User Tools

Site Tools


sapphism_no_gensou:3552

Place translations on the >s

[Anri] ……と、こんなとこ。

[Narration] 杏里はざっと、天京院に今週中に調べて得た情報を話して聞かせた。

[Narration] その中で、クローエから手に入れた診断書のことだけは、言おうか言うまいか、最後まで迷った。

[Narration] それはとても個人的な情報に思えた。他人に話していいものか、判断がつかなかった。

[Narration] しかし、杏里は最終的にその逡巡も含めて、天京院にすべて話して聞かせた。

[Tenkyouin] ふむ……。

[Narration] 杏里の報告のあいだ中、いくつかの質問を除いて、天京院はコーヒーを口に運びつつ、ずっと黙ったままだった。

[Narration] そして、杏里が報告を終えてもなおしばらくはそのままでいる。杏里にはまるで、天京院が自らの脳ミソを目の前のコーヒーに浸して考え事をしているように見えた。

[Tenkyouin] わかった。

[Narration] コーヒーをソーサーに戻し、天京院はそう言った。

[Tenkyouin] 犯人がわかったよ、杏里。

[Anri] ほんとかい、かなえさん!

[Tenkyouin] ああ、ここまで揃えばほぼ、間違いない。

[Anri] ……誰なんだい?

[Narration] 思わず知らずのうちに、杏里は唾を飲み込む。

[Tenkyouin] わからないかい?

[Narration] 少し視線をあげて尋ねた天京院の言葉に、杏里の心臓一回だけ大きく打つ。その鼓動はなぜか痛みにも似ていた。

[Anri] ……わからないな。

[Tenkyouin] アイーシャ・スカーレット・ヤン。彼女だよ。

[Anri] ……はぁ?

[Narration] 天京院の宣告に、杏里は思わず問い返す。

[Anri] その、かなえさん? それは被害者の名前なんじゃない? ボクが聞きたいのは犯人の名前なんだけど。

[Tenkyouin] あたしがそういう間違いをわざとすると思ってるのかい? もう一回言うよ、犯人はあんたの彼女だ。

[Anri] な、なんでそんな結論になるのさ!

[Tenkyouin] 疑うのかい?

[Anri] 疑うも何も! だって、アイーシャはこないだ襲われたんだよ? あんなひどい目にあったんだ! それなのに、どうして犯人になるのさ!

[Tenkyouin] 杏里……。

[Tenkyouin] なんで、あたしと目をあわせようとしないんだ?

[Anri] ……!

[Tenkyouin] さっきから、特にそうだ。あたしが視線をあげると、さっとそれをかわす。

[Tenkyouin] 避けてるね。あたしを、じゃない。あたしの出す結論を避けている。

[Anri] ……どうして、そんな……。

[Tenkyouin] 杏里は確かにおバカさんだよ。こと、勉強やら学問やら研究やらに使える脳細胞はこれっぽっちも持ち合わせていない。

[Tenkyouin] でもね、ことに野性や本能の範疇に入る分野を社会的行動に変換させるのに関してはピカいちだ。

[Tenkyouin] 誰かの気をひいて自分に興味を持たせる、誰かの好意に甘える、捕食や求愛なんて見事なもんだ。そして、危機的な状況の回避……。

[Tenkyouin] 杏里、ここに入った時から、いや、来る前からだね、嫌な予感がしてしょうがなかっただろう?逆か、嫌な予感がしてしょうがなかったから、ここに来たんだろう?

[Anri] ………………。

[Tenkyouin] 相手が悪かったね、杏里。レイプ犯なんてのは、そう言う意味でも杏里の対極にいる存在だよ。

[Tenkyouin] 本能にまかせて行動してるなんてイメージがあるけどね、レイプなんてある意味、エゴの煮詰まったものだよ。必要のないセックスをまき散らしているんだからね。

[Tenkyouin] 野性にレイプはないよ、杏里。そして、犯人はこの非常に社会的な行為を高い知的活動で計画し、実行している。動機が衝動的であろうと、ね。

[Anri] その犯人が……。

[Tenkyouin] もう一度言おうか。アイーシャ・スカーレット・ヤンだ。ここまでのすべての手がかりが、彼女が犯人だと言っている。

[Tenkyouin] まずは、被害者からだ。杏里が捜査を始めるまでの四人の被害者はすべてサードクラスだった。

[Tenkyouin] しかし、五人目はファン・ソヨン。ファーストクラスだ。そして、六人目は、アイーシャ・スカーレット・ヤン。サードクラスだ。

[Tenkyouin] ファン・ソヨンだけがファーストクラスだ。何故か? 偶然という答えは却下だ。

[Tenkyouin] 特殊な趣味を持たない限り、この船でレイプの対象に成りうる人間は教職員も含めて数百人って単位だ。

[Tenkyouin] その中で、サードクラスだけを襲い続けて五人目だけファン・ソヨン。これはありえない。また、この偏りは意図して偶然に見せかけているのでもない。

[Tenkyouin] つまり、ファン・ソヨンには、それまでとは別の、襲うべき理由があった。それは六人目も同様だ。

[Tenkyouin] ファン・ソヨンを襲った時点で、犯人にはサードクラスだけを襲う理由はなくなった。ということは、六人目もアイーシャでなければならなかったってことだ。

[Narration] 椅子に座ったまま、天京院の言葉は続く。杏里は、窓際に突っ立ったまま、視線を向けることなくそれを聞いている。

[Tenkyouin] さて、アイーシャ・スカーレット・ヤンの襲われた状況を思い出してみようか。

[Tenkyouin] 犯行現場は彼女の部屋だ。窓は破られた形跡はなく、犯人が利用できる経路は入り口のドアしかない。

[Tenkyouin] ドアを出れば、そこは船の通路だ。右か左にまっすぐ進むしかない。

[Tenkyouin] 杏里達は片方から現場に向かった。途中で誰とも行き会わない。

[Tenkyouin] 現場を確認した後、杏里は自分の来た方向と逆に向かう。正しい判断だ。犯人の逃走経路はそこしかない。

[Tenkyouin] しかし、その先のT字路でイライザ・ランカスターと複数のPSに出会う。残った一つの道は、舷側に面し、窓が開け放たれていた。

[Tenkyouin] いいかい、杏里。犯人はここで消えたんじゃないんだよ。

[Tenkyouin] そもそも、犯人には現れる術がなかった。その夜はPSによる警備が敷かれていた。現場に向かう通路はそれに挟まれているんだ。

[Tenkyouin] 煙のようにあらわれ、そして消える。どうだい、なかなか見事だと思わないかい?

[Tenkyouin] さらに、現場にはこれまでの犯行ではなかった遺留品が残されている。ディルドゥだ。

[Tenkyouin] 凶器を捨てていったんだよ。まるで、もうしませんって言ってるようにね。

[Tenkyouin] さて。

[Narration] 天京院は、一度手を打った。その音に、杏里の体が反応して身じろぎする。

[Tenkyouin] 杏里のご静聴に大感謝だ。ここまでの推理をまとめあげよう。

[Tenkyouin] アイーシャレイプ事件の犯人には、通路を使った侵入経路はなかった。

[Tenkyouin] アイーシャレイプ事件の犯人には、通路による脱出経路もなかった。

[Tenkyouin] 脱出に使用したと思われる窓は、ミスディレクションを誘う意味合いが強い。

[Tenkyouin] 海から出入りできるなら、なぜ、直接部屋から脱出しない? なぜ、わざわざ離れた場所から脱出した形跡を残す?

[Tenkyouin] この、入ることも出ることも非常に困難な状況に、最初からいた人物。

[Tenkyouin] 残された凶器から、犯人は女性。

[Tenkyouin] しかも、ハードレズプレイが可能、つまり、非処女だ。

[Tenkyouin] いくつか、未確定なファクターは確かにある。しかし、あたしの推理はそのファクターを排除して結論する。

[Tenkyouin] 合致するのは……、アイーシャ・スカーレット・ヤンだよ、杏里。

[Narration] 天京院はゆっくりと立ち上がって、そう宣告する。天京院の、穏やかだが反論を許容しない視線と、杏里の不安がまざったすがるような視線が交錯する。

[Anri] う……。

[Narration] 杏里が視線を落とした。手にしていたコーヒーカップを積まれた本の上に置く。

[Anri] 嘘だよ、そんなの……。かなえさん……。

[Tenkyouin] 嘘じゃないさ。さて、あたしの出番はここまでだ。あとは、杏里がどうするかだね。

[Narration] 天京院はそう言うと、再び腰をおろす。

[Anri] ……ボクが?

[Tenkyouin] そう。はっきり言って、推理はあくまで推理でしかない。彼女はここまで決定的な証拠を残していない。

[Tenkyouin] 試しに、PSに訴えてでてごらん。犯人は自分じゃない、アイーシャ・スカーレット・ヤンだって。きっと相手にもされやしない。

[Tenkyouin] すべては可能性。あたしの頭の中じゃ、これが真実だろうけど、あたし以外の人間は別の事実の塊を信じたがるだろうね。

[Tenkyouin] つまり、頼るべきは犯人が自ら罪を認めることだ。被害者の一人のふりをしている彼女に、犯行と狂言を認めさせる。はん、PSになんかできっこない。

[Tenkyouin] 杏里、あんた自身が、アイーシャに罪を認めさせるしかないんだよ。

[Narration] 天京院が口を閉ざすと、部屋にしばしの沈黙が訪れる。それを破ったのは、杏里のため息のようなこえだった。

[Anri] そっか……。

[Narration] 両手に収まって、窓から差し込む光の中にあるコーヒーカップを見下ろしながら、杏里はつぶやくように言う。

[Anri] やっぱり、アイーシャと話してみないとダメなんだね。

[Tenkyouin] あ、ああ。

[Narration] 自分の予想よりわずかにずれた杏里の反応に、天京院の答えが遅れる。

[Narration] 杏里は、手元から視線をあげて、天京院を見る。まだ少し弱くはあるものの、あきらめず迷わず、ただ自分の思うまま、まっずぐに進む光をその目にたたえて。

[Anri] そうだよね、かなえさん。

[Anri] ボクがアイーシャを怖れて逃げていちゃ何もならない。アイーシャの言葉で、彼女自身の話を聞きたい。

[Tenkyouin] そして、そのすべてを受け入れる、か?割に合わないよ、杏里。どんな理由があるにしろ、彼女はレイプ犯だ。

[Tenkyouin] その深みにあるものに、きっと杏里は耐えられないよ。それは、温室で育ってきた者には暗く、冷たすぎる。

[Anri] その中に、アイーシャがいるんだ。

[Narration] 揺らぎそうになる自信を必死に支える杏里の声。

[Anri] ならば、そこまで行くよ、ボクは。そして、もう一度、彼女を知る。

[Tenkyouin] 杏里!

[Narration] 天京院は立ち上がる。そのにらみつける視線を杏里は受け止める。その目にある決意に、天京院は不安とあきらめを感じる。

[Tenkyouin] あたしが悪かった。彼女を追い込む方法はいくらでもある。杏里が部屋から一歩も出ないうちに、退学処分が解ける手段はいくらでもあるんだ!

[Anri] かなえさん、手段は関係ないよ。ボクが彼女に会いたいんだ。

[Anri] ありがとう、かなえさん。いろいろ考えがまとまった。不思議だよね、かなえさんってボクが迷っている時に、ぽんと答えをくれるんだもの。

[Narration] 杏里は、コーヒーカップを手近な本の山の上に乗せると、ドアに向かって歩き出す。

[Anri] 明日、アイーシャと話をしてみるよ。そのために、ちょっとづつ今から勇気をためる。だから、今日はこれで帰るね。

[Anri] じゃあね、かなえさん。

[Narration] そう告げた杏里がドアの向こうに消えた後、部屋の中に天京院のつぶやきがこぼれた。

[Tenkyouin] まいったな……。いったい、なんて顔してくれるんだ、杏里……。

sapphism_no_gensou/3552.txt · Last modified: 2018/05/22 17:15 (external edit)