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[Narration] ひたすらソヨンを求めて駆けずりまわる杏里は、前方にニコルとコローネの姿を発見した。
[Nicolle] ああもう、動きにくいったら。パンプスなんか要らんわっ!
[Narration] ニコルはサファイアブルーの靴と、靴下を放り投げて裸足になった。
[Nicolle] 待ってよ、コロっ
[Collone] ウ〜、ウォンウォン!
[Collone] クゥ〜〜ン
[Anri] ボンソワール、マドモアゼル!コローネが何か見つけたかい?
[Nicolle] そうらしい。何を追ってるのかは、わかんないけど。
[Anri] あんまり、のっそりしてる暇は無いよ?
[Nicolle] のっそりって何だ!あっ!
[Collone] オンオンッ!
[Narration] コローネはいきなり廊下を駆けだして、杏里に向かって追いて来い、と言わんばかりに盛んに吠えた。
[Anri] わかった、コローネ!
[Anri] ニコル、悪いけど先行くよ!
[Narration] 杏里はコローネを追いかけて、たちまち小さくなっていく。
[Nicolle] ええっ、なんであたしばっかいつも置いてけぼりなんだよっ!
[Nicolle] 薄情者〜ッ!
[Nicolle] うぎゃあ、裾ひっかけた!もうこんな服、いやじゃあっ!
[Anri] 鐘楼?
[Collone] ウウ〜〜〜〜〜ッ
[Narration] コローネは、カリヨン広場にある鐘楼の入り口までやってくると匂いを辿れなくなったのか、ぐるぐると周りながら、しきりに唸りをあげている。
[Anri] ここに何かあるんだね?
[Collone] ウォウッ!
[Anri] わかった。きみはご主人のところへ戻ってくれ。ここはボクがしらべてみる。
[Narration] 杏里は周囲をよく観察した。時計の長針に似た、エレベーターのゲージを見上げると、カゴは最上階で停止していることがわかった。
[Narration] いくらボタンを押してもカゴが降りてくる気配が無い。
[Anri] ここで、エレベーターへ……それで匂いがとぎれて……
[Narration] 杏里はかなりイヤ〜な予感がしながら、非常階段を見やった。
[Narration] 永遠に続くのではないかと思われる螺旋階段を、杏里はぜいはあと、息を切らして登った。
[Narration] ところどころに開いた、縦に細長い窓からは、ほとんど水平に夕日が射し込んでくる。
[Anri] ひぃ……はぁ……
[Narration] 上を見上げると、天を貫くエレベーターシャフトの彼方に、ごくごく小さく、カリヨンが連なっているのが見えた。
[Anri] 誰か、上にいないか───!いたら返事をしてくれ───!
[Narration] これで何度目かの呼びかけにも、返事は無い。
[Narration] そんな杏里の想いをよそに、夕陽を受けたカリヨンは暗闇の柱の中で星団のように輝いている。
[Narration] 美しさにみとれる暇もなく、ひたすらに杏里は脚を運こばなければならない。
[Anri] うへぇ……この階段を自分の脚で登った奴なんているのかな?
[Anri] いったいあと何分残ってるんだ……
[Anri] ───かなえさん? かなえさんっ?
[Narration] 杏里は襟元に取り付けた通信機のマイクに向かって語りかけた。
[Narration] 返事が無い。なんだか寝息やらネコの鳴き声やらが聞こえたような気もする。
[Anri] 故障かい? もうっ。
[Narration] 仕方なく杏里は、再び階段を登る。
[Narration] 途中、のぞき窓に装飾用の手斧が飾られているのを見つけた。ひどく重く、装飾用なので刃も入っているわけではない。
[Narration] それでも杏里は、念のため斧を壁の留め具から外し持った。
[Narration] 突然、エレベーターシャフトの中のワイヤーが動き始めた。重々しい音を立て、上からかなりの勢いでカゴが降りてくる。
[Narration] 杏里はすれちがいざまに、カゴに向かって叫んだ。
[Anri] 誰かいるのかっ!
[Narration] カゴの隙間に、かすかに人影が見えたような気もするが、たちまち小さくなって遙か下へと消えてしまう。
[Narration] 胸が苦しい。まるで空気までが薄くなってきたような気がする。
[Narration] 階段はすでに三分の二以上、登ってきている。もうすこしで上に着く。
[Narration] 探し求める何者かが、エレベーターに乗って下へ向かってしまったのなら、途方もない無駄足になる。
[Narration] そればかりか、またもやあてにしていたエレベーターが動かなければ、この場を逃がれる機会は失われてしまう。
[Narration] 杏里は頭を抱えた。
[Anri] えーい、登るっ!一度始めたことを途中でやめられるかっ!
[Anri] ああ、そうさ、どうせボクはバカだよ!
[Narration] と、変な納得をつけ、杏里はふたたび猛烈な勢いで駆けのぼりはじめた。
[Narration] 突然、茜色に輝く大海原が広がった。
[Narration] 水平線には、リングの爪にはまったトパーズのごとく、楕円に伸びきった太陽がさしかかっている。
[Anri] やった……おめでとう、ボク……
[Narration] 膝に手を置いてうなだれる杏里は、小さなうめき声にハッと顔をあげた。
[Anri] ソヨンッ!
[Narration] ソヨンは鐘楼の手すりの前に、腰を降ろしながら後ろ手に縛りつけられていた
[Narration] かたく目をつぶったソヨンは恐怖に震えながらも、なにか小声でつぶやいている。
[Soyeon] あ……杏里さん……っ……来ちゃ……だめっ……きっと……近くに……っ!
[Anri] ソヨン、今たすけるよ!
[Narration] 杏里は無我夢中でソヨンに駆け寄った。
[Narration] ソヨンは両手に手錠をはめられ、さらに鎖で手すりに結わえつけられている。
[Narration] ソヨンの体と手すりのわずかな隙間に、杏里は斧の先端をあてがい狙いをつけた。
[Anri] いいかい、ソヨン。ボクを信じて。そこから絶対に動かないでおくれ。
[Anri] いくよ、せーの!
[Narration] 杏里は思い切り手斧を振り下ろした。
[Narration] バキャアッ! ───痛快な手応え!
[Anri] よしっ!
[Narration] 狙いから半身ほど離れた手すりが、ごっそり取れて、地上へ落ちていく。
[Anri] …………
[Soyeon] …………あれ……?
[Anri] ド、ドンマイ、ドンマイ!
[Soyeon] …………杏里さんっ?
[Anri] ファールは4回まで!
[Soyeon] そんなルールはありませんっ!
[Narration] 鎖を斧で叩き切るのは、もうすこし熟達してからにしよう、と杏里は考え直した。
[Narration] 他の方法を捜して、片膝をつき鎖に目を寄せる。
[Narration] こんな火急の時でさえなければ、この素晴らしい眺めを二人だけのものすることができたのに……
[Narration] しかし依然として、ソヨンの目はかたく伏せられている。ここからは、どうしても鐘楼の壁よりも、海原のほうが大きく視界に入るのだった。
[Narration] ソヨンは瞼をふるわせ、目を開こうとしているが、どうしてもそれがかなわない。
[Anri] ソヨン、まだ海を見ることが出来ないんだ……ね。
[Narration] ハッとしたソヨンは、ぷいと顔をそむけてしまった。
[Anri] まだ……怒ってるの?でも、ボクはちょっと嬉しかった。
[Anri] ボクの名を騙って、おびき出されたって聞いた時さ。また不謹慎だって、怒られちゃうけど。
[Anri] 怪我はない?
[Soyeon] …………
[Narration] ソヨンは無言のままだが、怪我は負ってはいないようだ。
[Anri] ソヨン……ボクらは互いに、手をさしのべて、向き合っていた。それは確かだよね。
[Anri] ただ、二人一緒に抱き合うことができなかったんだ。ボクが急にソヨンを抱きすくめたから、きみはそれに驚いてしまったんだ。
[Anri] すまなかった。
[Soyeon] あたしのことは……放っておいてください!ここは危険なんです!
[Anri] そういう訳にはゆかない。それに、大丈夫さ。
[Anri] さっき、エレベーターが降りていった。あれがきっとレイチェルだったんだ。運良く入れ違ったってわけだよ。
[Anri] 愛に時間を───杏里・アンリエットに辛抱強さを。
[Anri] キミを抱きとめようとする手で、きみ自身を傷つけてしまっただなんて……ボクの最大の過ちだ。
[Anri] 恥じ入るのはボクさ。
[Soyeon] ……あ……杏里さん……も、もう……本当に……!
[Anri] おっと、確かに。それどころじゃなかったね。
[Anri] なあに、安心して。ここには見たところ爆弾らしいものは、なんにも無───
[Narration] 杏里はさっと視線をめぐらせ、そのまま凍りついた。
[Narration] 鐘楼に、なにやら見慣れぬカリヨンがぶらさがっている。お寺の釣り鐘そっくりで、かすかにモーターの唸りまで聞こえてきた。
[Narration] 天京院の部屋で見かけたような気もひしひしとしてきた。
[Anri] ま、まずい。爆弾だ…………
[Narration] 杏里の額にびっしりと汗が浮かぶ。
[Anri] すまない、ソヨン。爆弾の解除が先だ!
[Soyeon] いいんです、杏里さんこそ早く逃げてくださいっ!
[Anri] いいやソヨン、きみを護るって言ったはずだ!
[Anri] きみが何と言おうと、ボクは一人でここを降りる気は無いからね。