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sapphism_no_gensou:2011

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[Narration] アルマの部屋は学生区画にある、ごく普通の一室である。

[Narration] もっとも、この船に学生として存在するのを許されている者にとっての普通であるから、庶民の感覚ではやはり普通じゃない。

[Narration] 間取りこそ同じものの、家具調度品などは個人の裁量で模様替えが許され、決して先輩からの「お古」など存在しない。

[Narration] 壁紙からカーテンまで、少女たちは許される範囲内で、こぞって個性や感性を誇示しようと苦心していた。

[Narration] まさに少女たちの部屋は、小さく切り取られた彼女らの城──上流階級という言葉が意味するところの、家そのものなのであった。

[Narration] とはいえ、そうした華やかさも、廊下側からはまったくわかることはなかった。

[Anri] アルマ・ハミルトンに会いたいのだけれど……貴方がここに居るということは、アルマは部屋の中かな?

[Narration] アルマの付添人、クインシー・ウェルズは杏里の軽口になにひとつ返答することなくまるで一枚の岩であるように立ちはだかっていた。

[Anri] ええーと……。

[Anri] アルマに会いたいのだけど、そこに立たれると、ノブにさえ手が届かなくて困るな。

[Anri] ウェルズさんが何のために立ちつくしているのか、ボクにはちょっと理解できないけど……

[Anri] こう、ちょっとだけ右に寄ってくれると助かる。

[Wells] ………………。

[Anri] ……

聞こえてる?

[Narration] ウェルズは、その決して大柄ではない身体で、アルマの部屋に通じる扉を門番さながらに守っていた。

[Narration] 他者を拒絶する凛とした態度が、見かけ以上に彼女を大きな障害に見せかけている。

[Anri] 弱ったな。

[Anri] ボクはただアルマに会いたいだけなのに、それすらダメなんだろうか?

[Wells] 駄目です。

[Narration] 返事はにべもない。

[Anri] そう言わないでさ……。大事な話があるんだよ。

[Narration] ひょっとすると、アルマが事件の次の犠牲者になるかもしれない。

[Narration] そう考えると、杏里とて少しは焦る。

[Narration] しかし、そんな気遣いはまったく無用──とばかりに、ウェルズは厳しくそこに直立していた。

[Anri] 弱ったな……。これは、もちろんアルマにとって、つまりウェルズさんにも、本当に大事な話だと思うんだけどね。

[Narration] なんとか相手の興味を引こうとカマをかけてみる。

[Narration] それでも、ウェルズの表情には何の変化も見られなかった。

ウェルズさん、ボクは……

あきらめましたよ

[Narration] ウェルズの眉だけが、ぴくりと動いた。どことなく、ほっとしているようにも見える。

[Anri] とりあえず、日を改めます。

[Anri] アルマによろしく。それじゃあ。

称える詩を唄いましょう

[Anri] おお、ウェルズ!美しい黒き貴婦人よ!

[Narration] さすがのウェルズも、突然声を張り上げはじめた杏里にぎょっとした。

[Anri] いまここで、忠義厚き貴方を褒め称えることを許しておくれ。嫉妬深き森のニンフよ、しばらく耳を閉ざしてくれまいか。

[Wells] 杏里様?どういうおつもりか存じませぬが、おべっかに参るわたくしではございません!

[Wells] どうか無益なことはお止めいただきたい。

[Anri] 汝、その忠節は天地に比するべきものなし──知より勇、美より猛、乙女守りし剣なれば、扉守りしその姿、地獄の番犬ケルベロスしかり──!

[Wells] ……

ケルベロス?

[Anri] いや、ちょっと待った。地獄の番犬じゃ、あまり美しくない。うん、違う。気をとりなおして、もう一度──。

[Wells] ですから結構です。

[Anri] ──睥睨するまなざしの、力強き御名を称えん──たくましきお姿は、かの英雄ヘラクレスもかくや──?

[Wells] ヘラクレス?

[Anri] ああ……いや、ダメだな。どうもウェルズさんを褒めようとすると、美しいという形容詞から外れていってしまう。

[Anri] 何かの呪いだろうか?

[Wells] わたくしを馬鹿にしているのでは御座いませんか?

[Anri] まさか! 貴方を馬鹿にする必要なんて、ボクには何もないでしょう?

[Anri] ただ、ボクはほんのちょっと

……

ええと、つまり、嘘をつくのが苦手なもので……。

[Narration] この暴言にもほとんど顔色をかえず、ウェルズはさっと廊下の先を指さした。

[Wells] どうぞ、お帰りください。

[Anri] はあ……。

[Narration] どうあっても杏里の言葉に耳を貸す気はないらしい。

[Narration] 杏里は仕方なくその場を離れた。

[Narration] ウェルズをどうにかする手段を見つけない限り、アルマに目通りすることは叶わないようだ。

sapphism_no_gensou/2011.txt · Last modified: 2013/06/01 22:49 (external edit)