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sapphism_no_gensou:3581

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[Narration] 軋んだ音をたててワイヤーを巻き上げていたウィンチが止まり、二人はエレベーターのカーゴを降りた。

[Narration] 甲板への扉を開くと同時に、茜色に染め上げられた空と海、そして太陽が二人の視界に飛び込んできた。

[Anri] うわ……。

[Aisha] ……きれい……。

[Narration] 巨船の甲板を吹き抜ける風が、アイーシャの髪をさらい、服をはためかせる。

[Narration] 裾を手で、少しだけ気遣いながら、アイーシャは甲板を歩いていった。杏里も髪に手をあてながら続く。

[Narration] 言葉を発することのないまま、二人は船首まで歩きつく。甲板に設けられた遊歩道の柵の切れ目を通り、立ち入りを禁止されている舳先にまで進む。

[Narration] 足下まで海原が広がってきているように見える。夕陽もよりいっそう、大きく感じられる。

[Narration] 全長千メートルのH・B・ポーラースター。アイーシャはその先端に立って、杏里を振り返った。純白だったドレスが、茜色に映える。

[Aisha] 杏里……、話って、何?

[Anri] ………………。

[Aisha] 杏里……?

[Anri] ………………。

[Narration] 夕陽にとけこむように立つアイーシャに、杏里は言葉を失っていた。

[Aisha] どうしたの?おしゃべりなあなたらしくない……。

[Narration] 少しからかうような笑みを乗せたアイーシャの言葉が届く。

[Narration] この少女をこれから告発しようとしてる自分が信じられなかった。本当に、彼女は罪を犯しているのだろうか? そんな疑問さえわき起こってくる。

[Narration] しかし、その結論は、杏里のもっとも信頼する友人が出したものだった。

[Anri] アイーシャ……。

[Aisha] なあに?

[Anri] 明日、船を降りるんだったよね。

[Aisha] ええ。

[Anri] ボクも、今日までに自分の無実を証明できなかったら退学だ。

[Aisha] そうね。

[Anri] 前に言ってたね……。もし、そう船を降りることになったら……、一緒にいてほしいって。

[Aisha] ……ええ。

[Anri] どうしよう。困ったことになったよ……。

[Anri] 犯人は、キミなんだ。

[Narration] 二人は見つめ合ったまま、押し黙った。吹き抜ける風だけを差し挟んで、二人は互いを見つめる。

[Narration] そして、アイーシャの短い言葉で、その沈黙は終わった。

[Aisha] 嘘よ。

[Anri] 嘘じゃないよ、アイーシャ。かなえさんは嘘はつかない。間違い、ないよ。

[Aisha] じゃあ、真実ね。あなたが、そう、信じてしまったんだもの……。

[Anri] ねえ、アイーシャ、信じたくないよ。いったい、なぜ……。

[Aisha] なぜなんて……。聞く必要なんてないわよ、杏里。私をPSに突き出せば一件落着、それだけでいいんじゃないの?

[Anri] かなえさんもそう言ってた。理由なんて必要ないって。でも、……答えてよ、アイーシャ。

[Aisha] 聞かない方がいいわ。後悔するかもしれないわよ?

[Aisha] ……それでも、知りたい?

[Narration] 逡巡は短かった。

[Anri] ……聞かせてほしい。

[Aisha] じゃあ、教えてあげる。

[Aisha] 私ね、誘拐されたことがあるの。

[Narration] アイーシャは、一言一言を区切るように話し始めた。

[Aisha] なぜ、そんな目にあったのかは、わからないけど……。そうね、父の仕事の関係だって噂を後で聞いたくらい。

[Aisha] さらわれて、救い出されるまで、三日間。どこともわからない部屋の中で……。

[Aisha] 犯され続けたの。

[Aisha] さらわれた時に気絶させられて……、気がついたのは、処女を奪われた痛みによってよ。

[Aisha] 痛みと、自分の置かれた事態に絶望したわ。でも、そんな思考ができたのは、わずかな間だけだったの。

[Aisha] 何度も何度も犯されているうちに、与えられる現実がすべてになったわ。受け入れたの。身体中のどこを犯されようとも、それは苦痛ではないと受け入れてしまったの

[Aisha] 代わる代わる、何人もの男が私を犯した……。突き入れられるたびに、声をあげて迎え入れたわ。痴態を罵られても、うなずくだけだった。

[Aisha] 身体を余すことなく汚されても、涙を流して悦んでいたのよ……!

[Aisha] どんな格好でもしたわ。どんな行為を求められても従った。卑猥な言葉を吐くくらいなんともなくなった。

[Aisha] 食事もなく、与えられたものは、男達の精液だけよ。それすらも、飲ませてくださいと懇願したわ。

[Aisha] でないと狂ってしまいそうだったのよ!いいえ、もう狂っていたのかもしれない……。きっと、そうなのよ……。

[Aisha] そこから救い出された後、また、閉じ込められたの。今度は病院だったけど。入院して三日でお見舞いも医者の診察も無くなったわ。

[Aisha] 広い病室に一人だけ。出された食事をとって、時折、狂ったように自慰をして……。

[Aisha] 退院したら、今度は自分の家の奥深く……。どこに行っても出口なんてないのね。

[Aisha] それでも、少しづつ、人といるのが怖くなくなってきてたのよ。普通に接することができるようになってた。

[Aisha] でも、どうしようもなく飢えて、他人の身体を求める自分が残ってもいたわ。心の中に染みついた飢えが、誰かを欲しいというのよ。

[Aisha] 自分一人でいる時は、その正体がわからずに悶えていただけだった。誤魔化すために、ひたすらに知識をつけようともしたわ。

[Aisha] でも、この学園に入学して止められなくなってしまったの。

[Aisha] 自分の身体を満たしてほしかった。それだけだったのよ。別に、愛してほしいわけじゃなかった。

[Aisha] でも……、誰一人、私を相手にはしてくれなかったわ。

[Aisha] 理解は、できるの。肌の色さえ珍しい、東南アジアの片隅からきた娘よ。しかも、スキップをした異端児。それなのに天才ってわけでもない。

[Aisha] さらされたのは実体のない隔意よ。誰もが、私を相手にしないことで、異端児の存在だけを受け入れた。

[Aisha] 自分から声をかけるだけで解決できたことなのかもしれない。でも、私には無理だった。

[Aisha] 他人も怖かった、孤独も怖かった。人に傷つけられながら、求め、受け入れる選択しかできなかったから。

[Aisha] だから、渇望だけを強くしていくしかなかったの。

[Narration] 巨大な夕陽がアイーシャを背後から照らしつける。淡々と続く言葉を、彼女がどのような表情で語っているのか、杏里にははっきりとつかめなかった。

[Narration] それは逆光のせいなのか、それとも、アイーシャの言葉が引き起こす、自らの震えか。

[Aisha] いちばん最初は、いつも掃除やシーツの取り替えに来てくれた、部屋係の人だったのよ。

[Aisha] 親切な人だったけど……。自分を……、あの器具で慰めているところを見られたの。

[Aisha] もしかしたら、彼女は私を軽蔑しなかったかもしれない。でも、私は、自分を止められなかった。

[Aisha] 彼女に見られた瞬間、頭の中で、あの暗い部屋の中での光景が甦ったわ。何かを失う恐怖が、その記憶に結びついたのよ。

[Aisha] 失うものなんてもう何もないと思ってたのに、他人に傷つけられるのを恐怖している自分がいたの。そして、無我夢中で彼女を襲った。

[Aisha] 自分でも信じられない力で押し倒して、手にしたディルドゥを彼女に突き立てたわ。血が出てた。むせ返るような臭いで……。

[Anri] ……その娘はどうしたんだ?

[Aisha] 知らない。放心してる間にいなくなってしまったの。それから会ってないわ。

[Aisha] 数日は、告発されるかもしれないって怯えてたけど、何も変わりはなかった。むしろ、変化したのは私の方よ。

[Aisha] 自慰ではけっして満たされなくなった。どんなに慰めても、あそこはすぐに渇いて求めるの。

[Aisha] 机の下に、職員用のカードキーを見つけた時、ためらわずにその解決方法を選んだわ。

[Aisha] それから……、ほぼ一週間おきに四人……、自分のクラスメートを襲った。

[Aisha] 何を求めていたかなんて、自分でもよくわからないわ。ほとんど声をかわしたこともない彼女達と自分を、あの太くおぞましい器具で結びつける……。

[Aisha] 痛みと絶望で泣き叫ぶのを見ながら、私は同じもので快楽を得ているのよ。ああ、ここにいる化け物はいったいなに!? なんなのよ!

[Narration] 背を反らし、頭を両手で抱えながら、アイーシャは叫んだ。それは紛れもなく苦痛の声だった。

[Aisha] 杏里……。

[Aisha] あなたにさえ会わなければよかったのよ……。

[Anri] ……え?

[Aisha] 会わなければ、いつか訪れる破滅を待ちながら、誰かを汚して身体の渇きを満たしていればよかったんだもの……。

[Aisha] あなたに会わなければ……。

[Narration] アイーシャは頭に添えていた手をおろす。まっすぐに杏里を見つめていた。あえて何も求めない、ただの視線だった。

[Anri] ボクに……、会わなければ……?

[Aisha] そうよ。

[Narration] アイーシャは微笑んでみせる。

[Aisha] いきなり現れて、遠慮なく踏み込んできたならず者……。

[Aisha] 二言目には好きだ、愛してると囁いて包み込もうとする。

[Aisha] 今までの人生の中で初めてだったのよ。戸惑うしかなかった。でも……。

[Aisha] 嬉しいと思わなければよかった。その中から生まれてくるものに気づかなければよかった……!

[Aisha] あなたに惹かれだしたの。願ってはいけないのに、あなたなら救ってくれると思ってしまった……!

[Aisha] あなたがずっと、私のそばにいてくれたらいいのにと思った。あなたがいなければ、生きていけない、滅んでしまう、そう思った!

[Aisha] ううん、それは事実、杏里がいなければ、私はどうにかなってしまう……。

[Aisha] ……杏里、あなたに抱いてもらった時、私、イったのよ。

[Aisha] 器具を使わずに、声と指と舌と肌で。生まれて初めて、あなたという存在だけで、私、イくことができたの……。

[Aisha] そんなこと、一生ないと思ってたのに! どうして!? どうして、こんな気持ちにさせるのよ、杏里!

[Narration] アイーシャの瞳から、涙がこぼれた。

[Aisha] ……私は、こんなにも罪深いのに! 汚れた身体で他人を傷つけてきたのに! どう償おうともかなわないのに!

[Aisha] 気づいてから、あなたに会うたびに身が引き裂かれそうになる! どうして、なぜ自分はと思うのよ!

[Aisha] 私は恐ろしい女だわ! 裁かれれば、あなたのそばにいられなくなる。そのことだけを怖れて、あなたの前で笑っていたのよ!

[Aisha] 狂言で罪を消そうとまでした。浅ましくもよ!

[Narration] 自らの過去と罪と感情を告白するアイーシャ。吐く言葉で自らを傷つける少女から、杏里は目をそむけることができなかった。

[Narration] 悔悟と怖れの間でもがくアイーシャに、杏里はどうやって手をさしのべていいのかわからなかった。

[Anri] アイーシャ……。もしかしたら、まだ……。

[Narration] 迷い、よどみながらの杏里の言葉を、アイーシャは遮る。

[Aisha] まだ!? 許されるわけがないことは、あなただってよくわかってるでしょう?

[Narration] アイーシャを前に、杏里は感じる。自分の言葉が重く鈍い。

[Anri] そんな、ことは……!

[Aisha] ……ファン・ソヨンさえ、私が犯したのよ。醜い独占欲と羨望にかられて。

[Narration] その名前に、杏里の言葉が止まる。

[Anri] ……ソヨン……!

[Aisha] そうよ。忘れてたの?

[Narration] アイーシャは涙をぬぐって、杏里を見た。

[Aisha] ほら、ねぇ、私を憎んで。

[Anri] ……!

[Narration] アイーシャの言葉に、杏里は息をのんでから首を強く振った。それを見て、アイーシャは微笑う。

[Aisha] ……何を否定しているの? まだ私を信じたいの? 潔白だと思いたいの?

[Aisha] 何か理由があると思いたいの? もっときれいなものがほしかったの? 限りない悔悟に埋まる私を見たかったの? だったらこう言ってあげる。

[Aisha] ねぇ……。

[Narration] 独白だったアイーシャの言葉が、杏里へと投げかけられる。

[Aisha] ……同情して、憐れんで。

[Aisha] 可哀想だと言って、辛かったんだねって囁いて。一夜だけと、抱いて。あなたの腕の中で泣かせて。そして……。

[Aisha] 次の朝になったら、私に自首を勧めて。罪は償おうって言って。償いが終わる日までキミを待ってるって嘘をついて。

[Aisha] ……きっと、あなたにはそのくらいしかできないわ。……できないのよ。

[Narration] アイーシャの涙で歪んだ微笑を見て、杏里は小さく震えた。アイーシャの言葉に、支配されてはいけない感情が自分を埋め尽くしていくのを感じる。

[Narration] どうすればいいのだろう。どうすれば、この少女を救えるのだろう……? 自信も決意もなにもかもが揺らぐ。

[Narration] 身を固め、言葉を失ったまま、杏里はアイーシャを見つめている。杏里のその姿を見て、アイーシャは微笑んだ。そして、別れの言葉を告げた。

[Aisha] さよなら、杏里。いつまでも、元気でね……。

[Narration] アイーシャの白いドレスの裾が大きくはためき、杏里の視界から一瞬、その姿を隠す。杏里の方を向いたまま、アイーシャはその身を、後ろに倒れ込むように踊らせた。

[Narration] それからの一瞬の間に杏里は思いを巡らせる。

[Anri] (アイーシャ……!)

[Anri] (危ない、落ちるよ、アイーシャ。そうやってすべてを償おうとするの? そうするしかないの?)

[Anri] (ボクはキミを救うことはできないの? 今、手をさしのべても届かないの? キミを苦しめるだけなの? そんなにもキミの罪は重かったの……?)

[Anri] (違う!)

[Anri] (失いたくないんだ! 救いたいんじゃない、ただ手に入れたいだけなんだ! 彼女の過去も罪も関係ない!)

[Anri] (これはボクの傲慢だ。アイーシャがほしいというそれだけだ! 迷うことも恥じることもない! ボクがキミを望むんだ! だから……!)

[Narration] 叫びが口から出ていた。

[Anri] アイーシャ!

[Narration] 杏里は駆けだしていた。

[Narration] アイーシャが立っていた場所までの数メートルを瞬きほどの間に移動する。そしてそのまま、さらなる一歩を踏み出した。

[Narration] もはやそこは、船の上ではなかった。

[Narration] 杏里は勢いのまま、アイーシャの体を捕まえる。

[Narration] 勢いもその向きも違う二人がぶつかり、視界が反転する。水平線がせり上がり、一面に水面が広がる。

[Anri] ……!

[Aisha] ……!

[Narration] アイーシャへ伸ばした手はそのままに、空いているもう片方の腕をあらん限りに振り伸ばす。

[Narration] 指先に何かが触れたと感じた時、すべての力をそこに込めた。腕に激痛を伴った衝撃が加わり、視界は逆に回る。

[Narration] 短く激しい振り子運動を体に強いた後、杏里はそのひどい揺れがおさまったことに安堵の息をついた。

[Narration] 見上げると、赤から群青にグラデーションがかかった空が映る。

[Narration] 見下ろせば、ポーラースターに切り裂かれて白い波をたてる海。

[Narration] 視線を海からあげると、水平線に夕陽が沈もうとしていた。

[Narration] そして、そこから視線を横に巡らせると……、自分を見つめるアイーシャの顔が間近にあった。

sapphism_no_gensou/3581.txt · Last modified: 2018/05/22 17:15 (external edit)