User Tools

Site Tools


sapphism_no_gensou:3071

Place translations on the >s

[Narration] 歓喜の靴音を響かせながら、杏里は勢いよく目の前の扉を押し開けた。

[Anri] アイーシャ!

[Narration] 図書室中に響き渡るその声に、書架に本を戻そうとしていた褐色の少女の体が小さく一度震えた。

[Anri] アイーシャ! 捜したよ! ここにいたんだね!ああ、キミってば本当に罪な子猫ちゃんだよ!

[Aisha] え……、あ、あの……。

[Narration] まっすぐに自分に向かってくる杏里に、アイーシャは体と表情をこわばらせて立ちすくむ。

[Anri] ああ、だからこそ、とっても神秘的だ!

[Narration] 杏里はそう言うと、本を胸元で抱きしめていたアイーシャの手をすくい上げる。背表紙の厚い本が床に落ち、音を立てる。

[Aisha] え、あ……?

[Anri] 最初は絶望したんだよ! 神を恨んだね!何故にキミは、ボクよりも早く生まれてしまって、そのシニアの制服を着ているのだと!

[Narration] 杏里はそうまくし立てながら、アイーシャの手をとったまま腕を広げる。そのまま、波に乗るようにステップを踏み、大きな輪を描く。

[Narration] アイーシャの体は、浮かぶ木の葉のように、杏里の揺れるままにまかされる。

[Anri] ああ、いつでも天は愛を求めるボクらの味方なんだね。いちばん素敵な、とびきりの出会いをご用意だったってわけさ!

[Anri] キミはステキな魔法の杖を隠し持っていたんだ。ボクの見ていないところで、それをこっそりと振り、素知らぬ顔でボクの前を横切る。ほんとのキミを隠したままで!

[Aisha] あ、あの……!

[Narration] 書架が並ぶ図書室の中を泳ぐようにステップを踏む杏里にされるがままだったアイーシャが、その手を切って、立ち止まった。

[Aisha] あ、あなたは……、いったい、な、何を……。

[Narration] 小さく硬い声を出すアイーシャ。自分の手をふりほどいたアイーシャに、杏里は虚をつかれたような視線を向けた。しかし、すぐにその顔に笑みが広がる。

[Anri] ああ、意地悪なんだね、まだ呪文が効いてると思ってる! でもそんなところもとても素敵だ!

[Anri] まさにキミの魔法は完璧さ! だって、キミとの出会いにこんなにも心が躍る。

[Anri] 大変な衝撃だよ、これは。急に輝きを増したキミの姿に目が眩む。まばゆいばかりだ!

[Anri] さあ、お待たせしました、ボクの眠れるお姫様。お望みならば、初めからやりなおしましょう。

[Anri] 今までの全てを忘れ、もう一度、何も知らない二人からやりなおそう! やあ! 初めまして!キミの名を教えてくれるかい、アイーシャ!ボクの名前は……。

[Unknown] 杏里! 何かと思ったらあなたなの!?

[Helena] 図書室で大声を出すなんて……! 非常識だと思わないの!?

[Narration] やや押し殺したヘレナの声に対し、杏里の返事はあくまでも明るく響く。

[Anri] やあ、ヘレナじゃないか! やだな、野暮なことはいいっこなしにしようよ。

[Anri] いつもなら、キミの怒った顔もたいへんチャーミングなんだけど、今、この時ばっかりは勘弁してほしいな。

[Anri] 人という生き物が、運命でがんじがらめにされた長い一生を辿っていく中で、とびきりの罪を犯そうとしているんだよ!

[Anri] 素敵な出会い、極上の恋! セ・ラ・ヴィ!まさにこれなくして何も語れはしない!

[Anri] ムートンよりも甘く軽やかに、ボクを酔わせ、惑わせる。ああ、けして永遠ではないこの謳歌の時を、誰とともにいかに過ごすかという命題は……。

[Helena] あ、杏里……、後ろ……!

[Anri] え?

[Narration] 振り返った杏里の視界に、高々と振り上げられた白い脚が勢いよく落ちてくる。

[Chloe] せぇい!

[Narration] うち下ろされる衝撃! 闇の中に引き込まれていく杏里の意識の最後の一欠片に、その声が滑り込んできた。

[Chloe] ……うるさいのよ……!

[Unknown] 杏里、杏里!?

[Unknown] しっかりして、杏里ったら!

[Anri] う……。

[Unknown] 杏里!

[Anri] あ、ああ、ヘレナかい……? お願いだからもうちょっと寝かせておくれよ。

[Anri] キミのその凛とした声を聞くと、どうしても目を覚まさなきゃいけない気がするんだ。

[Anri] でも、今だけはもうちょっとだけ、ね。なんだったらキミももう一度おやすみよ。そのためのキスだったら体中にしてあげるから……。

[Helena] 杏里! バカなこと言ってないで!

[Anri] ……あれ……?

[Narration] 図書室の天井がはっきりと見えると同時に、激しく痛みを訴えだした頭頂を軽く指先で押さえながら、杏里は半身を起こした。

[Anri] ……ベッドじゃない。

[Helena] 当たり前でしょう!

[Anri] え、あ、あれ? ちょっと待った。どうしてボクは図書室で……

[Anri] ああそうか、キミか、クローエ。思い出したよ。またキミに怒られちゃったんだね。

[Chloe] ……神の怒りの御手よ。

[Anri] 足だけどね。ああ、クローエ、キミの神様には、もう少し寛大でいてほしいね。

[Chloe] 私の静寂を乱すものには、つねに裁きが下されるのよ。

[Anri] おしゃべりはいつだって人生を楽しむスパイスだと思うんだけど。

[Chloe] 迷惑だわ。捨ててしまいなさい、そんな人生。

[Helena] クローエ、あなたもやりすぎよ。杏里、あなたがここで大声でわめき立てていたのは論外としてね。

[Anri] 大声で……?

[Anri] ボクが……?

[Anri] ………………。

[Anri] ……思い出した!

[Narration] 声と同時に、杏里はその頭は右に、左に一度づつ振り立てる。そして、勢いよく自分の背後を振り返る。

[Narration] そこには、先ほどからずっと、声も出さずに杏里の背中を見つめていた褐色の少女の、少し驚いた顔があった。

[Anri] アイーシャ!

[Anri] 思い出したよ、ボクの可愛い魔法使い!茨の園の奥深くで待つ眠り姫!

[Anri] さあ、時計の針はどこまで巻き戻そう?どんな出会いでも、キミの望むまま……。

[Helena] 杏里!

[Anri] なんだい、ヘレナ。いいところなのに。

[Helena] お願いだから、そういうことは外のテラスでやってちょうだい。でないと……。

[Helena] いくらあなたでも、一日に二度もクローエのかかとを受けては、さすがに無事でいられないと思うもの。

[Anri] ……そうだね。

[Narration] 杏里は神妙な声で答えながら、ゆっくりと振り返る。

[Chloe] …………。

[Anri] そうするよ。

[Narration] 海からの風が穏やかに髪と頬に当たる、図書室から続くテラス。彩るのは柔らかな陽光と、どこまでも広がっている穏やかな水面。

[Narration] 何組かの少女達が、思い思いのテーブルを囲んでいる。詩集を詠いあげ、噂話に額を寄せ合い、スコーンを中心に笑いあう。

[Narration] そんなテラスのテーブルの一つに、杏里はアイーシャを導いて、腰をおろした。

[Anri] さて、マドモアゼル? お飲物はなんにいたしますか? コーヒー? 紅茶? アイスにするかい? それともホット?

[Aisha] あ……。

[Anri] なんでも言っておくれ。それにあわせて、最良のお茶うけをご用意させていただきます。どうぞ、お申し付けあれ。

[Aisha] あの……。

[Anri] 少し早いけど、アフタヌーンティーでも始めてみるかい? オレンジマーマレードならおいしい店を知っているんだ。デリバリーしてもらおうよ。

[Aisha] あの!

[Narration] アイーシャの声が響き、杏里を遮る。杏里がゆっくりとアイーシャに顔を向け、笑んだまま、次の言葉を待つ。

[Aisha] ……あ、あの……。

[Anri] なに?

[Narration] 視線を受け、消え入りそうに声を小さくするアイーシャを促すように、杏里は声をかける。

[Aisha] あの、どうして、私に……。

[Aisha] あ、あの、私に、なんのご用でしょうか……。

[Narration] とまどいをそのまま声に乗せて問いかけるアイーシャ。杏里は、その質問が終わるのを待ちかねていたように答える。

[Anri] うん、あのね!

[Anri] 本当のキミを知ってしまったんだ!

[Aisha] え……。

[Anri] ボクに秘密を教えてくれなかったキミを恨むよ!でもね、それすらも今は心地よいんだ!

[Anri] 鼎さんと同じ、そのサードクラスの制服。キミがまとっているからこそ、忌まわしく思えたその服も、こうなってはたまらなく魅力的に見えるよ!

[Anri] 秘めたその知性、慎ましくやあらん。そう、時をこえてしまったんだね、ちょっとだけ急ぎ足で! だからボクの目にはとまらなかった。

[Anri] 不幸だね……。でもそれは、これから始まるキミとボクの素晴らしい学園生活にそっと差したほんの小さな影だったのさ!

[Anri] これから始まる素晴らしい学園生活!そうさ! La、La、La! さあ、魔法を解いてあげよう!

[Anri] アイーシャ・スカーレット・ヤン! さあ、目を開けて! ボクの名前は杏里・アンリエット!どうぞよろしく! これからずっと、いつまでも!

[Aisha] あ、あの……。

[Anri] ん?

[Aisha] アンリエットさんは……。

[Anri] ノンノンノン!

[Anri] そんな他人行儀は悲しいな。杏里って呼んでくれてかまわないよ。

[Aisha] でも、あの……。

[Anri] 杏里、あ・ん・り。

[Aisha] あ、あ……。

[Aisha] 杏里……さん。

[Anri] もうちょっと!

[Aisha] ……杏里……。

[Anri] ウィ! そうこなくっちゃ! 何度でもボクの名前を呼んで! そのたびにきっと、ボクのことを好きになるはずだからね!

[Aisha] あの、それで……。私に、なんのご用でしょうか……。

[Anri] ……え〜〜と。

[Anri] 用……、用なんてないんだよ。うん。毎日、話がしたい。キミの顔が見たい。キミのすべてが知りたい。そして、ボクのことを好きになってほしい。

[Aisha] そ、そんな……。

[Aisha] そういうことで、あなたは、私を……。

[Anri] そう。それだけがすべて。

[Narration] 言い切る杏里の顔をアイーシャが見つめる。何か、不安、もしくは怯えを押し殺した瞳。それでも何かを求めているような、視線を杏里は受け止めた。

[Anri] ねぇ、アイーシャ?

[Aisha] は、はい。

[Anri] 今度の日曜日、ボクとデートしようか。

[Aisha] え? で、デート?

[Anri] そう。ショッピングして、お昼を食べて、またショッピングして、お茶をして、また……。

[Anri] 一日中、購買部通りをまわって買い物をする。いっぱいおしゃべりをする。

[Aisha] え、でも、私、とくに……。

[Anri] 百年分くらいのおしゃべりを一日にしてしまおう。それで、君と会うまでの時間を埋めることができるんだ。

[Aisha] あ……

[Anri] いいだろ?

[Aisha] ……。

[Anri] うんって言ってほしいな。

[Aisha] ……は、はい……。

[Anri] うん! 決まり! 嬉しいな。素敵な一日になるように、カレンダーに印をつけておこうよ!

[Narration] その時、遠くから鐘楼の鐘の音が響いてくる。

[Anri] あらら。午後の授業の始まりか。時報ってのはどうにも無粋だな。いつも楽しい時を中断させるんだから。

[Anri] あらら。もうテラスを閉めるのか。時報ってのはどうにも無粋だな。いつも楽しい時を中断させるんだから。

[Anri] じゃあ、アイーシャ。日曜日は10時に、鐘楼の前で待ち合わせをしよう。でも、時計を見るのは、部屋を出る時の一度だけにしようね。

[Anri] 楽しい時間っていうのは、いつだって時計を見た瞬間に終わるようにできてるんだから。

[Aisha] ね、ねぇ、あ、杏里……。

[Narration] 椅子から立ち上がりかけた杏里に、アイーシャの声が届いた。

[Aisha] 私……、杏里の、友達になれるのかな……?

[Narration] ためらいがちに言葉を区切った問いが、杏里に向けられる。今日いちばんの声で、杏里は答えようと誓った。

[Anri] もちろんさ!

sapphism_no_gensou/3071.txt · Last modified: 2013/06/01 22:49 (external edit)