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okujou_no_yurirei-san:1701

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いろんな気持ちがごちゃ混ぜになっている感じ。

ドキドキしてる、ちょっとワクワクしてる。そして、少し、後ろめたい。

そんな気分で、私はキッチンに立っていた。手は、今日のお弁当を作るために動かしながら。

10月も今日で最後。

私の心境的には、ジェットコースターに乗っていたかのように、アップダウンの激しい月だった。あくまで私だけなんだけど。

学園祭の終わった学校は平穏というか、大きなイベントの後の気の抜けた感じが広がっていて。

前期の期末テストの直前だけ、ちょっと引き締まったというか、ピリッとしたくらい。テストが終わればまた、気が抜けたよう。

お手伝いも、もう、誰も必要としていなくて、忙しかったりハラハラしたりすることもなかったんだけど。

私だけは、比奈からの告白のショックとその後の悩みにハマってひたすらもがき続けていた感じの一ヶ月だった。

告白の直後は思考が停止して、その後はずっと、悩んで迷って、すっかり自分のペースを乱して。

まわりの人に心配かけて、阿野にまで心配されて、サチさんと恵もずいぶん、気を揉んでいたみたい。

それもようやく、比奈への気持ちに気付いて、返事をすることができて、すっきりした。

比奈という恋人を得られた。かけがえのない人だと気付くことができた。

そんな10月が今日で終わり。

明日、11月1日は、学園の創立記念日。学校は休み。

普通なら喜ぶところだと思う。土日でもなく、祝日でもない日が休みになるんだから。

でも、私の心境は喜ぶっていう感じはなくて。それよりも、ドキドキしてワクワクして後ろめたい。ちょっとした不安も、ある。

なぜかっていうと、それは。

約束した日だから。今日の夜が。

サチさんと恵との、約束。今日の夜、学校に忍び込んで、こっそり泊まり込む。

なんのためにかっていうと、それは。

百合霊の二人に、体を貸して、憑依してもらって……。

二人に、初体験をしてもらうこと。

遠見結奈

……………………。

手は止めずにすんだけど、顔が赤くなるのは抑えられなかった。

自分から提案したことだけど、なんて約束、してしまったんだろう。

サチさんと恵、二人の百合霊の目的は、幸せな初体験を迎えて、そして成仏すること。

そのために、私は二人に引っ張り込まれる形で、お手伝いをさせられてきたんだから。

そのかいが果たしてあったのか、二人とも目的達成のための知識は得ることができたみたいで。

学園祭の終わった後くらいに、一度、二人でいい雰囲気になって、初体験に臨もうとしたらしい。

でも、幽霊の体では、お互いに触れ合うこともできなかったって。つまり、したくてもできなかったと。

そこで二人が考えついたのが、私と比奈にそれぞれ憑依して、体を貸してもらって初体験をすること。

そういうこと、勝手に決めないでほしいとは思うんだけど……。でも、他に考えつく手段がない二人にとって、それは真面目な話で。

ようやく、比奈の告白に答えられた私も、二人のためにと思って、申し出たんだけど。

遠見結奈

今さらだけど……、とんでもないこと、約束しちゃったかな……。

後悔してももう遅いし、する気もないんだけど。

二人に体を貸すとはいえ、比奈とその、そういうことをすることになるわけで、それがドキドキしてる理由。

テストがようやく終わって、ちょうどよくやってきた創立記念日。

もちろん、泊まり込みの許可とかは取れないから、こっそり忍び込むことになる。それがワクワクしてる理由。

後ろめたさの理由は……、両親に嘘をついていること。学校に忍び込んで、幽霊に憑依されて、比奈とHしてきますなんて言えるわけがないから。

今日は、夜から阿野の家に、比奈と一緒に泊まりに行くと言ってある。阿野はうまく話を合わせると言ってくれた。

お父さんもお母さんも、比奈と一緒だし、阿野はよくうちにも泊まりに来るから、特になにも疑問を持たずに許してくれた。

比奈のおじさんとおばさんも同じで。あっさり許してくれただけに、やっぱり後ろめたさを感じる。

不安はやっぱり、今日の夜のこと。幽霊に体を貸すこともそうだけど。

どういう形であれ、比奈と、その……。

遠見結奈

(わかってる、わかってるけど……)

こうすることしか考えられなかったってことは。これでいいってことは。比奈だって了解してくれたし。でも、でも、でも。

遠見結奈

(ああもう、考えても仕方がない……)

とりあえず、学校に行こう。事前に立てた計画通り過ごそう。夜になったら、学校に忍び込もう。

あとは……、どうなるかわからないけど。でも。

うまく、いけばいいな……。

明日は創立記念日といっても、今日はいつも通り、授業がある。

なぜだか、今日はその授業がゆっくりと感じられる。退屈なわけじゃない。

テストで一回、リセットされて、新しい章に入る教科書を開いて、先生の説明を聞きながら、板書をノートに写し取っていく。

そんないつもの授業。明日の創立記念日にちょっとうわついた教室の雰囲気。

そのすべてがゆっくりと流れていくように感じながら、午前中が終わって。

お昼休みになって、私は教室を出る。途中でちょっと家庭科室に寄るために、阿野と一度、別れて。

剣峰桐

うわぁぁぁ、月代ちゃん、どうしよう、どうしよう。

園生月代

ほら、落ち着いて、剣峰さん。

遠見結奈

……どうしたんですか?

園生月代

あ、遠見さん。あのね、学園祭でね、数理部のクイズに興味を持ってくれた一年生の子が、正式に入部してくれることになったの。

剣峰桐

今まで仮入部だったんだけど、今日からちゃんとした部員として、放課後、毎日来るんだよ!? どうしよう、遠見ちゃん!

遠見結奈

え、いや、どうしようって……。

園生月代

剣峰さんも先輩になるのよね。もちろん、部長でもあるんだけど。

剣峰桐

あああああ、すごい緊張する! 私、後輩なんてもったことないんだもん! ねぇ、遠見ちゃん、なんて声かければいいのかな?

遠見結奈

なにって……、そんな緊張しなくてもいいのに。仮入部だった時と同じように、普通に声をかけてあげればいいじゃない。

剣峰桐

でも、変なこと言って、すぐ辞められちゃったらと思うと!

園生月代

大丈夫だってば。

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そう言って、剣峰さんの背中をやさしく叩いて励ましている園生先生。

年上の、しかも先生に告白した剣峰さんと、それを受け入れた園生先生。顧問一人と部長一人の数理部にも、部員が増えるみたい。

そんな二人と出会ったのが、家庭科室に行く途中で。

牧聖苗

美紀さん! 聞いてきました! この荷物、やっぱり奥校舎の資料室の方でしたぁ。

相原美紀

あら、そうだったの。

牧聖苗

ごめんなさい、わたしがしっかり確認しなかったから、運び直しになっちゃって……。

相原美紀

いいのよ。さ、運んでしまいましょう。

牧聖苗

あ、美紀さんもう引退したんだから、運ばなくていいですよ! わたしが持ちますから!

相原美紀

そんなに気にしなくていいのよ?

牧聖苗

ダメです! ……でも、一緒についてきてくれると、うれしいんですけど……。

相原美紀

ええ、もちろん。それで、どっちの資料室に持っていくの?

牧聖苗

どっちでもいいって。だから、手前の資料室に入れちゃいましょう。奥は……、内緒の場所がありますから、ね。

相原美紀

ええ、そうね。

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今日も、誰かから頼まれた仕事をこなしている牧さん。整美委員会を引退した美紀さんが、付き添ってる。

一人になっても立派に仕事を引き受け、それをこなそうとしている牧さんを見守っている。

そんな二人を見かけたのが、家庭科室を出たすぐそばの玄関ホール。

古場陽香

お、結奈じゃん。そうだ、結奈も見ていってくれよ、これ。

遠見結奈

なに? これ、ギターのカタログ?

古場陽香

おう! 愛来のギターを選んでたんだ! な、結奈はどれが愛来に似合うと思う?

遠見結奈

有遊さん、ギター弾くんだ?

有遊愛来

もとから興味があったんだが……、陽香がおもしろそうに弾いているからな。自分でもやってみようかと思って。

古場陽香

愛来ならきっと、すぐにイカした音が出せると思うぜ! そんで、いつかオレとユニット組んで、ライブで大暴れするんだ。

遠見結奈

こんなこと言ってるけど……、本気なの?

有遊愛来

陽香は本気らしいな。

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有遊さん、どこまで本気なんだろう。まさか、ほんとに陽香と同じステージに立つとは思わないけど。

でも、一見、不思議なこの組み合わせ。でも、楽しそうに大座敷での会話を楽しんでいる。テンションのあがった陽香を、有遊さんは楽しそうに見つめてる。

軽く手を振って、その二人のいた大座敷を後にして。

網島茉莉

ねぇ、美夕、昼休みまで参考書持ち歩くの、やめない? なんだか、お昼がおいしくなくなっちゃうんだけど。

稲本美夕

あのねぇ、茉莉も少しは勉強しておかないとダメなのよ? わかってる?

網島茉莉

わかってるけどさぁ。

稲本美夕

文句があるなら、ついてこなくていいのよ。ITルームに用があるのは私だけなんだから。

網島茉莉

そんなつれないこと、言うことないだろ~。

遠見結奈

こんにちは、網島先輩、稲本先輩。

網島茉莉

お、結奈ちゃん。ねぇ、聞いて。せっかく部活引退したのに、美夕が今度は勉強押し付けてくるんだよ。

稲本美夕

こんにちは、結奈ちゃん。あのね、推薦って言っても、試験がないわけじゃないのよ? それに、面接だってあるんだから。

網島茉莉

わかってる、わかってるってば。

稲本美夕

もうちょっとなんだからガマンしなさい。

網島茉莉

はいはい。じゃあね、結奈ちゃん。……また、後でね。

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本当に、いいコンビに見える網島先輩と稲本先輩。陸上部を引退しても、三年生らしい貫禄は相変わらず。

そして、付き合いの長い分、いい意味でお互いに遠慮がなくて。それをお互いに受け入れられる深さがある二人と、廊下ですれ違う。

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一木羽美

うわわっ! 遠見ちゃん!?

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双野沙紗

バカ、羽美! 急に止まるな!

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三山音七

むぎゅ~。

遠見結奈

ど、どうしたの?

一木羽美

どうしたのって、もうすぐお昼の放送だもん!ほら、音七、急いで!

双野沙紗

放送日に限って、授業延長とかないだろ、まったく!

三山音七

あ、そだ、結奈。阿野に会ったらさ~。

双野沙紗

音七! 話してるヒマないって! ほら、行くぞ!

一木羽美

うわー! オンエアまであと2分だぁ!

遠見結奈

が、がんばってね。

三山音七

うん~、そんじゃまたね~。

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放送部の一木さんと双野さんと音七さん。今日も三人一緒で、放送室に向かう途中みたい。

三人の中から生まれた恋愛感情を、友情で包んでる。そっか、水曜日だから、三人のお昼の番組の日なんだ。

いつも屋上にいるから聞いたことなかった。今度、聞いてみようかな。

そして、階段を上がって、3階に。あと屋上までのもう1階分、残っているところで、待っていた二人に合流した。

阿野藤

あ、来た来た。

狛野比奈

結奈ねぇ。

遠見結奈

お待たせ。それじゃ、行こっか。

狛野比奈

ん。

お昼休みに入ってから、ほんのちょっとの時間、ほんのちょっと歩いただけで。

これだけの人に出会った。この5月から出会った人たち。知り合った人たち。仲良くなった人たち。

それまでは、お昼になったら屋上に出て、お弁当を食べてぼんやり景色をながめていただけの私に。

普通に声をかけ、話ができる人たちが、こんなに増えていた。

その人たちの姿を見ながら、ちょっとだけずつ話をしながら、私は屋上に向かう。

5月までと同じように。5月からと同じように、二人の百合霊と一緒に。

阿野と、比奈。今日はこの二人も一緒に。

屋上に行って、お昼を食べよう。

阿野藤

あらら。

今日は私だけじゃなくて、阿野と比奈もいるからと、いつもの座ってるベンチだとちょっと狭いかと思って持ってきた、レジャーシートを広げていた時。

遠見結奈

どうしたの?

阿野藤

あ、いや、なんでもない……、ってわけじゃないんだけど。

広げるのを手伝ってくれていた阿野がなにかに気付いたような声を出したので、聞いてみた。

阿野藤

なんだか、幽霊さん、ちょっと雰囲気がちがうみたいで。

遠見結奈

……そんなこと、わかるの?

阿野藤

いや、あのね? わかるってわけじゃないんだけど、ちょっとこないだと色がちがうかなって。

阿野藤

そ、そんだけなんだけどね? あ、いや、気がするだけですよ?

遠見結奈

……そうなの?

広げ終わったレジャーシートに腰を下ろしてから、私はサチさんと恵の方を振り返った。

確かに、狭い感じはするけど、ベンチに三人、座れないことはない。阿野と比奈と私だけなら。

でも、今日はみんなで一緒にお昼を食べたかったから。サチさんと恵も一緒に座れるようにと思って持ってきたレジャーシート。

後片付けさえちゃんとすれば、怒られもしないだろうと思って。そのシートの上にすでに座っている恵の反応は。

永谷恵

べ、べ、別にそんなこと、な、ないわよ。

確かに、いつもとちがっていた。

永谷恵

ちょ、ちょっと、み、見えるかと思って、調子に乗ってるんじゃない?

遠見結奈

……くっ、ふふ。

永谷恵

な、なにがおかしいのよ、結奈!

遠見結奈

ごめん、すごいカチコチなんだもの、恵。どうしたのよ。

永谷恵

どど、どうもしてないわよ!

榎木サチ

恵ったら、朝からずっとこうなのよ。今日のことがすごく気になってるみたい。

遠見結奈

ああ……。

この子でも緊張することがあるんだって思った。私も緊張というか、落ち着かない気持ちではあるけど、恵を見てると、逆に力が抜けてくる。

榎木サチ

今日というか、今夜のことね。そんなに意識しなくてもいいって言ってるんだけど。でも、やっぱり緊張するわよね。でも、あまりそわそわしててももたないし。

榎木サチ

ああでも、やっぱり意識はしてしまうものかしらね。こういうのってやっぱり女の子にとっては大事なことだと思うし。でも、意識しすぎてもよくないとは思うけど。でも……。

……もしかして、サチさんもかなり緊張している?

私から見れば、けっこう好き放題やってきた二人だと思うんだけど。それでも、緊張するんだって思うと、ほっとする。

狛野比奈

結奈ねぇ、お腹空いた。

遠見結奈

はいはい。

私には比奈がいるし。サチさんと恵のことが見えないだけあって、比奈はほんとマイペース。

それに引き込まれるようで、私も落ち着くことができる。

遠見結奈

はい、どうぞ。

永谷恵

え……?

榎木サチ

あら……。

広げたお弁当は、比奈と阿野用のホットサンドの詰め合わせと。

サチさんと恵のために作ってきたもの。

永谷恵

カルボナーラスパゲッティ!

榎木サチ

芋なますね。結奈さん、憶えていてくれたのね。

遠見結奈

ええ。ちょっとアレンジしてありますけど。

さすがにカルボナーラスパゲッティをそのままお弁当にすることはできないから。

茹でたパスタを、よくお湯を切ってから密封式のパックに入れて。ソースは少しゆるめに作って、家庭科室の電子レンジを借りて温めてきた。

これであえれば、なんとかカルボナーラと言い張れるはず。恵のイメージとはちょっとちがうかもしれないけど。

後乗せのチーズと胡椒を振りかければ風味も出るし、おいしいはず。

サチさんのリクエストの芋なますは、ネットで作り方を調べて、練習しておいた。

ジャガイモの千切りを水でさらして、炒めつつ酢を加えて砂糖とちょっとの塩で味を調える、らしい。

砂糖が先か酢が先か、よくわからなかったので両方試してみた。酢が先の方がシャキシャキした感じに仕上がるので、今日はそっちの方で仕上げてみた。

あと、それだけだとさびしいので、ごま油で炒めてナムル風に味付けしたのと、タマネギを加えてオリーブオイルでマリネ風にしたのも作ってみた。

遠見結奈

アレンジ版の方は、サチさんのお口に合うといいんだけど。

榎木サチ

とてもおいしそう。ぜひ、いただくわ。ね、結奈さん、早く早く!

遠見結奈

はいはい。

サチさん、そうとううれしいみたい。背中から私に抱きついてきてる。恵がにらんできてるのが気になるんだけど。

遠見結奈

いただきます。

みんなでそう手を合わせてから、お弁当を食べ始める。

榎木サチ

あ……、懐かしくて、とてもおいしい。この歯ざわりが好きだったの。

やっぱり。食感を優先して正解だったみたい。

遠見結奈

んく、……味付けどうですか? いろいろ調べたけど、よくわからなくて。

榎木サチ

私がよく食べてたのは、もう少し甘かったけど……。これもおいしいわ。酢がきつくないのがいいわね。

そのへんは、昔より酢の風味が変わっているからかな。

榎木サチ

次は、そっちの、ええと……、なむる風のにしようかしら。それとも、まりね風のに……。

永谷恵

結奈……、わたしも食べたいんだけど。早くして、冷めちゃうじゃない。

遠見結奈

サチさんに言ってよ。私の体は一つしかないんだから。

まさか、体の取り合いされるとは思わなかった。文句を言いつつも、恵だって芋なますを味わっているくせに。

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阿野藤

おやおや、結奈のまわりに幽霊さんがぴったりくっついてるみたい。

阿野藤

……比奈ちゃん、見える?

狛野比奈

見えない。

阿野藤

結奈ねぇ、大人気ですよ?

狛野比奈

んー……、結奈ねぇが人気あるの、当たり前だもん。

阿野……、私がサチさんと恵の相手で手一杯なのをいいことに、好きなこと言って……。

比奈の様子はどうだろう……。ちょっといつもとちがう顔、してる気がする。あまり見たことない顔。

阿野藤

ヤケちゃわない?

狛野比奈

んー……、別に。

阿野藤

おやおや~。

あまり比奈をからかわないでよ、阿野。

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永谷恵

わ、これもカルボナーラなの? うん、でも、確かにそんな感じ。おいしいじゃない!

遠見結奈

よかった。さすがに、工夫しないとお弁当にはできないんだもの。

永谷恵

結奈ってほんと、料理だけはうまいのね。

だけってどういう意味よ。まぁ、他に取り柄っていうほどのもの、ないけど……。

狛野比奈

結奈ねぇ、そっちのも、食べていい?

遠見結奈

ええ、いいわよ。

阿野藤

あ、あたしもあたしも~。

比奈と阿野からも、カルボナーラに、芋なますに箸がのびる。

永谷恵

あ、ちょっと! そんなに持ってかないでよ!わたしの分が減っちゃうじゃない!

遠見結奈

ちょっと恵、そんなに引っ張らないでよ! ちょっと多めに作ってきてるから!

永谷恵

でも、でも!

遠見結奈

第一、私一人で、あなたとサチさんの二人分なんて食べられないんだから!

榎木サチ

結奈さん、次、まりね、まりね!

遠見結奈

あーもう!

見た目はたった三人でレジャーシート広げて騒いでいるわけだけど。

でも、確かに私には、みんなで食べるお昼。この屋上で初めて、一緒にお弁当を食べてる。

思ってもみなかった。半年前までは。

こんな風に、おしゃべりしながら、ちょっと騒ぎながら、お弁当を食べるなんて。

食後に、阿野の持ってきた飴をみんなでなめながら、ちょっとぼんやりと遠くをながめて、午後の授業が始まるまで、なんでもないことを話しながら過ごすなんて。

いつもより、少し長めに、ちょっと念入りに、お風呂に入ってきた。

体を貸すだけ。自分のことじゃないってわかっていても、どうしても気になる。ちょっとでもきれいにしておきたい。

できるだけ、具体的に考えないようにしてるけど、意識はしてしまう。とうとう、この時が来ちゃったという感じ。

授業が終わって、一度、家に帰ってきた。そして、お風呂に入った。

あとは、下校時間の間際にあわせて、もう一度、学校に戻るだけ。

比奈は、部活でそのまま、学校に残ることになってる。……あの子、ちゃんと部活のあと、シャワー使うかな? 言っておけばよかったかな?

今からケータイで伝えておこうかな……。

遠見結奈

……やめとこ。なんだか、意識過剰みたいだし。

いや、実際、今日一日、なんだかずっと、このあとのことを意識してる。

意識しながらも、それでもいつも通り、いつも通りって言い聞かせながら、過ごしていた気がする。

遠見結奈

なにか、変な態度、出てなかったかな、私……。

今さら、気にしてもしょうがないんだけど。

遠見結奈

はぁ……。

息をついて、ちょっと気持ちを切り替える。

これから、また学校に行くまでの、ちょっと空いた時間。なにするか、ちゃんと考えなきゃ。

まず、今日はこれからずっと、学校にいるんだから。夜、泊まって、明日の朝まで。

だから、学校で食べる夕ご飯、お弁当で用意しておかなきゃ。特に比奈は部活のあとだから、お腹を空かせているはず。

あんまり食べ過ぎて、お腹、ぽっこりするのも恥ずかしいから、ちょっと量は抑えてもらって。

簡単に食べられるものがいいから、おにぎりかサンドイッチがいいかな。一応、歯ブラシも持っていこう。比奈の分も。

遠見結奈

うん、おにぎりでいいか。

だったら、そんなに手間はかからない。あとは、お父さんとお母さんの夕飯のおかず、作っておかないと。

今から、ご飯を炊いて、料理して。あんまり、時間、ないかも。さっさと始めないと。

そう、段取りを頭の中で整えて。

私は、台所に戻ろうとして、足を止めて。

机の前で、立ち止まる。

遠見結奈

………………。

机の上の、小物入れから、鍵を拾い上げる。机の引き出しの鍵。

それを、差し込んで、ひねる。カチリと音がして。

机の引き出しを開ける。そこには、プリントアウトした写真と、賞状。

あの日の、写真と、賞状。みんなで集まって撮った写真。優勝のカップを持った私が、笑ってる。料理部のみんなが、笑ってる。

大会の表彰式のあとの、みんなで撮った写真。無邪気に喜んで、笑った顔でカメラに写った。

遠見結奈

カップ、どこにしまったっけ……。

机の上に、賞状と写真を置く。カップは、クローゼットの中にあった。箱に入って、隅っこに。

それを取り出して、机の上に。個人用のレプリカ。本物は学校に預けちゃったから。でも、みんなで優勝してもらったもの。

遠見結奈

とりあえず、よし。

遠見結奈

賞状と写真は、あとで入れるもの、用意しておこ。

久しぶりに見たカップはありふれたデザインで、台座に私たちの学校の名前が刻まれている。レプリカだから、リボンも単なる飾りだけど。

遠見結奈

うん、もう、大丈夫。だよね。

胸の痛みは少しだけ。それ以上に、懐かしい。優勝って発表された瞬間のことが、思い出される。

わってみんなで叫んで、抱き合って、そして、ちょっと泣いて。

遠見結奈

……さ、準備、しよ。

ずっと、見るのがいやだった。だから、しまい込んでおいた。見ると、辛くなるから。苦しくて、仕方なくなるから。

でも、もう、大丈夫。あの日より、少し、自信が持てる自分がいる。

それは、この半年間で思い出したもの。取り戻したもの。

ついこないだ、手に入れたもの。

遠見結奈

こ、こんばんは……。

網島茉莉

お、結奈ちゃん、いらっしゃい。……あはは、まだそんなにビクビクしなくていいよ。

稲本美夕

まだ、残っていても怒られる時間でもないわ。適当に座ってゆっくりしていって。

遠見結奈

は、はい。

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と言っても、あと少しで下校時間のはず。

その時間に合わせて学校に戻ってきた私は、まっすぐに雲見櫓にある陸上部の部室に向かった。網島先輩と稲本先輩がいてくれて、ちょっとほっとした。

学校に忍び込んで泊まり込むといっても、夜中の学校に門を越えて入るわけにはいかないから。

下校時間の前から、どこかに潜り込んで、夜まで時間をつぶすという方法を考えて、他にあてもなくて、この二人に頼んでみた。

怪しまれても仕方ないと思っていたんだけど、あっさりとOKしてくれて、こうして協力してくれて。

引退したのにわざわざ、今日、こうして部活に顔を出して私たちの潜入に力を貸してくれた。

学校に泊まってみたいって言っただけだけど、それだけで理解してもらえるのも、なんというか。話が通り過ぎるのもちょっと困るというか、恥ずかしいんだけど。

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稲本美夕

比奈なら今、部活が終わってシャワー使ってるところよ。

網島茉莉

ちゃんときれいにしておいでって言ってあるからね。

ほんとに、理解がありすぎる。ありすぎて反応に困る。

稲本美夕

ああ、そうそう。はい、結奈ちゃん。

遠見結奈

え?

稲本美夕

これ、ここの部室の鍵と櫓の入り口の鍵。下校時間後の見廻りは、内側から鍵をして、電気を消しておけばやり過ごせるはずよ。

稲本美夕

あとは、明日、帰る時に両方とも、鍵を閉めておいてね。鍵は比奈に預けてくれればいいから。

遠見結奈

あ、はい。……でも、この建物の鍵って、よく手に入りましたね。

網島茉莉

あはは、それはね。

網島茉莉

これ、合鍵なんだ。運動部の部長たちの間で、代々受け継がれているんだよ。あるとなにかと便利だからね。

遠見結奈

え、そ、それって……。

網島茉莉

もちろん、学校には内緒って建前。ま、バレてるんじゃないかな? この学校出身の先生もいるしね。ま、問題起こさなきゃ大丈夫だよ。

その問題になりそうなことをしようとしてるわけだけど。

稲本美夕

そういうわけで、戸締まりだけはちゃんとやっておいてね。

遠見結奈

はい。お借りします。

鍵を二つ、稲本先輩から受け取って。

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これでいよいよ、後がないというか、逃げ場がなくなったというか……。もうこの二人にも泊まることを知られてしまったし、今さら帰ることもできない。

今になって、だんだん、緊張してきてる。これからすることを想像しようとして、押さえ込む。

いくらサチさんたちに憑依されて体を貸すだけだといっても、するのは私たちの体なんだし……。

ど、どんなこと、するんだろう。されるんだろう? 比奈と、私とで……。

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網島茉莉

結奈ちゃん。

遠見結奈

あ、はい。

網島茉莉

あんまり、緊張しない方がいいよ。ま、気持ちはわかるけど。

稲本美夕

茉莉、あんまりからかわないの。結奈ちゃん、ますます固くなっちゃうわよ。

遠見結奈

……!

顔、赤くなりかけてるの、バレていそう。いや、赤くなってなくても、この二人には見透かされてるみたい。

網島茉莉

ま、相手は比奈なんだし、リラックスしなよ。一緒の布団で寝たこととかあるでしょ? 普通にさ。

遠見結奈

え、ええ……。

あ、なに素直に答えてるんだろう、私。

網島茉莉

そこまでは一緒だよ。あとはちょっとこちょこちょするだけだと思っておきなって。

遠見結奈

コ、コチョコチョ……。

具体的なんだか、そうでないんだか。でも、なんとなく想像につながりそうで、また。

網島茉莉

あ、あとそれから。

遠見結奈

は、はい……?

網島茉莉

あんまり、無理してしようと思わなくていいからね?

遠見結奈

む、無理って……!

も、もう、網島先輩、やめてほしい。稲本先輩、早く止めてくれないかな……。

稲本美夕

ちょっと茉莉。

あ、よかった。ほんとに、助けてほしい……。

稲本美夕

アドバイスになってないわよ。あのね、結奈ちゃん、絶対指入れなきゃいけないってことはないのよ?

遠見結奈

ゆ、指!?

稲本美夕

道具なんて使わなくてもなんとかなるもんだから。

遠見結奈

ど、道具って……。

網島茉莉

そうそう。あ、ケータイって案外簡単に壊れるから、気をつけた方がいいよ?

遠見結奈

あ、あの……!

も、もうやだ、この人たち……。

網島茉莉

っと、そろそろ下校時間だね。比奈も戻ってきそう。

稲本美夕

あら、じゃ、アドバイスはこのくらいにしておこうかしら。

遠見結奈

………………。

か、からかっただけだ、この人たち。いいように反応する自分も情けないんだけど。

網島茉莉

冗談はおしまい。ね、結奈ちゃん。

遠見結奈

は、はい……。

網島茉莉

なんにもしなくてもいいと思うよ。比奈と一緒に、仲良くしてればね。

稲本美夕

そうね。一晩中、おしゃべりして過ごすだけだって、比奈は喜んでくれるわよ。

遠見結奈

は、はぁ……。

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もし、比奈と私だけだったら、それでもいいかなって思ってしまう。

ただ、今日は私と比奈だけの夜じゃないから。サチさんと恵のための夜。だから、学校に来た。学校で夜を過ごすことを決めた。

覚悟ってわけじゃないけど、少しだけ、二人にこの日の提案をした時の気持ちを思い出す。

うん、まぁ、なんとかなる。できることをしてあげたいって思ったんだから。

狛野比奈

戻りました……。あ、結奈ねぇ!

部室のドアが開いて、比奈が入ってくる。シャワーを浴びた直後、髪に水気を残したまま、私の方に寄ってくる。

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網島茉莉

お、比奈、来たか。

狛野比奈

ん。

稲本美夕

それじゃ、私たちは帰るわね。

遠見結奈

あ、はい。あの、今日は本当にありがとうございます。

稲本美夕

いいのよ。私たちも協力できてうれしいわ。

網島茉莉

それじゃ、比奈、がんばるんだよ。

狛野比奈

ん。

稲本美夕

じゃあね、結奈ちゃん。ごゆっくり。

遠見結奈

は、はい……。

そう言って、網島先輩と稲本先輩は二人並んで、帰っていった。

残されたのは、私と比奈の二人だけ。でも。

もう少ししたら、サチさんと恵が来るはず。それから、しばらくここで時間をつぶして……。

夜中になるのを待つ。サチさんと恵のための夜を……。

永谷恵

う、うわ……。お布団、敷いてある……。

遠見結奈

……網島先輩と、稲本先輩の仕業よね、これ……。

気を利かせてくれたのかな。それとも、からかってるのかな。

使っていいよって言われた雲見櫓の2階の和室。夏合宿の時、私が使っていた部屋だ。

そこに、お布団が二つ、並んで敷いてある。あ、ありがたいんだけど、最初から用意されていると、なんだか……。

遠見結奈

うわ……。

狛野比奈

ん? どうしたの、結奈ねぇ。

遠見結奈

な、なんでもない……。

端っこに寄せてあった机の上に、さりげなく、袋のティッシュとウェットティッシュが置いてある……。

あの人たち、経験豊富な分だけ、気遣いがなんだか、な、生々しい……!

陸上部の部室でひっそりと時間を潰して、今、日付がちょうど変わったころ。

途中、7時くらいに一度、先生が下校の確認に、そして、9時くらいに、戸締まりの確認に来たけど、息を殺してやり過ごした。

スパイ映画みたいなんて、恵は気楽なこと、言ってたけど。私は見つかったらどうしようと、ずっとドキドキしていた。

そして、もう、校内に誰も残っていないだろうと思って、こうして、2階の部屋まで来たわけだけど。

カーテンを閉めてあるから、明かりは漏れないと、思う。いちばん小さなランプだけ、つけてみたら。

部屋が、こうなっていて。

榎木サチ

あら、わざわざ、用意していてくれたのね、茉莉ちゃんと美夕ちゃん。

遠見結奈

みたいですね……。

お願いだから、机の上のものに気付かないでほしい。説明なんてできないから。

榎木サチ

えっと……。

部屋の様子を見ていたサチさんの声が、途切れる。

遠見結奈

………………。

わ、私も、なにも言えなくなる。だって。

永谷恵

………………。

こ、このあとすることって、その……。どうしよう、どうやって切り出せばいい? 私から言えばいいの? どうすれば……。

狛野比奈

……結奈ねぇ。

段取りを考えようとしてなにも思いつかない私の腕を、比奈がひいた。

遠見結奈

な、なに?

狛野比奈

それで、どうするの?

遠見結奈

ど!? あ、う、うん、えっと……。

どうするって、そんなストレートに聞かれても! なんで比奈はそんな、いつもと変わらないのよ!

榎木サチ

……ふふ。

一気に頭に血が上った私の耳に、サチさんの小さな笑い声が。

榎木サチ

そうね。そろそろ始めましょうか。

永谷恵

は、はい!

遠見結奈

は、はい……。

立ってても仕方がないから、床に座っていた私と比奈の目の前に、サチさんと恵が座り直す。

今まで、何度か。だいたい、二人が食べたいものを食べる時とか、行きたいところに連れて行く時とかに、憑依されたことはある。

その時は、ちょっと体の感覚を貸すだけだった。でも、一度だけ。

憑依ってどこまでできるのか、実験のために、恵に取り憑かれたことはある。その時は、自分では指だって動かせないのに、体は勝手に、歩き回る、そんな感覚を味わった。

その時は、怖くなって、もう絶対やっちゃダメってことを約束してもらったんだけど。

今日、これから、またそのくらい、取り憑かれるんだろうな。

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榎木サチ

それじゃ、二人とも……。

永谷恵

よ、よろしくね……。

遠見結奈

う、うん……。

自分から言ったことだし、覚悟していたこと。でも、やっぱりちょっと怖い。

これから、幽霊に取り憑かれるなんて。そして、取り憑かれたまま、その、比奈と……。

遠見結奈

ひ、比奈……。

思わず、比奈の手を握る。

狛野比奈

……結奈ねぇ。

遠見結奈

う、うん、あのね、怖くないからね。その、ちょっと、体がふわふわするかも。それから……。

狛野比奈

……この人が、サチさん? 恵さん?

遠見結奈

……え!? 比奈、見えてるの!?

確かに、比奈の視線は、比奈の目の前にいる恵に向かってる。はっきりと、見ている。

狛野比奈

ん。白い服の人と、黒い服の人、いるよ。急に、出てきた。

遠見結奈

そ、そう……。う、うん、比奈の目の前のが、恵で、私の目の前の人が、サチさん。なんだけど……。

狛野比奈

ん、そっか。えっと、比奈です。よろしくお願いします。

永谷恵

え? えっと、う、うん。な、永谷恵です。よ、よろしくお願いします……。

榎木サチ

榎木サチよ。その、今日はよろしくね、比奈ちゃん。

なんだか、もう一度、自己紹介のやり直し。これからって時に、間が抜けてる気もするけど、なんだか、比奈らしいマイペースに。

私も、少し、緊張が解けた気がした。ほんとに、この子ってすごいとこがある……。ほんとに、これから……。

狛野比奈

んー……、これって、せーこちゃんカット?

なにするのか、わかってるのかしら。比奈は、目の前にいるのが幽霊だっていうのに。

これから、取り憑かれて、それで、その、Hするっていうのに。そんなこと、なんでもないって感じで、恵の髪型を見てて。

永谷恵

え? あ、べ、別にそういうわけじゃ……。ふ、普通の髪型だと思うけど。

遠見結奈

比奈、よく知ってるわね。

狛野比奈

お父さんが子供のころ、大ファンだったって。

永谷恵

……そ、そう……。な、なんだかショックぅ……。

遠見結奈

……はぁ。

うん、すごい、気が抜けた。もし、わかってやってるんだったら、ほんとにすごいな、比奈って。

でも、わかってるわけじゃないんだろうな。うん、それもすごい。

遠見結奈

サチさん。

榎木サチ

あ、はい。なぁに?

遠見結奈

お待たせしました。なんだか、リラックスできちゃった。

榎木サチ

そ、そう。

遠見結奈

始めましょ。その、やっちゃってください。

榎木サチ

……そうね。それじゃ、お借りするわね。

永谷恵

お、お邪魔します。

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そう言って、サチさんが、私の目の前に。恵が比奈の目の前に。

すぐ、間近に寄ってきて。そして。

キスするみたいに、近づいてきて。目を閉じた瞬間に。

すぅっと体が、軽くなった。

榎木サチ

(体が、重い……)

いいえ、これは不調による倦怠感とか、そういうものじゃない。

とても、懐かしい、感覚。そう。

まだ、生きていたころの、感覚。自分の体をちゃんと持っていた時の。

榎木サチ

………………。

自分の、手を見る。その小さな動きにさえ、重みを感じる。

目に映るのは、私の、手。そして、黒い制服の裾。

榎木サチ

(ああ、これ、私の手だ……)

榎木サチ

(そう、私……、完全に結奈さんに憑依してしまったのね。自分の体を映し出してしまうほど)

永谷恵

あ……、すごい、体が重い……。

すぐ隣で、声がした。愛しい恵の声が。

榎木サチ

恵……。

振り向けば、そこには恵の姿が。白い制服。ちょっと茶色がかった色の髪。愛くるしい顔の、私の恋人。

永谷恵

あ、サチさん……。

その恵も、私を見た。そして、とてもうれしそうに笑ってくれた。

永谷恵

サチさんだぁ……。

見慣れた顔なのに。姿なのに。ただ、実体を仮初めに得ただけなのに、なんて新鮮なのかしら。

そして、なんて胸が高鳴るのかしら。

手を伸ばせば、触れることができる。それだけなのに。でも。

榎木サチ

ずっと、この瞬間を待っていたのね、私……。

榎木サチ

あなたに、触れることのできる、この時を。

永谷恵

……わたしも、サチさん。

永谷恵

サチさんに、抱き締めてもらえる時を、ずっと、待ってた……。

今、私たち二人は、体を持っている。触れて、確かめることのできる体を。

結奈さんと比奈ちゃんから、借り受けている。

榎木サチ

恵……、比奈ちゃんは大丈夫?

永谷恵

え? 比奈ちゃん? えっと……。

恵にそう問いかけながら、私も結奈さんを捜す。見失ったら、この体を返すことができないんじゃないかと思って。

榎木サチ

(結奈さん……)

自分の意識の中を捜して回る。

榎木サチ

あ……。

そして、目を閉じれば、この意識の片隅で。

ゆったりと体を宙に浮かせて、目を閉じている結奈さんがいた。

榎木サチ

よかった、いたわ……。

永谷恵

あ、いた。比奈ちゃん、隅っこの方にいました。なんか、寝てるみたい。

榎木サチ

ええ、そうね。私の中でも、結奈さん、眠っているみたいだわ。

ほっと、安堵する。これなら、目を覚ましてくれた時に、体を返せるかしら。

永谷恵

なんだぁ、つまらないの。せっかく、わたしとサチさんが、お手本見せてあげようと思ったのに。

榎木サチ

あら、恵は二人に見せてあげたかったの?

永谷恵

え? あ、いや、やっぱイヤ。サチさんと二人の初体験を、のぞかれたくないです。

榎木サチ

ふふ、私たち、勝手ね。今まで、いろんな子たちのを、見てきたのに。

永谷恵

えっと、だってそれは、仕方ないことだったんですよぉ。今は……。

榎木サチ

ええ。私も、恵と二人っきりがいいわ。

永谷恵

サチさぁん……。

恵が、私に身を寄せてくる。

榎木サチ

恵……。

私は、その恵の頬に、そっと手を当てて。少しだけ、顔を上向かせ。

榎木サチ

ん……。

唇を、重ねた。

永谷恵

ん、ん……。

ああ、私の唇に、恵の唇が触れている。やわらかな、感触が伝わってくる。

膝の上で重ねた手から、恵の温もりが、伝わってくる。

永谷恵

ん……、ん、はぁ……。

榎木サチ

……ふぅ……。

唇が離れて、閉じていた目を開く。ほぼ同時に、目を開く恵の顔が見える。

榎木サチ

これが……、キスなのね。

永谷恵

ええ……。キスって、こんな感じだったんですね……。

何度も、してきたことなのに。

でも、今までのキスは、一度もこんな気持ちを伝えてきてくれなかった。

唇から伝わって、胸を締め付けるような、そして、暖かくするような。鼓動を、速くするような。

こんな、気持ちを。

永谷恵

唇が触れ合うって、こんな感じだったんだ……。

榎木サチ

ええ、そうね……。

そんなことも知らなかった、私たちは。キスさえ、知らずに幽霊になったのだから。

ただ、唇を重ねるだけということしか、知らなかった。だから、ただ、お互いの顔を、近づけていただけだった。触れ合う距離にまで。

それだけでも、うれしかったし、それだけでも、恵が愛おしくなれた。でも。

ここまで、息苦しく、そして、幸せにはなれなかった。

榎木サチ

結奈さんと比奈ちゃんのおかげね。やっと、恵と、ほんとのキスができたのね。

永谷恵

ええ、そうですね……。すごい、ドキドキする……。

この、胸の高鳴りさえ、伝えてくる体があればこそなのかもしれない。

榎木サチ

忘れていたわ……。こんな、感じ、こんな、気持ち……。

永谷恵

わたしも……。もう、ずっと前のことだから……。忘れてた……。

少しだけ、あの人のことを思い出す。ただ、あの人を見つめていただけの日々を。

そうね、この気持ち。これは、あの時も感じていた気持ちなのね。

榎木サチ

それを、今……。

永谷恵

……? サチさん?

榎木サチ

あなたに、感じることができるのね、恵。私、幸せだわ。あなたに、会えて。

永谷恵

……! サチさぁん……!

抱きついてくる恵を受け止めて。もう一度、キスをする。また、伝わってくる感触が、体中を駆け巡る。

永谷恵

……ん、はぁ……。

そっと、恵が唇を離す。その瞬間の寂寥も、今は、胸にしみて、心地よい。

永谷恵

……サチさん。

榎木サチ

なぁに?

永谷恵

わたし……、イヤな子だな……。今……、わたし。

永谷恵

このまま、ずっと、体を返したくないって思ってる。比奈ちゃんに、結奈に、体を返さなければ、ずっとサチさんとこうしていられるって、考えちゃった……。

榎木サチ

恵……。

その言葉は、私の胸にも刺さる。

永谷恵

自分勝手だな……、わたし……。こんなこと、思っちゃうなんて……。

永谷恵

ヤだな……。結奈に、あきれられそう……。サチさんに……。

永谷恵

嫌われそう……。

榎木サチ

ううん、そんなことないわ。

私はそっと、恵の頬をなでる。

榎木サチ

嫌いになんて、なるわけないでしょう?

そう、感じているのは、ただ、愛おしさだけよ。

永谷恵

でも……。

榎木サチ

私も、同じことを思っているわ、きっと。恵の方が少しだけ、早く気付いてしまったのね。

永谷恵

っ……。

そう。私もきっと、同じことを思う。考える。こんな気持ちになれることを知ってしまったんだから。

榎木サチ

でも、恵はちゃんと、わかっているわ。それが、許されないことを。だから、言ってくれたんでしょう?

榎木サチ

言葉に出して、自分を戒めたんでしょう?

永谷恵

そう、なのかな……。

榎木サチ

ええ、そうよ。

そんなあなただから、私は大好きなのよ。

榎木サチ

ねぇ、恵。

永谷恵

はい……。

榎木サチ

初めて、言葉を交わした日のことを、憶えてる? あなたが私に、告白してくれた日のことよ。

永谷恵

え……? はい……。

榎木サチ

私、あの時はまだ、あなたのこと、なにも知らなかった。あなたも、私のこと、なにも知らなかったでしょう?

永谷恵

……はい。

互いに、姿を見ていただけだったから。言葉を交わせるようになったのは、あなたが私と同じ、幽霊になってからだったから。

榎木サチ

でも、私はあなたを好きになれた。

榎木サチ

あなたも、私を好きになってくれた。私たち、恋人同士になれたわ。

永谷恵

はい……。

榎木サチ

それからずっと、長い間、二人で過ごしたわね。そして、少しずつ、お互いのこと、わかってきて。

屋上から、学校をながめながら。この学校に通う子たちの日々を二人でながめながら、過ごしてきた。

榎木サチ

それでも、私、あなたのこと、ずっと好きでいられたわ。かわいい私の恋人だって。

永谷恵

……わたしも。サチさん。

榎木サチ

ね、そうでしょう。ついこないだまで、お互いに言えなかったことさえあったのに、ね。

永谷恵

はい……。

榎木サチ

その秘密を打ち明けあっても、変わらなかったわ。だから。

榎木サチ

今、こうしていられるのよね。

永谷恵

……うん……。

榎木サチ

もう一度、言うわ、恵。私、あなたに会えて、よかった。

永谷恵

わ、わたしも……! サチさんに会えて、よかった。好きになって、よかったぁ……。

榎木サチ

いつまでも、一緒よ、恵。

永谷恵

は、はい……。ずっと……、ずっと、一緒です、サチさん。

ええ、一緒に。どこまでも、ずっと、いつまでも、ずっと。

私たち、一緒にいましょうね。

今日、今、これからも。

永谷恵

あ……、ふぁ……。サチさぁん……。

榎木サチ

ん、ふぅ……、あぁ……。恵……。

私は、恵の上に、体のちょうど半分だけ、覆い被さって。

永谷恵

ふぁ……、ん、ふぅん……。

榎木サチ

ん……、恵……。

その頬にキスをしながら、体中にさわっていく。

永谷恵

サチさん、サチさぁん……。

恵は、私にすべてを委ねてくれる。私は、その恵のすべてに触れていく。

榎木サチ

ん、はぁ……。あ、ん、んん……。

永谷恵

あ、あぁ……、ん、んん……。

結奈さんに手伝ってもらうようになってから。

いろんな子の想いが、うまく結びつくように願いながら、そっと手を差し伸べる。そんな毎日を過ごしてきた。

でも、彼女たちは、私が思っていたよりもずっと強くて。

私たちの手伝いなど、本当は必要ないと思えるくらい一途で、時には迷いながらも、つまずながらも、相手に想いを伝え、そしてそれを強いものにしていった。

そして、深くお互いを結びつけることができた。私たちはそれを、見てきた。

最初は恵が。

夏合宿中の放送室で、羽美ちゃんと沙紗ちゃんが結ばれるのを見た。

たどたどしく、おそるおそる、お互いに触れあっていた。

次に、私が。

学園祭の前日、牧ちゃんと美紀ちゃんが、奥校舎の休憩室で、お互いを重ね合わせるのを見た。

牧ちゃんが勇気を振り絞って、そして、それを美紀ちゃんが受け入れていた。

学園祭の夜に、恵が、数理部の部室で、園生先生と桐ちゃんが肌を重ねるのを見た。

園生先生が、桐ちゃんを優しく、導くのを。

そして、二人で。

正門の上の太鼓櫓で、陽香ちゃんと愛来ちゃんが結ばれるのを。

陸上部の部室で、茉莉ちゃんと美夕ちゃんが、お互いの気持ちを確かめ合うのを。

見てきた。

みんな、みんな。

精一杯に、思いの丈を相手に投げかけ、受け止め、そして、重なり合っていた。

そして、私たちは知ることができた。

こうやって、心も、体も、重ね合わせる術を。

永谷恵

ん、んん……、ふぅん……! サ、サチさぁん……。

途切れながら、私を呼んで、身を任せてくれる恵を。

榎木サチ

ん、はぁ……。恵……。

私は抱き締める。

永谷恵

サチさぁん……。さ、さわって……。ん、ふぁ……、あ……。恵に、いっぱい、さわって……。

榎木サチ

ええ……。あなたも、さわって……。私に、さわって……。

永谷恵

あ、ん、ふぁ……! だ、だめぇ……。サチさんがいっぱいで……。そんなこと、できない……。

榎木サチ

抱き締めてくれるだけで、いいの……。離さないでいてくれれば、いいの……。ん、はぁ……。

永谷恵

んんっ! あっ、はぁ……。は、はい、サチさん……、サチさぁん……!

私の肩に、恵の腕が回される。そして、その腕が私を抱き締める。

榎木サチ

あぁ……、はぁ……。め、恵……。

その腕が、抱き締められる感触が、触れあう肌が、心地よく、そして、私の体を熱くさせる。

永谷恵

あ、ん、はぁ……、サチさぁん……。んん……、んぁ、あ、はぁ……。

抱き締めてくる恵の肌も、熱い。その口から漏れる息も、声も。

永谷恵

……あっ……。

どれだけ、キスをしても。どれだけ、肌に触れても。私の中の熱は収まらなくて。ただ、熱くなるばかりで。

だから、その熱にまかせて、私は。手を……。

恵の、大事な場所に。お腹からすべらせて、その下にある。

永谷恵

サ、サチさん……。そ、そこ……。

榎木サチ

ええ……。あなたの、大切な場所、ね……。

耳元で、そう囁いて、触れる。

永谷恵

んくっ!

恵の、女の子そのものの場所。今は、私だけが触れられる場所。

いちばん深く、愛を確かめられる、場所。

榎木サチ

指は、入れられないわよね。

永谷恵

え、ええ……、うん……、そう、ですね……。

やわらかい肌を、そっと押し開けばできるのだけど。そうしていた子もいたのだけど。

榎木サチ

この体は、二人のものなんですものね。結奈さんと比奈ちゃんの。

永谷恵

うん、それに……。もし、今、サチさんにそんなことされたら……。

永谷恵

ふぅん……! ほ、ほんとに、どうにかなっちゃいそう……。

榎木サチ

そう、ね……。私もよ、恵。でも、そのかわり、いっぱいさわってあげる。キスも、してあげる。

榎木サチ

あなたも、私にさわって。キスを、ちょうだい。大好きな、恵……。愛してるわ……。

永谷恵

ふぁん……! わ、わたしも……! サチさん、大好き、愛してるぅ……!

唇を、重ねる。舌を、絡める。そんなことも、自然にできた。舌が触れるたび、恵の熱が、私に流れ込んでくる。

榎木サチ

あっ……、は、はぁ……。ん、んんっ……、ん、はぁ……。

たくさんの、キスを。今日のために交わしてきた言葉に代えて。

永谷恵

んんっ! あっ、ふぁっ、あっ、んあああっ!

たくさんの、指を。今夜のために積み重ねてきた想いを込めて。

榎木サチ

はぁ、あ、あぁ……。め、恵……。あ、あぁ……、あぁぁ……。恵、恵……。

永谷恵

サチさぁん……! ん、ん、はぁぁぁ……!あっ、ん、ふぁ、ふぁぁぁ……!

今までの日々を。あなたと過ごした、30年間を。

榎木サチ

あ、はぁ……。ず、ずっと、ずっと……。

永谷恵

んんっ! わ、わたし、この日を……、待ってた……! あっ、んんっ! やぁ……!

そして、この半年を。

榎木サチ

え、ええ……。私もよ……。あなたと、こうなるのを、待ってたわ……。

永谷恵

あっ、だ、ダメ……! す、すごい、や、やぁ……。こんなの……。

重ね合わせましょう、恵。愛しているわ。いつまでも。

永谷恵

う、うれしくて……。あっ、ん、んんっ!

離さない。

永谷恵

し、しあわせ、すぎて……! ふあああっ、あっ、んんっ!

榎木サチ

んんっ……。め、恵……。わ、私を……。

ひとつに……。

榎木サチ

抱き締めて……。

永谷恵

サ、サチさぁん……! だ、だめぇ……、もう、いっぱい……! あっ、ああああっ!

なりましょう……。

永谷恵

んんっ! あっ、ふああああっ! ……っ、あっ、あ……。……ぁ……、ぅぁ、ぁ……。

榎木サチ

んっ……! はぁ……、ぁ、あぁぁぁぁ……。

最後は、途切れるように。

あなたの声が、私の声が、高く鳴いて、そして。

永谷恵

……ぁ、ぁ……。ふぁ……、ふぁぁぁ……。

榎木サチ

ん……、あ、あぁ……。はぁぁぁ……。

深いため息が耳に、降りていく。混ざり合った熱の渦が、体の中で、ほどけて、消えていく……。

永谷恵

サチさん……。

すぐそばにいるのに。重ね合わせた想いの余韻かしら。恵の声は、どこか遠くから聞こえてくるようで。

永谷恵

……あ……。

それが少し、不安に思えて、その体を抱き締める。ほら、あなたはちゃんとそばにいる。

永谷恵

……ぁ、はぁ……。

私のそばにいる。

榎木サチ

なぁに、恵……。

永谷恵

……わたし、すごい、しあわせ……。

榎木サチ

ええ、私もよ……。

永谷恵

サチさんと……、やっと、結ばれることができたんだぁ……。

榎木サチ

ええ、そうね……。

永谷恵

夢、みたい……。

榎木サチ

夢じゃないわ。ほら……。

永谷恵

ん……。

キスをする。やさしく、その、唇に。

榎木サチ

ほら、わかるでしょう?

永谷恵

うん……。ん……。

うなずいて、恵がキスを返してくれる。私は、それを受け止める。

永谷恵

よかった……。ほんとに、よかった……。

永谷恵

わたし、サチさんと……、ちゃんと、結ばれた……。

榎木サチ

ええ……。

永谷恵

ちゃんと、初体験、できた……。こんな、しあわせな……。

榎木サチ

ええ……。

永谷恵

やっと……。

そう、やっと……。

「最後に……」

……なにか、夢を見ていたような気分。

ずっと、眠っていたみたい。サチさんが私の体に入ってきてからずっと。記憶も曖昧で、どれだけ時間がたったのかもよくわからない。

ふわふわとした感覚だけ、残ってる。そっか、憑依されるってこんな感じなんだ……。

榎木サチ

結奈さん……?

遠見結奈

ん……。

うん、寝ていたところを起こされるような感じ。ぼんやりとした景色が、だんだん、はっきりしてきた。

あ……、サチさんが、私のこと、見てる。あと、恵と、比奈……。

遠見結奈

あ、比奈……。

狛野比奈

結奈ねぇ。

遠見結奈

先に、起きてたんだ……。

私が、ちゃんと起きてるの、確かめてるのかな。比奈が目の前でひらひら手のひらを振ってるから、それを握った。

うん、ちゃんと手の感覚、ある。比奈の手、ちょっとあったかい。

榎木サチ

よかった……。目を覚ましてくれて。

遠見結奈

あ、はい……。うん、もう大丈夫……。

うん、だんだん頭、すっきりしてきた。ゆっくりと体を起こして、自分のこと、確かめる。

遠見結奈

あ、よかった。ちゃんと服、着てる。裸だったらどうしようかと……。

そこまで言って、ちょっとだけ、頭の中で、おぼろげだった記憶が、はっきりして。ピントが急にあったように。

遠見結奈

う……。え、えと……。

榎木サチ

あ、ふ、服はちゃんとあとで着たのよ? その……。

か、顔が熱い。そ、そうだ、さっきまで私、裸で……。

永谷恵

ちょ、ちょっと! なんでこっち見るのよ!

遠見結奈

だ、だって!

サチさんが憑依していたけど、恵と……、いや……。

狛野比奈

ん?

遠見結奈

っ!

恵が憑依してた、比奈と……。う、うわ、ちょ、ちょっとまともに目をあわせられない!

狛野比奈

結奈ねぇ、どうしたの? 気分悪い?

遠見結奈

う、ううん! ちょ、ちょっとね! 大丈夫!

ひ、比奈は平気そう。憶えてないのかな? だ、だったらその方がいいのかな? 私も……。あんまり思い出さないようにしよう。できれば、忘れてしまいたい。

榎木サチ

その、結奈さん、ほんとに体に、おかしなところはない?

遠見結奈

え、ええ……。

榎木サチ

そう、よかった。人にこんなに憑依するの、初めてだったから。結奈さんがなかなか目を覚まさなかった時は、ちょっと心配したのよ。

遠見結奈

うん、平気です。

永谷恵

比奈ちゃんはすぐに起きたのにね。

狛野比奈

ん。

なんでだろう。個人差なのかな。まぁ、比奈は寝起きもいい方だし。

榎木サチ

でも、安心したわ。目を覚ましてくれて、よかった。

榎木サチ

なにも言わずに、行きたくはなかったから。

遠見結奈

え?

榎木サチ

結奈さん。

榎木サチ

最後に、もうちょっとだけ、付き合ってもらえる?

部屋から出て、真っ暗な階段を下りて。

鍵を内側から開けて、外に出る。

狛野比奈

どこ、行くの?

永谷恵

うん……。

比奈の問いかけに、恵が小さくうなずいただけ。

遠見結奈

………………。

なんとなく。なんとなくだけど。

これから、どこに行くのか、わかっていた。わかっていたから、小さく、胸がざわめく。

榎木サチ

ちょっと……、お散歩でいいのかしら。

狛野比奈

ん。

そうかな? 私と比奈にとってはそうかも。でも、サチさんと恵にとっても?

私の胸のざわめきが教えてくれる予感。

それは、間違ってなかった。

遠見結奈

あ……。

榎木サチ

ええ、見えてきたわね……。

校庭の端からも、それは、はっきりと、見えた。

遠くからもわかっていた。でも。

近くまで来て、すぐそばまで来てみると、それはとても、目映くて。

サチさんの慰霊樹と言われている榎の木。その木から、まっすぐに。

光の柱が、空に伸びていた。まっすぐに。どこまで伸びているのかわからないくらい。端は夜空に吸い込まれていて。

その柱からの光が、二人の体を照らしている。

私と比奈を照らすだけの光が、サチさんと恵には、まるで、注ぐように降りかかっていて、二人の体を浮かび上がらせていた。

それが、なにを意味しているのか。

なんとなく、わかる。

言い出すことのできない想いを抱えたまま、事故で死んで幽霊になったサチさん。

素敵な恋人と、心も、体も、一緒になることをずっと、望んでいた。

そのサチさんに、恋をしたまま、病気で死んだ恵。

幽霊になって、サチさんと恋人同士になって、そのサチさんとずっと一緒にいることだけを望んでいた。

遠見結奈

(ああ、そっか、ほんとに……)

遠見結奈

(二人とも、もう、この世に思い残すことなんて、ないんだ……)

遠見結奈

(そっか……)

遠見結奈

(なくなっちゃったんだ……)

成仏、なのかな、昇天、なのかな。

もう、二人、行ってしまうんだ……。

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榎木サチ

付き合わせて、ごめんなさい。でも……。

永谷恵

………………。

その光を受けながら、サチさんが振り返る。押し黙った恵の手を握ったまま。

榎木サチ

最後は、やっぱりあなたたちに、見送ってほしいから。

遠見結奈

やっぱり……。

二人とも、行ってしまうんだ。

わかっていた。知っていた。ちゃんと気付いてた。

今日、二人が結ばれるという意味を。それは、二人がもう、この世に思い残すことがなくなるということを。

もう、この学校にいる意味をなくすということを。いなくなってしまうことを。

わかって、いたのに。

榎木サチ

今まで、ありがとう、結奈さん。

榎木サチ

あなたに会えて、よかった。あなたに会えたから、私と恵は……。

榎木サチ

本当に、結ばれることができたわ。

永谷恵

っ……。

恵の目に、涙がたまっていて、それが、サチさんの声とともに、ゆっくりと頬を伝っていって、落ちていって。その涙も、今はキラキラと光の粒みたいで。

榎木サチ

ずっと、なにもできない日々を、終わらせることができた。本当に、楽しかったわ。

永谷恵

わ、わたしも……、た、楽しかったから……。

遠見結奈

うん……。

二人の言葉までが、キラキラと輝いているように聞こえた。

榎木サチ

あなたのおかげで、ただ、眺めているだけじゃない。いろんな子と知り合うことができたわ。

榎木サチ

そして、その子の想いを確かめることができた。その子が想いを、実らせるのを手伝うことができた。

榎木サチ

大切な人と、結びつくのを、見ることができた。とても、うれしかったわ。

榎木サチ

とても、楽しかった。

そう聞こえたのは、きっと、それは……。

榎木サチ

ごめんね。時には、無理なお願いもしたかと思うの。

永谷恵

わ、わたしも……! ご、ご……、ごめんね、結奈……!

永谷恵

ヤなこと、いっぱい言ったかも! だって、結奈、いっつもすました感じだったんだもん!

遠見結奈

……いいのよ、もう。

きっと、私が聞きたかった言葉だったから。そして、私も。

でも、今、私は、ただ、二人の言葉を聞いていることしか、できなくて。

永谷恵

でも、でも……! 結奈と一緒に、いろんなこと、できて、楽しかった……!

永谷恵

学校で、いろんなこと、できて……! 合宿とか、学園祭とか……!

永谷恵

わ、わたし、ずっと、見てるだけだったから……。

遠見結奈

そっか……。

サチさんは、80年、恵は30年。ずっと幽霊として、この屋上から学校を見てきた。

ただ、見てきた。私が、二人と出会わなければ。

誰とも、話すこともできず、ただ、見ているだけ。

遠見結奈

(そっか……)

遠見結奈

(楽しかったんだ……、二人とも……)

そう、楽しそうだった。

榎木サチ

ありがとう、結奈さん。もう一度、お礼を言わせて。

永谷恵

ありがと……、結奈……。

榎木サチ

他の子にも、感謝しているの。比奈ちゃんにも、阿野ちゃんにも。出会ったみんなにも。

永谷恵

牧ちゃんとか、羽美さんたちとか……、みんなに。ほんとに……。ほんとなんだから……。

遠見結奈

うん……。わかってる。

みんなに、伝えることはできないけど。でも。

榎木サチ

結奈さんの、みんなのおかげで、私、恵と一緒に、行くことができるんだから。

永谷恵

っ、う、ひぐ……。

サチさんが、もう、ぼろぼろと泣きっぱなしの恵の頭を優しくなでる。

その姿は、とても、お似合いの二人に見えて。いつまでも一緒にいる二人だと、思えて。

榎木サチ

……あ。

永谷恵

っ……!

光が、少し、強くなった。二人を包む、光が。

榎木サチ

そろそろ、お別れね……。

永谷恵

ゆ、結奈、結奈……!

遠見結奈

うん。

永谷恵

い、いつまでも、幸せにね! ほんっとに、ノロノロして、やっとくっついんたんだから!

永谷恵

ぜ、絶対に、比奈ちゃんと別れちゃ、ダメなんだからね!

遠見結奈

うん。

そう答えて、私はつないだ手を、比奈の手を、強く握る。温かく、握り返してくる、手を。

永谷恵

なんでもできるなんて余裕ばっかじゃダメなんだからね! 結奈、けっこう抜けてるかもしれないんだから!

遠見結奈

うん、わかってる。

永谷恵

い、いつまでも、ずっと……。

永谷恵

っぐ、ふ、ふぐ……!

榎木サチ

元気でね。比奈ちゃんも。いつまでも、元気でいてね。そして、幸せに、なってね。

遠見結奈

……はい。

もう、言葉が出てこない恵。サチさんがその手をずっとつないでる。

狛野比奈

ん……。

私と、比奈のように。

狛野比奈

んっと、サチさん、恵さん。

狛野比奈

じゃあね、バイバイ。……またね。

永谷恵

っ……!

榎木サチ

……ふふ。そうね、またね、比奈ちゃん。

永谷恵

ま、またって、そんな……! そんな、こと……!

榎木サチ

ううん、恵、私もそう思うわ。

榎木サチ

また、会えたらいいなって。

永谷恵

っ! ふ、ふぇ……! でも、だってぇ……!

榎木サチ

さ、恵……。ちゃんとお別れの挨拶、しましょう。

永谷恵

は、はいぃ……。

永谷恵

ひ、比奈ちゃん、結奈……!

永谷恵

さ、さよなら……。

永谷恵

ま、またね……。

遠見結奈

……うん。

榎木サチ

結奈さん、それじゃ、私たち……。もう、行くわね。

遠見結奈

……はい。

榎木サチ

さようなら。それから、またね。

遠見結奈

……はい。

永谷恵

げ、元気でね!

もう、二人がなにを言ってるのか、聞こえない。

二人の姿もはっきりと、見えない。それだけ、光があふれて、二人を包んでいて。

静かに、連れて行こうとしていて。二人は、もう、行こうとしていて。

光の中に、消えていこうとしていて。

遠見結奈

……あ……。

その、光が。

空に伸びる、柱ごと。

ゆっくりと消えていく。二人を、包み込んだまま。光は、薄れていく。

遠見結奈

……さよ、なら……。

かすれていく。朝の近い、夜の闇が、光の変わりに、榎を黒い影に染めていく。

遠見結奈

また、ね……。

手をつないだままの、私と、比奈を、残して。

サチさんと恵、二人の百合霊は、帰っていった。どこにかな。二人、一緒に。

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遠見結奈

はぁ……。

思わず出てきた息は、ほんのわずかに、白かった。

これ、なんだろう、ため息だったのかな。それとも、ほっとした息?

遠見結奈

この時間だと、もう、けっこう寒いのね。

もう朝の五時は回っているけど、まだ、朝日は昇っていない。ほんの少し、東の空が明るくなってきたくらい。

あの後、部屋を片付けて、荷物を片付けて、鍵をちゃんとしたのを確認して、学校を出た。

狛野比奈

ん。そだね。

比奈と並んで、椿小路を歩いている。手をつないで。

遠見結奈

比奈、寒くない?

狛野比奈

ん。平気。だいじょぶ。

遠見結奈

ジャージなのに、よく平気でいられるわね。やっぱり、鍛え方がちがうのかしら。

狛野比奈

ジャージって、けっこう暖かいんだよ。

遠見結奈

そう……。うん、そうね。

ゆっくりと、歩いてる。

狛野比奈

結奈ねぇ、寒いの?

遠見結奈

ちょっとだけね。

空気は、冷たくて。もう、冬も近いんだし。

遠見結奈

明日からは、上着、出さないとね。比奈も、ブレザー一応、あるんでしょ?

狛野比奈

ん。でも、着ない。このままでいい。

比奈とつないだ手は、温かくて。

遠見結奈

やっぱりね。でも、いくらなんでも、ジャージのままじゃ、これから寒いわよ?

狛野比奈

だいじょぶ。ウィンドブレーカー、あるから。

遠見結奈

そう。

ただ、なんでもない会話を続けながら、歩いてる。ゆっくり、家までの帰り道。比奈と並んで。

遠見結奈

ふぅ……。

たぶん、ちょっと風が吹いたから、それで感じた寒さのせい。私は、胸にたまっていた息を押し出した。

遠見結奈

ねぇ、比奈……。

すぐ隣を歩く、比奈に声をかける。

狛野比奈

ん。

短い返事、いつもの声で、比奈が答える。

遠見結奈

なんだか、すごいもの、見ちゃったね。

前を見たまま、つぶやくみたいな小さな声だった。寒さのせいかな、はっきりとした声は出なかった。

狛野比奈

ん。そだね。

遠見結奈

比奈は、ちゃんと見えてた?

狛野比奈

ん。すごい、キラキラしてた。

遠見結奈

うん、そうだね。

ついさっきのこと。帰ってしまった、行ってしまった、サチさんと恵のこと。

ようやく、はっきりと、あの時の二人の顔が思い出せるようになった。

遠見結奈

………………。

さっきまでは、思い出せなかったから。あの後、学校にちょっと残っていた間も。学校を出てから、ここまで歩いていた間も。

最後の二人の顔が、ずっと、はっきりと頭の中でしてなくて。

どんな顔をしていたのかも。なにを話していたのかも。最後に、なんて言ってくれたのかも。

遠見結奈

………………。

ずっと、見てたのに。あの時、あの瞬間を、ずっと見ていたのに。そのあと、急にぼやけてしまって、そして、なかなかはっきり思い出すことができなくて。

なんでだろう……。

狛野比奈

結奈ねぇ。

比奈が、声をかけてくれる。

遠見結奈

うん……。

私は、小さくうなずいただけ。比奈の声、聞こえてる。

狛野比奈

結奈ねぇ。

すぐ隣から、もう一度。

遠見結奈

うん……。

また、私は小さくうなずいて。まだ、前を見たまま、ゆっくり歩いているまま。

狛野比奈

結奈ねぇ。

また、もう一度……。今度は。

真っ正面に、比奈の顔があった。

遠見結奈

比奈……。

いつの間にか、比奈が私の目の前に回り込んでいて。まっすぐに私の顔をのぞきこんでいて。

私は、歩くのを止めて、立ち止まっていた。自然と、手を開き、腕の中に入ってくる比奈を迎え入れる。

遠見結奈

うん……、なぁに?

狛野比奈

大丈夫?

遠見結奈

うん……。

狛野比奈

結奈ねぇ……。

すぐ近くにある比奈の顔、見上げてくる顔、目。なぜだろう、少しかすんでいて。端っこがぼやけていて。

その背中を腕で抱き締めていないと、そのまま滲んで消えてしまいそう。

どうしてかな……。その、理由は。

狛野比奈

泣いてるよ。

比奈が、教えてくれた。

遠見結奈

あ……。

遠見結奈

(ああ、そうか……)

遠見結奈

(私……、泣いてたんだ……)

今さら、頬を涙がつたっていることに気付く。

狛野比奈

……悲しいの?

比奈が、たずねてくる。

遠見結奈

……ううん。

ちがう。私は、小さく首を横に振った。

狛野比奈

……つらかった?

遠見結奈

……ううん。

そうじゃない。また、小さく首を横に振る。

狛野比奈

……結奈ねぇ、どうして、泣いてるの?

問いかけてくる比奈の声。不思議そうに。戸惑って、少し、不安そうに。声にわずかに滲んだ、その比奈の気持ち、私は比奈を抱き締めることで受け止める。

遠見結奈

比奈、私ね……。

狛野比奈

ん……。

遠見結奈

ずっと、ずっと……。

狛野比奈

ん……。

遠見結奈

楽しかったんだ……。

目を閉じる。比奈の顔は見えなくなるけれど、その体は、暖かさは腕の中にある。

遠見結奈

サチさんと恵、二人に出会ってから……。5月の連休明けの日に、会ってから……。ずっと……。

それから、ずっと。二人にお手伝いを頼まれてから。

遠見結奈

楽しかったんだ……、私。

初めは、イヤだと思う気持ちもあった。半ば、無理矢理頼み込まれた、お手伝い。

他人の恋の取り持ちなんてこと、そんな余計なお世話、大きなお節介。

したくなかった。そんなに、他人に関わり合いたくなかった。でも、引き受けてしまって。

それからの、毎日は。

遠見結奈

(使われてない資料室の掃除をしたり)

遠見結奈

(三人を引き離そうと、考えて、思いつかなくて、ただ、右往左往したり)

遠見結奈

(学校中を追い駆けっこして、走り回ったり)

遠見結奈

(登校中に、歌詞の講評させられたり、急にステージに引きずり出されたり)

遠見結奈

(夏合宿で料理したり、ケンカにハラハラさせられたり)

遠見結奈

毎日、あの二人に付き合って、いろいろしてきた。

遠見結奈

夏合宿にも参加することになったし、学園祭でもいろいろしたし。

遠見結奈

いつの間にか、いろんな知り合いができたし、友達が増えたし。

遠見結奈

それまでと、全然ちがう毎日になっちゃって……。でも、私……。

遠見結奈

それが、とても。

遠見結奈

楽しかったんだ……。

今なら、わかる。私は、その毎日を確かに、楽しんでいた。

二人が見つけてきた人たちのために、あれこれ考えて、どうにかできないかっていろいろしてきた毎日を。

こっそりとお手伝いするはずだったのに、いつの間にか、知り合いになっていて。友達になっていて。

そうして、変わった日々、この半年間。

遠見結奈

サチさんと恵と、一緒だった毎日が……。

さっき、終わった。

遠見結奈

終わっちゃったんだね……。

そのことを、私は、すぐに理解できなくて。さっき、やっと。

遠見結奈

だから、私……。

わかった。この、気持ちが。これは。

遠見結奈

寂しいんだ……。

狛野比奈

結奈ねぇ……。

比奈の手が、私の頬に触れる。暖かく、触れる。

狛野比奈

さびしいんだね。

遠見結奈

うん……。

狛野比奈

お別れ、したくなかった?

遠見結奈

ううん……。

比奈の手を頬に感じながら、小さく首を振る。

遠見結奈

悲しくない。さっきも、つらくなかった……。

それは、本当。あの二人が行ってしまうのはわかってた。そのために、お手伝いをがんばったんだから。

あの二人は、あそこに、どこかに、帰るために、みんなのことを応援してたんだから。ずっとずっと。

そうできることを願っていて、やっと、私を見つけることができたんだから。

今なら、思い出せる。もう、はっきりと。閉じた目の裏側で。

あの時、サチさんは笑っていたけど。恵は泣きじゃくっていたけど。

でも、さよならって言って、帰っていった。行ってしまった。二人一緒に。望んだとおりに。

だから。

悲しくはない、つらくはない、別れだった。二人の旅立ちの見送りだった。

遠見結奈

でも……。

遠見結奈

もう、会えなくなるんだ……。屋上に行っても、あの二人はいないんだ……。

狛野比奈

ん……。

遠見結奈

寂しいな……。

狛野比奈

ん……。

心に穴が空いたようって、こういうことを言うんだ。もう、あの二人に会えない。毎日、ずっと会っていたのに。

明日から、屋上にはいない……。二人の、百合霊は。

狛野比奈

結奈ねぇ。

遠見結奈

うん……。

狛野比奈

いつか、また……。

……いつか、また……?

狛野比奈

会えるといいね。サチさんと、恵さんに。

遠見結奈

……うん……。

ああ、そうだ。最後に、そう言っていた。二人とも。そして、私も。

「またね」って……。

いつだろう、どこでだろう。会えるのかな。行ってしまった二人に、また。

でも、会えるかもしれない。もう、二度と会えないと思うより。また、どこかで、会えるかもしれない。

そう、思いたい。だから、言ったんだ。みんな。私も、サチさんも、恵も。

遠見結奈

(またねって……)

ゆっくりと、目を開ける。ずっと、私を見つめていた比奈と、目が合う。

遠見結奈

比奈……。

狛野比奈

ん。

遠見結奈

ありがと、ね……。

狛野比奈

ん。

二人がいなかったら、今、私は比奈を抱き締めていなかったかもしれない。

ううん、きっと、この大切な恋人と、こうしていなかった。あの二人に出会ったから、この気持ちを知った、気付いた。

伝えることができたんだ。

遠見結奈

大好きよ……。

伝えることができるんだ。こうして、抱き締めて。

狛野比奈

あたしも。結奈ねぇ、大好きだよ。

その声を聞きながら、そっと比奈の体を離す。

そして、手を、握る。早朝の空気に冷えた指先、手のひらを、互いに暖めあうように。

そして、ゆっくりと、歩き出す。

学校からの帰り道、椿小路を。

中学の最後の冬。

あの時の私は、まだ、弱かった。今、思えばわかる。

あの時のみんなの言葉は、私を傷つけるための言葉じゃなかった。たぶん、私がいない時だから出ただけの。

ささいな言葉。小さな本音が混ざっていても、きっと、本心じゃない。冗談混じりの言葉だったんだ。

それでも、私は一人で傷ついた。

一人で心を閉ざした。そこまでの自分を否定した。

勝手に人と触れ合うのを怖れて。

そして。屋上に上がった。

そして。あの二人に出会った。あれから幾度目かの、春に。

幽霊に会うというとんでもない経験から始まった、5月から今日までのこの半年間。

いろんなことがあった。いろんな人に会った。

出会った人の、抱えた想いを、こっそりと見守って、時々、手伝って。

その想いが実を結んだ瞬間を見ることができた。うれしそうに笑って、並んで歩く二人の姿を、見た。

そして、私も。

たぶん、変わることができた。

心の中に、ずっと刺さっていた小さな棘が、ようやく抜けた。消えてくれた。とけて、どこかに行ってくれた。

そして。

大切なものを、手に入れた。今、この手の中に。

小さくて、かわいくて、しっかりしてて、頼もしくて。

面倒を見てあげたくなる、でも、いつも私を見ていてくれた、励ましてくれていた。

大好きな、愛してる……。

比奈。女の子の、恋人。

わたしも、そう、女の子。でも、二人、まっすぐな気持ちでつながっている。

ずっと、一緒にいたい。いつまでも、こうして。

歩いていきたい。いつまでも、こうして。

比奈。

あなたと、手を、つないで。

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okujou_no_yurirei-san/1701.txt · Last modified: 2018/05/22 17:15 (external edit)