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sapphism_no_gensou:3052

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[Anri] ……そうだった。

[Narration] 声をひそめる杏里。自然と座り込み、額を寄せ合う二人と一匹。

[Nicolle] まったく、杏里、あんたってやつは、もう忘れちまったのかい? ここには、何よりも静寂を好むあいつがいるんだぜ。

[Anri] 忘れてたつもりはないさ。ただ、ちょっと前後の記憶が曖昧で。

[Nicolle] だろうね。

[Unknown] ……何をしてるの、あなた達。

[Narration] 頭上から降ってくる声。仰ぎ見るとそこに、黒髪の物憂げな表情をした少女が立っていた。

[Anri] や、やあクローエ。今日もきれいだね。

[Nicolle] や、やあクローエ。

[Collone] オンオン!

[Chloe] こんにちわ。珍しいわね、二人がここに来るなんて。

[Anri] キミに会いにきたんだよ。午後の陽射しがとけあう図書室の奥で、書物のもたらす叡知に視線を落とすキミの横顔はいつまで眺めていてもあきないからね。

[Chloe] 嘘おっしゃい。

[Narration] 杏里に一瞥を投げおろし、クローエは短く言い放つ。

[Nicolle] バカ、ちがうだろ、杏里。ここに来た目的は調べもののためじゃないか。

[Anri] え、あ、そう、そうだった。

[Chloe] そんなとこでしょうよ。いいこと、二人とも。くれぐれもここでは、静かに。わかってるわね。

[Anri] あ、ああ、もちろん。痛いほどによく知ってる。

[Nicolle] そのわりには懲りないみたいだけどな。

[Narration] 図書室に入り浸るクローエは、その静寂を破る者に対してことに厳しいことで有名だった。

[Narration] 理由の如何によらず、テコンドーの絶技によって振り下ろされる彼女のカカトは、不用意に図書室で騒ぐ一部学生の恐怖の対象となっていた。

[Narration] その前科を持っているのは、杏里とアンシャーリーくらいであるらしいのだが。

[Nicolle] まあいいさ。とっとと用事をすませちゃおうぜ。だいたい何で、あたしが杏里につきあわなきゃならないんだが。

[Anri] ニコル、キミの献身的な協力には、いつかきっと報いてみせるさ。

[Nicolle] 1000ニコルってとこだな。

[Anri] わかった。その分だけ、今度たっぷりサービスしてあげよう。

[Nicolle] ちがうだろ!

[Chloe] うるさい!

[Narration] クローエの一喝に、未だ座り込んだまま話し続ける杏里とニコルは押し黙る。

[Chloe] 調べものがあるなら、さっさと片付けてしまいなさい。わたしの読書の邪魔をしないでね。

[Anri] ウィ、心得た。

[Narration] 杏里がうなずくのを見て、クローエ受付カウンターの向こう側へと戻っていった。腰をおろして、中断した読書を再開する。

[Anri] じゃ、ニコル、ボク達も始めるとしようか。どうやら、図書室の女神はあまりご機嫌がよくないらしい。手早くすませて退散しよう。

[Nicolle] ……あのさ、杏里、言いにくいんだけどさ。

[Anri] ん?

[Nicolle] 調べものはきっと、カウンターの内側ですませるんじゃないかな?

[Narration] ニコルの言葉に、杏里はカウンターの方を見やる。肩肘をついて本に視線を落としているクローエがいる。

[Anri] ……そうだったっけ……。それは……、困ったなぁ……。

[Chloe] 情報閲覧の申請書は?

[Narration] 図書室のコンピューターに入力されている、全学生の利用データを見たいと告げた杏里にクローエは嫌な顔をしながら答えた。

[Anri] え、そんなものがいるのかい!?

[Chloe] 声が大きいわよ、杏里。当たり前でしょう。学生の個人情報なのよ。簡単に見れるわけないじゃない。

[Anri] ボクとキミの間で、そんな手続きが必要だって言うのかい?

[Chloe] 関係ないわね。第一、その端末だって、司書と図書委員しかさわれないのよ。

[Nicolle] ……クローエは見れないの?

[Chloe] わたし、図書委員じゃないわよ。

[Anri] え? そうだったっけ!?

[Chloe] ええ。図書委員なんて存在しないわよ。だいたい、この学園で委員なんて、よほど自発的な人間でない限り、なろうと思わないわよ。

[Nicolle] じゃ、なんでカウンターの内側で堂々と本を読んでんだ?

[Chloe] ここが落ち着くからよ。静かだし。場所代程度の業務の手伝いくらいはしてるわ。

[Anri] じゃ、カードのデータは?

[Chloe] ……見れるわよ。

[Narration] クローエはため息とともに答えた。

[Nicolle] なんだよ、見れるんじゃないか!

[Chloe] ……見れないとは言ってないじゃない。図書室ではお静かに願いたいわ、ジラルドさん。

[Anri] もちろん、そうさせてもらうよ、クローエ。

[Nicolle] むがが……!

[Narration] 杏里は慌ててニコルの口をふさぎ、クローエに囁くほどの声を向ける。

[Anri] それじゃ、クローエ、データを見させてもらってかまわないよね。誓って、キミの読書の時間を邪魔しないからさ。

[Chloe] ……いいわよ。それさえ守ってくれるなら。

[Nicolle] 個人情報の守秘義務はどうした。

[Chloe] 関係ないわ。わたし、委員じゃないもの。

[Nicolle] うっわー。

[Chloe] どうするの? 見るの? 見ないの?

[Anri] 見る、見る、見ます! 見るってば!

[Narration] 杏里とニコル、そしてコローネは慌てて、それでもできるだけ足音を殺して、カウンターの内側へとなだれ込む。

[Anri] それじゃ、さっそく……。

[Nicolle] ん? どうした?

[Narration] 端末の前に座った杏里が固まるのを見て、ニコルがその背後からディスプレイをのぞき込む。

[Nicolle] クローエ、パスワードを聞いてきてる。

[Chloe] パスワードを入力して。

[Anri] なんて入れればいいんだい?

[Chloe] 『主はバビロンの民から言葉ではなく声こそを奪うべきだった』よ。

[Anri] ……なるほど。

[Narration] 杏里の指がキーボードの上を滑る。

[Anri] ……間違ってるって言われたけど?

[Chloe] ちゃんとラテン語で入力した?

[Nicolle] ……クローエ、街頭勧誘員になれるぜ。

[Chloe] そんなものになる気はないわ。

[Anri] ニコル、替わってよ。キミの方がラテン語、わかるだろ?

[Nicolle] 杏里だって半分はラテン語圏だろ!

[Anri] ボクは日本育ちだってば!

[Nicolle] あたしだってラテン語なんてわかりゃしないよ!

[Collone] オン、オンオン!

[Anri] キミも無理か!

[Chloe] うるさい!

[Narration] 騒ぎ出した三人を、クローエは机を叩いてたしなめる。

[Chloe] ここから叩き出されたいの!?

[Nicolle] 蹴り出すの間違いだろ。

[Anri] しっ、ニコル! ええと、クローエ、静かに、できるだけ早々に、こちらの用を終わらせてキミに読書時間をプレゼントしたいんだ。協力してくれないかな?

[Nicolle] ……変わり身の早い……。

[Narration] つぶやくニコルの口を、杏里は腕を伸ばしてふさぐ。クローエはしばらく杏里達を睨みすえていた後、観念したようにため息をついた。

[Chloe] ……席を、変わって。

[Anri] ウィ、マドモアゼル。

[Narration] 杏里は優雅な身のこなしで立ち上がり、椅子をひいてクローエを迎える。クローエは端末の前に座り、キーボードに指を滑らせる。画面が変わる。

[Chloe] で、誰を調べたいわけ?

[Anri] さっき話したろ。アイーシャって子なんだ。彼女のクラスが知りたいんだ。あと、双子の妹がいないかとか、双子の姉がいないかとか。

[Chloe] 三つ子の真ん中は?

[Anri] ああそうか。それもお願い。

[Chloe] ……冗談よ。

[Chloe] ……出たわ。アイーシャ・スカーレット・ヤン、シンガポール出身、サードクラス在籍。同姓の学生は他にいないわ。

[Nicolle] あれま、やっぱり。

[Anri] あああ〜……。

[Narration] 落胆の声をあげて、杏里はクローエの背後で崩れ落ちる。

[Chloe] ……変ね。

[Nicolle] どうした?

[Narration] 沈没した杏里に変わって、ニコルが尋ねる。

[Chloe] 入学がこないだの九月になってるわ。

[Nicolle] へぇ、転入なんだ。

[Chloe] それならそう記録されているわ。

[Anri] ……じゃ〜、サードクラスで入学してきたんだ〜……。

[Chloe] それを転入というのよ。

[Anri] ……どういうこと?

[Chloe] さあ? これ以上のことは、ここで調べたってわからないわよ。あとはほんとにここを利用したデータだけなんだから。

[Chloe] けっこう本を借りていってるということと、学術書を比較的好んでいるってことぐらいかしらね。

[Anri] ……さっぱりわかんなくなってきた。

[Nicolle] だから、サードクラスなんだってば。

[Anri] 謎は深まるばかりだよ……。

[Narration] カウンターの内側の床でごろごろとのたうち回る杏里を、端末の電源を落として椅子から立ち上がったクローエが見おろす。

[Chloe] それじゃ二人とも、これで用件はすんだわね。では、静かな図書室から出ていってもらえる?

[Chloe] さあ、早く。

sapphism_no_gensou/3052.txt · Last modified: 2018/05/22 17:15 (external edit)