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sapphism_no_gensou:3451

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[Tenkyouin] やぁ、どうした?

[Narration] いつものように、その部屋の鍵はかかっていなかった。

[Anri] あれ、かなえさん、研究は?

[Narration] 迎える天京院の微妙な声の変化を読みとって杏里が尋ねる。

[Narration] いつもなら、決まった約束以外の訪問には、研究を中断されたことへの微量の恨めしさが含まれているはずだった。

[Narration] もちろん、それは天京院が実際に口に出して雲散霧消させてしまう程度のものだが。

[Tenkyouin] ああ、奇跡的に取り組んでいたことに、ある程度目星がついてね。ま、自発的に一息入れようと思っていたところだったんだ。

[Narration] そう言ってから、天京院は少し顔をしかめて、舌を打った。

[Tenkyouin] ……なんで自分で奇跡的とか言ってるかな、あたしは……。

[Anri] あはは……。

[Narration] 思わず杏里は笑う。どうやら天京院は、それなりにだが、かなりご機嫌がよいようだった。

[Tenkyouin] こら、何を笑っているんだ、杏里。で、そっちはなんでまた、あたしの部屋に来たんだい?

[Tenkyouin] 暇つぶし、だなんて言わさないよ? もう時間がない。そうとうせっぱ詰まって情報を集めないといけないはずだよ?

[Anri] おっと藪蛇だったな……、なんてね。情報の集まり具合があまりに快適なんで、思わずかなえさんに聞かせに来ちゃったんだ。

[Tenkyouin] ほう、頼もしいこと言うね。

[Narration] 杏里にコーヒーを手渡しながら、天京院は口元からわずかに笑う。

[Tenkyouin] それじゃあ、早速、聞かせてもらおうか。

[Anri] ……と、こんなとこ。

[Narration] 杏里はざっと、天京院に今日までに調べて得た情報を話して聞かせた。

[Narration] その中で、クローエから手に入れた診断書のことだけは、言おうか言うまいか、最後まで迷った。

[Narration] それはとても個人的な情報に思えた。他人に話していいものか、判断がつかなかった。

[Narration] しかし、杏里は最終的にその逡巡も含めて、天京院にすべて話して聞かせた。

[Tenkyouin] ふむ……。

[Narration] 杏里の報告のあいだ中、いくつかの質問を除いて、天京院はコーヒーを口に運びつつ、ずっと黙ったままだった。

[Narration] そして、杏里が報告を終えてもなおしばらくはそのままでいる。杏里にはまるで、天京院が自らの脳ミソを目の前のコーヒーに浸して考え事をしているように見えた。

[Tenkyouin] わかった。

[Narration] コーヒーをソーサーに戻し、天京院はそう言った。

[Tenkyouin] 犯人がわかったよ、杏里。

[Anri] ほんとかい、かなえさん!

[Tenkyouin] ああ、ここまで揃えばほぼ、間違いない。

[Anri] ……誰なんだい?

[Narration] 思わず知らずのうちに、杏里は唾を飲み込む。

[Tenkyouin] アイーシャ・スカーレット・ヤン。彼女だよ。

[Anri] ……はぁ?

[Narration] 天京院の宣告に、杏里は思わず問い返す。

[Anri] その、かなえさん? それは被害者の名前なんじゃない? ボクが聞きたいのは犯人の名前なんだけど。

[Tenkyouin] あたしがそういう間違いをわざとすると思ってるのかい? もう一回言うよ、犯人はあんたの彼女だ。

[Anri] な、なんでそんな結論になるのさ!

[Tenkyouin] 疑うのかい?

[Anri] 疑うも何も! だって、アイーシャはこないだ襲われたんだよ? あんなひどい目にあったんだ! それなのに、どうして犯人になるのさ!

[Tenkyouin] 杏里……。

[Tenkyouin] なんで、あたしと目をあわせようとしないんだ?

[Anri] ……!

[Tenkyouin] さっきから、特にそうだ。あたしが視線をあげると、さっとそれをかわす。

[Tenkyouin] 避けてるね。あたしを、じゃない。あたしの出す結論を避けている。

[Anri] ……どうして、そんな……。

[Tenkyouin] 杏里は確かにおバカさんだよ。こと、勉強やら学問やら研究やらに使える脳細胞はこれっぽっちも持ち合わせていない。

[Tenkyouin] でもね、ことに野性や本能の範疇に入る分野を社会的行動に変換させるのに関してはピカいちだ。

[Tenkyouin] 誰かの気をひいて自分に興味を持たせる、誰かの好意に甘える、捕食や求愛なんて見事なもんだ。そして、危機的な状況の回避……。

[Tenkyouin] 杏里、ここに入った時から、いや、来る前からだね、嫌な予感がしてしょうがなかっただろう?逆か、嫌な予感がしてしょうがなかったから、ここに来たんだろう?

[Anri] ………………。

[Tenkyouin] 相手が悪かったね、杏里。レイプ犯なんてのは、そう言う意味でも杏里の対極にいる存在だよ。

[Tenkyouin] 本能にまかせて行動してるなんてイメージがあるけどね、レイプなんてある意味、エゴの煮詰まったものだよ。必要のないセックスをまき散らしているんだからね。

[Tenkyouin] 野性にレイプはないよ、杏里。そして、犯人はこの非常に社会的な行為を高い知的活動で計画し、実行している。動機が衝動的であろうと、ね。

[Anri] その犯人が……。

[Tenkyouin] もう一度言おうか。アイーシャ・スカーレット・ヤンだ。ここまでのすべての手がかりが、彼女が犯人だと言っている。

[Tenkyouin] まずは、被害者からだ。杏里が捜査を始めるまでの四人の被害者はすべてサードクラスだった。

[Tenkyouin] しかし、五人目はファン・ソヨン。ファーストクラスだ。そして、六人目は、アイーシャ・スカーレット・ヤン。サードクラスだ。

[Tenkyouin] ファン・ソヨンだけがファーストクラスだ。何故か? 偶然という答えは却下だ。

[Tenkyouin] 特殊な趣味を持たない限り、この船でレイプの対象に成りうる人間は教職員も含めて数百人って単位だ。

[Tenkyouin] その中で、サードクラスだけを襲い続けて五人目だけファン・ソヨン。これはありえない。また、この偏りは意図して偶然に見せかけているのでもない。

[Tenkyouin] つまり、ファン・ソヨンには、それまでとは別の、襲うべき理由があった。それは六人目も同様だ。

[Tenkyouin] ファン・ソヨンを襲った時点で、犯人にはサードクラスだけを襲う理由はなくなった。ということは、六人目もアイーシャでなければならなかったってことだ。

[Narration] 椅子に座ったまま、天京院の言葉は続く。杏里は、窓際に突っ立ったまま、視線を向けることなくそれを聞いている。

[Tenkyouin] さて、アイーシャ・スカーレット・ヤンの襲われた状況を思い出してみようか。

[Tenkyouin] 犯行現場は彼女の部屋だ。窓は破られた形跡はなく、犯人が利用できる経路は入り口のドアしかない。

[Tenkyouin] ドアを出れば、そこは船の通路だ。右か左にまっすぐ進むしかない。

[Tenkyouin] 杏里達は片方から現場に向かった。途中で誰とも行き会わない。

[Tenkyouin] 現場を確認した後、杏里は自分の来た方向と逆に向かう。正しい判断だ。犯人の逃走経路はそこしかない。

[Tenkyouin] しかし、その先のT字路でイライザ・ランカスターと複数のPSに出会う。残った一つの道は、舷側に面し、窓が開け放たれていた。

[Tenkyouin] いいかい、杏里。犯人はここで消えたんじゃないんだよ。

[Tenkyouin] そもそも、犯人には現れる術がなかった。その夜はPSによる警備が敷かれていた。現場に向かう通路はそれに挟まれているんだ。

[Tenkyouin] 煙のようにあらわれ、そして消える。どうだい、なかなか見事だと思わないかい?

[Tenkyouin] さらに、現場にはこれまでの犯行ではなかった遺留品が残されている。ディルドゥだ。

[Tenkyouin] 凶器を捨てていったんだよ。まるで、もうしませんって言ってるようにね。

[Tenkyouin] さて。

[Narration] 天京院は、一度手を打った。その音に、杏里の体が反応して身じろぎする。

[Tenkyouin] 杏里のご静聴に大感謝だ。ここまでの推理をまとめあげよう。

[Tenkyouin] 入ることも出ることも非常に困難な状況に、最初からいた人物。

[Tenkyouin] しかも、下世話なことを言えば、凶器を使って人を傷つけることが可能な人物。

[Tenkyouin] 合致するのは……、アイーシャ・スカーレット・ヤンだよ、杏里。

[Narration] 天京院はゆっくりと立ち上がって、そう宣告する。天京院の、穏やかだが反論を許容しない視線と、杏里の不安がまざったすがるような視線が交錯する。

[Anri] う……。

[Narration] 杏里が視線を落とした。手にしていたコーヒーカップを積まれた本の上に置く。

[Anri] 嘘だよ、そんなの……。かなえさん……。

[Narration] 杏里はそう言うと、体をひるがえし、部屋から出ていった。

sapphism_no_gensou/3451.txt · Last modified: 2018/05/22 17:15 (external edit)