、確かにアイーシャは自分の力で這い上がることを選択した。杏里も、それに応え、アイーシャの体を押し上げようとする。

[Narration] 二人の少女が、絶地からの脱出を果たそうとしていた。もがき、あえぎながら、這い上がろうとする。

[Narration] すでに、限界に近い細い腕に必死に力を送って。

[Aisha] ……はぁ、はぁ……。

[Narration] やっとの思いで二人は甲板に這い上がった。アイーシャは座り込み、うなだれたまま、大きく息をついていた。

[Narration] そのアイーシャの手に、杏里はそっと自分の手を重ねた。

[Anri] アイーシャ、ちょっとだけ、顔をあげてごらん。

[Narration] 耳元で囁かれた杏里の言葉に、アイーシャはゆっくりと顔をあげる。自分を見つめる杏里の顔が、少しだけ傾き、後ろを振り返るように促している。

[Aisha] あ……。

[Narration] 海原に半身をうずめた太陽が、周囲全てを朱色に染め上げる光を放っている。

[Aisha] ぁ……。

[Narration] アイーシャの目から涙が落ちる。口からは嗚咽が漏れる。

[Narration] たった今、罪を認めながら、生きることを選んだ。こんな醜い存在にも、陽は、変わらぬ光を投げかけるのだ。

[Narration] 強く、強くならなければ、この中にはいられない。

[Narration] 夜の色が濃くなっていく中で、このまま何の決意も持てぬままでは、二度とこの光景を見ることはかなわないだろう。そう思える。

[Narration] なおも持たざる自分の心は残酷な現実、それを覚えてよろめきそうになる。立ち上がる、力など無いのに。

[Aisha] ……ぁ。

[Narration] 重ねられた手の力強さを知覚する。振り返ると、自分のすべてを見つめる瞳があった。

[Narration] この人は自分のすべてを知っている。すべてを知ってここにいる、手を重ねてくれる。

[Narration] こらえられなかった。求めるように、喉をそらせた。その唇を、杏里は受け止めた。

[Aisha] ……、…………。

[Narration] 嗚咽を殺しながら、アイーシャは杏里と唇を重ね続ける。

[Narration] 頬を涙がつたう。途切れることなくつたい落ちる。

[Narration] 互いの鼓動を近くに聞きながら、二人は陽が沈むまで口づけを続けていた。

[Narration] その夜、二人は杏里の部屋でいくども肌を重ねた。

[Narration] 絶頂を迎えてもなお、飽くことなく相手を求め続けた。

[Narration] いつまでもいつまでも。やがて、空が白み始めるころ、まるでその光を畏れるように、二人は眠りの中に沈み込んでいった。

sapphism_no_gensou/3582.txt · Last modified: 2018/05/22 17:15 (external edit)