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sapphism_no_gensou:3571

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[Narration] 指揮棒が振り下ろされ、オーケストラが一斉に音をあげる。

[Narration] 特別にあつらえられた天井のシャンデリアが乱反射させた光が、フロアへと降りそそぐ。それは、この会場をゆきかう人々をさらにきらびやかに輝かせる。

[Narration] H・B・ポーラースター恒例ガラパーティー。下船を間近に控えた、短期入学のビジターズを送り出すための華やかなパーティー。

[Narration] 主賓であるビジターズは揃ってプリンセスさながらに着飾り、在学生も任意とはいえ、ドレスアップしパーティーに花を添える。

[Narration] 世界でも指折りの上流階級出身者達が、ささやかな本気を見せる場だけに、服飾、宝飾ともに、会場全体の総額はいくらになるか見当もつかない。

[Narration] その中を、杏里は歩いていた。

[Narration] ビジターズ以外の学生は出席も服装も任意であるのをいいことに、いつもの制服姿で。もとよりドレスの類は持ち合わせていない。

[Narration] もっとも、おろし立てを着てくるくらいの分別はあるが。

[Girl] ……ねぇ、杏里・アンリエットよ。

[Girl] ……あの方、退学になるんでしょう?

[Girl] ……あら、逮捕されるって聞きましたわ。

[Girl] ……なんでも、船の上から直接追放されるとか。

[Narration] 歩く杏里の背や肩に、勝手な言葉が投げかけられる。

[Narration] 眉をひそめるほどのものでもない。自分がどれほど無責任な噂を繁茂させる土壌を持っているか自覚はしている。

[Narration] それだけに、陰口にもならないこの程度の言葉遊びは気にもかからなかった。

[Anri] ………………。

[Narration] パーティー会場である大講堂の中を移動しては立ち止まり、周囲を見回す。パーティーが始まってからもう数時間、同じことを繰り返している。

[Narration] ただ一人の少女を捜し、彼女が現れるのを待っている。

[Anri] アイーシャ……。

[Anri] 夕べ、確かに約束したんだけどな……。

[Narration] 避けられたのかもしれない。そう考えると、杏里の胸の中がやるせなさで埋め尽くされる。必死にそれを掘り返し、気を持ち直そうとする。

[Anri] いや、アイーシャはきっと来るって!

[Narration] 頭を二、三度振る。オーケストラがワルツからジャズ、ダンスナンバーまで奏でる中を再び歩き回る。

[Anri] ……………………。

[Anri] ……………………。

[Anri] ……さすがに……、もう来ないかな?

[Narration] 夜半まで続くパーティーの時間はまだ十分なほど残っている。しかし、アイーシャを捜し回った時間が、杏里の肩に徒労感となってのしかかる。

[Narration] その時、杏里の周囲がざわめいた。驚きと嘆息、そして微量の羨望が混ぜ合わさって。

[Anri] え?

[Narration] 周りの変化に気づいた杏里が、ざわめきの向かう先を確かめて振り返る。

[Anri] あ……。

[Narration] そこは、大講堂の二階と一階をつなぐ、いくつもある階段の中で、メインスロープの役割を果たしていた。

[Narration] そこを、ゆっくりと降りてくる少女がいる。

[Narration] ゆるやかにひるがえるドレス。漆黒の長い髪が、一段一段おりるのにあわせて揺れる。

[Narration] ドレスは照明を照り返して純白に輝く。向けられたまぶしげな視線は、褐色の肌に吸い込まれる。鮮やかすぎるコントラストを一人で作り出していた。

[Narration] まっすぐに背を伸ばして、階段をおりてくる。誇らしささえある顔で、まっすぐに杏里を見つめる。

[Aisha] 杏里……。

[Narration] 淡く色づけられた唇が、杏里の名を呼ぶ。しかし、杏里には返事ができなかった。その姿に魅入られて、ただ、呆然と見つめるだけだった。

[Aisha] 杏里……?

[Anri] あ、ああ。アイーシャ……。

[Narration] 再び名を呼ばれて、やっと声が出る。杏里の答えに、アイーシャが微かに笑う。

[Aisha] そうよ。私よ、杏里……。

[Narration] 囁くほどの声が、杏里の耳に入ると頭の中でこだまする。アイーシャだけに結像された視界の中で、その手が杏里に向かって差し出される。

[Narration] 杏里の手は、それをとても自動的に受け止めた。

[Narration] 杏里に最後の数段をエスコートされて、注視の中、アイーシャはホールへとおり立った。

[Narration] そのままホールの中央へと進んでいく二人を中心に置き、数メートルの空間をあけて、人の輪が形作られる。

[Narration] 杏里とアイーシャが足をとめると、指揮者のタクトが振り上げられる。そして、オーケストラが円舞曲を奏でだす。

[Narration] 三拍子のゆったりとした音の流れに、二人はそのまま体を乗せる。

[Narration] 白いドレスの裾と結われた黒い髪が、アイーシャの体の揺れにあわせて広がり、なびく。

[Aisha] 杏里、踊れたのね。

[Narration] ステップを踏みながら、アイーシャは少し杏里の胸にもたれるようにして踊る。その胸元からの囁きに杏里は答えた。

[Anri] うん……。それに、リードするのは慣れてるから……。

[Aisha] 杏里らしいわ。ねぇ、このドレス、杏里が選んでくれたものよ。憶えてる?

[Anri] うん……。すごく似合ってる。

[Aisha] ほんと……?

[Anri] うん……。見とれた……。

[Aisha] 嬉しい……。着てきてよかった……。

[Aisha] ……遅くなってごめんなさい。

[Anri] そうだね……、少し待ったし、捜しちゃったけど……、すまなく思うことはないよ。

[Aisha] ありがとう……。なんだか、夢みたいよ。

[Anri] 何が?

[Aisha] ……船を降りる最後に、杏里とこうして踊れるなんて思わなかったから。

[Aisha] このまま、ずっと音楽が終わらなければいいのに……。

[Anri] ボクも、少しだけそう思う。今、アイーシャと踊ってることが、すごい幸せに感じられる。でも……。

[Narration] 杏里は、すっと体をずらして、アイーシャから離れる。同時に、オーケストラは最終小節を奏で終える。

[Anri] 終わらない曲っていうのはないよね。

[Aisha] そうね。

[Narration] わずかな距離を置いて、二人は向き合っている。

[Aisha] 話があるって言ってたわよね、杏里。

[Anri] うん……。でも、ここじゃちょっとかな。

[Aisha] 私は別にかまわないけど。……そうね、外に出ましょう。きっときれいよ、夕陽が。

sapphism_no_gensou/3571.txt · Last modified: 2013/06/01 22:49 (external edit)