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sapphism_no_gensou:3021

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[Narration] 学園のメインストリートともいえる大廊下。それを中心に、左右両舷に張り巡らされている通路。

[Narration] この通路をしっかりと把握して、学園内を自由に歩き回れるようになるまで、平均で二ヶ月かかると言われている。その期間が長いか短いかの判断はこの際置いておく。

[Narration] 生来の楽天家であり、好奇心旺盛な杏里は、入学して一週間のうちに、学園内の大半と、学生立ち入り禁止区域の一部にまで、足を踏み入れていた。

[Narration] その間、もちろん、何度と無く迷子になり、そして、自力で脱出してきた。だからこそ、驚くほどの短期間で船の構造を把握できたともいえる。

[Narration] 杏里はその体得した知識を、もっぱら子猫ちゃん達のもとへより早く移動するために活用していた。

[Narration] それ故に、杏里のその動物的な直感とあいまって、船内の移動速度は学園屈指となっている。

[Narration] 今もまた、見慣れた後ろ姿に杏里は飛びついていった。

[Anri] やあ、ヘレナ。

[Narration] すばやく背後に忍び寄った杏里は、声をかけると同時に、ヘレナをそっと抱きしめる。

[Helena] きゃあ、あ、杏里!? も、もう、いきなり何をするの!

[Narration] 不意の衝撃に声をあげたものの、ヘレナはすぐに杏里の腕をほどく。

[Anri] あらら、つれないな。

[Helena] 何を言ってるのよ! あなたは謹慎中なのよ。こんなところをウロウロしてていいと思ってるの!?

[Anri] ああヘレナ、君に会いたいと強く願うボクのこの想いは、誰をしても、閉じこめておくことなんてできないんだよ。

[Helena] ……調子のいいことばっかり。あなたが自由に出歩けるのはランカスターさんのおかげでしょう。

[Helena] 彼女があなたに、部屋の鍵を預けてしまったことは、けしてほめられたことではないけど……。

[Helena] だからといって、あなたが彼女の好意にただ甘えていいわけでもないわ。

[Helena] 日頃の行いを反省して、部屋の中で神様に懺悔をしていてもいいのよ。

[Narration] 大まじめにそう諭すヘレナの顔を見ながら、杏里は肩をすくめる。

[Anri] そして、懺悔の日々を過ごして三週間の後、ボクはめでたく退学の憂き目にあうわけだ。

[Anri] 皆から疑いの目を向けられ、晴らせぬ濡れ衣を被ったままね!

[Helena] あ……。

[Helena] そ、その、杏里……。

[Anri] ああ、さようなら、愛しいヘレナ。君のことはいつまでも忘れないよ。

[Helena] あ、あの、私はそんなつもりじゃ……。

[Anri] では、ボクは自分の部屋で、キミの言うとおり罪を悔いるとしよう。審判が下るその日まで。

[Helena] もう、杏里! 悪ふざけはよして!

[Anri] ふざけてなんかいないよ。いつでもキミの前では真摯でいる。

[Helena] わ、わかったわよ! 悪かったのは私よ!

[Narration] ヘレナのその観念の声を聞いて、嘆きを歌っていた杏里は、手振りまでついていた動きをとめて、ヘレナに振り返る。

[Anri] おや、悪いのはボクなんだろう、ヘレナ?

[Helena] もう意地悪はよして。

[Anri] 意地悪はお互い様だよ、ヘレナ。

[Anri] だって、もし、キミのいうとおり、部屋に閉じこもっていたら、誰が犯人を捕まえる? 誰がかわいい子猫ちゃん達をまもるんだい?

[Helena] それは言葉のあやよ。ああ、そうね、そうよ、あなたを閉じこめておこうなんてこと自体が間違いなのよ。

[Anri] わかってくれたかい? じゃあ、ボクがこうしていても怒らないでおくれ。

[Narration] 杏里は輪を描くようにくるくるとステップを踏んでヘレナの背後にまわると、その肩越しに腕をまわす。

[Helena] それとこれとは別でしょう! はしたない真似はよして!

[Narration] 抗議するヘレナの声を無視して、杏里はヘレナの耳元に言葉を投げかけ続ける。

[Anri] でもさ、ヘレナ。

[Narration] 耳元に吹きかかる息に、ヘレナの身体がわずかに震える。

[Helena] ん……、き、聞いてるの!?

[Anri] かなえさんはとにかく、手がかりを集めてこいっていうんだけどさ。

[Anri] 実際のところ、それってどこにあるんだろう?

[Narration] その言葉に、思わずヘレナは杏里の顔へと視線を向ける。

[Anri] それさえあれば、後はかなえさんが犯人を推理してくれると言う。でも、肝心の手がかりのある場所をボクは知らないんだ。

[Narration] ヘレナは肩越しにある杏里の顔を見つめ続ける。

[Narration] 身に覚えのない罪を着せられていて、自らの手で無実を証明しなければならないというのに、この悠長さ。

[Narration] 杏里自身が退学の危機に焦り、何とかそれを回避しようとしているのは、ヘレナにもよくわかる。

[Narration] しかし、だからといって杏里が鬼気迫る雰囲気を持つことは決してない。

[Narration] 苛立ちと親愛をまじえ、周囲がかえって心配してしまいたくなるほどに。

[Narration] ヘレナはため息をついて、杏里の顔から視線を外す。

[Helena] こんなところで、私相手に油を売っていても、手がかりなんて手に入らないわよ、杏里。

[Anri] そんなぁ。ヘレナといる時間がボクにとってどれほど大切か……。

[Helena] そういうことは言わなくていいわ。

[Helena] ねえ、杏里。みんな、あなたがこのまま船を降りるのを望んでなんかいないわ。

[Helena] ジラルドさんも、クローエも、天京院さんも、バルトレッティさんも、ランカスターさんも、バンクロフトさんも、みんな、ね。

[Anri] よく把握してるなぁ……。もちろん、ヘレナもだよね?

[Helena] ……

ええ、私もよ。

[Helena] 誰も、あなたに協力することを厭いはしないわ。今だって、ランカスターさんや天京院さんが力を貸してくれてるでしょう?

[Anri] うん、ありがたいことこの上ないね。

[Helena] 私も、その、知ってることをあなたに教えることくらいはできるわ。

[Anri] ヘレナの知ってることって?

[Helena] あ、た、たとえば……。教員室の様子や、PSの人達が話していたこととかなら……。こういうことをあまりしてはいけないのだろうけど……。

[Anri] へーぇ、ヘレナがそんなことを知っていたなんて驚きだ。

[Helena] 私も驚いたわ。今朝の会議で、あなたの退学処分を聞いた時には。

[Anri] 会議?

[Helena] そう。学園の警備、風紀などの会議には、学生の代表も参加しているのよ。

[Anri] そうなんだ。退屈そうだな。

[Helena] 何を言ってるの。こういう会議に参加させることも、学生に自治というものを教える学園の配慮なのよ。

[Narration] 実のところ、その配慮は建前もいいところで、今まで学生の代表は欠席続きだった。

[Narration] ヘレナは、学園創立以来続くこの会議の場で、もっとも勤勉である故に扱いに困る学生代表と本人のいない場で揶揄されている。

[Anri] なるほど、それでヘレナはボクよりも早く、退学の情報を知っていたんだな。

[Helena] そういうことよ。

[Helena] 職員さん達のことなら、ランカスターさんが詳しいでしょうし、クローエだって不思議と物知りだわ。

[Helena] ジラルドさんも、あまり感心しない場所に出入りしてるって話ですから、その、そういうことを知ってるでしょうし。

[Narration] 杏里に背中から腕をまわされたまま、ヘレナは話し続ける。

[Helena] ねぇ、杏里。あなたはその気になれば、いろんなところから話を聞けるのよ。

[Helena] だから、さっきも言ったとおり、こんなところで遊んでちゃダメよ。ちゃんとあなたの無実を証明するために、頑張ってほしいの。

[Anri] …………。

[Anri] そっか、ボクって幸せ者だったんだな。こんなにも可愛く頼もしい子猫ちゃん達に囲まれていたなんて。

[Helena] 幸せ者って……。まったくだわ、いろんな意味で。

[Narration] そう言って、ややあきれた息をついたヘレナのまとめた髪が、杏里の視界の中で揺れる。

[Narration] 日常、普通に話している時は、ヘレナは異様なまでにガードが堅い。じゃれつくだけで怒鳴られ、軽口さえもたしなめられる。

[Narration] そのヘレナが杏里の腕の中におさまって、会話を続けている。珍しく、奇跡的に!

[Narration] その幸運に気づいた杏里は、ヘレナに悟られなように、少しづつ、彼女の身体にまわした腕に力を込めていく。

[Anri] それでさ、ヘレナ。

[Helena] な、なあに?

[Narration] わざと吐息が、うなじや耳の裏側に吹きかかるように声を出す杏里。それに反応して、ヘレナが身じろぎする。

[Anri] ヘレナが知っている、ボクをこの窮地から救ってくれる秘密の情報ってなにかな?

[Helena] そ、それは……。

[Narration] 杏里の息がかかるたびに、自分の中に小さな電流が走り抜けるのをヘレナは感じる。それを噛み殺しながら、言葉を続ける。

[Helena] か、簡単に人に話せることじゃないのよ。そ、その、被害にあった人の秘密でもあるわけだし……。

[Anri] ふぅん、PSからなんだ。

[Narration] PSが船内警備を扱う会議の場とはいえ、簡単に情報を発表したりはしない。大部分は、ヘレナ個人の力で、PSから聞き出したものだ。

[Narration] ヘレナは、その情報を学園の安全を守るという使命感のために聞き出した。しかし、同時に杏里の無実を照明するために大いに役立つかもしれないとも思っていた。

[Anri] ヘレナの情報力ってすごいね。

[Narration] 杏里はヘレナに応えながら、まわした腕に微妙に力をまわし、触れているヘレナの肩、胸、腹部に押し当てていく。

[Narration] その腕の力の変化に合わせて、ヘレナの身体も刺激を受け取っていく。

[Helena] ん、ん……。

[Narration] その状況にたまらなく嫌な予感を覚えて、ヘレナは杏里の腕から抜け出ようとする。そこで、自分の身体にまわされた腕の力の変化を知る。

[Helena] ちょ、ちょっと杏里、その前にこの腕を放して!

[Anri] そんなことしてる暇はないはずだよ、ヘレナ。ボクに残された時間はほんとに少ないんだから。

[Helena] 冗談はやめなさい!ん……、い、今すぐ放さないと……、な、何にも教えてあげないわよ……!

[Anri] え、それは……。

sapphism_no_gensou/3021.txt · Last modified: 2018/05/22 17:15 (external edit)