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sapphism_no_gensou:3041

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[Anri] ふあ〜ぁ。

[Narration] 広場を横切る杏里の口からもれたものは、あくびともため息ともつかなかった。

[Narration] そのまま杏里は、ふりそそぐ午後の陽光を浴びながら、ふらふらと広場の中を歩き回る。

[Anri] (やらなければならないことは、ただ二つ)

[Anri] (手がかりを集めて、それをもとにかなえさんに犯人を割り出してもらうこと)

[Anri] (狙われる可能性の高い子のボディーガードをつとめること)

[Anri] (そうすれば、パーティーまでに犯人を見つけだし、対決の末にうち倒し、この身にかかった濡れ衣を晴らすことができるんだ!)

[Anri] (と、考えてみれば簡単なことなんだけど……)

[Anri] どうしてこう、うまくいってる気がしないんだろう?

[Unknown] そりゃそーだろな。

[Narration] 声をかけられた杏里が振り返ると、そこにはボルゾイ犬をつれた少女、ニコル・ジラルドが立っていた。

[Anri] おや、ニコルじゃないか!コローネもごきげんよう。

[Collone] オン!

[Nicolle] さっきからずっとそばにいたんだけどな。まったく、気づきゃしない。

[Anri] そうだったのかい? そりゃ悪いことしたな。何しろ、考え事をしてたものでね。

[Nicolle] 何考えてたかはだいたいわかるけどね。

[Anri] 鋭いんだね、ニコル。

[Nicolle] ……バカでもわかるよ、杏里、考えてることを口に出してつぶやいてたからね。

[Anri] おや、そうだったか。

[Nicolle] カードの時もそうだったらいいのに……。なんで、あたしとテーブルについた時だけ、その癖がなくなるんだい?

[Narration] ニコルの口調に悔しさがにじむ。学園の地下、つまり船底付近でたつ賭場の常連であるニコルも、こと、杏里との勝負だけは分が悪かった。

[Narration] というより、負けっぱなしとも言っていい惨状である。二人のあいだで成立しているある特別な貸し借りでは、ニコルは杏里に膨大な借りがある。

[Anri] ニコルとの勝負は負けられないんだ。何しろ、賭けているものが違うからね。

[Anri] 二人の愛を賭けているんだから。

[Nicolle] ……本当に口がうまいんだから。

[Anri] 口先だけじゃないって! 本気でそう思ってる!何しろ、勝ったらニコルがあんなことやこんなことをしてくれると思うと……。

[Nicolle] わー! わー!こんなとこでそういうこと言うなー!

[Nicolle] ……まったく、何を考えてるんだ!

[Anri] 何も恥じることはないよ、ニコル。

[Nicolle] あたしはヤだ。杏里との関係をこんな真っ昼間に大声で言いたくない。

[Anri] つれないなぁ。

[Nicolle] そういう問題じゃないよ……、まったく……。

[Narration] 二人は、カリヨン広場のベンチに腰をおろす。

[Nicolle] それで? 例の事件はどうなったんだい?おもしろいことにはなってくれたの?

[Anri] ああ、そっちか。うん、かなえさんが名探偵役を引き受けてくれたからね。後は、ボクが虫眼鏡よろしく、手かがりを集めればいいというわけさ。

[Nicolle] へえ、カナエが探偵ね。そりゃ確かにおもしろそうだ! それで、手がかりってのは集まったのかい?

[Anri] いやぁ、それがさっぱり。

[Nicolle] 明るく笑って言うことじゃないだろ!何やってんのさ。

[Anri] まあまあってとこかな。ここだけの話だけどね。……すでに、有力な手がかりをつかんでいるんだ。

[Nicolle] ほう、そりゃたいしたもんだ。それで、カナエの推理は?

[Anri] いや、それはまだ。かなえさんは、週末までは安楽椅子に座ろうとしないんだ。

[Nicolle] カナエらしいね。で、杏里の推理は?

[Anri] ボクにはさっぱり!

[Nicolle] ……だろうね。

[Anri] 心配はご無用さ、マドモアゼル。捜査は順調に進んでおりますよ。近いうちに必ずや、このボクが学園に潜む凶悪レイプ犯を捕らえてご覧に入れましょう。

[Nicolle] へぇ、大きく出たもんだね。まぁ、カナエの推理には大目にチップを張ってもいいかもね。

[Anri] ボクの頭脳には?

[Nicolle] 遠慮させてもらうよ。

[Anri] まぁ、ボクがしなければならないのは、手がかり集めだけではないからね。

[Narration] 期待の熱などないニコルからの視線を受けて、杏里は応える。

[Anri] 犯人を捕まえることはもちろんだけど、ボクには子猫ちゃん達をまもるという使命もあるんだ!

[Nicolle] そりゃ、ご立派だこと。それで? 200人近い学生達をどうやってまもろうってんだい?

[Anri] なんの、困った時のかなえさんさ。ボクはかなえさんが絞り込んだ被害者候補の中から一人だけを選んでボディーガードするわけ。

[Nicolle] ほう! なるほどね!たいした手の抜きようだ。

[Nicolle] で、その哀れな生け贄の子羊は誰なんだい?狼さんはいったいどなたをご指名したわけ?

[Anri] あんまりな言い方だな。ま、あー、その、ボクが誰を選んだかってことね。まー、その、そーいう心配はいらないっていうか……。

[Narration] 杏里は言葉を濁しながら、ずるずると椅子から体を滑らせていく。

[Narration] アイーシャ・スカーレット・ヤンという少女の名前。エキゾチックな肌と愁いをたたえた瞳、物憂げに指と戯れるであろう長い髪……。

[Narration] そして、サードクラスの制服!それが、杏里の頭の中で走馬燈のように回転する。

[Nicolle] お、なんだぁ? ずいぶんな態度じゃないか。いくらなんでも子羊に失礼ってもんだぞ。で、誰だっていうんだい?

[Anri] んー、あー、それは……。あれ……?

[Narration] だらしなく、椅子から半ば滑り落ちるような姿勢でいる杏里の視界に、褐色の少女の姿が映る。

[Narration] それは、たった今、杏里とニコルの会話にのぼっている、アイーシャのものだった。広場を横切り、大廊下の方へ向かっていく。

[Nicolle] どした?

[Anri] あ、ああ……。えっとね、あの子だよ。

[Narration] 椅子にしなだれたままの杏里の、頭の動きと視線の向きだけで、ニコルは指し示す少女を見つけだす。

[Nicolle] あの子かい? 少し背の高い、髪を二つにわけてくくった? 褐色の肌の?

[Anri] そう……。

[Nicolle] なんだ、アイーシャじゃないか。

[Anri] そう……。そして、サードクラスの制服なんだ!ああ、いったいボクはどうやって彼女をまもればいいというんだ!

[Narration] そのままの姿勢で、杏里は絶叫する。

[Nicolle] ……どうやってって……。いつもと何にも変わらないだろ。

[Nicolle] つきまとって、愛してると囁き続ける。お茶に誘い、買い物につきあう。サウナまで一緒にいけたらもうしめたもの。部屋に入れてもらえればもう即リー状態。

[Nicolle] 後は隙を見て押し倒して、得意の手管で虜にするだけ。だいたい一週間ってとこ? そのあいだ、あたしらには平穏な日常が戻ってくるというわけ。

[Anri] ちょっと待て待て!

[Narration] 椅子から落ちそうになる体を持ち直して、杏里が起きあがる。

[Anri] そんなでたらめ、いや、あながちそうでもないかもだけど、いったい誰がそこまで詳しく、いや、ボクのことをそんなにひどく言ってるんだい!?

[Nicolle] ヘレナだよ。

[Nicolle] まったく杏里ったら! ……こう始まるわけだ。また新しい子に手を出して! い、いえ、なんてふしだらな真似を! ……ってね。あとは実況中継さながら。

[Anri] う、ヘレナか……。

[Anri] なら納得が……、い、いや、そうじゃなくて! 問題はボクの手管ではなくて、彼女の制服がサードクラスのものだってことさ!

[Nicolle] ……まあ、そりゃ杏里にとって大問題かもね。

[Anri] まったくだよ!

[Nicolle] カナエも罪な人選をするもんだね。よりによってサードクラスの子を杏里に護衛させようなんてさ。

[Anri] いや……。

[Narration] 起きあがったはずの杏里が、またベンチにへたり込む。

[Anri] 彼女を選んだのはボクなんだけどね……。かなえさんは三人の被害者候補を選び抜いただけさ……。

[Nicolle] ほう? それは三人ともサードクラスだった?

[Anri] いや……。

[Nicolle] 残りの二人はセカンドだけど、どっちにしろ年上だった?

[Anri] いやいや……。ファーストの子だったよ。ファン・ソヨンとアルマ・ハミルトン……。

[Nicolle] 杏里!

[Narration] ニコルは絶叫して立ち上がり、杏里の肩をつかみ起こして激しく揺さぶる。

[Nicolle] どうしたっていうんだい! 悪いものでも食っちまったのかい!? もしかして、アンの薬に手を出した!? クローエのカカトの当たり所が悪かった!?

[Nicolle] ソヨンもアルマも、食べ頃見頃、杏里の大好物ってタイプじゃないか! それを放ってサードクラスを選ぶなんて!

[Nicolle] 宗旨替えしたってのかい!?ちくしょう、どこで洗礼受け直したってんだ!

[Anri] ちがーう!

[Narration] ガクガクといいように揺さぶられていた杏里が、耐えかねて声をあげる。

[Anri] ボクはいつだって杏里・アンリエットだ!今も変わらずに! ソヨンとアルマはそりゃもう今すぐにでもなでくりまわして、押し倒したいくらいだよ!

[Anri] 彼女達二人をはずした時は断腸の思いだったんだ! ああ、そうさ、今だって後悔してるくらいさ!

[Nicolle] 威張るな!……まったく、そこまでいっといて、なんだってアイーシャを選んだのさ。

[Anri] あー、そ、それが、……なんとなく……。

[Nicolle] なんだい、そりゃ。ま、杏里の直感がとんでもなく鋭いのは認めるけどね。ちくしょう、それで何度、勝負をひっくり返されたことか……。

[Nicolle] ま、まあ、なんにしろ、自分でアイーシャを選んでおいて、やる気なくしちゃ世話ないね。やれやれ、こんな調子じゃ、犯人捜しも先は明るくないかね。

[Anri] あーもう、好きに言ってくれ……。……ん? ニコル、アイーシャとは知り合いなのかい?

[Nicolle] は?

[Narration] 不意に杏里から投げかけられた問いに、ニコルは答え損なう。

[Nicolle] え? いや? 全然。話したこともない。

[Anri] でも、さっき、ボクが教える前に、彼女の名前を言ったじゃないか。

[Nicolle] あれ、そうだな。名前は知ってる、確かに。アイーシャ・スカーレット・ヤン、だったろ?

[Anri] そう。なんで知ってるの?クラスもちがうのに。

[Nicolle] そういえば……、そうだな。

[Narration] 杏里の指摘に、ニコルは考え込む。自分が他のクラスに知り合いを持つケースなど、賭場で顔をあわせた時くらいだ。しかし、アイーシャを見かけた憶えはない。

[Nicolle] まだ、入学したての頃に憶えた気がする。珍しいだろ、東洋系って。だから……。

[Narration] 記憶を探るように話すニコルの顔を、杏里とコローネが見つめる。

[Anri] そんなに珍しいかな、東洋系って。ボクも半分そうなんだけどさ。他のクラスで噂になるほど?

[Nicolle] いや、そうじゃないさ。確か、最初の自己紹介かなにかで……。

[Anri] 自己紹介?

[Nicolle] あれ? クラスがちがうんだよな。でも、あんまりこういう記憶違いはしないぞ、あたしは。

[Narration] ニコルは首をかしげ、頭を抱えて困惑する。

[Nicolle] うん、確かに、入学したてのころのオリエンテーリングかなにかだ、その時に名前を聞いたんだってば!

[Anri] ニコルの記憶力を疑いはしないけどさ。

[Anri] でも、そうすると、彼女はニコルと同じクラスってことになるんだけど……。

[Nicolle] あー、そうだな、そうだよな……。

[Anri] さっき見た制服はサードクラスのものだよね。

[Nicolle] うん……。

[Narration] 杏里とニコル、そしてコローネの三対の視線が、アイーシャが消えていった大廊下への出口へと向けられる。

[Anri] もしかして、アイーシャはなんちゃってサードクラス?

[Nicolle] なんだそりゃ。あ、そだ。同じ名前の双子の妹がファーストクラスにいるってのはどうさ!

[Anri] なんか、いろいろ間違ってると思うけど……、いるの?

[Nicolle] いない、と思う、たぶん。あー! こんなことなら、もうちょっと真面目に授業に顔出しておけばよかった!

[Anri] かなえさんも同じこと、答えそうだな。アイーシャの双子の姉がサードクラスにいるのって聞いたら。

[Nicolle] 目に浮かぶようだね。

[Anri] まったく。ああ、謎は深まるばかりだよ。でもね、ニコル。キミのおかげで、わずかばかりの光が射し込んできたように思えるよ!

[Nicolle] ほう?

[Anri] キミの記憶力が確かだというなら、アイーシャがファーストクラスかもしれないという希望の火が灯されるじゃないか!

[Nicolle] それはどうかと思うけど……。ま、自分のことをモーロクしたとは思いたくないね。

[Anri] うん! 可能性はそれを信じる者によって立証されるのさ!

[Anri] アイーシャ、彼女はもしかして、途方もない深い理由があって、サードクラスの制服をまとっているのかもしれない!

[Nicolle] ……どんな理由だよ……。

[Narration] あきれたニコルの声さえ耳に届いた様子も見せず、杏里はベンチから立ち上がる。

[Anri] そうと決まれば、行動あるのみだ! あの忌まわしき制服を彼女の身体から引き剥がすためなら、ボクはどんな努力さえ惜しまないよ!

[Nicolle] 身上調査でも始める気かい? 古き良き犯罪専門探偵から、興信所へモデルチェンジでも?

[Anri] 身上調査、うん、それだ!といっても、教員室は今は出入りできないし……。あ、ヘレナなら……。

[Anri] いや、だめだ。こないだ怒らせちゃったからなぁ。

[Anri] うーん、あんまりそういうことを簡単に教えてはくれないかな?

[Anri] ならば……、図書カード! うん! 我ながらいい線だ! 久しぶりに、あのクローエの物憂げな横顔に語りかけるのもいいもんだ!

[Nicolle] そして、カカトを食らう、と。

[Anri] 時にはそれも刺激的さ! いざ行かん、謎めく少女の秘密の扉を開けに! 南洋の孤島、密林の奥深くに踏み込もうとも恐れはしない!

[Nicolle] どこに行く気だってば……。

[Anri] じゃあね、ニコル。素敵な時間と情報をありがとう! ボクは必ずや、この秘密を解き明かしてみせるよ!

[Nicolle] あ、おい、杏里!

[Narration] 呼び止めるニコルの声も届かない勢いで、杏里は広場を揚々と横切り、大廊下の方へと歩いていく。

[Nicolle] 秘密はいいけど、捜査はどうすんだって……、あぁもう、なんだってんだい、ちくしょう!

[Narration] 杏里が消えた方向を見ながら、ニコルが頭を抱える。やがて、足下に控える愛犬に視線を落とす。

[Nicolle] なぁ、コローネ……。

[Collone] オゥ?

[Nicolle] あたしゃ、だんだん、さっきのが記憶違いであってほしいと切に願いたくなってきたよ……。

[Collone] オン。

[Nicolle] あたしは、もしかしてとんでもないことを教えちゃったのかもなぁ……。

[Collone] オンオン!

sapphism_no_gensou/3041.txt · Last modified: 2018/05/22 17:15 (external edit)