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sapphism_no_gensou:1121

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[Narration] 海鳥の舞うオープンテラス。

[Narration] そのテラスの一角を占める広々としたカフェーにて、杏里はカップの底を憮然とした顔つきで見つめていた。

[Narration] すぐ横のカップの中では、まだ口のつけられていない、冷め切ったミルクティーが揺れている。

[Narration] ……ソヨンとの約束の時間から、すでに1時間以上になる。

[Anri] 遅いなあ……

[Anri] まだかなあ……

[Narration] 杏里はティースプーンを指先で弄びながらぼやいた。

[Unknown] 待った? 杏里?

[Anri] ……

ソヨン!

[Anri] いや、きみを待つ時間なら、全然苦になんてならないさ! 

ファン…ソヨ……ン…………

[Narration] 輝いた杏里の顔がねじれながら急速に曇る。

[Anne Shirley] あたしもよ、杏里。

[Anne Shirley] でもね、ボゲードンはそうはいかないんだわ。彼はとても時間にうるさいんだから。

[Anri] キミか……アンシャーリー。

[Narration] がっくりと机に伏せる杏里。

[Anne Shirley] うん。そうよ。

[Anne Shirley] あなたのお友達のアンシャーリー・プリンスエドワード・モンゴメリ・バンクロフト。

[Narration] 略してアンは給仕に紅茶の追加をオーダーした。

[Anne Shirley] あなたが朝から待っていたのも感じていたけど、蒸留の行程にとても手間取って。

[Anne Shirley] 彼をなだめるのは骨だったわ。

[Narration] 追加の紅茶が届くと、アンシャーリーはなにくわぬ顔で、湯気の立つ紅茶に一服盛った。

[Narration] 乳白色の粉末が溶け、見るからに紅茶でもミルクティーでもない液体が出現する。

[Anri] なに……何に手間取ったって……?

[Narration] だらしなく伏せたまま杏里がつぶやく。

[Anne Shirley] もちろん、杏里に会う準備。

[Anri] ごめんよ、アンシャーリー。ボクは今日、キミを待っていたわけじゃないんだ。

[Anne Shirley] うん、あたしも。杏里を待たせていたわけじゃないの。

[Anri] じゃあ……ボゲードンを?なんだか、ボクは混乱してきたよアンシャーリー。

[Anne Shirley] あたしはマーマレードの皮をかじった時みたいにシャッキリしているわ。

[Narration] ようやく杏里が起きあがる。

[Anri] あ、紅茶のおかわりだ。アン、きみだね? ありがとう。

[Anne Shirley] お砂糖は? ジャムは?ブランデーは? 生クリームは?

[Anri] どれも甘すぎるかな。今のボクには必要がないものだ。

[Anne Shirley] そう?でもそのまま飲むと気づかれちゃうから。

[Anri] え?

[Anne Shirley] ううん。何でもない。ストレートもオツよね。

[Narration] 杏里が口にカップを運ぶさまを、アンは期待に満ちたまなざしで見つめる。

[Narration] そのまま、手先に触れた別のカップを取り上げて、冷たくなった紅茶を音をたててすする。

[Anne Shirley] …………

[Anri] …………

[Narration] 杏里がカップを傾けようとした、その時───

[Unknown] 杏里先輩!

[Anri] ……キミたちか。クレア、ミリエラ、コー。

[Narration] とっさにテーブルに戻したカップを、アンシャーリーが残念そうに見つめている。

[Mirriela] 「なんだまたか」って顔つき、やめてください。

[Clare] そうですよ? こう見えてもミリエラは杏里さんにむごがごがが───

[Mirriela] か、勝手なこと喋るなっ。

[Narration] 机の端にすがり、コーは杏里の顔色をうかがう。

[Coe] もう、ソヨンちゃんにフラれたの?

[Anri] ……ちがうよ、コー。

[Coe] じゃあソヨンちゃんに、飽きちゃったとか。

[Anri] 違うって。

[Anri] 彼女には……きっと何か事情があってさ。寝坊しちゃったとか……ちょっと体調が優れないとか……

[Anri] きっとそんな些細なことなんだ。

[Anne Shirley] そうよね。朝日と思ったら夕焼けで、まばたきしたらもうお月様になってた、なんて事なら、あたしよくあるわ。

[Anne Shirley] 誰でも同じ時間が流れているわけじゃないのよ。ソヨンの時間は、キリマンジャロエレファントみたいにゆっくりなのかも。

[Anri] 昨日までは、一緒の時間を生きてたつもりなんだけどなあ。

[Anne Shirley] 昨日が前で、明日が後ろとは限らないわ。

[Anri] かなえさんみたいな事を言うね、アン。

[Narration] 二人が目を離した隙に、コーは紅茶のカップを入れ替えてしまう。

[Coe] (かんせつキス……)

[Narration] 杏里とアンシャーリーの会話を追っていたクレアが首をかしげた。

[Clare] でも……ソヨンちゃんなら、さっきすれ違ったけどなあ。

[Anri] えっ? どこで?

[Clare] カリヨン広場で。

[Mirriela] なんだか、かなしそうな顔だった。

[Mirriela] 杏里先輩と喧嘩でもしたのかと思ってここに来たのに。なんだ、違うのか。

[Anri] 広場に……?待ち合わせ場所を間違えたのかな。

[Coe] ううん。すぐ他のところに行っちゃったよ?ソヨンちゃん。

[Clare] ふーん……やっぱり顔を合わせたくないんだ。

[Anri] そんな……?だって昨日までは……

[Clare] 杏里先輩、ソヨンちゃんに何を?

[Anri] 何もしてやいない。

[Coe] ほんとうなのかなァ……?

[Anri] (……していないのか……? ボクは、本当に……?)

ボクは……

キミを見つけるよ、ソヨン!

[Narration] カリヨン広場に向けて、中央廊下を駆ける杏里。おそらくもう、そこには居ないだろう。それでも杏里は走る。

[Anri] もう、正午の鐘かぁ───

うわっ……ととっ!

[Narration] 杏里はサードクラスの制服の少女にぶつかりそうになり、すんでのところで身をかわした。

[Unknown] っ…………!

[Anri] パルドン!ごめん、急いでたから───

[Narration] 褐色の少女は、伏せがちに、おずおずと視線を杏里に伸ばす。

[Unknown] …………背中……

[Anri] え……?

[Narration] 杏里がはたと背に手をまわすと、指先にカサッと何か当たる───

[Anri] やられた! ビジターズ……っ!

[Narration] 背中からはがした張り紙には、杏里に似せた猫の顔が描かれていた。

[Narration] 両目はハートマークで、歌うように鳴いている。その下には『365日・24時間営業』と書かれている。

[Anri] あっ、これボクかあ……結構上手いねえ……い、いやいや、いやっ! 

もうっ!

[Anri] メルシー・ボクー!ええっと、先輩?

[Narration] 張り紙から顔をあげた時、すでに少女は杏里に背を向けて、その場を離れていた。

[Anri] ありがとう〜! センパーイ!超メルシー!

[Narration] 手を振って杏里は再び駆けだした。

[Narration] しばらくしてから、少女は足をとめ振り向いた。

[Unknown] 超メルシー……

[Unknown] あれが……杏里・アンリエット……

うじうじしたい時もある。

[Narration] そのうちに、アンシャーリーの様子がいつにも増しておかしくなり、三つ編みをぐるぐる振り回しながら歩み去ってしまった。

[Narration] ビジターたちも興味深げにその後を追っていった。

[Anri] ……あれ……紅茶……冷めてる。

[Narration] 杏里はテーブルに腰かけたまま、じっとソヨンを待ち続けた。やがて午後に入り、海上からの風当たりが強くなってきた。

[Narration] カフェーの傘とテーブルは、杏里の座る場所のみを残してすべて取り払われる。

[Narration] 購買部通りの防風シャッターもほとんど閉じられてしまった。

[Narration] ごおごおと吹きつける海風の中、ただ一人座り続ける。

[Narration] そんな杏里のもとへ、長い黒髪と白衣をなびかせて、人影が歩み寄った。

[Tenkyouin] ───杏里。

[Anri] かなえさん。

[Narration] 弱々しい笑いを杏里は天京院に向けた。

[Anri] ……買い出しかい?

[Anri] マスターがね、今日はコスタリカのとびきりの豆を船倉から───

[Tenkyouin] 中に入れ、杏里。もう充分だろ。

[Anri] ん……

[Narration] 気の抜けきった杏里は、テーブルに頬杖をついたまま言った。

[Anri] かなえさん、ボクにはわからないよ。こんなこと初めてだ。

[Tenkyouin] …………何かわけがあるんだろ。

[Anri] ……まさか……昨夜!?

[Narration] 杏里は焦ったが、天京院は首を振った。

[Tenkyouin] 既に犯行が行われたって言うのかい?それはない。

[Tenkyouin] 今朝方、PSの動きをチェックしたが、どこにもそれらしい動きは無い。

[Tenkyouin] 加えて言うなら、これまでの被害者は皆、自由を奪われた状態で発見されている。

[Tenkyouin] ……実際のところ、あたしも彼女をちらりと見かけたんだ。

[Anri] そっか。安心したよ。

[Narration] 天京院にうながされ、杏里は風の吹きつけるテラスから離れた。

[Anri] かなえさん、ボクはどうしたらいいのかな。

[Tenkyouin] なんだ杏里らしくない。デートで待ちぼうけを喰うくらい、日常茶飯事だろ。

[Anri] 確かに、ニコルやアンシャーリーなら、ね。

[Tenkyouin] ……ま、そうだな。あのソヨンに限ってはそんなことは無いか。

[Tenkyouin] ……どうしたいんだ、杏里は。

[Anri] ソヨンと会いたい。

[Tenkyouin] じゃあ、そうしろよ。会っていけないわけが在るじゃなし。

[Anri] でも……

[Tenkyouin] ああ、やめろよもうっ、杏里のくせにそんな顔するな!

[Tenkyouin] 嫌われたなら嫌われたで、何も変わりゃしない。だったら何度、顔を合わせたって同じだろ?

[Tenkyouin] そんなにナイーブになるなんて、杏里こそ何かあったのか?

[Anri] ……

[Narration] 天京院は腰に手をやり、深々と嘆息した。

[Tenkyouin] どうでもいいが、あたしの言ったことは、ちゃんと覚えてるんだろうな?

[Tenkyouin] ソヨンを護れるのは杏里、君しかいないんだぞ。

[Tenkyouin] しっかりしろ! 杏里・アンリエット!

[Anri] ……そっか。

そうだね。

[Anri] うん。ソヨンを捜してみるよ。

[Anri] ありがとう、かなえさん!

[Narration] 包み込むように手を握りしめられた天京院は、そっぽを向く。

[Tenkyouin] どーいたしまして。

[Narration] 杏里はぴんと背を伸ばすと、大股で船内中央部へと向かった。

[Narration] その背を見つめながら、天京院は冷え切っていた友人の指の感触を確かめるように、自分の手を握りあわせた。

[Tenkyouin] 本当に、世話の焼ける……

sapphism_no_gensou/1121.txt · Last modified: 2013/06/01 22:49 (external edit)