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sapphism_no_gensou:1173

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[Narration] ニキは、例によって杏里の背に貼り付くようにしてついてくる。

[Anri] ごめんよ、ニキ。もうすこし離れてくれないと、二人とも転んじゃうかも。

[Niki] …………

[Narration] ニキは5ミリほど体を離した。

[Anri] あ、あと10センチくらい。

[Narration] 今度は1センチほど離す。

[Anri] あ、あと1メートルくらい。

[Narration] そんなことをしている間にも、二人は地下道の最深部へと分け入っていく。

[Niki] …………

[Anri] 何か聞こえるの?

[Narration] ニキの指し示した方向は、かなり急なくだりとなっていた。

[Narration] 段差もなく、ただ傾斜しているばかりで、手がかりになりそうな支えにもとぼしい。

[Anri] え……こっち?なんだか、ぬめぬめしてない?やめたほうが……良くないかな。

[Anri] 一人でも行くって……?いや、そんなことはさせないよ。ちゃんとボクがエスコートするとも。

[Narration] 少女を背でおぶさるように支えながら、苦しい姿勢で杏里は傾斜をくだっていく。

[Narration] もちろん昇る時のことなどは、ちっとも考えていない。

[Narration] 時間をかけて、なんとか足をすべらさずに、平坦な場所まで降りてくることができた。

[Anri] 水音が……

[Narration] 今度は杏里にも聞き取ることができた。

[Narration] その方向へ向かっていくうちに、ほとんど灯りは届かなくなる。

[Narration] だが、じょじょに目が慣れてくると、ちらちらと目の奥を叩くものたちがいた。

[Narration] 暗闇にぼうっと浮かび上がったのは、まるで地底湖のように広がる水面と、その中で泳ぐ、輝く魚たちだった。

[Narration] 自分らが宙に放り出されたように、足下が心もとなくなった。

[Anri] うわ……っ

[Niki] ……!

[Narration] 目よりも高い位置を、青く光る魚影が行き過ぎた。二人は思わずたじろいだ。

[Narration] おそるおそる手を伸ばすと、冷たく硬い手応えがあり、どうやらガラスで仕切られているようだった。

[Narration] 何を意図して作られた場所なのかは、皆目不明だが、二人は幻想的な光景に酔いしれた。

[Narration] ニキが杏里の袖を引いた。

[Narration] すると、杏里の耳にかすかに届いたのは、まぎれもなく地上から届くカリヨンの音色だった。

[Anri] …………

[Niki] …………

[Narration] 二人は何が起きるのかと、不安よりも期待に胸を高鳴らせた。

[Narration] コーン……ッ!

[Narration] 耳を聾する音が鳴り響いた。音は光を従い、光は空間にざあっと波のように広がった。

[Narration] 大人の身長ほどもある魚影が忽然と現れ、光をまといながら宙を駆ける。

[Anri] うっ……すごい音だ……っ!頭の奥がキーンってする……

[Narration] 耳を押さえてうずくまる杏里の脇で、ニキはその優美な姿に目を奪われていた。

[Narration] 魚影が踊るように身をひるがえすと、そのたびにグラスハープを奏でるがごとき不思議な音色が鳴り響いた。

[Narration] 杏里たちに興味を示したのか、魚影は手が届くほどの距離に近づいた。

[Narration] つぶらな瞳が、しばらくのあいだじっと二人を観察していたが、やがてゆるゆると泳ぎ去っていってしまった。

[Narration] 結局、最後には、二人は抱き合うようにして坂道をすべり降りてきた。

[Narration] ドプンッ!

[Anri] うわわっ、冷たい!

[Anri] ニ、ニキ!ボクにしっかりつかまって!

[Narration] 杏里は腰まで水に浸かっていた。

[Niki] …………

[Narration] ニキは杏里の首にすがって震えている。

[Narration] わずかな光が差し込んでいる。じっとそのまま動かず、暗闇に目が慣れてくると、ようやく周囲の状況がわかってきた。

[Narration] 高い壁に囲まれた細長い空間だ。下にはどろりとした海水が満ちている。

[Narration] 壁面の文字によく目を凝らすと「放水口」と読めた。

[Narration] その横には「二次冷却水」とも書いてあったのだが、杏里にはよく意味が分からなかった。

[Narration] 光は壁面にある大きな構造物から漏れているようだった。明らかに人工の光ではない、自然光だった。

[Anri] わわわっ……死んだクラゲだぁっ

[Narration] 必死にニキをかばいながら、周囲を手さぐりしていくと、さびついた梯子にぶつかった。

[Anri] ハァ……ハァ……ふぅ……ニキ、ここを登るんだ。上に出られる。

[Narration] 梯子はさび付いてはいたものの、二人の体重を問題なく支えてくれた。

[Anri] ……えっ?

[Narration] 梯子を登り切り、上の階段を見つけたとき、ニキが言った。

[Niki] …………

[Anri] ……波の音がしますって?

[Anri] そうか、たぶんもうすぐ外が海なんだね。

[Narration] この場所に最近人間が立ち寄ったことがあるかどうかはわからない。少なくとも、施設としては使われなくなって久しいようだった。

[Narration] クローエとソヨンの二人は、しっかりとした足どりで、地下道を進んでいく。

[Narration] ソヨンがちらちらとクローエを見る。

[Chloe] どうかした?

[Soyeon] あ、あの……

[Narration] ソヨンは改まって向き直ると、ぺこんと大きく頭を下げた。

[Soyeon] クローエ先輩! 先日は、投げ飛ばしてしまったりしてすみませんでした!

[Chloe] あら、そんなこと。まだ気にしていたの?

[Chloe] もう謝ったでしょう? そのことなら。私も、からかったりして悪かったのよ。

[Soyeon] でも、先輩を投げ飛ばしてしまうなんて。

[Chloe] 道場なら何の不思議もないわ。あたしが一本取られたの。そう思えばいいでしょう?

[Soyeon] は、はい!

[Narration] やがて、空気の動きを頬に感じるようになり、地下道の先に光が見えてきた。

[Narration] 同時に水音が聞こえ始める。

[Narration] ソヨンはびくりと体を硬くして、クローエにしがみついた。

[Chloe] ちょっと、ソヨン……?

[Narration] クローエは不吉な予感に包まれた。……といっても、これまで幸運の予感など感じられたことは一度だってなかったのだが。

[Narration] クローエとソヨンの二人は、しっかりとした足どりで、地下道を進んでいく。

[Narration] ソヨンがはたと立ち止まる。

[Chloe] どうかした?

[Soyeon] クローエ先輩、ニャー。

[Chloe] ……は?

[Soyeon] ニャーですよ。ニャーがしませんでしたか。

[Chloe] ……気をしっかり持ちなさい、ソヨン。

[Soyeon] あ、ああっ、違います。鳴き声です。猫の鳴き声が……

[Chloe] そんなの聞こえなかったわよ。

[Soyeon] いえ、確かに。こっちのほうから……

[Chloe] …………

[Narration] もしかして、これがカリヨンのゴーストというものなのだろうか。

[Narration] 人をたぶらかせては、暗闇に誘い込む何かが船倉に潜んでいるのではないだろうか。

[Narration] そんなことを考えながら、クローエはソヨンに腕を引かれるまま、さらに通路の奥へと踏み込んでいった。

[Narration] 杏里とニキがほとんど手探りで、地上へと戻ると、すでに広場にはクローエとソヨンの姿があった。

[Chloe] 二人とも無事に生還したようね。

[Anri] とんでもない、もうびしょびしょだよ!

[Chloe] あら。肩にクラゲが載ってるわよ。

[Anri] ひゃっ!

[Anri] とってとって!

[Chloe] いやよ。

[Narration] 杏里のおかげでどこも濡れず、かすり傷ひとつなく済んだニキは、おそるおそる手を伸ばして、杏里に載っているクラゲを払い落とそうとした。

[Narration] するとまだ生きているかのように、クラゲはニキに向かって滑り落ちる。

[Niki] ……! ……!!

[Narration] やれやれと息をつくクローエの横で、ソヨンはベンチに腰掛けている。

[Narration] その膝の上では、見慣れぬ子猫が小さな寝息を立てていた。

[Anri] 子猫じゃないか!どうしたの?

[Soyeon] あの、地下道で拾ったんです!道の途中で、鳴き声が聞こえて……

[Anri] へえ……猫といい、カリヨンのゴーストといい、まるで魔窟だ。

[Chloe] そっちはどうだったのよ。何か発見は?

[Anri] 自分の目で見てもらわないと、クローエには信じてもらえそうにない。……ただもう一度、あの場所に行けるかどうかも自信がないけれど。

[Anri] いや……もう……なんつーか……最低。

[Chloe] ……どういうこと?

[Anri] まあ、あとでゆっくり話すから。

[Narration] 授業から開放されたビジターたちが通りがかり、めずらしいものでも見るように子猫をのぞきこんでいく。

[Narration] 蒸しタオルで子猫の汚れを落としてやると、はっきりとした縞の模様が現れた。

[Narration] まだ生まれて2週間たっているかどうかの、片手で軽々と持てるほど小さい子猫だ。

[Narration] 「この猫、しっぽが無いんですね?」ビジターの一人に言われ、ソヨンははじめてそれに気がついた。

[Soyeon] 本当だ……。

[Anri] きっとまた生えてくるさ。

[Chloe] とかげじゃないのよ。

[Anri] 違うの?

[Chloe] この猫はね、マンクス猫よ。遺伝的に尻尾を持たない猫なの。

[Anri] へえ!

[Narration] クローエが知識の一片を披露した。

[Chloe] それに、船と一番関わりのある猫といっても良いのじゃないかしら。ずいぶんさまざまな伝説があるのよ。

[Anri] どんな……?

[Chloe] 曰く、スペイン艦隊の生き残りである。曰く、フェニキア人の貿易船が日本から買い入れてきた。

[Chloe] 曰く、ノアの箱船に最後に乗り込んだ一匹で、扉に尻尾を挟まれてしまった。───云々。

[Soyeon] へえ〜。

[Narration] 杏里とクローエは、地下道で見たものの情報を交換した。

[Narration] クローエは知識で、杏里たちは単なる幸運によって外に出ることできたが、実際には非常に複雑で迷いやすい場所であること。

[Narration] クローエ達の向かった方向は、結局プールへとつながっていること。

[Narration] もう一方は、カリヨンのゴーストにつながる道だが、それだけではなく、まだ先があった。

[Chloe] 循環システムに戻らない水流となれば、どこからか漏れているのだわ。

[Chloe] そうでなければ、この船はもう沈んでいるわよ。もう一度探求してみる必要があるわね。

[Narration] もう一方は、見捨てられた放水口らしき場所につながる道だが、それだけではなく、まだ他に枝道があったようだ。

[Chloe] なんにせよ、謎は尽きないようね。

[Chloe] あと、妙なものを見つけたわ。有力な手がかりになるんじゃないかしら。

[Narration] クローエは声を潜めて説明した。

[Narration] それは、プールから地下道に入る、入り口付近に隠されていたものだった。

[Chloe] ウェットスーツと、簡易酸素ボンベ。それと、よくわからない装置。なにかしら……大きな手袋のような……

[Anri] すごい! そんなものが!?

[Anri] で……持ってこなかったの?

[Chloe] ええ。わたしの独断だけど……触れるべきではないと思って。

[Chloe] 犯人にとって必要なものなら、あの場所にまた犯人が現れるに違いないわ。下手に動かしてしまったら、気づかれるでしょう。

[Anri] おお……うんうん、その通りだよ!ありがとう、クローエ!機会をみはからって、調べに行かなきゃ。

[Chloe] 声が大きいわよ。それと……ちょっと……

[Narration] クローエは杏里の腕を引いてその場を離れた。杏里だけに聞こえるよう、小声でささやきかける。

[Chloe] ソヨンが水辺であんなふうになるって、どうして黙っていたのよ……!

[Anri] ……そうか、プールに行ったんだね。

[Chloe] よく、今までこの船に無事に乗っていられたものだわ。

[Anri] それはボクも不思議だ。

[Chloe] あと、そうだわ、壁の入り口……

[Anri] 植木か何かで、隠しておいたほうがいいかな。

[Chloe] ええ。ほうっておけば、すぐPSにふさがれてしまうわ。

[Anri] うん。了解。

sapphism_no_gensou/1173.txt · Last modified: 2018/05/22 17:15 (external edit)